商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第10回 コモンが育つ団地の中庭 合同会社暮らしの編集室 岡本高志さん 江澤勇介さん
団地で過ごした思い出を持つ大人たち
JR高崎線北本駅(埼玉県北本市)からバスで5分、北本団地はUR都市機構(独立行政法人都市再生機構)が管理する賃貸住宅だ。建物は中層フラットの5階建てで2000戸を超える大規模団地だが、周囲にはのどかな田園風景が広がる。団地の敷地内も緑が多く、公園やベンチ、球技ができる広場やチョークで絵を描ける広場があり、何より敷地内には車がほとんど入らない。お年寄りや子どもたちも安心して歩き、過ごせる場所だ。その中ほどにアーケードの北本団地商店街があり、19区画の店舗スペースが集まる。
北本団地は1976(昭和46)年に完成し、若い世代が入居した。近年は少子高齢化の影響から入居者も減少し、団地の商店街には空き店舗が増えた。北本団地の完成と同じ年に市制施行した北本市もまた、2004年に人口のピークを迎えその後減少に転じた。
かつてこの団地で生まれ育った子どもたちは大人になり、いまは団地を離れて住む人も多い。団地は人と人の距離が近く、約束しないで友達に会えた場所。商店街の人たちとも顔見知りで、みんなが子どもたちを見守ってくれていた。
企業や行政5者が連携し2020(令和元)年にスタートした「北本団地活性化プロジェクト」は、北本団地で子ども時代を過ごし楽しい思い出を持つ大人たちの「団地で何かやろうよ」という一言から始まった。プロジェクトで中核を担ったのが、北本市のまちづくり会社「暮らしの編集室」だ。
暮らしの編集室は、北本市観光協会の職員であり現在北本団地で暮らす岡野高志さんと、北本団地出身でカメラマンであり地域で定期的にマーケットの企画・運営も行う江澤勇介さん、建築家の若山範一さんが、「暮らしながら楽しめる」まちの未来を作っていくために2019(平成31)年春に立ち上げた。「何もないこと」は「何かをやるための余白がある」ことだ。地元に縁がある若手が集まり「暮らしの編集室」というまちづくりのチームをつくり、北本のまちを見つめ直し、魅力的なモノ・コト・ヒトを 「みつけ・ささえ・つたえ」るハブ的な役割を果たしている。それは「暮らしの目線で編集していく」ことだとメンバーは考えた。
暮らしの編集室では、まちに新たな共通言語を作り出すコミュニケーションの場「きたもと未来会議」、市役所の芝生広場を舞台にみどりと暮らす北本の生活を体験できるマーケット「みどりといち」、リサーチから見つけ出した北本市内の魅力的な空き物件を巡る「きたもと空き物件ツアー」など、暮らしながら楽しむこと、まちの余白を使って遊ぶこと、自分たちで楽しみををつくり出すことを大切にしながら、まちの未来を描こうとしている。
「つくる」から「つかう」へ オープンプロセスで参加した駅前の再開発
岡野さんや江澤さんが北本のまちづくりに関わりはじめたきっかけは、2012(平成24)年に始まった北本市の駅前再開発事業だった。アトリエ・ワンという建築家ユニットが参画し、オープンプロセスで街の意見を聞いて構想をつくった。駅前はただの交通広場ではなく、乗降客から見れば「まちの顔」。再開発事業は「顔プロジェクト」と呼ばれた。
当時20代だった江澤さん達は、打ち合わせに行ったり行かなかったり、ふらふらと参加し、学生たちと一緒にリサーチプロジェクトや社会実験に加わった。会議では、「顔だとしたらどうなんだ」と愚直に考えた。北本は平地で、武蔵野の面影を残す雑木林が平地の森のように残っている。「まちの財産として雑木林は大切」ということから、駅前がすべて雑木林だったらいいんじゃないか?というプランから始まった。
