理学療法士である著者は、東京・府中市で訪問看護ステーションおよび居宅介護支援事業所を運営しながら、カフェや空きアパートを使ったコミュニティ事業を展開している。あそびを通じた表現活動を行うアトリエ、中高生のサードプレイス、菓子工房、銅版画工房などが半径50メートル内に集まる一帯の名は「たまれ」。最寄の多磨霊園駅と、人が「溜まる」をかけて名づけられた。
こうした活動を通して実現しようとしているのは、人と人との「弱いつながり」だと著者は言う。2011年の東日本大震災以降、とみに加速した人と人との「つながり」を絶対視する風潮への違和感からたどり着いた、「たまれ」という名の「場づくり」。その足跡を振り返りながら、医療と患者、医療と地域、人と人の「いい感じ」な関係を考察する。
#14 「つながり」への違和感:「たまれ」の活動に意味づけをする
「FLAT STAND(以下、フラスタ)がオープンした時は、若いにーちゃん達がなんだかよく分からないことやっているなって遠くから見ていたけど、糟谷くんたちがやりたかったのはこういうことだったのかと分かった気がする」
フラスタの近所に住む50代の男性からこのようなことを言われたことがある。2021年に彼の父親にがんが見つかり、家族で話し合いを重ね最期は自宅で迎えることを決めた。だが、今後どのように自宅での生活を行っていけばよいか分からず、その時に僕の顔が思い浮かんだという。
僕はすぐにシンクハピネスが運営する訪問看護ステーションの看護師と居宅介護支援事業所のケアマネジャーと一緒に話をする日時を調整した。今後の経過や万が一の時の対応など、想定される事態を元に市内の医療福祉サービスの情報を提供し、その中から僕らのサービスを使うことを決めてくれた。
ちなみに、こういった相談がきた時に訪問看護や居宅介護支援であっても、市内にある他の業者も一緒に紹介することにしている。「この事業所はこういった特色がある」「ここのケアマネジャーはこういうところに強い」などを伝え、その中の1事業所としてシンクハピネスが運営する訪問看護や居宅介護支援も紹介し利用者やその家族に選んでもらう形だ。もちろん、看護やリハビリテーション、ケアマネジメントのサービス内容には自信を持っている。だが、利用者や家族が求めるケアが僕らが行っているケアとは違う場合があるので、何でもかんでも自分たちで抱えようとせずに、様々な選択肢を準備し提示することがお互いのためだと思う。
話を元に戻すと、僕と相談をしてくれた男性との出会いは2016年にフラスタがオープンした頃だ。駅前のパチンコの景品交換所の後に、なんか変なお店ができて、そこは自分と関係ない世界に感じていたと、最近になってそんな話を聞いた。初めて顔を合わせたのは府中市の市民活動センターが毎年主催するイベントである。その後は道ですれ違う時に挨拶する程度の関係で、当時フラスタに立ち寄ることは一度もなかった。そんな距離感でいた僕と彼は、父親のがんがきっかけとなり距離を縮めることになる。
2018年くらいからフラスタの隣にある2棟の古いアパートに人が集まりはじめ、さまざまなコトが起こりはじめた。これが結果的に「たまれ」としての活動になったのだが、「たまれ」を訪れる人が多くなるにつれて、健康面に関しての相談を受けることが多くなってきた。
「知り合いの娘ががんの治療のために入院していて、お医者さんが言うにはあと数日の命らしいの。どうしても最期は家で過ごしたいという希望があるんだけれど、相談に乗ってもらえない?」
