理学療法士である著者は、東京・府中市で訪問看護ステーションおよび居宅介護支援事業所を運営しながら、カフェや空きアパートを使ったコミュニティ事業を展開している。あそびを通じた表現活動を行うアトリエ、中高生のサードプレイス、菓子工房、銅版画工房などが半径50メートル内に集まる一帯の名は「たまれ」。最寄の多磨霊園駅と、人が「溜まる」をかけて名づけられた。
こうした活動を通して実現しようとしているのは、人と人との「弱いつながり」だと著者は言う。2011年の東日本大震災以降、とみに加速した人と人との「つながり」を絶対視する風潮への違和感からたどり着いた、「たまれ」という名の「場づくり」。その足跡を振り返りながら、医療と患者、医療と地域、人と人の「いい感じ」な関係を考察する。
#11 「医療」と「暮らし」の境界線をめぐって:コロナ禍と地域
コロナとはいったい何だったんだろう。
駅ナカスペース「武蔵野台商店」(#10参照)が1年3カ月という短命に終わったことをコロナのせいにしてはいけないと前回書いた。その一方で、コロナが大きなきっかけになったこともまた事実である。2020年3月25日に東京都からの自粛要請が出ると、武蔵野台駅は人がまばらとなり「武蔵野台商店」のお客さんも激減した。「武蔵野台商店」閉店の準備と同時期にシンクハピネスが運営する訪問看護や居宅介護支援事業も感染者の対応に追われはじめ、僕自身も事業をどのように続けていくか、感染者対応をどのように行っていくかの判断を時間単位でしていた。近隣の在宅ケアに関わる事業所では感染防御資源の不足やスタッフの感染により医療や介護のサービス提供を止めざるを得ない事業所が出始めていた。
在宅ケア領域における医療や介護サービスに対する行政の情報提供の遅れ、医療や介護サービスの崩壊のおそれ、地域住民の感染症に対する不安。今回は、このような状況の中で僕らはどのように新型コロナウイルス感染症と向き合ってきたのかを振り返りたいと思う。
ソーシャルディスタンス、ステイホーム、黙食、アマビエ、3密、アクリル板など、感染防止のためのさまざまな言葉が生み出され、科学的根拠に基づいているのかどうかわからない感染対策に僕らは翻弄された。メディアでは多くの専門家がエビデンスという言葉を用いながら解説を日々繰り返す。政府は専門家による有識者会議によって感染予防対策を打ち出し、コロナが5類感染症に移行するまでの約3年間、国民はそれに従った。
人類学者の磯野真穂さんが著書の中で興味深いことを言っている。
コロナ禍では、医学・疫学の専門家が力を持った。データという数字で何事かが提示され、これこそが正しい客観的な情報だから従いなさいと言われると、それら知識を持たない素人が、言い返すことは難しい。しかしどれだけ客観的に見えるデータでも、その生成と発信にはある価値や意図をもった人が介在し、発信にはそれらが含まれる。(中略)私たちは単なるモノや数字以上の存在であるし、どんな専門家であっても、私たちがどう生きるべきかを決めることはできないからだ。
磯野真穂(2024)『コロナ禍と出会い直す』柏書房
知識を持たない素人が専門家に言い返すことは難しい。だからといって全ての専門家が素人に配慮した情報発信をしたら、届いて欲しい情報が届かない可能性もある。素人も素人で、発信された情報の取捨選択をしないまま、全ての情報をさも正しいかのように受け取ることもどうだろうかと思う。
「だからこそ、医学や疫学の素人である私たちは、これら学問の英知に敬意を払いながらも、客観的に見える情報の裏にある、発信者の価値観や意図を敏感に読み取る必要がある」と磯野さんはいう。
当時、素人は正しい情報を求め、医学や疫学の専門家は正しい情報を発信し続けた。様々な情報が飛び交い、素人だけではなく医療や介護の現場にいる専門家にも多くの混乱が起きていたと思う。あの時、僕らは医療や福祉の専門家として、正しい情報を発信することに懸命になり、「医療」と「暮らし」のバランスを意図的に崩した。それまでは、「医療や福祉の専門職として」「そこで暮らす一人の人として」この2つの立場で、数字などのデータに基づく医療の正しさと、その人にとっての暮らしの中における正しさを行き来しながら、その人が望む暮らしを一緒につくることをやってきたが、目の前の命や暮らしの安全を最優先にするという本来の僕らの役割を遂行する判断をした。いま振り返ると、何であんなことを発信したんだろう、何であんな行動をとったんだろうと疑問に思うこともたくさんある。