駅が顔だとしたら、街は体。プロジェクトでは、体すなわち街のリサーチもした。いまから15年ほど前は市内に農産物の直売所が70~80か所あったが、すべて調査をして写真を撮り、資料に残された。その有様を江澤さん達は、横目で見ていた。
当時のプログラムは駅前広場を「つくる」ことと、駅前広場を「つかう」ことに分かれながら進んだ。その過程で、市内で行われていたお祭り「北本まつり」の企画運営をしていたのが市役所の内部組織だった観光協会だが、このタイミングで独立し「北本市観光協会」として2012(平成24)年にNPO法人化、1年ほど経ってから岡野さんは観光協会の職員になった。
「暮らしの編集室」誕生
岡野さんが観光協会に入ってから、暮らしの編集室ではアトリエ・ワン的なリサーチをプログラムの軸に置きながら、実験としてマーケットを試みている。都心からすれば、荒川沿いは自然が残る。最初は、「空いている場所で何かをする」ことをコンセプトに、緑豊かな自然のエリアでマーケットを開いた。
市内に点在する雑木林を会場に、ここではコーヒーを、こちらはクラフトを、さらに子どもが遊べる場所と分かれた会場をつくり、バスで回遊する「みどりの森めぐり」。「北本秋の収穫祭」では、マーケットに加え、収穫祭の時は、会場から徒歩で稲刈り体験に出かけるツアーをした。田んぼで稲刈りをして、畑ではそこでとれたものをみんなで食べる企画だ。これらは春と秋の2回、北本市観光協会が主催している。江澤さんは、外部として企画やデザイン周り、コンセプトライティングを仕事として受け、10年ほど関わっている。
それまで北本市役所を会場として行われた産業まつりとは明らかに客層が違い、若い人が多かった。行政としても自然のエリアだけでなく市街地でも活動してほしいという期待があり、2019(令和元)年度、埼玉県のNEXT商店街プロジェクトに北本市が採択されると、プロジェクトメンバーとして声をかけてもらい中心市街地の活性化に取り組んだ。取り組みをきっかけに、2020(令和2)年に暮らしの編集室は合同会社になり、中心市街地の空き店舗を暮らしの編集室の活動拠点である「ケルン」として整備。1階をシェアキッチンやイベントスペース、2階をシェアオフィスやレンタルスペースとして貸し出し、その後近くにいくつか店を開いた。3人それぞれに本業があり、これらには副業として関わっている。
暮らしの編集室の周りには、おもしろい人たちが集まる。それは、江澤さんが作家やアーティストたちと積み重ねたつながりがあったからだ。北本市観光協会の取り組みと並行して、江澤さんは2014(平成26)年から2018(平成30)年まで久喜菖蒲公園でセレクト型のマーケット「縁側日和」というイベントを運営した。同時に、市内の作家やアーティストを交えた地域型のアートプロジェクト「北本ビタミン」に入り浸り、いまもつながっている。縁側日和が休止した後も、北本団地に店を構える作家や、団地を会場に開かれるマーケットに出店する人たちが現れつながりが続いている。北本団地の空き店舗へ団地以外の店主が店を構えた背景には、賃料が安いことや行政がふるさと納税で出店者の資金調達を支援し続けたことがあるものの、それだけで入居者は集まらない。「積み重ねた信頼関係が必要だ」と江澤さんは語る。
江澤さんはカメラマンであるが、写真の枠の中で仕事をするのではなく、地域に出ていく。北本市観光協会を母体に活動を始めたが、観光で人が来て関係人口をつくる……そのうち移住したい人を受け入れる施設が必要になる……そうなると観光の枠をはみ出していく。ならば別の事業体をつくろうと暮らしの編集室を立ち上げた。
団地に新たなコミュニティの場「ジャズ喫茶 中庭」
ケルンでシェアキッチンを始めたのは、「いろんな人にちょっとずつ入ってもらいシェアする形がいい」と思ったからだ。実際にケルンで手ごたえを感じ、北本団地でもシェアをベースに何かできるのではないかと考えた。
