
商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第16回 組織を超え「防災」でゆるやかにつながる代官山 代官山商店会 山田美樹さん/代官山ヒルサイドテラス(朝倉不動産株式会社)菊池麻美さん/代官山T-SITE 本所優さん
代官山のまちと「都市の中の村」という思想
東京都渋谷区の南西部に位置する代官山。その近代的なまちづくりは、1969年の代官山ヒルサイドテラス(以下、ヒルサイドテラス)の誕生にはじまる。朝倉家という地主の系譜に連なる朝倉不動産株式会社と、建築家・槇文彦氏による連鎖的な開発は、都心でありながらヒューマンスケールを保ち、緑豊かな景観を守り抜いてきた。1970年代からはファッションの街として注目を集め、2011年にはカルチャーの拠点として代官山T-SITEが誕生。代官山は常に「文化の発信地」であり続けている。
東急東横線代官山駅から旧山手通りに広がる代官山商店会は、地域の店舗や企業が連携して魅力ある街づくりを進める商店街組織だ。カフェ、ブティック、雑貨店など約150店舗が加盟し、個性豊かな店舗と洗練された文化が共存する地域の歴史を大切にしながら会員同士の挑戦や交流を支援している。夏の「爽涼祭」や秋の「代官山ハロウィン」、音楽祭など、地域密着型のイベントを主催し、会員であるヒルサイドテラスや代官山T-SITEなど周辺施設や地域とも深く連携している。
2025年、代官山商店会では東京都の支援を受けて防災マニュアル策定や防災備品の整備に着手した。東京都は首都直下地震などの大規模災害が発生した場合に、商店街が来街者や地域住民の安全を確保し、被害を最小限に抑える「地域の防災力向上」をはかることを目的として商店街の防災対策を進めている。
代官山における防災活動の取り組みを知る上で特筆したいのは、ヒルサイドテラスの「アーバンヴィレッジ――都市のなかの”村”」という考え方だ。それは、地域・世代・ジャンルを超えて人々がゆるやかにつながり、未来への交流を生み出す場所でありたいという願いであり、代官山という華やかな都会であっても「村」のような顔の見える関係性を維持することだ。この思想が、商店会が進める防災活動の土壌にもなっている。


災害の記憶と継続の難しさ
「阪神淡路大震災や東日本大震災など大きな災害が起きるたびに、ヒルサイドテラスで防災の勉強会を重ねてきた」と、商店会の会員でもあるヒルサイドテラス(朝倉不動産株式会社)の菊池麻美さんは語る。まちづくり協議会として渋谷区で最初に認定された「代官山ステキなまちづくり協議会」と協働し防災の勉強会を続けてきたが、同時に活動を継続させることの難しさにも直面してきた。
「志を同じくする人が集まる場に」という理想を掲げつつも、実体としての「組織」がないために、人の入れ替わりとともに活動が立ち消えてしまう。私も他地域でしばしば経験してきたが、この「継続性の欠如」が、代官山のまちでも長年の課題であった。
また、都市部における地域活動の悩みのひとつに、住民と事業者の意識の違いがある。代官山も例外ではなかった。町会は、代官山に居を構える住民の「生活を守る」ための組織である。一方、商店会や企業は事業や仕事のために、昼間は代官山の外から通う人たちが集まる。住民にとって、事業者は昼間だけ街にいるが、最も不安な時間帯である夜間にはいなくなってしまう存在だ。
加えて、代官山エリアには約6つの町会が存在し、町会ごとに考え方も異なる。避難所(猿楽小学校、鉢山中学校)を拠点とした「自助」が課題の住民と、BCP(事業継続計画)や帰宅困難者対策を優先する事業者。それぞれに抱える課題があり、連携する難しさがあった。
能登半島地震で再び防災に向き合う
