
雪深いワーケーション先で、お酒を酌み交わしながら漏れ出た「私、お墓に入りたくないんです」という一言。非日常の中で生まれたその小さな違和感は、いつしか数千人を巻き込み、社会の“普通”を問い直す巨大な社会実験「Deathフェス」へと姿を変えた。
非営利型株式会社Polarisを創業し、ケアとワークの新しい関係性を探求してきた著者は、なぜ今「死」というテーマにたどり着いたのか。
本連載では、タブー視されがちな「死」を入り口に、私たちが無意識に受け入れてきた「当たり前」との摩擦や揺らぎ、そして人生の有限性を直視する中から見えてきた「成熟した〈選択〉」のあり方を、自身のキャリアや活動の軌跡とともにたどっていく。
第5回:【現場レポート】Deathフェス2026 ――「 死を語る場」が3年間でどう変化してきたか(前編)
Deathフェス2026は、ひそやかに幕を開けた。
開場と同時に座席は埋まり始め、展示ゾーンには次々と人が入っていく。取材のカメラも並び、いつスタートするのか、何が始まるのか。すこし浮足立った空気感が会場を包んでいた。
15分経ち、待っている人たちの集中が、いい感じに途切れかけてきた頃、一人の女性が静かに会場へと入ってくる。あまりに自然に、するりと。主催側からのアナウンスもないので「何かの準備なのかな?」と思って様子を見ている人もいれば、まったく気が付かず、スマートフォンを操作したり、友人と談笑している人も多いが、徐々に気が付く人が増えていく。
「もう、何かが、始まっている。」
今年は、アーティスト飯泉あやめさんによる「祈り」をテーマにしたオープニングアクトからはじまった。45分間、真っ白な衣装をまとったあやめさんの手から、真っ白いキャンバスに祈りの言葉が重ねられていく。
そこには何の説明も、言葉もない。明確なはじまりも、終わりもない。私たちはただ、彼女を通してささげられる祈りを見守っていた。

昨年は、かなりポップに、華やかなヘッドドレスをまとったミニステージだったので、あれを見ていた人からは「うわあ、今年はそう来たか」とうなっていただいたり、「アートは難しいけど、何とも言えない迫力が素晴らしかった」という声を届けていただいた。
6日間のオープニングを飾るのにふさわしいものは何か、毎年とても悩むのだが、今年の意図は無事に伝わったようだ。
数字で見るDeathフェス2026
まず、今年のDeathフェス2026の全体像を少し共有しておきたい。
6日間でのべ5,040人が訪れ、プログラム数は90、登壇者は103人、出展事業者は46社。協賛・協力は15社、メディア掲載・取材は27社にのぼった。
来場者数は、1年目の約2,000人、2年目の約4,200人から、さらに伸びた。規模の面でも、関わる人の広がりという意味でも、Deathフェスは確かに次の段階に入りつつある。