北本団地の再生を考え始めた時、暮らしの編集室は最初に株式会社良品計画へ相談を持ち掛けた。以前、北本市観光協会の試みがおもしろいと、同社のソーシャルグッド事業部が運営する「ローカルニッポン」というメディアの取材を受け、それがきっかけで一緒に仕事をした縁があった。そこで「北本の団地ではこんな活動をはじめようとしているので、一緒にできることはないですか」と担当者に話をした。
光が丘や多摩センターなど、MUJI×URは都心近郊で古くなった団地の再生に取り組んでいたが、郊外にある大規模団地のコミュニティスペース的なところで生業を持ちながら暮らすライフスタイルのモデルを一つ作れればおもしろいと暮らしの編集室は考えていた。
良品計画に相談をしたころに、北本市長の紹介でURと話がつながった。団地内の店舗付き住居に興味を持った無印良品に家主のURが加わり、プランや家賃が具体的になった。そこで都心で暮らすのと同じくらいの費用で店舗が持てるモデルが見え、着手することが決まった。それが「北本団地活性化プロジェクト」だ。
団地の商店街の空き店舗を活用し、地域住民の交流の場をつくり、団地のにぎわいをつくることを目指して、空き店舗の一角をリノベーションして店舗付き住宅「中庭」を整備した。1階は暮らしの編集室がリノベーションして運営するシェアキッチン、2階はUR都市機構と無印良品の住宅部門「MUJI HOUSE」がリノベーションしたシェアハウスになった。
プロジェクトがはじまったころ、「団地で何かしたい」と言って暮らしの編集室を応援してくれていた同級生の理学療法士が、自治会など地元につながりがあった。その縁で、江澤さん達も最初はあいさつをするくらいだったが、場所を借りるにあたり「これからどういう団地にしたいか」を話し合う「北本団地未来会議」で地域のさまざまな人を招待し話を聞かせてもらい、新たにつながりをつくった。
2021(令和3)年、中庭の2階にジャズ奏者のご夫婦が入居し、1階はジャズ喫茶としての営業をメインに、休業日は団地の人たちと触れ合うワークショップを行うことに決まった。そして「ジャズ喫茶 中庭」が開店した。
喫茶は現在きまぐれ営業中だが、音楽ライブ、育児サポーターが主催するこどもおとな食堂とマーケット、タップダンス、手話で注文する「手話べりかふぇ」、平日昼間のこどもの居場所であるフリースクール「なかにわスゥクゥルゥ」、北本団地出身の理学療法士や社会福祉士などが主催する「福祉と暮らすラボ」など、定期不定期のイベントが盛りだくさんだ。この場所で必要とされることに多くの人が関わり実現している。
江澤さんは、「僕らが住んでいたころは、住んでいる人が豊かさやケアを受容していた」と語る。中庭をはじめてみると、お客さんというよりも、居場所として使う人が多いようだった。席が混んだら、テーブルを表に広げておしゃべりできる。それはこの店の外を自由に使える団地的な豊かさを、外から来た人たちも受容できるということだ。フリースクールにしても、お父さんお母さんたちが子どもたちに「団地の中なら行っていいよ。団地の外はダメだけど」と話している。団地の豊かさは、外から団地を訪れる利用者にも拡がっていた。
いつも商店街のベンチでお酒を飲んでいるおじさんがいるが、「子どもたちが転んでるよ。泣いてるよ」と教えてくれる。おじさんのそれとない見守りは、団地の住人や、外から来る人にも理解されている。
そう考えるともともと団地自体が、「街の中庭」だったのかもしれない。そこでシェアスペースの名前も中庭にしたが、実際ここで中庭的な姿が現れている。
