
雪深いワーケーション先で、お酒を酌み交わしながら漏れ出た「私、お墓に入りたくないんです」という一言。非日常の中で生まれたその小さな違和感は、いつしか数千人を巻き込み、社会の“普通”を問い直す巨大な社会実験「Deathフェス」へと姿を変えた。
非営利型株式会社Polarisを創業し、ケアとワークの新しい関係性を探求してきた著者は、なぜ今「死」というテーマにたどり着いたのか。
本連載では、タブー視されがちな「死」を入り口に、私たちが無意識に受け入れてきた「当たり前」との摩擦や揺らぎ、そして人生の有限性を直視する中から見えてきた「成熟した〈選択〉」のあり方を、自身のキャリアや活動の軌跡とともにたどっていく。
第2回:なぜ「死」をポップに語るのか―「いつか死ぬ」のに「語れない」社会をハックする
2024年4月、渋谷ヒカリエで開催されたDeathフェスには、6日間で2000人を超える人が訪れた。
実際に足を運んだ知人・友人から、面白かったよと聞いて来た方。先生に「渋谷だから行きやすいだろうし、学校帰りに行って勉強してきなさい」と言われた学生。テレビでDeathフェスを見たその足で大阪からかけつけた方もいれば、「毎日地下のスーパーに通ってるのよ、面白そうだから来たわ」と、スーパーのカートを押しながら来場された80代の女性や、インバウンド向けSNSで「渋谷で今週末開催しているユニークなイベント情報」として知り、偶然にも日本の死生観に触れて帰った旅行客もいた。
葬儀業界、医療や福祉に携わる方、デスカフェやグリーフケアに関する活動をするNPO、死の周辺をテーマにした研究者など、「元々興味がある人」だけではない、10代から90代までの幅広い市民が訪れ、いい意味で「興味本位」に「初めて知る情報」を楽しんで帰っていった。
準備で手一杯すぎて、本当に人が来てくれるのかと心配になる暇もなく迎えた当日だったが、6日の間来場者が途切れることはなく、「死をテーマにしたイベントに、こんなにも人が来るのか」と、誰もが驚く結果となった。
でも、考えてみれば、当たり前のことかもしれない。
私たちの世界は、致死率100%だ。私たちは皆、いつか必ず死ぬ。来場者の誰もが、等しく「いつか死ぬ」存在であり、死は本来、とても身近なもののはずだ。なのに、なぜこれほど語りにくいのだろうか。
Deathフェスは、「死について本当は知りたい、話したい」というニーズや、「ユニークなもの、他にはないものに触れたい」という、渋谷という文化的多様性を持つ街ならではの欲求が重なり合うことで、生まれた場でもあったのだろう。
あの場で起きていたことを、私はまだ、うまく言葉にできていない。 ただ、とても楽しく、どこか不思議な高揚感があった。こんなにも多くの人と、「死」というテーマで自然につながれるなんて。これがまさに、「想像を超えて想像通り」。
第1回の最後でそう書いたときの、あの感覚が、いまもどこかに残っている。
初めて来たはずの人たちが、たまたま隣同士になり、 古くから知っていたかのように、自然に「死」の話を始める。あまりに親しげだったり、あまりに深い話をしていることに気が付き、 「お二人で来たんですか?」と問えば、 「いいえ、今日初めて会いました」と返ってきたり、さっきまでめちゃくちゃ盛り上がっていたのに急に静かになり、おや?と思ってみてみると、陽気にその場を盛り上げていた若者が、涙を流しながら介護の現場で死に出会うつらさを吐露していたり。
驚くようなシーンがたくさんあった。 けれど、そこに違和感はない。
むしろ、「そうだよね、そういうことなんだよね」と、 どこかで腑に落ちてしまう。
——あの感覚は、いったい何だったのだろうか。死はタブーで、語れないものではないのか?