けれど、数字以上に私の記憶に残っているのは、会場に流れていた空気だった。一言でいうなら、「空気が変わり始めている気がする」ということだ。
今までは、参画する一人ひとりの想いや熱が、Deathフェスという場の原動力だったし、それは今年も変わらずにあったけれど、それとは少し違う雰囲気が感じられた。社会が、このテーマを受け入れ始めている、という感覚だ。「なぜこんなことを?」というよりも、「この先に何を見ようとしているのか?」というところに、注目が移り始めている気がした。
今回は、今年のDeathフェスの空気を感じてもらえるような場面をピックアップしながら、「 死を語る場」が3年間でどう変化してきたのかということを考えていきたい。
Deathフェスのテーマの変遷
Deathフェスは、毎年テーマを変えている。単なるキャッチフレーズではなく、その年ごとのチャレンジを表す、自分たちの宣言のようなものだ。
1年目の2024年は、「死というテーマに出会い直す」を掲げ、とにかく「死」というテーマの幅を出すことに徹した。専門領域に閉じた死ではなく、誰にとっても自分ごととして触れられるように、「死×○○」というテーマの設定方法を編み出した。死そのものを正面から語るだけではなく、何かと掛け合わせることで、違う見方や入口が生まれるのではないか。そんな提案だった。
2年目の2025年は、「死をポップに、終活を再定義する」を掲げた。1年目に広げた入口から、もう少し具体的な選択肢や対話へと踏み込み、死を考えることが、自分の暮らしやこれからの選択につながっていくような場を目指した。
そして3年目を迎えたDeathフェス2026のテーマは、「五感でひらく『生と死』」だ。死とは、いつか必ず誰にでも訪れるものだけれど、それがいつ来るのかは誰にも分からない。想像するしかないのが、死というものだ。
今年は、そんな理解しがたい死を、知識や言語だけで共有するのではなく、身体を通して少しだけ近づいてみることを軸にした。その思いは、冒頭のオープニングアクトにも表れていた。
Deathフェス2026 実施レポ!
ここからは、当日の熱を感じていただくために、いくつかの企画を紹介したい。
スペシャルデイ
2026年は、4月13日をアカデミックデイ、14日を「よい死の日」、15日を仏教デイとし、3つのスペシャルデイを設けた。6日間という長い会期に、リズムと見どころをつくる狙いがあった。6日間もやるからこそ、色々な設計ができるのだ。「死だけをテーマにこんな規模でやってるのは、世界中探してもDeathフェスしかない、いい意味でクレイジー」と言ってもらったことは最高の誉め言葉だろう。
アカデミックデイ
アカデミックデイは、昨年に引き続き大人気だった。心の哲学・認知科学の第一人者である信原幸弘先生と、宗教学・死生学研究を牽引してきた島薗進先生による「【知×死】今問い直す、知の巨人の公開討論会」をはじめ、「【AI×死】AIが揺さぶる、生者と死者の境界線」などのトークが会場を沸かせた。
さらに、「若手研究者×死 Death系研究SHOWCASE!」での熱気ある発表に加え、研究者と直接語り合うワークショップもひらかれ、多様な視点から「死」を探求する知的な1日となった。

「よい死の日」― Death-1グランプリという実験
Deathフェスが掲げている「4月14日はよい死の日」に合わせ、この日は少しお祭り気分を強調したプログラム構成とした。世界の葬祭や、食べる禅とよばれる行鉢に関するトークセッションのほか、「サイレントシアター」という手法を用いた映画『ハッピー☆エンド』の上映会も行った。
今年の目玉企画の一つとして初開催した「名もなき人が、自由に死生観を表現する祭典~Death-1グランプリ」は、色々な意味でDeathフェスらしいプログラムとなった。
Deathフェスは、誰でも死について話ができる場を目指している。けれど、ステージに立つ登壇者には、どうしてもある程度の知名度や専門性が求められてしまう。そこで、「名もなき人が、自分の死生観を語れる機会をつくろう」と始まったのがDeath-1だ。
初めは単なる思い付きだったが、2025年8月に原宿「ハラカド」で実施したDeathフェスポップアップイベントでその「カオスな面白さ」に触れ、正式にプログラム化することとなった。Deathフェス2026では6名の「ナラティブ・オーナー(語り手)」に登壇いただき、審査を引き受けてくださった方たちには「共同編集者」という役割を担っていただいた。
超満員、立ち見も出る状況の中、まずはDeathWEAR部門からスタート。これも今年初開催の「死装束を現代的に再解釈するファッションコンテスト」だ。2名の女性が、自分が大切にしている物語と共に、これからのエンディングの装いを提案してくれた。あたたかな空気で幕を閉じたあと、いよいよDeath-1が始まった。

緊張感と異様な熱気の中登場した一人目は、マスクにサングラス。話し始めると同時に、もう泣いている——。「何か、とんでもないものが始まった」という感覚が、会場に漂っていた。
比較なんてできないし、優劣なんてつけられない。個性が爆発するナラティブ・オーナーたちの存在は、経験豊富な共同編集者のみなさんでさえ、「いやあ、度肝を抜かれました」と言わしめるほどだった。頭での理解や言葉のやり取りを越えて、体感することを目指したDeathフェス2026らしいプログラムとなった。
その後の「Deathフェス2026 MEET UP」も、その熱気のまま盛り上がった。特に大好評だったのが「サイレントディスコ」だ。ヘッドフォンの中には爆音が流れているのに、はたから見ると無音。「大きな音を出せない」という会場の制約を、アイデアで越えられたよい経験でもあった。
ここでも、死は知識としてではなく、一人ひとりの人生から紡がれる声やエピソード、言葉にしにくい感覚や沈黙など、五感を通じて届いていた。