「昨日まで元気だった父が脳梗塞で入院したんだけれど、回復したら家で暮らしてもらいたい。どのような手続きが必要なのか、相談に乗って欲しい」
「群馬に住んでいる父親が迷子になって自宅に帰れなくなることがあった。一人で暮らしているので、すごく心配。どういうところに相談したら良いのか教えて欲しい」
男性からの相談もそのうちの1つだ。僕らはこういった相談にはすぐに応じ、シンクハピネスの看護師やケアマネジャー、理学療法士などのリハビリテーションの専門職、そして、まちの様々な資源を使って調整を行ってきた。また、遠方の相談の場合は、各地にいる医療や福祉の専門職に連絡をして対応をお願いしたりしている。僕らが目指してきたのはまさにこのような関わりだ。
#13で書いたように、僕らのようにソーシャルな活動を行っている人たちの多くは、はじめて出会った人たちに自分たちの思いや活動を知ってもらいたいと、距離を詰め、自らの活動を語る。それが医療や福祉の専門職の場合はよりその傾向が強くなると思っている。でも、僕らの関わり方は違って、はじめて出会った人たちには僕らの活動はわからないということを前提として、いまその瞬間ではなく、その先の未来にまた関わるだろうことを想像しながら、「関わりしろ」をつくるイメージでコミュニケーションをとってきた。フラスタを運営しているのは訪問看護ステーションや居宅介護支援事業所を持つ、医療や福祉を主とする会社であるということを伏せてきた理由の1つもこういうことだ。
また出会い方も自然体の方が良い。看護師や理学療法士などのラベルを貼ったまま、まちに出て活動を行うと、僕が以前経験したような「専門職には本音が言えない」という状況を自らつくることになる。医療や福祉の専門職が病院や施設からまちに出て、良い関係をつくっていくためには医療や福祉の専門職としてではなく、まちで暮らす一住民として関わる方がよい。そもそも、中途半端に看護やリハビリテーション、ケアマネジメントを行いながら地域活動をするほど、ダサいことはない。
このような経験が増えていく中で、僕は1つの仮説を立てるようになる。従来の健康相談は、病院の外来や相談窓口、地域包括支援センター、保健所、市役所などが窓口となってきたが、僕らが暮らすまちにはそれだけでは拾いきれない悩み事が多くある。フラスタや「たまれ」のように医療や福祉の専門職が病院や福祉施設以外の場所で住民と接する機会がある場は、まちで暮らす人たちのヘルスケアに何かしら影響を与えているかもしれない。
そんな僕の妄想を実証できないだろうかと考えていた時に出会ったのが社会デザインという学問だった。この出会いによって僕は立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科(現・社会デザイン研究科)へ進学することになる。
社会デザインとはなにか
そもそも社会デザインって何だって話をしようと思う。僕もはじめはよくわかっていなくて、社会デザインってなんか響きがいいよねくらいの認識から入った。ここでは、僕の師匠である中村陽一(現・立教大学名誉教授)の言葉を借りよう。
異なる価値観を持つ人々が共生していくための知恵や仕かけとしての社会と、そこでの人々の参加・参画の仕方をこれまでの常識にとらわれず、根底的と言う意味でラディカルに革新していく思考と実践のありようである。
中村陽一他(2020)『ビルディングタイプ学入門:新しい空間と社会のデザインがわかる』誠文堂新光社、pp.9.
