理学療法士である著者は、東京・府中市で訪問看護ステーションおよび居宅介護支援事業所を運営しながら、カフェや空きアパートを使ったコミュニティ事業を展開している。あそびを通じた表現活動を行うアトリエ、中高生のサードプレイス、菓子工房、銅版画工房などが半径50メートル内に集まる一帯の名は「たまれ」。最寄の多磨霊園駅と、人が「溜まる」をかけて名づけられた。
こうした活動を通して実現しようとしているのは、人と人との「弱いつながり」だと著者は言う。2011年の東日本大震災以降、とみに加速した人と人との「つながり」を絶対視する風潮への違和感からたどり着いた、「たまれ」という名の「場づくり」。その足跡を振り返りながら、医療と患者、医療と地域、人と人の「いい感じ」な関係を考察する。

#13 自走しはじめたコミュニティカフェthe town stand FLAT

「このまま価値が出せないなら辞める。俺が価値を出せなかったってことだから」

 2016年にthe town stand FLAT(通称「FLAT STAND」、以下フラスタ)がオープンしてから、フラスタの管理人である和田とは幾度となくこんな話をしてきた。ことあるごとに、「シンクハピネスの理念が理解できないから話をしたい」「フラスタがある意味ってなんなのか」「どんな社会をつくりたいのか教えてくれ」などという問いが僕に投げられ、そのたびに話し合いを持った。

 この時のフラスタは、医療や福祉の領域で地域活動に興味を持っている人たちには多少なりとも話題にはなっていたものの、お店は常に満席状態で賑わっていたかというとそうではない。一人もお客さんが来ない日もよくあって、それでも僕はそんな日もあるよねぇという感じで呑気に捉えていた。だが、管理人の和田は違った。地域で暮らす人々が望むそれぞれの健康をつくるため、フラスタの中心にいて暮らしの中での関わりをつくりつづけながら、もがき苦しんでいた。

 「フラスタはお金を生み出す場ではなくて、人と人とが出会うためのきっかけの場。お金という利益は最優先に考えなくていいから」

 そんな和田に僕が伝えていた言葉がこれである。当時の僕は会社を立ち上げる時に妄想していた未来の画は見えていたが、全く言語化できずにいた。言われた身にもなってみろと言いたくなるくらい抽象的で、売上という数字で価値を出す方がよっぽど楽だったと思う。そんな僕に対して和田は容赦無く疑問をぶつけてくる。僕が見ている景色を見ようとしてくれていたのはわかるが、彼のあまりにストレートな投げかけに感情的になることもあった。お金という目に見える価値を生み出すのか、それとも人と人とのつながりという目に見えない価値を生み出すのか。そんな議論を和田とは散々やってきた。

the town stand FLATの店内。出典:the town stand FLAT ホームページ

 オープン後のフラスタはコーヒーや日本茶を中心としたドリンクや軽食を提供しながら、様々なイベントを開催してきた。フラスタのホームページにある「EVENT & MAGAZINE」というコンテンツに過去の報告が出ているので興味ある人はぜひ見てほしい。彫刻、塗り絵、アロマ、パワーストーンブレスレット、フルーツビネガー、インプロ(即興劇)、陶芸、梅シロップづくりなどのワークショップや、ヨガレッスン、落語、アートギャラリー、ハロウィン、クリスマスなどの季節物のイベントも行ってきた。特に記憶に残っているのが、2016年のグランドオープンの翌月にフラスタをマルシェ会場として利用してもらった時だ。人でごった返しているフラスタの1Fを外から見て、こんなにフラスタに人が入るんだと唖然としたのを覚えている。

  1年くらい続けていると近隣の方から少しずつ認知されるようになっていき、たまに近所の方が中心となって「フラスタ乗っ取り企画」と称したたこ焼きパーティーや餃子パーティー、おでんパーティーが開かれるようになる。この頃意識していたのは、自分たちが主催するのではなく、いかに誰かに使ってもらうか、だった。ちなみに、この状況でも僕らが医療や福祉領域の会社を運営しているということを知らない人も多くいた。

 2年目を迎えた2017年も前年と同じようにイベントを中心に運営をしていたが、それだけでは変化は起こらない。管理人の和田はメニューの変更や新しいイベントの企画も行っていたが、特に感心したのは店内のレイアウトが日々変わっていったことだ。しかも、よーく見ないと分からないくらい細かい所に変化を加えていた。和田のこの辺のセンスという場づくりの感覚はほんとにすごい。ただ何も考えずに変化をつけていた訳でなくて、これにもきちんと理由がある。