でも、「社会は変えられないかもしれないけど、地域の空気なら変えられる」と叫び続けながらコミュニティ運営を行ってきた4年間が、この危機的な状況に活きるかもしれない。そんな根拠のない自信があったことだけは確かだ。
不安と焦り
2020年4月7日、安倍晋三首相(当時)により緊急事態宣言が出される1週間前。すでに1日の感染者数は5万人を超え、それまでは何となく隣の国の出来事として捉えていたことが近くの出来事として意識されるようになっていた。さらに、著名人が感染症によって死亡したというニュースが世間の不安や恐怖心を一気に加速させたように思う。
東京都からの自粛要請によりFLAT STAND(#7参照)や武蔵野台商店は時短営業に切り替えたが、訪問看護や居宅介護支援はサービスを止めるわけにはいかない。今後のさらなる感染拡大に備えて、在宅ケア領域にいる医療や介護サービスはどのような対応をすべきなのか情報収集に躍起になっていた。東京都は平日夜間・休日の外出自粛要請・仕事の在宅ワーク移行推奨を公表し、近隣の都道府県では県境の移動自粛なんて話も出ている。この状況で政府から緊急事態宣言が出た場合、訪問看護や居宅介護支援など在宅ケア領域を担う仕事はどのような制限を受けるのだろうか。そもそも通勤はできるのだろうか。そんな情報を探していた時に、知人が運営する訪問看護ステーションのSNS「note」に衆議院内閣調査室に問い合わせを行い回答を得たという内容の投稿を発見した。
仮に今後、新型インフル特措法に基づく「緊急事態宣言」が出された場合も医療従事者等が在宅への訪問診療・訪問看護等についてはなんら規制を受けません。
「緊急事態宣言」というと、街中で警官が見張っていたり、出歩いていていると職質されたり、、的イメージが先行しますが、基本的には現在、関東近県を中心とした自治体が発出している、外出の自粛要請と変わらず、罰則や法的強制力はありません。
むしろ1点だけ、社会福祉施設については入所者以外で通所リハやショートステイなどは制限される可能性はありますが、訪問看護については今後万が一パンデミックが起きた際の要援護者への支援など、ご協力をお願いしたいところです。
ウィル訪問看護ステーション(2020)「緊急事態宣言のとき、訪問看護師は看護を続けていいの?について確認しました。 」https://note.com/wylinc/n/n139723f9840a
つまり、緊急事態宣言が出された場合でも、訪問看護や居宅介護支援の従事者は業務には規制を受けず、通勤もできるし訪問もできるということだ。
「万が一パンデミックが起きた際の要援護者への支援など、ご協力をお願いしたいところです」
最後の1文を読んだ時、僕の緊張感は一気に高まった。会社としても万が一に備え準備をしていたが、公の発表ではないにしても実際に政府からのこのようなコメントが出るということは、それだけ事態は深刻であるということである。
「うちのスタッフを戦争の最前線に送る準備をしなければいけない」
大袈裟な表現ではなく、もしかしたら誰かの命に関わるかもしれないという考えで準備をしていた。訪問業務における感染対策だけではなく、職場の環境や物品の準備、万が一感染した場合のスタッフとその家族に対するフォロー体制、そして感染症と隣り合わせの環境で日々現場に行くスタッフに対し僕が経営者としてどのような姿勢でいるか、などである。
幸いなことに、LICには管理者の黒沢ともう1人、災害看護のスペシャリストがいた。彼らがシンクハピネスに入職する前は、より高度な救急医療に対応できることが求められる三次救急指定病院の救急救命センターで日々重症患者と向き合い、さらに東京都基幹災害拠点病院に指定されていたため災害時の対応については身に染み付いていたのだ。当時の2人の冷静さには頭が下がるばかりで、彼らにとってはあのような状況は平時なのだろう。2人がいたおかげで府中市内でも感染症に対しての知見がある訪問看護ステーションとして、LICが中心になって対策を行うことになった。
一方、経験の浅いスタッフや現場に出ない事務スタッフなどへの配慮は必要だった。病院勤務を経験している看護師など医療者にとって、死と隣り合わせの状況は特別ではなく日常だと言ってもよい。しかし、このようなパンデミックを経験している看護師は多くはなく、特に経験の浅い看護師や事務員など不安を抱えているスタッフもいる。いつまで続くか分からない状況で、ひたすら目の前の感染対応をし続けることが心身へどれだけ負荷になるかは容易に想像できた。なので、緊急事態宣言が出される前、僕は代表の立場としてシンクハピネスのスタッフに対して「感染しない、させない」「地域の医療インフラを崩壊させない」「シンクハピネスの事業継続」という3つの指針を出した。「いまのしあわせをつくる」というVISIONに基づき、僕らは何を目指し、何をしていくのかを示したわけだ。数年前まで独りよがりのクソみたいなマネジメントをしていた自分だが、少しはマシになったかなと思いたい。