何かをデザインする根本的な目的は、人間の幸せを実現すること。社会デザインの場合、人と人との関係、人と組織の関係、人と地域の関係、そういうものをより良い方向に調整していく行為がデザインである。社会の中のこことここの関係がおかしくなっているから、変えていこう、見直そうという行為が社会デザインの取り組み(以下略)
JSOL『人間社会のありとあらゆる課題に取り組む「社会デザイン」。その視点をベースに新しいビジネスを創出する 』https://www.jsol.co.jp/advantage/feature/064_sdbl.html(2024年10月31日最終アクセス)
1つ目の引用はかなり難易度が高いと思うが、2つ目は何となく想像がつくと思う。医療と暮らしの間にある、医療と患者、医療と地域、人と人などが、どのような関わりをすれば、それぞれが望む健康な暮らしが実現するのだろうかーー。そんなことを考えていた僕にとって、この社会デザインという視点から研究を行うことで、僕らが行っている取り組みに意味づけができるかもしれないと考えた。
僕は「たまれ」にある「関係」のうちの「つながり」に注目していた。2012年頃から「医療と地域の壁を無くすために『つながり』をつくる」活動をはじめ、ついには起業までしてしまったのだが、徐々に「つながり」という言葉に違和感を抱くようになる。たしかに「つながり」が大事なのはわかるし不要とは思わないけど、一体どのような「つながり」が必要なのだろうか。そもそも「つながり」って何なのか、活動しているみんなは、どのような意味で「つながり」という言葉を使っているのだろうか。もっと言えば「つながり」ってそんなに良いものなのだろうか。そんなことを考えるようになっていたら、「つながり」という言葉を乱発しながらの活動に、ちょっと気持ち悪くなっている自分に気づいた。
「みんな本当につながりたいと思ってるのかな。つながりたいと思っているのは僕らだけで、つながりをつくる活動はただのお節介になっているのかもしれない」
この連載の冒頭でも紹介しているが「たまれ」の関わりの中で生まれる「つながり」を僕らは「弱いつながり」と呼んでいる。前でも書いたが、僕は「つながり」という言葉に違和感を感じていながらも「つながり」という言葉を使っていた。じゃあ、お前が思う「つながり」とはなんだ、と言われると言語化できなかったので、「弱いつながり」という言葉を捻り出して、僕らの「つながり」を表現していた。
そうした中、講演やちょっとしたコラムの執筆をお願いされることが増え、その多くで「たまれ」の紹介をしていた。「たまれ」の話をすればするほど、僕らの活動に興味を持ってくれる人は増えるのだが、一方で自分から出てくる言葉の薄っぺらさにうんざりするようになっていた。そんな自分に違和感を持つようになり、僕なりの「つながり」という言葉への意味づけや、「たまれ」で起きている、医療や福祉と人とまちにはどのような関係性が生まれているのかを明らかにさせる必要があったのだ。こんな背景もあって、大学院では、「たまれ」で起こる関わりあい(「弱いつながり」)は、まちで暮らす人たちのヘルスケアにどのような影響を与えているのか、そして僕らが考える「弱いつながり」とはどのようなことなのかを中心に研究を進めることにした。
地域共生という幻想
そもそも、僕らが暮らす社会に起きている「つながり万歳」的な空気はいったいどのように生まれたのか。僕は研究の入口としてここから紐解いていくことにした。
もともと、医療というものは病院や診療所に患者が行って受けるものとされていたけど、いまはさまざまな医療の受け方がある。例えば、医師が定期的に患者の家に行く訪問診療や僕らの会社で運営している訪問看護などもそうだ。医師や看護師などの医療の専門職が病院や診療所から飛び出して、地域のカフェやコミュニティの場で健康の相談を受けるというのも新しい取り組みである。このように医療者と患者の関わり方は、病院を中心とした医療の拠点から患者の暮らしの場へと変化しつつあるが、どうやら変化しているという言い方よりは、昔に戻っていると言った方が良いかもしれない。
戦前の日本では地域や家族同士のお互いの助け合いにより支え合いながら暮らしていた。病気や子育てなどで周囲からの助けが必要になった時は近所の人たちの手を借りたり、醤油や砂糖が切れたら隣の家にもらいにいったりと、西岸良平の漫画が原作で2005年に公開された映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界観がかつての日本にはあった。そして、この世界観は太平洋戦争後の高度経済成長を機に変わっていくことになる。
工業やサービス産業の多くが都市部に集中した結果、地方から多くの人が都市部へと移動するようになった。これによって地方の過疎問題と都市の過密問題が生まれ、核家族化が進んだり、女性の労働機会が増えることで結婚や出産が今までより遅くなったりと、この辺りが少子化の入口だとされている。