新しいものと古いもの

 フラスタは元々はパチンコの景品交換所だったところをリノベーションしている。8年経った今はだいぶ味が出てきたが、当時は飲食スペースにはあまり物を置かず、木で統一された清潔でスタイリッシュな感じだったと思う。廃材を使った床や壁、テーブル、椅子などはどこか懐かしい感じを出すための仕掛けでもあり、無機質感を出さないためでもあった。それでもオープン直後のフラスタは真新しさが目立ち、僕らはこの「新しい」感じを違和感を覚える時もあった。

 僕らは日々変化し続けている。暮らし方も考え方も、僕らを構成する要素たちも。昨日は1人でいたかったけど今日は誰かといたい。昨日は魚を食べたかったけど今日は肉が食べたい。昨日は嫌いだったけど今日は好き。こんな変化は日常の中でよく起こることだと思う。身体的にも、僕らの身体の中では分解と再構築が常に繰り返され、1分前の自分と今の自分は違うものだ。

 生物学者の福岡伸一がこんなことを言っている。

生命とは“絶え間なく分解、再構築を繰り返す流れそのもの”であり、自らを破壊し続けることで生きている。

福岡伸一『動的平衡』 小学館、2017年

 彼はこれを動的平衡と呼び、絶え間ない流れの中で一種のバランスが取れた状態であると説明する。崩壊してゆく生命の構成成分を先回りして分解し、乱雑さによって崩壊していく速度よりも早く再構成され続けることでバランスが保たれるのだという。

 こうして人は日々絶え間なく変わっていくのに、お店の中は新しいままだったり、いつも同じものが同じところに配置され整理整頓されているというのはどこか気持ち悪さがあった。もっとも、学術的な視点で見ると人間だけでなく、お店を構成する木などの物質も変化をしているのだろうけど、その論点はここでは横に置いておく。

 「いつも同じ」方が安心で居心地が良いという人もいると思うけど、僕らにとって「いつも同じ」はどこか居心地が悪い。気づかない程度くらいに普段の暮らしにノイズが入っていた方が心地よいし、フラスタを訪れた人や僕らにも変化が生まれる。そんな考えがあってフラスタも日々少しずつ変化を加えていった。

周年記念

 2018年6月に2周年を迎えるにあたり、そろそろ自分たちが主催する大きなイベントでもやろうかという話が出た。1周年を迎えた時は、お祝い的な何かをするのはなんかフラスタらしくないよねということで特別なことは何もせず、いつものようにフラスタを開け、いつもと変わらない1日を過ごした。

 そんなこともあって2周年のイベントはいままで関わってくださった方たちへの感謝を伝える場にしようと決め、自分たち主催のマルシェを開催することにした。イベントの名前は「coco marche」とした。

 とはいえ、僕らはいままでマルシェを主催した経験がない。そこで、グランドオープンの1カ月後にマルシェを開催してくれて、その後も毎年同じ時期に開催してくれている方にサポートをお願いすることにした。Lantern(当時はDarumare)というブランドで焼き菓子をつくっているパティシエの加藤薫さんだ。あれから8年経ち、いまとなっては「たまれ」の一室でお菓子のアトリエを開き、フラスタの金曜日担当もしてくれていて、「たまれ」の顔と言っても良いくらい僕らと一緒に動いてくれている。

 今回のマルシェは感謝という目的があったこともあり、フラスタができてから2年の間に関わってくださった方たちに声をかけることにした。ありがたいことに22の出店者が快諾してくれて、日本茶や木彫り、陶芸、染め物、ボディケアなどのワークショップや焼き菓子、台湾茶、文房具や雑貨のお店などたくさんの方が関わってくれることになった。

 そんな素敵な方達のサポートのおかげもあって、2日間にわたって開催した僕ら主催の初めてのマルシェは大盛況に終わった。みんなでつくりあげた空気感は初回のマルシェだからこそのボーナス的な贈り物でもあり、一方で僕らに対しての次へのプレッシャーにもなったとも言える。いずれにしても、僕自身もかなり楽しめたマルシェになり、いまでもあの時は楽しかったなぁとふと思い出すこともあるくらい良い時間だったと思う。