医療者の正しさという押し付け
緊急事態宣言から1週間が経った。感染が拡大する中、会社の代表としても糟谷個人としても冷静に振る舞い、判断していたつもりだったが、あの時に書いた文章やメモなどを見返してみると不安や焦りが滲み出ている。
普段の僕は3つの視点から日々の判断をしていた。1つは医療や福祉の専門職として、もう1つはシンクハピネスの代表として、そして府中市で暮らす一人の人としてだ。普段なら医療と暮らしのバランスを取りながら判断をしているが、あの時ばかりは医療寄りの判断をせざるを得なかった。もちろん「府中市で暮らす一人の人として」という立場を忘れた訳ではない。シンクハピネスのblogに投稿した記事を載せておくので、良かったら読んでもらいたい。僕の考えを押し付ける内容になっていて、あまり心地よいものではないかもしれないがーー。
府中で暮らすみんなへ(2020.4.12)
緊急事態宣言が出てから初めての週末になりました。これを読んで下さっているみんなはどんな風に過ごされましたか?今日は府中で暮らすみんなに向けて書きます。すごく大事なことだから、1人でも多くの人に届くと嬉しいです。
はじめに一番伝えたいことを書きますね。
明日の日曜日は家に居て欲しい。
昨日の昼間、港区や世田谷区では医療崩壊が始まっているという話を聞いたんです。半信半疑だったんだけど、今朝、知人から送られてきた写真で確信に変わりました。そこには、病院の入り口に仮設テントがあって、スタッフが患者さんを区分けしている様子が写っていました。さらに、病院の医療機器も足りなくなってきているという情報が入ってきて、NYCのセントラルパークで起こっている野戦病院のような情景が頭に過ぎりました。
ついに府中にもくる。
今日のけやき並木は、普段の週末とさほど変わらない様子でした。緊急事態宣言なんて私たちには関係ないって顔してみんな歩いている。マスクをしていない人もいるし、身を寄せて歩いている人もいる。チェーン店のカフェはオープンし、PCを開いて仕事している人や本を読んでいる人たちで席の8割は埋まっている。大國魂神社の前もたくさんの人が信号待ちをしている。
まだまだ私には大丈夫。
そんな思いを持っている人たちが、週末のけやき並木には沢山いたんじゃないかな。
みんなが”いま”していることが、数日後に大切な人の命を奪うことになるかもしれない。大切な人が苦しい思いをしている時、市内の病院がいっぱいで、受け入れが難しくなるかもしれない。自分が苦しい思いをしている時、医療者自身の感染により、人が足りずにすぐに対応してもらえないかもしれない。
あの時、あそこに行かなければ。あの時、あの人と合わなければ。後からそんな事を思ったって遅い。まだまだ、食い止められると思うし、今からでも遅くない。
明日の日曜日は家に居よう。
府中のみんなの命も守りたいし、医療者の命も守りたい。
もう他人事じゃない。自分の命や大切な人の命を守るために、”いま”それぞれが出来ることをやろう。
目的は感染しないさせないじゃなくて、生きること。
僕は、医療人として、府中に暮らす1人の人として、SYNC HAPPINESの代表として”いま”出来ることをやり続けます。
災害現場では誰も助からない。
”いま”出来る最善の選択を。
株式会社シンクハピネス(2020)「stay home」https://sync-happiness.com/stayhome/
繰り返すが、不安と焦りの両方があったと思う。スタッフは日々感染と隣り合わせにいる。万が一、感染してしまった場合の本人とその家族の心情を考えると、いてもたってもいられなった。そして、スタッフの感染によって訪問看護や居宅介護支援サービスが止めざるを得ない状況になった場合、利用者の中には生活できない方や命に関わるような方も少なくない。
