商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。

第11回 高校生の学びと成長を応援するコミュニティカフェ~コミュニティ・カフェEMANON 一般社団法人未来の準備室 理事長 青砥和希さん

奥州街道の城下町白河

 JR東北本線白河駅(福島県白河市)から10分ほど歩くと、旧奥州街道の宿場町として栄えた本町商店街がある。

 白河市は、古代から奥州の関所「白河の関」が置かれた交通の要衝だ。戦国時代にはすでに小峰城とその城下町があり、江戸時代に入ると白河藩が置かれ、県南地域の政治経済の中心的な役割を担った。小峰城は白河藩主の居城で、江戸時代に享保の改革を行った藩主松平定信が知られている。武士は侍屋敷に住み、商人や職人は町屋に、農民は周辺農村に住んで農業を営んでいた。町屋には白河藩内で生産された物資が集まり、定期的に市が開かれ、武家や町人、周辺農村の人たちでにぎわったという。いまも続く冬のだるま市や秋の提灯まつりの起源も江戸時代にある。

 当時、旧奥州街道沿いの宿場町だった本町には約50軒の旅籠が軒を連ねた。藩内には藩主松平定信の時代に武士や庶民の教育の場も整備され、長い時を経て歴史と文化が育まれている。

 戊辰戦争の激戦で小峰城は消失するが、1887(明治20)年に東北本線が開通し白河駅ができると江戸時代の城下町はそのまま中心市街地へ引き継がれた。1961(昭和36)年に百貨店の十字屋、1972(昭和47)年にイトーヨーカ堂が開業し商業地としてにぎわいを見せたが、1973(昭和48)年に東北自動車道が開通し、1982(昭和57)年には東北新幹線の開業に伴い新白河駅ができると人の流れが変わった。住宅や商業地も郊外に移り、本町商店街を訪れる人も店も減っていくことになる。

1921(大正10)年につくられた駅舎がレトロなたたずまいの白河駅。
戊辰戦争で焼失し、1991(平成3)年に復元された小峰城。

「高校生びいきの古民家カフェ」EMANON(エマノン)

 2016(平成28)年、本町商店街にある築90年の古民家にコミュニティ・カフェEMANON(以下エマノン)がオープンした。エマノンは、高校生をはじめとした若者が交流を図る「まちのたまり場」であり、地域の魅力を発信・活用する場所として、旧奥州街道沿いにある古民家をリノベーションしてつくられたカフェだ。

 まちのカフェとして、誰でもコーヒーやソフトドリンク、自家製ケーキなどのお菓子を楽しむことができる。白河の街で購入したお菓子やパンの持ち込みも歓迎なのもうれしい。

 カフェの名称であるEMANONは、「no name」の逆さつづりから名づけらた。「利用者の方々が、自由にこの場所を使って、生かしてほしい」という想いで運営されている。

 町家の風情が残る外観と木のぬくもりを感じる室内には、放課後や土日には地元の高校生たちも訪れる。取材した日はテスト期間中ということもあり、高校生たちはそれぞれ机に向かい、帰り際にカフェのスタッフと談笑していた。徒歩や自転車でふらりと訪れ、くつろぎながら落ち着いて集中できる、学校でも自宅でもないサードプレイスだ。

本町商店街に残る「旧脇本陣柳屋旅館 蔵座敷」。文化元(1804)年の建築で、明治天皇が東北・北海道を巡幸した際に、休憩所(往路)・宿泊所(復路)としても利用された。

学ぶ・過ごす・つぶやく・つくる・やってみる

 オープン当時都内の大学院生だった青砥和希さん(33歳)が仲間とともに立ち上げたコミュニティカフェエマノンのコンセプトには、「学ぶ」「過ごす」「つぶやく」「つくる」「やってみる」という5つの柱が掲げられている。

 「学ぶ」は、カフェを高校生が勉強する場所として位置づけ、高校生は注文をしなくても店内で過ごすことができる。ドリンクなどを注文する場合も高校生向けの学割価格で提供され、一般の方への飲食物の販売利益の一部はこの活動を支援するために活用される仕組みだ。