仏教デイ― 13宗56派の、多様な表現
日本人の死生観に、仏教はとても縁が深い。今年は、公益財団法人仏教伝道協会の助成を受け、「仏教から“生と死”を感じる一日」というコンセプトのもと、「仏教デイ」として1日にまとめて開催した。
ひとくちに仏教と言っても、実はさまざまだ。文化庁の統計によると主要宗派だけで「13宗56派」があるそうだ。Deathフェス2025でも、異なる宗派の4人の僧侶によるクロストークを実施したが、このセッションは昨年のアーカイブで一番多く再生されているプログラムだ。そういった手ごたえから、「お葬式だけでお世話になるのではなく、生きているうちからもっと仏教のことを知ったり、お坊さんたちと交流してもらいたい」と考え、「仏教デイ」の企画へとつながっていった。
オープニングは、宗派別僧侶によるトークセッションの第2弾を、ファッションショー付きで実施した。今年は、浄土真宗、浄土宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗の5宗派の僧侶がランウェイに登場。宗派ごとの袈裟の特徴やその意味、儀礼の捉え方から死生観まで深掘りした。
Deathフェスに協力してくれるお坊さんたちは、とてもクリエイティブで、ユニークだ。音楽や舞踊、テクノロジーの活用、スタートアップ経営など、イノベーティブな活動を山ほどされている。お坊さんたちからも、「Deathフェスに来ると、顔なじみに会えて同窓会気分」という声を聞いたり、「今まで知らなかった面白いお坊さんに会える」という声も届く。
袈裟の色も、所作も、宗派によって驚くほど違う。頭で理解する前に、まず目に、肌に、その違いが飛び込んでくる。それもまた、今年らしい出会い方だった。

「儀式」を体験する― キリスト教式模擬葬儀
私たちは毎年、何らかの形で葬送に関する儀式に触れる機会をつくってきた。
「これをやるのが当たり前ですよ」という形で執り行われる葬儀については、反抗したい気持ちがある。けれど、葬儀に関わる方たちのことを知れば知るほど、「とにかく簡素化」してしまうのはもったいない、という気持ちも強くなる。
そう考え、Deathフェス2026では、「キリスト教式の模擬葬儀」を執り行った。
協賛社でもあり、出展社でもあるキリスト教専門の葬儀社ライフワークスが、模擬葬儀とトークセッションを実施してくれた。
「日本人の半数以上が教会で結婚式を挙げるのに、お葬式の多くは仏教式で行われている。今はキリスト教徒以外の方でも葬儀を行える教会も増えているので、それを知っていただきたい」と聞き、海外の教会で結婚式を執り行った私は「確かに!!」と深く納得したものだ。
ライフワークスとは、2025年のクラウドファンディングのリターンでコラボレーション権を選んでくださったことがきっかけで、Deathフェス2025から継続的な関係を築いてきた。9月には新大久保の教会でポップアップイベントを共同開催し、その中で私の模擬葬儀を執り行ってもらった。みんなで讃美歌を歌ったり、明るくてあたたかな葬儀の形は棺の中から聴いていてもとても心地よく、仏教式の葬儀とはまた違う魅力を実感することができた。
6日間のイベントその時だけ、その年だけの関係ではなく、一つひとつ経験を持ち寄り、継続的な関係へと育てていけたことは、私たちにとって嬉しい事例のひとつでもある。
渋谷ヒカリエのステージには、教会の祭壇が映し出され、十字架、棺、オルガンが持ち込まれ、葬儀社と牧師が一般の葬儀と全く同じ手順で儀式を執り行う。満員の会場からは、「キリスト教の葬儀に参列したのは初めて」という声も聞こえてきた。
簡略化されてしまうことで、触れる機会が減り、触れないことでますます選択されなくなっていく。その構造を、儀式に触れる機会を通して少しずつ変えていきたい。
死を遠ざけずに、色々体験することで、必要なものも、必要でないものも、選べるようになって欲しいのだ。

入棺体験と、様々な「ふたり」のかたち
毎年大人気で、Deathフェスの顔ともいえるのが「入棺体験」だ。今年は、千葉県富津市で入棺カフェも運営している葬儀社、「和葬空間 か志゛屋」(かじや本店)の協力を得て、2人で入ることができる「夫婦棺(めおとかん)」を使い、「死がふたりを分かつまで」という結婚の誓いを体現する体験を提供した。