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、代官山の人々に再び危機感をもたらした。「今度こそ、もう一度頑張って連携してみよう」。その強い想いが町会や商店会と連携を取る新しい動きのきっかけとなった。同年4月には代官山エリアで防災を考える「アーバンヴィレッジ防災会議」が始まった。11月には代官山の秋の風物詩「猿楽祭」に合わせた防災シンポジウムとして、ヒルサイドテラスで奥能登・珠洲市の副市長を招いて話を聞いた。防災をテーマに地域交流を図る「防災サロン」では、警察関係者を招き発災後の防犯を考える会や、ペット防災について専門家から話を聞く会など、地域住民も事業者も一緒にテーマを決めながら勉強会を重ねてきた。
代官山地区の防災勉強会の事務局を担うのは、ヒルサイドテラスの菊池さんたちと地域の町会長たちだ。商店会や町会の面々が集まり、住民と事業者が話し合いながら両者に共通する課題や悩みを探るテーマが設定されている点が秀逸だと私は感じた。

防災サロンで「共助を見える化」する試み
2025年11月には、連絡会として初めての防災訓練がヒルサイドテラスで行われた。渋谷消防署松濤(しょうとう)出張所の協力のもと、地域住民や近隣の事業者が起震車体験や煙体験、消火器体験などを行い、セミナーでは町会員であり応急手当指導員(東京消防庁が認定する公的資格)の鈴木栄理子さんから救命処置の理論と実技を学ぶ。防災訓練には、代官山に暮らす人たちと代官山で働く人たちがともに参加した。





同年12月に開催された防災サロンには、商店会や町会、行政や交通機関など代官山に関わる人たちが集まった。避難所として渋谷駅の西側から代官山エリアまでの帰宅困難者の受け入れを担う都立第一商業高等学校長が登壇し、地域の防災拠点として学校の役割や準備状況、近くの一時避難所である猿楽小学校や鉢山中学校との連携について講演した。東日本大震災は学校が開いている金曜日の午後に起こり教員が対応できたが、夜間や休日に発災した時の対応には課題が残り、行政など関係機関との連携が必要だ。その一歩として避難所である小中学校と横の連携をはじめている。
後半はグループに分かれ地図を用いたワークショップだ。参加者は大きな地図を囲んで、エリア内にあるAEDや防災倉庫、防災ベンチの位置を確認し、「災害時に、設備や場所を提供してくれたら心強い施設や場所」と「災害時に、協力してくれたら心強いスキルを持つ人」を話し合いながら付箋に書き出して地図に貼る。
「この店にはAEDがある」
「ここには防災ベンチがあるよ」
「赤ちゃん連れの避難者にお湯の提供ができる」
など公的なハザードマップには決して載らない「街の微細な情報」が、ワークショップを通じて次々と可視化された。私が参加したテーブルでは、東日本大震災の時には給水や休息で帰宅困難者に店を解放した店主の話や、コンビニなどAEDのある場所が可視化されていない話も出た。
参加していた中目黒駅の副駅長(代官山駅も兼務)や渋谷区などの行政関係者、地元商店主、大規模な複合施設の関係者と住民たちは、作業を通じて会話を交わして顔と名前を一致させていった。仕組みとしての防災対策も重要だが、同じまちで過ごす者同士が微細な情報を共有し協力しあうことで育まれる関係の熱量を私は感じた。
「代官山を大切に思っている人たちが集まってるから、もうそれだけで、その場が本当にうまく進むんだなと実感した」と菊池さん。本所さんは「1年間、防災サロンという形で勉強会を重ねてきたからこそ、今回のようなサロンが成立した」と振り返る。能登半島地震後に開いた春の防災会議や、秋の防災シンポジウム、防災サロンも7回開いた。その結果、「代官山全体としてみんなで防災をやろうよ」という雰囲気が出来上がってきている。


「ふんわり」から「持続する」組織へ