 「過ごす」は、ふらりとエマノンを訪れてお茶を飲んだり、スタッフとおしゃべりをしたり、書棚に並ぶ本を読んだり、置かれているボードゲームを楽しんだりしながら、自分の居場所として過ごしてもらっている。エマノンでは、スタッフと高校生とのコミュニケーションを大切にしている。いろいろな機会におしゃべりをし、相談し合う。高校生が青砥さんたちに相談し、逆に青砥さんたちも高校生に相談をすることも多い。

 コミュニケーションをする中で「こういうことを思っているんだよね」「こんなことを感じているんだよね」とつぶやいてもらい、それを受け止めたいという想いが、「つぶやく」に込められている。

 また「ないモノはつくるしかない」という想いから、「つくる」がある。いまは欲求や意欲、あるいは課題や生きづらさなど、ひとりひとりすべて違う。行政や学校がすべてオーダーメイドでメニューを用意してくれるものではない。自分が抱えている欲求や困難さを、まずは自分たちで解決していく、獲得していく、そういった実践が必要だと青砥さんたちは考えた。その出発点として、欲しいものがあったら自分たちでつくろうと、エマノンはDIYで古民家をリノベーションすることから動き出した。それは物理的なモノ、家具や設備のようなモノでもそうだが、文化やしくみも自分たちでつくっていきたいという想いも込めている。そのための助言や伴走支援をエマノンが担うということだ。

 「やってみる」はつくるの延長にあるが、この言葉には失敗してもいいという意味合いがある。まずはチャレンジすることが大事で、やりきることはそこまで大事ではないと青砥さんは考えている。

 ひとりの人間の知識や発想には限界がある。けれども、カフェという空間は他者との出会いやコラボレーションが起こりうるポテンシャルがあると青砥さんは感じている。掛け算をすると倍々で新しい価値観が生まれる。それはつまり、カフェが持つ偶発性からイノベーションが生まれてくる可能性があるということだ。

一般社団法人 未来の準備室 理事長 青砥和希さん
1991年福島県矢祭町生まれ。首都大学東京大学院在学中の2016年に高校生びいきの古民家カフェ「コミュニティ・カフェ EMANON」を福島県白河市で立ち上げ。以来、福島県内の高校生の居場所づくりや探究学習を支援。第7次福島県教育総合計画策定のための懇談会委員、白河市複合施設基本設計検討委員会委員、国立那須甲子青少年自然の家運営協議会委員など。

高校生のロールモデルがいない街

 白河市には大学がない。「福島県全体を見ても、大学が非常に少ない県の一つ。特に、高校生のロールモデル、お兄さんお姉さんのような高校生よりも上の人たち、『斜めの関係』が地域社会にない」と青砥さんは語る。

 ロールモデルがいない高校生たちは、違う世代や自分たちの人生の先輩に出会う機会が不足していると青砥さんたちは考えた。また、白河市は新幹線駅やインターチェンジと旧市街地が離れているので、高校生が徒歩や自転車で移動する空間に若者向けのサービスがない。

 これらの課題を解決するために、高校生も気軽に立ち寄れるコミュニティスペースや空間が必要だと青砥さんは考えた。

 「徒歩や自転車で移動している高校生にとって、商店街は日常的な空間だ。大学へ進学する場合、高校生活が終わればこの街を離れてしまう。自分のアイデンティティの核となる、地元での知識や経験を得る最後のチャンスでもある。そう考えた時に、地元の豊かな歴史や文化、自然の資源に、なるべく触れてもらいたい。奥州街道の宿場町という歴史を持つ本町エリアにある築90年の古民家が高校生の居場所となることが大事なのではないか」と青砥さん。そうした想いから、同世代の仲間たちと本町商店街にあった空き家を使いコミュニティスペースを立ち上げることにつながった。

旧奥州街道沿い広がった宿場町の風情が残る本町商店街。築90年の古民家をリノベーションしてコミュニティ・カフェEMANONがつくられた。
カフェのコーヒーは矢祭町にある焙煎屋の豆を使用し、福島県産の材料を中心に使用した自家製スイーツが並ぶ。内装材や家具には県内産の木材が使用され、カフェの利用は、高校生の居場所づくりを支援することに加えて地域の産業を支援することにもつながる。