とにかく、スタッフの感染だけは避けたい。当時はこの思いが強すぎて、上に書いたような内容の発信をしてしまったんだと思う。さらに、僕は府中市長にもDMを送った。「市民を守るために、地域医療の崩壊をさせないために、市長から直接市民に訴えかけてくれないか」という内容のメッセージだ。あの混乱の中だ。きっと僕以外からも何千通というメッセージが届いていたと思う。迷惑だということは理解していたが、そんなことは言っていられなかった。市長とは元々面識があったので返信があることを期待して送ると、すぐにメッセージが返ってきた。そして、効果があったかどうかは置いといて、すぐにSNSで発信をしてくれたことには今でも感謝している。
ただ、僕がした発信や市長へのお願いという行動は丁寧に振り返る必要があると思う。在宅ケア領域に関わる医療や介護の専門職の感染対策と、サービスが止まってしまうことを防ぐという目的で行った行動は、確かに専門職の感染対策とケアが必要な利用者のサービスを止めないための一つの手段にはなったかもしれない。でも、文章で発信されただけの半ば脅迫のような押し付けは、「素人」のその時の暮らしを考えずに上から目線での物言いになってしまった。もしかしたら、大切な人に会う予定があったかもしれない、どうしても買いたいものがあったかもしれない、どうしても食べたいものがあったかもしれない。僕の発信による影響なんて高が知れているが、医療の専門家が恐怖心を助長させてしまうような発信をすることによって、その人の暮らしを止めてしまったのではないかと思うと、もう少し冷静になるべきだったとも思う。
止まらない感染拡大
「施設内でクラスター発生のため◯月◯日まで休業します」
「職員に新型コロナウイルス感染者が出たことをお知らせします」
緊急事態宣言後、事務所にはこういった内容のメールやFAXが続いた。いよいよ在宅ケアが必要な方にケアが届かなくなるのではないかという不安が大きくなる。
市役所の対応は後手後手に回っていた。もちろんサボっていたわけではなく、市民からの対応に追われ手が回らない状況だった。こういう時にきまって聞こえてくるのは「市は何もしてくれない」という声だ。その気持ちは良くわかる。でも、市役所にいる人たちは医学・疫学の専門家ではなくて素人だということを忘れてはいけない。
「誰かがやれないなら僕たちがやる」
これが僕たちのスタンスだ。それに、医療と暮らしという2つの軸を掲げているシンクハピネスだからこそできることである。
もはや僕ら単独で動いても状況は変わらないと考えた僕は、夜中に各部署の管理者たちにメールを送った。
「府中市内の在宅ケア領域で働く医療や介護の専門職を集めて抱えていることを共有し、その課題を解決するために府中の人たちを巻き込んで動きはじめるきっかけをつくるイベントをやりたい。この状況で動けるのは僕らしかいないし、シンクハピネスだからやれる」
たいてい、僕の提案はすんなり通らない。長いと2年くらい議論して実行されることもある。気づいたら誰かがやってたなんてことも良くあることだ。僕もそのつもりでいるので半生状態でみんなに投げまくっていると、勝手に進んでいるものもあれば全く手がつかないものもあって、それがまた面白い。このくらい賛成意見と反対意見を戦わせた上でやるかやらないか決めるこの組織の性質は悪くない。
この時はさすがにあまり長くはかからないだろうなと思っていたが、翌日にすんなり通った。それぞれが有事であるという意識を持ち、シンクハピネスがやることにも筋が通っていると感じていたんだと思う。
市内にどんな課題があったかと言うと、前に書いたような感染対策についての課題の他に感染対策のための資材が不足し手に入らないという課題もあった。これは在宅ケア領域だけではなくて、保育園や幼稚園などでも深刻だった。
この頃、FLAT STANDは4月1日から5日まで休業する判断をしていた。オープンしてからはじめて訪問看護を軸に在宅医療や福祉の事業も行っている会社であることを公表し、感染によって看護師や理学療法士などが自宅に訪問できなくならないよう、訪問看護事業を優先すると言い切った。これについても和田や黒沢とかなりの時間をかけて議論した。FLAT STANDに行くことが日課になってる方もいたり、子どもたちの遊び場になっていたり、健康面での相談先になっていたりと、色んな人の顔を思い浮かべながら議論した結果、「いまはすべて安全を優先する」というのが僕らの落とし所だった。
と言っても、ただ単に休まないのがFLAT STANDだ。感染予防のための資材が足りないなら自分たちで集めて配ればいい。きっと俺らが声上げたら届けてくれる人はたくさんいる。そう考えた僕らはすぐにSNSの文章をつくり、FLAT STANDのページから発信した。期待通りに反応はすぐにあった。
「うちに使わないマスクがたくさんあるよ」