いわゆる結婚や恋愛のパートナーだけでなく、親子やきょうだい、友人同士など、さまざまな「ふたり」で体験していただいた。ユニークな組み合わせとしては、「元夫婦」もいらっしゃった。今も仕事は一緒にしているそうで、「棺の中でもやいのやいのと、いつもと変わらない話をしたよ。棺桶の中に入ってまで自分たちは変わらないね、と笑い合った」とおっしゃっていた。その関係性こそ、お二人が重ねてきた年月そのものだ。
言葉で語られる死生観の手前に、横たわってみて初めて分かる何かがある。今年、身体を通して感じてほしかったのは、まさにそういうことだった。
カツギテと生み出した、二つのプロダクト
今年、Deathフェス2026では、カツギテとともに二つの新しい体験プロダクトが生まれた。
一つは、「ひとくち死生観クッキーDeath!」。きっかけは、「妻をDeathフェスに誘おうと思ったけれど、どうしても誘えなかった。何か誘いやすくなるものがあるといい」という応援者の一言だった。会場に足を運んでくれる人たちは前向きに死というテーマに向き合ってくれる。でも、その一歩外側にいる人たちに伝えようとすると、腰が引けてしまう。
「もっとさりげなく触れられるものは何か?」
「みんなが好きなのはやっぱり『おいしいもの』と『占い』じゃない?」
「だったら、その2つの要素を持ってる『フォーチュンクッキー』のDeathみくじ版はどう?」
そんな風に、わいわいと話しながら「死生観クッキー」のアイデアが一気にまとまった。
ミーティングで盛り上がった小ネタで終わらせてしまうのはもったいないよね、自分たちオリジナルの商品をDeathフェス2026では展開したいよね、ということで、実行も決定。
2026年1月、カツギテの中からプロジェクトメンバーを募集してキックオフ。集まった10名の中には、デザイナーや印刷会社に勤める人もいて、専門性がそのまま形になっていった。Deathフェス本番では、メンバー自身が中心になってお披露目会と体験会を開いてくれた。「一般の人でも死について語りやすくなる」という価値が伝わり、今ではDeathフェス以外の場での活用や、対話ファシリテーターの育成にまで広がりつつある。

もうひとつは、「AWAI」。1人用の防音室に入り、音と香りを通じて、生と死のあわい(あいだ)や命を感じることができる空間だ。
種は2023年頃からあった。「自分の体が分解され、土になり、自然に還っていく」体験を、VRやハプティクスなどのテクノロジーを活用して実現できないだろうか、という構想を温めていた。生きているうちに体験できない死を感じるだけでなく、その先に続く「自然の一部となっていく」プロセスまで体感するというアイデアだった。個人や家族の問題ではなく自然や地球という観点で葬送をとらえる試みで、新しいソーシャルエンターテイメントとして、何とか実現しようと思ったが、開発のハードルの高さで断念。いつか形にしたいとひそかに思い続けている中で、たまたま渋谷QWSのご縁を通じて「一人用防音室」をお借りできることになり、音声を通して「生と死を五感で感じることができる装置」として生まれ直した。
「目を閉じて、音を聴く」体験のデザインも、カツギテからメンバーを募って作成。「今ここを感じる」「故人となった自分になる」「命を感じる」「大いなる存在を感じる」の4カテゴリーで音源を作成。世界観設定やワークシートなどの開発、「入る前になにかをくぐる動作があった方がいい」など、ボックスに入る前後のプロセスにもこだわった。

どちらも、私たちだけで完結させたものではない。運営を「手伝ってもらう」のではなく、「一緒につくる」。この感覚こそ、2026年に取り戻したかったものだったのかもしれない。
アカデミックデイから生まれた、ひとつの雑誌
2025年に始まったアカデミックデーは、今年もうひとつの形を得た。ジャーナル『414!(よいし!)』の創刊だ。その場限りで消えていく対話やセッションを、言葉として残していく試み。過去2回の軌跡の振り返りや、死の異文化交流をめぐる考察などを、冊子というかたちに編み直した。思った以上に多くの来場者の手に取ってもらえた。
編集者、デザイナー、研究者などの専門性をもつカツギテがいることは安心材料だったが、本番まで2か月しかないし、おりしも季節は年度末。みんな余裕がない時期だ。「さすがに難しいだろうから、まずはサンプルをつくって、Deathフェス当日寄付でも募ったら?」なんて提案もしていたのだが、そんな心配をよそに、『414!』は2か月で完成した。「Deathフェス2026でお披露目したい!」と決め、チーム一丸となって進めていく姿は圧巻だった。

(後編に続く)
※後編は2026年8月14日公開予定です。







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