出会いから新しい活動が生まれる

 2025(令和7)年3月でエマノンは9周年を迎え、会員登録をした高校生は3000人を超えた。

 2017(平成29)年に、エマノンに集まる高校生を中心に取材・編集した、福島をテーマにした季刊のカルチャー雑誌「裏庭」を発刊。高校生は、執筆のための研修に参加して取材を行い、地域を知り地域を伝える、小さなローカル・ジャーナリストとして活動した。「かっこいい公務員」をテーマにした白河市役所職員への取材や、「もっと自分の思い通りに『なんちゃって制服』を楽しむ人が増える社会」を目指す県内在住の女子高生による「なんちゃって制服委員会」へのインタビューなど、高校生が自分たちの言葉を大切に表現している。

 コロナ禍がはじまった2020(令和2)年5月には、エマノンを卒業した大学生がサポートする「白河の高校生のためのオンライン自習室」を開設。自宅学習で孤独になりがちな高校生を、年の近い大学生がオンラインで見守りながら勉強の相談相手になり、大学生活について話したりもした。

 2024(令和6)年にはエマノンの卒業生たちが震災の記憶を未来につなぐコミュニティスペースを浪江町につくり、今年2025(令和7)年1月には高校生と小学生が台湾に渡り白河産の米を届け交流するなど、エマノンでの出会いから生まれた活動は多岐にわたる。

 「カフェにはいろいろな大人たちがいて、地域の商店街の方とか役所の方、青砥室長の面白い友人もやってくるので、ふつうに家と学校の往復で過ごしていては知り合うはずのない方々と出会うことが出来ます。EMANONは人と人とを繋ぐハブ的な存在で、出会いと刺激が溢れているんです」(note「青砥和希_未来の準備室 コミュニティ・カフェ EMANONってどんな場所?利用者インタビュー編!」から引用)と利用者の高校生は語っている。

 エマノンを訪れる高校生たちはそっと背中を押してくれるスタッフに支えられて、人や地域と出会い、自ら新しい世界の扉を開いている。

テスト期間中に自習する場所として、高校生たちに使われている。
漫画やボードゲームがたくさん並ぶ。
棚に並ぶ本には、スタッフから高校生へ向けたメッセージが感じられる。
カフェ室内
市内在住の小学生と高校生たちが白河産米を台湾に届け、オリジナルのお米パッケージをお披露目。
エマノンの卒業生が被災地浪江にコミュニティスペースを生み出した。

大都市圏と地方の格差研究から見えたこと

 大学では専門領域として大都市圏と地方の格差問題を研究していた青砥さんだが、どの格差が一番埋めがたい格差なのか?と考えた時に若者支援、教育環境の格差にたどり着いた。

 都市部には、若者が自由に活動できる環境があると青砥さん。

 例えば、中央線沿線で言えばJR武蔵境駅近くにある公共施設、武蔵野プレイスなどが顕著な例だ。19歳以下の青少年を対象にしたユースフロアがあり、会議室やスタジオを自由に借りることもできる。常駐のスタッフは「話ができる大人」として、青少年の気持ちに寄り添うことも特徴の一つだ。利用しやすく、さまざまな過ごし方ができる場を設定し、青少年が活動を通して社会とのかかわりを持つことができるように支援されている。

 一方、生涯学習センターは全国どの自治体にもあるが、全国的な平均でみるとメインのユーザーは60代70代だ。若者世代のために仕事をする人間が、自治体の中に何人いるのか? そこに大都市と地方の格差があると青砥さんは考えた。

 若者の課題を解決するのは誰で、どんな手段なのか? 青砥さんは地方の公立高校の状況を見ている中で、いまの学校運営者以外の様々なプレイヤーがたくさん増え、多様なアプローチがあった方がいいと考えている。