みなさんご存知の通り、日本の人口は2011年から減り続けている。高齢化や人口減少という問題が明るみになり、社会的孤立の問題や、制度が対象としないような電球の取り替えや買い物、通院の介助、子どもが熱を出して保育園に預けられず仕事を休まなければならない、などの問題が出てきた。かつてこのような困り事は、近所の助け合いによって支えられてきたが人口減少が進んだことで地域の「つながり」が弱まり、地域で支え合いながら暮らすことが難しくなったと言われている。
このような問題に対して、国は公的な支援制度、つまり、社会保障制度の枠内で対応を行ってきた。今日までに、地域住民や家族間の相互扶助による医療福祉の足りない部分を補う形で、保健医療や子育て支援、就労支援などの公的な支援制度を整備し続けている。その中に「地域包括ケアシステム」や「地域共生社会」という考え方があるのだが、これらこそが僕の思う「つながり」に対する違和感の元凶だ。何が言いたいかというと、「地域包括ケアシステム」や「地域共生社会」には、人々が望む健康な暮らしを送るために人と人との「つながり」を再構築しなさいよ、ということが明記されているのだが、その「つながり」を再構築するための具体的な手段までは打ち出していない。
この「つながり」についてはまた後で話をするとして、地域包括ケアシステムと地域共生社会の話に少しだけ触れておこう。
地域包括ケアシステムと地域共生社会
少しだけ堅苦しい話になると思うが、難しい話は嫌だという人はここは飛ばしてもらっても構わない。ただ、読んでおいた方が「つながり」の背景は理解が深まると思うので、興味がある人はぜひ読んでもらいたい。
前でも書いた通り、少子高齢社会や人口減少社会への対策として、政府は2014年に地域包括ケアシステムという考え方を掲げた。これは、団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らし」を続けることができるよう、在宅医療を中心に「住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される」ことを目的として打ち出された考え方である。もうちょっと噛み砕いた言葉で書くと、「病気になっても、それまで行ってきた自分の暮らし方がなるべく継続できるように、地域での医療や介護のサービスを充実させて、サービス提供者はバラバラに動くのではなくて、その人の暮らしをより良くするために連携し合いながら動きなさいよ」というような意味だ。
でも、これは表向きの言葉で、膨れ上がってきている社会保障費を抑制することが真の目的だったりする。実際、その後に進められた取り組みは医療や介護分野における専門職の医療保険や介護保険におけるサービスを抑制することや、医療や介護の問題については国が支えるのではなく地方自治体の責任とし、かつての日本のように家族や地域で支え合いなさいよというものであった。
地域包括ケアシステムを自分なりの言葉ですごく簡単にまとめると「今までは健康を中心とした暮らしの面のサポートは国がしてきたけど、もうお金がないからあとは地域で支え合いながらやってね」ということである。政府が言いたいことはすごくわかる。お金がないなら仕方ないよねって思うけど、具体的な例を示すなどして、もうちょっと丁寧な移行はできなかったものかと思う。では、地域の反応はどうだったかというと、「地域包括ケアシステム」という言葉を知っている住民はほぼいなくて、専門職だけが使う言葉だった。そして、この状況は今でもほとんど変わっていないように感じる。
もう1つの地域共生社会という考え方を見てみると「つながり」の背景がよりはっきりと見えてくるので紹介する。堅苦しい話はここまでとするので、もう少し付き合ってもらえると嬉しい。
国から地域に投げられた「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らし」をつくる取り組みは、結局うまくいかず、厚生労働省は「高齢者のみならず障害や児童、子育てなどさまざまな分野の課題が複雑化しているためサービスが縦割り化してしまい対応が難しくなってきた」という考えを示すようになった。
そこで政府は新しい考え方として地域共生社会という考え方を2016年に掲げた。安倍晋三首相(当時)が「ニッポン一億総活躍プラン」を打ち出したのを覚えている人も多いと思うが、これは「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する」と「対象者ごとの福祉サービスを『タテワリ』から『まるごと』へと転換」というものだ。つまり、制度や分野、支え手や受け手という関係を超えて、国や地方自治体だけでなく、地域住民や地域の多様な主体が自分ごととして参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて丸ごとつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともにつくっていく社会を目指すという方向を示したものだ。