店内に大勢の人がひしめいた2018年のcoco marche 出典:Facebook

 マルシェの裏話を少しだけすると、この時のマルシェではフラスタ裏のアパートの一室を初めて使うことにしたのだが、借りはじめたのはマルシェの1カ月前で、そこから急いでリノベーションを行うなどして準備を進めた。当時、フラスタの隣と裏にある2棟のアパートは一般の方が住んでいる2部屋以外の10室は空室で、いまの「たまれ」のように、お菓子工房や銅版画のアトリエ、大学生が運営する中高生の学びの場などのような使われ方はされていなかった。フラスタが少し手狭になってきたのと、僕が描いていた未来の構想に向けて一歩踏み出すために新しいスペースとして使うことに決め、そのお披露目をマルシェに当てようと決めたのが1カ月前だった。

 前に入居していた人が退去してから何年経っているかはわからなかったが、中はかなり廃れていて、壁や畳はカビだらけ、キッチンやトイレも目を背けたくなるような状態だった。そんな状態から和田を中心にシンクハピネスのスタッフ数人とフラスタのお客さんのデザイナーや彫刻家の方にも手伝ってもらい、畳剥がして、壁紙剥がして、床板張ってみたいな感じで、みんなに手伝ってもらいながらリノベーションを進めた。手伝ってくれたフラスタのお客さんたちとは、いつかはこんな場がつくりたいよねということを共有していて意見をもらったり議論する場を設けていた。きっと自分たちでやったら早く終わったんだろうけど、ちょっと遠回りしながらでも見たい世界を共有するという過程が大切だ。この時、一緒に作業をしてつくり上げたという経験が、今後の「たまれ」のつくり方のベースになったと思う。

フラスタ裏にあるアパートの一室をDIYでリノベーション
2018年のcoco marcheの屋外風景
屋内でもさまざまなワークショップや物販が行われた

 今だからこんな風に振り返ることができるが、当時の僕は「もっと早く進めちゃえばいいのに、なんでみんな答えの出ないような会話をずっとしているんだろう」と思っていた。リノベーションに向けて重ねていた議論では、かなりの時間をかけて話し合いを進め、すでにやることは決まっているのに、またそれを掘り返して0ベースから話をしはじめたり、全然違う話を差し込んだりしている様子に飽き飽きすることもあった。あれから6年経ったいまは逆にこの時間を楽しむようになったし、僕から話をひっくり返すようなこともある。医療の場で緊急性を要する場合は、その場での状況判断と最善の選択、実行が必要とされるが、僕らが思う場づくりやコミュティづくりという視点では、あえて時間をかけることも必要だと考えている。そこに関わる人が多ければ多いほど、あえて対立や混沌をつくった方が良いという考え方である。

フラスタが自走する

 「coco marche」を無事に終えて、フラスタは3年目に突入した。今までと同じように、少しずつ変化を加えながら、お店の運営と新しく加わった裏のアパートの一室を使って小さなイベントを行ったり、貸し出したりしながら場づくりを進めていった。

 「coco marche」は翌年の3周年の際にも開催することを決めて、準備を進めることになる。和田は「周年という考え方はあまりピンと来なくて、ただ1日1日を重ねてきたことでしかない」という。捻くれてるよねっていつも思っちゃうんだけど、最近は僕も近い考え方になっている。周りのみなさんは祝ってくださるので、そんな人たちが心地よくいるために「祝う場をつくる」みたいな考え方だ。その日が楽しい人もいるけど、楽しくない人だっている。また誤解されるような書き方をしてしまうかもしれないけど、お祝いしたくないけどその場にいたい人や、周年と分からず来てしまい、周りはお祝いのプレゼントとか持ってきたけど自分は普通にきてしまったみたいなことだってある。考え過ぎだよって言われるけど、場をつくるってこういうことだと思う。ここまで考えて「誰かが悲しい思いになるのは仕方ないよね」と判断するか、「いやいや、人を悲しませたくないからやらないよ」と判断するのかの選択ができれば良い。何も考えないで、誰かが悲しい思いをするような場づくりを行うのが一番残酷だ。