「いままで散々お世話になってるから、余分に買ったものを届けるね」
1,000枚以上のマスクが集まり、その後もマスクだけではなく、アルコールや防護服などたくさんの物品が届いた。僕らはこれらの引き取り先を募集し、希望者に届けるという作業を繰り返していた。
行政と僕らの役割分担
有事の際、行政の対応について市民からは一定の不満が出る。これは国家でも地方自治体でも同じことが言えるだろう。僕が暮らす府中市でも初期段階での情報提供の遅れによる混乱が生じていた。在宅ケア領域において、集団感染している医療機関や介護施設などがあるのは明らかで、僕らは在宅ケア領域の感染拡大と感染対応のサポートを行うために、市に情報開示できないかと求めたが風評被害があるといけないので公開はできないと断られた。これが分かれば市と一緒に対応ができるのだが、先ほど書いた通りそこまで手が回っていない。保健所は市以上に対応に追われ他の業務ができないほどだ。
日を追うごとに感染者が増え、死亡者数が増えている現状にもかかわらず、システマチックに組まれた作業からはみ出すことが許されない仕組みには違和感しかなかった。対応に追われていて仕方がないこと、市役所とは市民の分かりやすさや公平公正のためにシステムによって成り立っている所であること、誰が悪い訳ではないことも理解していたが、役割分担して動くことで誰かの命が救われるかもしれない状況で一緒に動けないのは苦しかった。だが、こればかりは仕方ない。
刻一刻と状況が変わっていく中、行政や職能団体がリーダーシップを取れていない現状のままだと事態は悪くなる一方だ。市内の在宅ケア領域の医療や介護の専門職や地域住民、市議会をある程度動かせる僕らが動かない理由はない。こういう有事の時のために、FLAT STANDやたまれでさまざまな立場の人との関わりを丁寧に重ね、いい感じの距離感でつながりをつくってきた。信頼を積み重ねてきたと言ってもよいと思う。また、有事の時に高い専門性で対応できるように、訪問看護や居宅介護支援では日々ケアの研鑽を行ってきたのだ。
「社会は変えられないかもしれないけど、地域の空気なら変えられる」と200人の聴衆の前で言い切った(#10参照)のは、このような有事の際に行政主導ではなく地域がリーダーシップをとって動けるようになるためだった。
府中コロナ会議の立ち上げ
僕が提案したイベントは1週間後の4月28日にオンラインで行うことになった。さまざまな在宅ケア領域の専門職や市民と現状の課題を共有し、僕らに何が出来るのかを議論し、何をするかの方針を決めるという内容にした。議論するだけのイベントなら僕らじゃなくてもできる。専門家が集まって批評するだけのイベントほど気持ち悪いものはない。だからこのイベントは実際に行動を起こし、振り返り、また行動することを繰り返すためのきっかけづくりにしたかった。
メインの登壇者は13人に絞った。府中の在宅ケア領域で医療や介護に従事している医師、看護師、薬剤師、ヘルパー、ケアマネージャー、理学療法士、地域包括支援センター職員、障害福祉サービス職員、通所介護職員、自治会役員、市民協働センターのスタッフ、市議会議員、地域住民だ。イベントまで1週間を切っているにもかかわらず、全員が快諾してくれたのは驚きだったが、それぞれが緊急性を感じていたということだろう。
SNSや市内の在宅ケア領域事業所が登録しているメーリングリストを使い参加者募集をしたところ、50人ほど集まってくれた。メインの登壇者13人に加え、オブザーバーとして参加をお願いした市内中規模病院勤務の医師、地域包括支援センター長、在宅歯科クリニック院長の16人で課題共有と議論を行い、参加者からは随時質問やコメントを受け付けるという形でイベントを実施した。ちょっと裏話をすると、実は市長もこのイベントに参加してくれていて、顔出しなしで名前も匿名にしてもらって良いので参加して欲しいと連絡したら快く参加してくれた。
イベントの目的は2つあって、1つは府中市内の感染拡大防止、もう1つは府中市の在宅医療介護を崩壊させないことだ。さらに目的に加えて僕から1つの問題提起をした。
「最悪のシナリオを考えてみたいと思う。みなさんが医療や介護のサービスで訪問している利用者の中に、毎日のサービス提供がないと生きることが難しかったり、暮らしていくことが難しかったりする利用者がいたとする。もし、その利用者が新型コロナウイルスに感染した場合、みなさんはサービスを続けますか、それとも止めますか」