死は「語れない」のではなく、ただ「語る機会がない」
私たちは「死について語れない」のではなく、 ただ、「語る機会がない」だけなのかもしれない。ニュースやSNS、映画やドラマを通して、 私たちは日々、誰かの死に触れている。にもかかわらず、それを自分たちのこととして語る場は驚くほど少ない。
死の話題に触れたときに、「縁起でもない」「そんなことを言うものじゃない」と強く拒絶する反応に出会うこともある。親と死について話そうとしたら「俺に早く死んでほしいのか」と怒られてしまった、という話もよく聞く。
一方で、少し戸惑いながらも、どこかで「本当は話してみたい」と感じている様子に出会うこともある。そうしたさまざまな反応を見ていると、死そのものがタブーなのではなく、それにどう触れていいのかわからない、という感覚のほうが、私たちの中に広くあるのかもしれない。
「語る経験」が、死との距離を変える
では、「語る機会」があると、何が起きるのだろうか。
Deathフェスの会場では、来場者への簡単なアンケートや対話を通じて、死についての捉え方をうかがう機会があった。そこで見えてきたのは、年齢や性別といった違いよりも、「誰かと死について関わった経験があるかどうか」という点だった。
若いから関心が低い、高齢だから関心が高い、という単純な構図ではない。むしろ、死について語ったり、触れたりした経験があるかどうかによって、その距離感が少しずつ変わっていくように感じられた。
その一方で、「Deathフェスに来るまで、死のことなんて考えたことがなかった」という声も少なくなかった。そうした人たちにとっては、「語る」よりも前に、まず死と“出会う”という経験が起きているのかもしれない。
自分とはまだ関係のないものだと思っていた「死」が、ふと自分の側に引き寄せられる。そうして距離が少しだけ近づいたとき、人は自然に、それについて語りはじめる。
そこに正解があるわけではない。ただ、出会い、触れ、語るという経験が、死との距離を少しずつ変えていくのだと思う。
死との距離が生む悪循環と、現代社会のパラドックス
こうした「出会い」や「語る経験」が、私たちと死との距離を少しずつ変えていくのだとすれば、そもそもなぜ、そうした機会がこれほどまでに少なくなってしまったのだろうか。
死が私たちの日常から遠ざかっていくにつれて、ある種の悪循環が生まれているようにも感じる。
「家族の営み」であり、また「地域社会の出来事」であったはずの死は、私たちの暮らしの中から気配を消した。人は自宅ではなく病院で亡くなるようになり、宮型霊柩車もまた、「死を連想させる」という理由で街中から姿を消していった。

私が子どもだった頃は、「霊柩車を見たら親指を隠す」のがあたりまえだった。子ども心にも死は怖いことではあったけれど、それでも私たちの日常の景色の中にあった。
そうした景色が失われていく中で、死に触れる機会が減り、語る機会も減っていく。語られないから、体験や経験が共有されることも少なくなり、さらに死は遠ざかっていく。その結果、「触れてはいけないもの」のように感じられ、ますます語りにくくなる。
そんな「語れない」悪循環の中に、私たちはいるのかもしれない。
さらに現代は、 価値観の変化、家族形態の変化、働き方の変化、テクノロジーの進化など、私たちの暮らしの土台が大きく変わっているのだ。そうした変化の中で、死とどう関わればいいのか、その手がかり自体を見失っている状況なのかもしれない。
だとしたら、私たちは変化の中でどう死との関係を取り戻していくことができるのだろうか。
そのヒントとなるのが、2022年に世界的な医学誌の一つである『ランセット(The Lancet)』が発表した報告書、『死の価値:死を人生に取り戻す(Report of the Lancet Commission on the Value of Death)』だ。 この報告は、医療のあり方だけでなく、私たちの社会全体に対して、「死をどのように位置づけてきたのか」を問い直すものだった。