 ちょっと話がズレてしまったが、2019年6月に開催した「coco marche」は僕らにとってのターニングポイントになった。新しい出店者さんを迎えたり、裏のアパートの前の駐車場も前年より広く借りて、ちょっとだけ大きな規模で開催した。この時も大盛況で終えることができたのだが、終わった後の達成感というかマルシェを通じて感じたことが何となく違うことに気づいた。すぐには言葉にできなかったんだけど、数日後に和田と振り返りをしている時に彼も同じ感覚でいることが分かった。

 前年のマルシェは初回だったということもあり、主催である僕や和田に会う目的で来る人がほとんどだったが、2回目のマルシェは周りを見渡すと「僕らが知らない人」や「僕らのことを知らない人」が多くいることに気づいた。出店者に会いに来る人たち、近所に住んでいてふらっと立ち寄る人たち、久しぶりに遊びにくる人たちが僕らが何もしなくてもそれぞれが楽しんでいる風景がそこにはあった。

2019年のcoco marche ©デリしげ

 僕らがつくりたかったのはまさにこのような風景で、フラスタが僕らの手を離れてそれぞれが勝手に意味づけをして楽しんでくれていることである。場づくりやコミュニティづくりをしていると、自分たちの考え方や見たい世界と違うことが起こるなんて日常茶飯事だ。そして、多くの人はルールなどを用いてこれを統制する。

 確かに、ルールをつくれば自分たちが見たい世界観に近づくかもしれないけれど、ルールをうまく運用しないとその場は徐々に同質性が強まり、場の内と外という境界が生じやすくなる。僕らがつくりたいのはそんな場ではないし、そんな社会ではない。だからこそ、フラスタはオープン当初から「僕らが主役にならない」ということを意識して人と関わりを持ち運営をしてきた。

 僕らのようにソーシャルな活動を行っている人たちの多くは、はじめて出会った人たちに自分たちの思いや活動を知ってもらいたいと、距離を詰め、自らの活動を語る。でも僕らは違う。はじめて出会った人たちには僕らの活動はわからないということを前提として、いまその瞬間ではなく、その先の未来にまた関わるだろうことを想像しながら、関わりしろをつくるイメージでコミュニケーションをとる。この、関わりしろをつくることが大事なポイントだ。後々「僕らが誘って何かをしてもらう」のではなく「訪れる人たちが自ら何かをする」きっかけをつくる。このコミュニケーションをフラスタがオープンしてから続けてきた結果、1093日目のマルシェで僕らの手から離れてフラスタが自走しはじめたという感覚になった。

 3周年のマルシェが終わり、その後和田とは「糟谷はどんな未来を見ているんだ」「フラスタの価値ってなんだ」という話をすることがほとんどなくなった。もちろん、必要な時にはお互いが見たい未来の話はよくしている。

 僕らが見たい世界が共有でき、そのために会社の中で、またはまちの中でフラスタがどのような存在でいたら良いのかを見ることができた3周年のマルシェになったと思う。マルシェを終えた後に和田がフラスタのマガジンに投稿したメッセージを置いておく。

おかげさまでゆる楽しく終えることができました。ありがとうございます。
なんとなく3年。
3年という言葉で軽くしたくないから1093日…。
続けることができたのは関わってくれた方がいるから。関わってくれる方がいるから1日1日を重ねられて、それがちょっとだけ可視化できる日がCOCO MARCHEだったりします。
でもそれは、
この日のために重ねた日、でなはくて、1日1日重ねていくための1つのお祭りなんですよね。
いつもの顔も、はじめましての顔も、
知ってる顔も、知らない顔も。
雰囲気だけで伝わる関係もあれば、言葉を選んでゆっくり近づく関係も。
ここにくる理由はそれぞれ。
なんでもいんですよね、理由なんて。
その人の都合できてもらって、そのときのタイミングで感じ方だって違う。
それを受け入れてくれる『場』がたしかにココに存在している。
なんか少しでも重ねてきたものを感じてもらえてたら嬉しいです。
そして感じたこと(嫌なことも)聞かせてくださいねー
まずは関わってくれた1人ひとりに感謝。

the town stand FLAT ホームページ

 「たまれ」のベースとなる場づくりは「coco marche」という周年イベントを経験してつくられてきたと言っても良い。このような関わりを続けることによって、フラスタに少しずつ健康に関する相談がくるようになっていく。このような関わり方がここで暮らす人たちの「健康」に寄与することがなんとなく見えはじめ、僕らが意識してきた人と人との「つながり」とはなんだろうかと疑問に持ちはじめた頃に大学院への進学を意識するようになる。


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