これが何を意味するかというと、今までは「国が公的な支援を行いながらみなさんの健康を守ります」と言っていたのに、急に「地域で暮らす住民のみなさん自身にも自分の健康を守る責任があるので、これからは地域や個人がつながりを持ちながら健康維持や増進をしてくださいね」というような方向に舵を切ったということである。このように地域共生社会の考え方では「つながり」をつくりなさいというメッセージを明確に打ち出してきたことになる。
医療や福祉の専門職を中心に「つながり」が大事であるという考えのもと、地域活動が活発になった背景にはこのような地域包括システムや地域共生社会の考え方が大きく影響していると僕は考える。繰り返すが、厚生労働省は地域共生社会を実現するために、地域での人と人とのつながりの重要性を示しているが具体的な手法は打ち出していない。
「つながり」というどことなく響きのよい言葉によって、多くの人たちは「地域でのつながりをつくることは大事である」という幻想を抱いている。そもそも、あなたたちがつくろうとしているつながりは誰が求めていることなのか。あなたたち自身が求めているものなのか、それとも誰かが求めているものなのか。そして、その「つながり」の時間や強さ、深さはどのように考えるのか。
つながることの意味を考えずに「私たちは社会にとって良いことをしている」というような、それっぽい活動が増えていることに僕は気持ち悪さを感じていた。
出会い方の不自然さ
ここまで「つながり」に対して気持ち悪いだの違和感があるだのと否定的に書いてきたが決してそうでなくて、「つながり」がよい効果をもたらすのも理解しているつもりだ。例えばアメリカの政治学者であるロバート・パットナムによるソーシャル・キャピタル(社会共通資本)という概念は「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることのできる、『信頼』『規範』『ネットワーク』」などと定義され、人と人との関係によって生まれる信頼や相互の利益が、教育、治安、経済発展、健康と幸福などによい影響を与えるとされている。
このソーシャル・キャピタルという考え方を元にした健康に対する研究もたくさん行われていて「つながり」が健康にもたらす効果を示している。何度も言うようだが、「つながり」の効果について否定するつもりは全くないし、むしろあった方が良いと思っている。じゃあなんでそんなに気持ち悪いとか言うのかというと、問題は「出会い方の不自然さ」にある。
これも繰り返しになってしまうが、#13で書いたように地域でソーシャルな活動を行っている人たちは、はじめて出会った人たちに自分たちの思いや活動を知ってもらいたいと、距離を詰め、相手の準備ができていないうちに自らの活動を語りがちな印象を受ける。それが医療や福祉の専門職となると、専門職としての「正しさ」をいきなり押し付けるみたいなことが頻発しているのをたくさん見てきた。普段は病院などの医療機関で働いている人たちが「医師や看護師が健康相談に乗ります」的な看板を出して1日限りのイベントに出展しているのを見たことがある人もいると思う。
これ自体は良いことだと思うが、パットナムのソーシャル・キャピタルの視点で話をするとすれば、医療と患者、医療と地域というパターナリスティック(強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のために、本人の意思にかかわらず介入・干渉・支援する様子)の関係がある状況ではフラットな立場での関わりにならず、垂直的な上下の関係で関わることになってしまい、この場合は健康の面でも良い関係が生まれない。
もし僕らがこのようなイベントに出るとしたら、医師や看護師などのラベルを貼らないことと、出会いのきっかけを健康ではなくてコーヒーや本など他の文脈にして、会話の中で健康についての話題が出てきたらそこではじめて正体を明かすという形をとると思う。出店ブースに医療や福祉に関わる本とか物を置いておくのも良い。コーヒーを出している横に車椅子を置いておくのも面白いかもしれない。もし、会話の中で健康に話が及ばなくともそれはそれで良くて、またいつかの出会いのための種まきと考えることが大事だと思う。
では、僕らの「つながり」、つまり「弱いつながり」という言葉で表現している関係性とは何か。そして、「たまれ」における地域との「弱いつながり」はどのような影響があったのだろうか。次回は僕が行った研究の内容を書こうと思う。