登壇者や参加者が自分のこととして考えられる問いを投げた。「市の動きが遅い」「国の方針が行けない」「感染対策のための資源を配って欲しい」など、ただ課題を共有して批判するだけの会議は本当に意味がない。いまとなっては、僕が投げた問いはさほど深刻なことではない。2024年8月にこのような利用者がいた場合はどの事業所も感染対策を十分に行った上で介入するだろう。でも当時は違った。どのような対策が効果的なのかはっきりわかっていない新型コロナウイルス感染者にサービス提供することへの不安や恐怖はかなり大きかった。
イベントでは医療や介護の視点だけではない市民からの視点でも議論ができたと思う。それを参加者が聞いていてくれたことで、府中市における新型コロナウイルスの対策は医療や介護の専門家だけではく市民も一緒に考えていくという姿勢が示せたことはこのイベントの成果だったと言える。そして、イベントの最後に府中市内の感染拡大防止と在宅医療介護を崩壊させないことを目的として府中コロナ会議を週1回オンラインで会議を開催していくことが決定した。引き続き新型コロナウイルスに対する情報交換と課題の把握を行いながら、このイベントでやっていこうと決めた4つのことを実現させるためである。それは「府中市における新型コロナウイルスの対応ガイドの作成」「相談窓口の設置」「一般向けの感染予防リーフレットの作成」「横断的人材支援のための準備」であり、特に対応ガイド作成については早急に完成させる必要があった。
府中コロナ会議は2021年8月までは毎週開催していたが、各事業所で感染対策が行われるようになってくると隔週、隔月へと次第に開催頻度を変更し、2022年7月に解散した。掲げた4つについては全てやった。
「府中市における新型コロナウイルスの対応ガイドの作成」については、シンクハピネスの黒沢が在宅医療・介護の現場等で働く専門職の有志によるCOVID-19在宅医療・介護現場支援プロジェクトに参加していたため、府中市独自の対応ガイドも速やかに作成することができた。完成直後から府中市のホームページにも掲載してもらえることになり、現在でもアクセス可能である。「相談窓口の設置」に関してはシンクハピネスの事務所を窓口とし看護師やケアマネジャーが相談対応を行った。「一般向けの感染予防リーフレットの作成」については、途中から府中市の福祉保健部長や障害福祉課長などとも定期的に情報交換を行うようになり、リーフレット作成に理解を示してくれて、府中市の予算で作成できることになった。また、部長や課長など市の職員が途中行った事業所や市民向けの報告会にも登壇してくれて市の見解なども話をしてくれた。また、市議会でも一般質問として再三取り上げてくれるなど、市内でも府中コロナ会議という名前が知れ渡るようになっていた。
それぞれがかなりの時間をかけてくれたからこそ実現に至ったと思う。もちろんメンバーはみんな手弁当である。僕自身も毎回の会議の準備や議事録作成、報告を行いながら、ロビー活動にかなりの時間を使った2年間だった。FLAT STANDで行った感染予防のための資材集めと同じく、府中コロナ会議についても「医療」と「暮らし」の2つを軸に活動を続けてきたことで、在宅ケア領域の専門家だけではなく、市民も一緒にやれたんだと思う。
府中コロナ会議から2年が経ったいま、市との関係が変わったかというと変わらずだ。コロナ前と同じく必要があればお互い声をかける関係を続けている。この関係は悪いとは思っていなくて、このくらいの付かず離れずの関係でいる方が有事の際にスムーズな動きができるのではないかと思う。入り過ぎると自分たちの役割を見失うし、離れ過ぎても事態の把握ができない。行ったり来たりができる距離感が僕にはちょうど良い。
あの時の僕らの対応が正しかったかどうかはわからない。もしかしたら医療の正しさの押し付けになっていたかもしれない。1つ言えることは、あの動きは市内のどの在宅ケアに関わる事業所にも出せなかったと思う。医療や介護サービス事業所だけで動くなら、すでにネットワークやコミュニティがあるので誰でもできる。でも、あのスピード感で「地域住民と一緒に」動くことができる事業所は僕らくらいしかいないと言い切れる。FLAT STANDやたまれを通じて医療や福祉と地域住民との「弱いつながり」をつくってきたことが、あのような有事の時に目に見える形となって力を発揮するということがわかったコロナ禍だったと言える。
FLAT STANDやたまれでの「弱いつながり」はどのようにつくられていったのか。次回は0からスタートしたFLAT STANDのつながりの話をしようと思う。