若者のチャレンジを応援することが当たり前になってほしい

 エマノンが持つ5つの柱は、本来は街全体で取り組めたらいいことだと青砥さんは話を続けた。自分たちが特別なことをしているというよりも、若者がいる街で当たり前に、街全体でこの機能が実現できている街こそ「いい街」だ。そうでない街は新陳代謝が起きなくなる。街全体で若者のチャレンジを応援する街でありたい。

 同時に、「ただ過ごすことができる空間」が多い街もいい街だと青砥さんは感じている。いま、新宿や渋谷は過ごす空間が無いと言われている。昔は誰でも居られた公園が新しい商業施設になり、その場所に居られる人と居れない人の線引きが生まれたという話も耳にする。

 また、みなが学んでいる街もいい街だ。自分のつぶやきを聞いてくれる人、受け止めてくれる存在がいる街もいい街。そんな若者にとっていい街の姿を、まずエマノンという空間でやってみて、これが街じゅうの当たり前になるにはどうしたらいいのだろうかと考えながら、青砥さんたちは進んでいる。

 そう思うと、自分たち若者が新しい居場所を立ち上げる時に、白河市をはじめ地域の人たちが理解し協力をしてくれたことはありがたく、良いことだったと青砥さんは振り返る。一方で、「若者のチャレンジを応援することが日本の当たり前になってほしい」と青砥さん。ただ応援するのではなく、この街全体として何がこれから必要なのか? 地方自治という営みの中で、何を変えるべきなのか? 今ここで起こっていることを踏まえて、どんな環境をみんなでつくっていったらいいか? という話につながってほしいとも思っている。

 上の世代の意識が変わらないと、若い人が地域に居場所を見つけたり、やりがいや気づきを持って働いてもらうことは難しいのではないかと青砥さんは感じている。いまの20代の人たちと60代の人たちとは、職業観や人生観が全く違う。若い人たちが集まり活気が生まれてほしいなと思うならば、上の世代が変わらねばならない。勇気を持ってみんなで変わっていこうという話が、まだできていないように感じる。

 そのためには、街に住む大人たちに、まずはニュースや出来事として「若者たちがこんなことをしている」「こんなことを考えている」ということを届けないと、認識や接点が生まれない。それをつくっていくことが自分たちの役割でもあると青砥さんは考える。

 「若者はもう時代にあわせて変化している」と青砥さんは語る。大学に入らなければならないし、就職をしなければならない彼らは、とても敏感で切実だ。いまの企業が何を考えているのか、大学で何を評価しているのか、うまい下手はあるが誰よりも真剣に向き合っていると感じている。

 一方、「上の世代は逃げ切りモードになっていて、いかに今までのやり方でごまかしながらゴールまでたどり着けるかという考え方の人も多いのでは?」と青砥さんの指摘は鋭い。そうした大人世代に向けて、若い世代の想いや考えを伝える場として、エマノンは若者のありのままの姿の見えるメディア的な役割も果たしている。

実数しか追わない組織は「若者に選ばれない」

 行政から委託を受けて仕事をする場合、成果指標としてKPI(重要業績評価指標)が求められることも多いが、多くのKPIは実数だ。エマノンで言えば利用者数などがあるが、例えば不登校の方が来てくれた場合と、普通に高校に通っていて毎週来ている学生は、同じ1なのか。あるいは、多数の地域の人たちに影響を与えるプロジェクトが生まれたことは単なる1なのか。そのあたりに課題を感じている青砥さんは、質的な仕事の評価は、基本的に不可能ではないかと指摘する。

 質的な評価が難しい領域に、数値化した成果を求めた時に組織内のコミュニケーションで何が起こるだろうか。職業倫理や理念(会社やプロジェクトで言えばビジョンやミッションのようなもの)をもとに、参加者の意識が醸成されれば新しい人材にも届く。それを不問にしておいて実数しか追わない組織は「若者に選ばれない」。いまの若い世代は「地道に努力をすれば、未来は明るい」ということを信じていないし、勤続年数が長ければ幸せとは信じていない。自分に合っていないと思えば辞める。そういう意味で、プロジェクトが持つビジョンやミッションは非常に大事だ。