集合住宅に共有スペースをつくるときに、マンションに住んでいる人だけが使える場所にするか?ウォークスルーで通れるようにするのか?議論があるそうだ。江澤さんは、本当の庭の良さはどちらなのかが問われているように思うと語る。いまここはゆるく開いて、外から訪れる人ははじめて団地の中に入ったという人が多い。「そこは団地の人だけの場所でしょ」と。しかし、北本団地再生プロジェクトでは、商店街を軸にしながら公園も使い活動する中で、「団地の人も団地の外の人も、ゆるやかに共有できる場所がある」と気づいてもらえた。
猫が日向ぼっこするような「たまり」の場所も、重要なのだ。
北本団地に若い人たちが入居し始める
空き店舗にジャズ喫茶 中庭がオープンして以来、暮らしの編集室が伴走し商店街では3軒の店が開いた。行政にはイニシャルのコストをふるさと納税型クラウドファンディングで後押しされ、出店者は「街に歓迎されている」と心強さを感じた。
個店をぽつんとつくるより、生態系があるところに自分たちがどう加わることができるかと考える方が、出店は想像しやすいと江澤さんは考える。ジャズ喫茶 中庭が開き、遊びにきてくれた人たちがコーヒーを飲みながら「実は私たちこんなことをしたいけど、借りられるの?」と話し出す。じゃあ今度内見に行きましょうと暮らしの編集室がつないで、開いた店が2軒ある。
その後は、暮らしの編集室が直接は関わらず、ダンススクールやネイルサロン、学童保育をしているチームが入居した。中庭の立ち上がり期には、編集室メンバーの興味関心や「これがあったらおもしろいね」というアイデアから始まったが、そこから先は勝手に広がっている。「何も動いていなかったときのことを思うと、何かやりたいという人が自ら集まってくれるというのは異常なことだ」と江澤さんは笑う。それは面白いし、新たに店やお客さんが来てくれることがうれしいからだ。
そして、空き店舗に新たな生態系が育ち始めると同時に、団地には若い世代の入居が増えた。
続けるコツは「シェア」
いま店を開く以上に、経営を続けることが大変だ。
店が続くコツはシェアだと江澤さんは語る。暮らしの編集室はひとりひとりの持ち出しや損失の傷を浅くする方法を取っている。コミュニティ活動に予算がつくわけではない。そのため空き店舗の活用ですべての売り上げを立てるというよりも、シェアスペースで作って外で売るなど、シェアスペースをハブにしながら何かをする使い方にしている。そういう意味で、店子となって家賃を払い、店だけで販売をする従来の商店街の店舗とは全く違う使い方かもしれない。暮らしの編集室は、商店街という考え方を一度解体し、「どういう可能性ならありうるか」を探っているところだ。
「2軒の店が開いて、仲間がいる良さを感じている」と岡野さん。仲間がいると新しいことがどんどん起きてくる。それが続けるモチベーションにつながり、「また新しい店を開けたい」と思うと語る。この場所に合った規模で「そんなに儲からないけれど、おもしろい」くらいの落としどころで、あと3年くらいのうちに新たに何軒か入居してくれたらいい。団地の商店街という舞台に、シームレスにいろいろな人やコトが入り込み、入り交じりながらうごめいている……自律的に新たな活動や生態系が育まれる実験だ。
効果検証とアーカイブ
暮らしの編集室立ち上げのきっかけになった拠点のケルンは、シェアキッチンで商売を磨いた店主らが独立してケルンの近くに7軒の店を開き、地域に良い影響を及ぼしている。この事業を振り返り効果検証をしたいが、埼玉県のNEXT商店街事業も終わり、評価する主体が無くなってしまったと江澤さんは残念に思っている。
今年の4月から暮らしの編集室は、新しいメンバーが加わり4人体制になった。入ったのは、東京芸大大学院の卒業制作で「終わったアートプロジェクトのその後」の研究のために北本団地を訪れ、卒業した若者だ。アートプロジェクトは外部から人が来て事務局を担う場合もあるが、終われば解散する。人件費がついて外から来て動いていた人たちはいなくなるが、地元で関わった江澤さん達は街に残り、地域型アートプロジェクトは終わった後も地域で動きが続いている。その顛末を学生の屋宜(やぎ)初音さんに説明すると「終わりってそもそも何だ」という話になった。