その中で提示されているのが、「現代社会における死のパラドックス」だ。「死を遅らせること」には過剰なリソースが投じられる一方で、「苦痛を和らげること」や「人間らしい死を支えること」には十分な光が当たっていない。この不均衡こそが、現代における死の歪みであると報告書は述べている。
私たちは医療やテクノロジーの進歩によって、かつてないほど長く生きられるようになった。一方で、その過程で、死は日常から切り離され、見えにくく、関わりにくいものになっていってしまった。
だからこそ、 死を「回避すべき医学的敗北」や「人生を突如として断ち切る敵」ではなく、誰にでも訪れる人生の締めくくりという「価値あるプロセス」として捉えなおし、そのプロセスを、再びコミュニティ(地域社会)の手に取り戻す必要があると述べている。
死とは、それまでの生き様や人間関係が凝縮されたものであり、人生を一つの物語として編み上げる、かけがえのない価値を持つ営みでもあるのだ。そして、 死を考えることは、今をどう生きるかという問いに直結する。
村上春樹の『ノルウェイの森』冒頭にある有名な一節、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という文学的で直感的な洞察を、今、ランセット委員会は医学と社会学の視点から、いわば「社会の処方箋」として再定義しているように思うのだ。
情報としての死と、関係としての死のあいだ
情報としての死は、日常にあふれている。けれどそれらの多くは、どこか自分の外側にある出来事として消費されていくものであり、自分自身や身近な人の死として引き受ける機会は、決して多くはない。
だからこそ私たちは、死について「知っている」つもりでいながら、いざそれについて語ろうとすると、言葉に詰まってしまう。どこまで踏み込んでいいのか、何をどう言えばいいのか、その感覚がつかめないまま、話題そのものを避けてしまうこともある。
そしてもう一つ、見過ごせないのは、「誰が死を語るのか」という感覚の問題だ。医療や介護、葬送といった領域が高度に専門化されていく中で、死はいつの間にか、専門家のもとに委ねられるものになっていった。
私たちはその外側に立ち、当事者でありながら、どこかで「自分が語るべきではないのではないか」「自分は語るだけの言葉を持ち得ていないのではないか」という距離を感じてしまうのだ。
こうして、死は身近なものでありながら、どこか遠いものとして存在し続ける。その距離のあり方こそが、私たちが感じている「語れなさ」の正体なのかもしれない。
ふとした瞬間に、死は自分ごとになる
けれどその距離は、あるときふっと、ほどけることがある。特別な場面ではなく、ごく日常の中で、何気ない会話の中で、死が「自分ごと」「私たちのこと」として立ち上がってくる瞬間がある。
たとえば、こんなことがあった。
ある日、母と子どもたちと一緒に話をしていたときのことだ。私は冗談まじりに、「せっかく長年洋裁を仕事にしてきたんだから、自分のエンディングドレスをつくったらいいんじゃない? 変な和装着せられて、知らないおばあちゃんにされるより、自分らしい格好で旅立ったほうがいいでしょ。何色がいいかな」と言った。
すると、隣にいた娘が「やっぱり藤色じゃない? あーちゃんといえばその色だよ」と言い、息子も「たしかに」と続く。「そうだよね、あーちゃんといえばそれだよね」と、家族でわいわいと盛り上がった。
母が本当にその色を好きなのかどうか、正直なところ私は知らない。そもそも、あの藤色のワンピースを「いつも着ていた」のかどうかも、確かではない。
ただ、家族で行ったハワイ旅行の写真の中で、母はその服を着ている。そして私たちは、そのアルバムを何度も、何度も見返してきた。
もしかすると、「あーちゃんといえば藤色」という感覚は、実際の出来事というよりも、そうして繰り返し見てきた記憶の中で、少しずつ形づくられてきたものなのかもしれない。
子どもたちもまだ小さかったから、そのときの体験そのものをどこまで覚えているのかはわからない。けれど、あの写真の中の記憶は、確かに私たちのあいだに共有されている。