この防災サロンの成功は、「ふんわりとした柔らかさ」のある空気感にあると私は思う。ガチガチの会議体ではなく、それぞれが気になる話題や情報をフランクに話せる雰囲気だ。しかし、その中身は極めて具体的だ。
過去のサロンでは「発災後の防犯」について警察から話を聞き、「ペット防災」について専門家の意見を聞いた。こうした積み重ねが、身近な課題を掘り下げ、参加者の「何かあった時は、あの人に聞けばいい」「こんなことができるかもしれない」という安心感につながっているように私は感じた。
そして今、この「ふんわりした集まり」を、2026年4月に「アーバンヴィレッジ代官山防災連絡会」という実体のある組織へ移行させる動きが進んでいる。規約を作り、会計を明確にし、町会・商店会・企業(代官山T-SITEやヒルサイドテラス)が公式に参画する組織だ。これにより、個人の熱意に依存するのではなく、「街のインフラ」として防災活動を定着させようとしている。
細やかで合理的な「女性のリーダーシップ」
インタビューを通じて私が驚いたのが、代官山における「女性たちの推進力」だ。
日本の多くの商店会や町会は、依然として男性中心で年功序列の傾向が色濃い。しかし、現在の代官山商店会の防災チームは、山田さん(商店会)、菊池さん(ヒルサイドテラス)、本所さん(代官山T-SITE)といった、現場感覚に優れた女性たちが中心となって動いている。
彼女たちのコミュニケーションは極めて効率的だ。
「これはできるけれど、これは無理」
「その申請はこうすれば通る」
「次はこれをやろう」
忖度やメンツではなく、街の利益を最優先する実利的な姿勢。そして、LINEや電話一本で「今から相談していい?」と連絡し合える軽やかさ。この和やかな、しかし強固な連携こそが、代官山の防災活動をこれまでになく加速させている要因だ。

企業の社会的責任と「地域への恩返し」
代官山T-SITEの本所さんは、自社が地域防災に関わるきっかけは「コロナ禍での気づき」だと語った。
パンデミックによって観光客や遠方からの客が激減した時期は、海外からの観光客など、遠方からの客足が激減した。「施設で商売をさせてもらうには、他ならぬ近隣の住民たちの存在が大切だ」と痛感した出来事だった。この「地域の中で生かされている」という実感が、企業文化を「自分たちの施設や事業のことだけを考える」ステージから、「地域の一部として貢献する」ステージへと押し上げている。
会社としても公共的な活動を推奨する風土が醸成されており、館長の仕事とは「地域とつながることそのもの」であると確信していると本所さんは語る。この企業側の姿勢の変化が、町会や商店会との融和をより確かなものにしていると私は考える。
祭りは防災の「予行練習」でもある
代官山における地域活動のもう一つの柱が、祭りだ。20年以上続くヒルサイドテラスの「猿楽祭」や代官山商店会の「爽涼祭」は、事業者と住民が一緒に楽しみ顔を合わせる機会だ。菊池さんは、「猿楽祭はその立ち上げ当初から『災害時にも助け合える関係性』を目的としていた」と語っている。
祭りを共にすることで、住民と事業者は「共に汗を流す仲間」にもなる。現場で顔を合わせ、課題が出れば一緒に解決する。この日常の中にある「非日常体験」が、有事の際の共助のベースとなる。「祭りが防災につながる」という想いは、代官山商店会防災チームでは確固たる事実として共有されている。





3.11の記憶が紡ぐ善意の連鎖
商店会の山田さんは、自身の原体験を語った。3.11の時、自身が勤務するオープンしたてのカフェは女性ばかりで不安に駆られていた。彼女を救ったのは、近隣店舗の男性スタッフたちが「手伝うことはないか」と走り回る姿だった。「困った時にはこんな風に手を差し伸べてくれるまちなのだ」と山田さんは感動した。「もっともっと横の繋がりをつくり地域のために考えていきたい。そのために自分も関わりたい」と、その後山田さんは代官山商店会の役員に手を挙げている。