 数字の指標はあくまで目標となる理念や倫理観を実現する手段であって、ゴールではない。それを理解してKPIを使うことができれば、いろんな人と協働ができイノベーションが起きるのではないかと青砥さんは思っている。とはいえ、長年数値化された指標をもとつくられた価値観を変えることはなかなかに難しい。

高校生の学びを応援する人の輪を拡げたい

 エマノンの運営主体は、青砥さんが理事長を務める「一般社団法人未来の準備室」だ。

 未来の準備室は、2015(平成27)年に事業を開始したエマノンでの実践・研究を核に、キャリア教育やまちづくり、地方創生の分野で行う事業など多岐にわたる。エマノンに集まる学生・保護者・インターン生・社会人の力でクラウドファンディングを達成し、2020(令和2)年に白河駅徒歩1分の場所に「Guest House Blanc(ゲストハウスブラン)」をオープンさせた。2022(令和4)年から白河市の移住コーディネーター業務も行っている。未来の準備室は、高校生と地域を、移住者と街を、地域の産業の循環を10年の時間をかけ丁寧につないできた。

白河駅前にオープンした「Guest House Blanc(ゲストハウスブラン)」。移住希望者や訪日外国人客などが宿泊し、市内観光を楽しむ拠点になっている。

 未来の準備室として、「今後手掛けていきたいことは二つある」と青砥さん。

 一つは、広い意味で市民と一緒にこの場をつくっていくことを仕組化していきたい。具体的には、寄付を通して市民のお金でこの場所が回っていく仕組みだ。エマノンをはじめとする事業を運営してみると、お金が高校生の居場所や学びにつながっていくという実感がある。寄付者と高校生の周りで起きていることをつなげて、お金を出してくださっている市民の方々にも感じてほしいと思っている。

 二つ目は、高校というと全日制を前提に考えてしまうが、いま一番伸びているのは通信制だ。若い世代こそ全日制の限界を感じていて、全日制に所属しながら違和感を感じ言語化している人もいる。通信制や定時制を選んで勉強されている方もいるので、その方々に居場所を提供できないかと考えている。エマノンは全日制の放課後が開店時間になっているが、日中の活動スペースが必要だ。通信制でも、都市部にはサテライトキャンパスがたくさんあるが、地方には少ない。通信制にもいろんな人との出会いや居場所となる空間があることが重要だ。

 エマノンで高校生活を過ごした学生が卒業してからふらりと顔を見せてくれたり、インターンで大学生が関わったり、それぞれエマノンを巣立った後にもいろんな関わり方がある。それは大学がない白河で、高校生たちが未来の姿に触れる大切な機会になっている。

大人は若者に何を手渡せるのか

 「高校生たちは、傾向としてみないい子。ヤンキーとかガラスを割っている人などいない、すごくえらい」と青砥さんは語る。その一方で、壁にぶち当たったり葛藤したりしながら安心して感情を表現できる場所や、生みの苦しみを味わえる機会を家庭や学校に見出すことが難しい時代になっているのかもしれないと私は感じた。

 無責任に「希望を持て」と若者にいうつもりはない。学びや職業や人生を選ぶ自由が増えた分だけ、選択に伴うリスクも増える。いまは将来の予測が立ちにくく、リスクから若者を守る家族や学校、職場、地域の存在が希薄になれば、リスクの重さは若者ひとりひとりの肩にのしかかる。私たち大人世代が経験した以上に、不安定な世界を若者たちは生きている。

 しかし、未来の社会をつくるのは若者たちだ。

 想いに耳を傾けてもらい、多様な出会いから人生を感じ、やってみては失敗し、そこから学ぶ経験を見守り応援する存在や場所が求められ、未来の準備室の若者たちによってエマノンが作られている。

 歴史ある街道沿いの商店街にある古民家で、若者たちの「孵化(ふか)」を見守る温室のような場所エマノン。私も時代の最先端で格闘する若者たちを応援する大人のひとりでありたいと思う。


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第11回 高校生の学びと成長を応援するコミュニティカフェ~コミュニティ・カフェEMANON 一般社団法人未来の準備室 理事長 青砥和希さん

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