その瞬間、藤色のワンピースは、「事実としての服」ではなく、私たちのあいだにある時間や関係そのものを指し示すものとして、立ち上がってきていたのだと思う。
母の死、祖母の死という、大きな喪失につながる死について話しているはずなのに、その場にあったのは、重たさや気まずさではなく、むしろ、あたたかく、少し可笑しさすらある空気だった。
こうしたやりとりの中で、死は「特別な出来事」ではなく、日常の延長線上にあるものとして、自然に立ち現れてくる。
それは、何かを正しく語れているかどうかとは関係がない。むしろ、うまく言葉にできなくてもいいし、少しずれていてもいい。ただ、誰かと一緒にその話題に触れてみること。そのこと自体が、死と、私たちが生きている今の暮らし、経験してきたたくさんの時間との距離を、少しずつ変えていくのだと思う。
そしてそこでは、「誰が語るべきか」という境界も、いつの間にか消えている。専門家であるかどうかではなく、その人にとっての記憶や関係の中から、自然に言葉が立ち上がってくる。
私たちがともに過ごした日々を、あちらに持って行って欲しいし、残された私たちもその思い出とともに、「あなたがいなくなった人生」を、またみんなで生きていくのだ。

死を「語り合える」コミュニティの萌芽
Deathフェスという場で起きていることは、感覚的なものにとどまらない。実際に、来場者と一般市民を対象に行った調査からも、その違いははっきりと見えてきている。そうした試みの一つとして、その内容は、2026年4月に発行予定のジャーナル『414!(よいし!)』にもまとめられている。場で起きていることを、その場限りのものにせず、言葉として残していくための小さな実践でもある。

たとえば、「死とは何か」という問いに対して、一般には「消えてなくなるもの」と捉える傾向が強いのに対し、Deathフェスに訪れる人たちは、それを「誰にでも訪れるもの」として受け止めたり、「何かへと移り変わっていくプロセス」として捉える傾向が見られた。
また、「よい死」のイメージについても、一般には「苦しまないこと」や「周囲に迷惑をかけないこと」が重視されるのに対し、来場者の多くは、「自分の人生をどう生きたか」や「納得して終えられるか」といった、時間の積み重ねとしての意味に目を向けている。
それは単に、死についての知識が多いか少ないかの違いではない。むしろ、「死とどう関わってきたか」という経験の違いが、そのまま表れているのではないかと思う。
もし、死生観の違いが年齢や性別ではなく、「どのような場に身を置いてきたか」によって育まれるのだとしたら、私たちにとって必要なのは、正しい知識よりも、死と出会い、関わることのできる場なのではないだろうか。
Deathフェスが「ポップさ」を掲げているのは、その入口をひらくためだ。カラフルな色づかいや遊び心、死にまつわる既成概念を軽やかに超えていく発想——そうした異質さの中にこそ、ひょいと入りやすい入り口がある。誰もが気負わず死に触れられるようにしながら、その奥にある揺らぎや、言葉にならない思いを、そのまま受け止める場でありたい。
ここにあるのは、上手に語る技術ではない。自分の言葉で語ってもいいし、語らずにただ耳を傾けていてもいい。言葉にならない思いを抱えたまま、ただそこにいることも許される。
Deathフェスはまだ社会の中では「特異点」かもしれない。でも、そうした関わりの中で、死は少しずつ、私たちの手元へと戻ってくるのだろう。死を取り戻すという試みは、同時に、生を取り戻すことでもあるのだ。
私たちは、Deathフェスがいつか必要とされなくなること——つまり、死があたりまえに暮らしの中にある風景を目指して、今ここをひた走っている。


軽やかでありながら、誠実であろうとする、その試みのひとつである。
次回は、Deathフェスに集まる人びとの話をしたい。なぜ、ここに人が集まるのか。そして、それぞれが持ち寄る思いが、どのように「場」を育てているのか――。