また、代官山サロンの一環として開かれた「事後の防災―起きてしまったあとに必要なことを学ぶ会」で話をしてくれた損害保険の専門家は、セミナー終了後に、実は、3.11の時に帰宅困難になった娘さんが代官山のカフェに助けられた縁があった。恩返しができて嬉しいと語ってくれたという。「誰かの助けようという気持ちが、違う形で誰かに戻ってくるまち」なのだと菊池さんは教えてくれた。 こうした善意のバトンタッチが、代官山という街の深みを作っている。
進行形のコミュニティ
インタビューの締めくくりで、三者は異口同音に「代官山の防災は、まだスタートラインに立ったばかりだ」と語っている。2026年のアーバンヴィレッジ代官山防災連絡会の発足は、ゴールではなく、代官山という「村」が永続するための新しい仕組みのインストールなのだと私は思う。
かつて「夜にはいなくなってしまう人たち(事業者)」と地域住民との間に存在した難しさは、今回の和やかなサロンの風景には存在しない。「住民や事業者や関係機関など、それぞれの組織が縦割りでバラバラに動くのではなく、少しずつ組織の輪が重なり合い、代官山という大きな円になったらいい」と商店会の山田さんは想いを膨らませる。その中心にあるのは、決して義務感ではなく、「代官山が好きだ」というシンプルな愛着だ。
「人」が街を作り、街が「人」を作る
ファッションの先進地として知られる代官山には、都市の中に村のような情緒と繋がりを築こうとする「アーバンヴィレッジ」という思想が流れていることは既に述べた。「防災」というテーマは、その静かな、けれど熱い思いを再認識するきっかけとしても機能したように思われる。
「夜にはいなくなる事業者」と「生活を守りたい住民」との間にかつて存在した意識の違いを揺るがしたのは、2024年元日の能登半島地震で生じた危機感、そして組織の垣根を軽やかに飛び越えた女性リーダーたちの存在だった。ヒルサイドテラス、代官山T-SITE、そして地元商店会というかつては点であったプレイヤーたちが、防災という共通言語を得て、一本の力強い線へと繋がったのだ。
「結局、人なんだなと思う」と、今回の活動を牽引してきた菊池さんは言う。 防災というテーマは、ともすると堅苦しくネガティブに受け止められがちだ。しかし代官山の人々は、それを「街の誇りを確認し、新しい友だちを作る」ためのポジティブなツールへと転換させている。その鮮やかな手法に、私は驚きを隠せなかった。
代官山の事例は、他の都市に何を教えてくれるのだろうか。それは、どれほどデジタル化が進み、建物が高層化しても、最終的に私たちを救うのは「被災した時、あそこのカフェに行けばお湯がもらえる」「あの人があそこにいる」という、極めてアナログな繋がりと身近な情報のネットワークだということだ。防災会議や防災サロンでの出会いを通して、住民も事業者も、互いの考えや抱える難しさを知る。そこで生まれた小さな共感が、身近な情報ネットワークの枝葉を伸ばし、街全体のレジリエンス(回復力)となっていく。
「街が人を作って、人が街を作る」と菊池さんの語る言葉通り、代官山の防災活動は、単なる訓練の域を超え、豊かな協力関係を育む「装置」となっている。災害から学び、見えた課題に対し、組織を超えて知恵を寄せ合う。そのゆるやかな空気感を持続させるため、2026年4月には正式な防災連絡会が立ち上がる。「代官山が好き」という純粋な想いがエンジンとなり、新しい街の形が回り始めたのだ。
かつて3.11の夜、見知らぬ帰宅困難者に水と休憩場所を差し出した店主がいたように。その親切を忘れず、十数年後にボランティアとして街に恩返しをする専門家がいるように。代官山の挑戦は、冷たくなりがちな都市の隙間に、決して消えない温かい「村の灯」を点し続けている。