屋宜さんは都内在住だが、卒業研究で団地にプロジェクトルームをつくりたいと入居した店の2階を1年間拠点に使っていた。拠点をつくる改修作業もともに行い、これはアートプロジェクトの続きだと江澤さんは思った。その縁で今年から暮らしの編集室の職員になってもらい、いまは彼女が暮らしの編集室の事業全体の中でアーカイブを考える担当になっている。そもそも暮らしの編集室の業務は多岐にわたりすぎていて、総体を名付けられない。それを何という言葉にしたらいいですか?と、いろんな専門家を呼んで壁打ち目的のトークイベントをやっている。
団地ができて50年以上が経ち、その団地ができた年に生まれた北本市も市政50周年を迎えている。団地の変遷はまちの縮図として見られるはずだ。アーカイブを構成する写真や文書などは、住んでいる人が、そもそも何がそこであったのかを知るための資料として残していくことが重要なのではないかと江澤さんは思っている。
形に残らない、見えない知見をまとめ、アーカイブを形にして次に進む。これは暮らしの編集室の取り組みを広く知ってもらうだけでなく、商店街の再生に取り組む他のまちのヒントになるはずだと私は思う。
団地の商店街でコモンをもう一度練習しなおす
多くの地域には自治組織として、自治会や商店会がある。だが、北本団地では地縁がない郊外の住宅地に移り住んだ人たちが新しくつながり、豊かさをつくり上げてきたのだ。
江澤さんの世代は「団地で育った記憶」がある。車が入ってこない敷地内の「庭を共有」することも、コモンとしての自治のあり方を練習しなおすことにつながると江澤さんは語る。暮らしの編集室は住民に社会参加する機会を提供することにも役に立っている。団地は参加する場所と自分の居場所の関係性が近く理解しやすい、おもしろい場所なのだ。
これまで地域コミュニティを育む役割を自治会や商店会が担ってきたが、若い世代から「やらされるのはいやだ」という声をしばしば耳にする。いまの時代「やりたいことをやりたい」という主体的な想いをつなぐのは、オープンでゆったりとした時間や場、関わりのゆるやかさが必要なのだと私は思う。その意味で自治会は、時間をかけて受け継がれた歴史や自分たちでまちの暮らしをつくり上げた組織力が勝り、加入率も高い。素晴らしい活動だと江澤さん達はリスペクトしているが、組織力が強いゆえにゆるやかさがないため、若い世代には強すぎる存在なのかもしれない。
北本団地の場合、2か月に1度開かれるマーケットが多様なグループや人々が楽しくゆるやかにつながる練習の場になっている。「調理が必要だ。何食分だ」というと、江澤さん達がマーケットで「ちょっと婦人会、手伝って欲しい」と声をかける。するとご婦人たちは、楽しみながら助けてくれて「炊き出し力」を発揮する。2か月に1度顔を合わせると、名前を知らないけれど、顔は知っている人が増える。それはそれぞれのホーム感につながる。焚火もやっていて、火の番は役割だけれど遊びが入り混じるのでおもしろい。続けていくと、人と人はだんだん近づいていくのだという。
自治とは、自分や自分たちに関することを自らの責任において処理すること(デジタル大辞泉より)だ。時代を経て、働き方やライフスタイル、商売のあり方が変化し、ひとりひとりに「あなたは何をするか?何をしないか?」を選択し行動する意志が問われる。私が欲しい暮らしを、慮った誰かが与えてくれることは期待しにくい。欲しい暮らしは、先人たちがしてきたように自分達でつくる力が必要なのだ。その力を、安心して楽しみながら、創造的に発揮するために身近な場所で練習をする……暮らしの編集室は、数々の試みを繰り返しながら望む暮らしを自らつくる「コモンの自治」の新しい形を生み出そうとしている。