かつて日々のくらしに欠かせなかった箒は、電気掃除機の普及とともに需要が低迷し、全国各地の産地は壊滅状態に陥った。ところが近年、電気に頼りすぎないライフスタイルを志向する人、地域の伝統文化や地場産業に価値を見出す人が徐々に増え、職人が手編みした昔ながらの箒への関心が高まりつつある。
なかでも、神奈川県北部の愛川町では、一度途絶えた旧中津村の箒づくりを生業として復活させる取り組みが進む。その立役者として活躍し、伝統を受け継ぎながら作家性の高い作品も手がける筆者は、美術的アプローチにより社会にコミットするという信条の持ち主。いま注目のつくり手が、仕事を通して目指す“ものづくり”と社会の姿とは――。
第23回 「暮らし」と「ふつう」②
plainでneutral
当初は、equalityを求めて古臭さに反発した雑貨ブームがあり、一方70年代には、松本などを始め、ヒッピームーブメントとも関連したクラフトも生まれてくる。しかし、権威を倒すことは結局、相手の存在あってこそ。有価値無価値などの判断基準も相手の土俵の話だ。そこでキッチュ・無価値なもので、自らの存在を証明しようとすることは相手の存在の強さを前提とする故に、強い肯定にもなってしまう。それに反発だけでは、その後のビジョンを描くこともできない。本当に体制を変えていくには中立になる必要があるのであって、それら反発の先にnormalが醸成されていったのではないかと僕は考えている。
昔ながらの伝統的な重さをまとわず、それに対抗する可愛さやカウンターのようなキッチュさもまとわない。ノーサイドで簡素、「plain」ともいえる「ふつう」を表した、無印良品も重要だろう。やはりそれも、ある反発を孕みながら展開されたものだった。
その目的と意図は、『MUJI』の中で株式会社良品計画代表取締役の金井政明氏(当時)の言葉の中にも端的に表れている。
無印良品は1980年代の日本に消費社会へのアンチテーゼとして生まれました。当時の日本は、好景気を背景に高価な海外ブランドが話題を集める一方で、低価格を理由に粗悪な商品が出回るという消費の二極化が生まれていました。無印良品は、そのような状況への批評を内側に含むものとして、生活者に役に立つ商品のあり方や、暮らしとモノのバランスを回復するべく、「無印」という立場に「良品」という価値観をつけて誕生した概念です。
『MUJI』 良品計画、2010年
外見がシンプルで、目立つロゴや装飾の排除された無印とはいえ、コンセプトの根底には、消費の形そのものへの反論が明らかに主張されている。
「わけあって、安い。」は、1980年12月、新聞の一面広告に無印良品が打ち出された時のキャッチコピーだ。大袋で安い。割れたもの、欠けたものが入っている商品など、現在と同じような商品もあるけれど、当時は、「理に適った、お得なもの」のような宣伝に見える。
アートディレクターの田中一光が「モノクロームのパッケージがあってもいいのではないか」という提案をしていたそうで、そのような「世界観をチームで共有したことが初期の迅速で強いアイデンティティ形成に役立った。日本のパッケージデザインは過剰になっていると田中一光は指摘」と、コピーライターの小池一子は述べている(『MUJI』良品計画、2010年)。
道具史や雑貨史だけに注目するならば、伝統的な暮らしやその様式に対抗するように、70年代に「キッチュ」や「チープ」、「ガジェット」的なものや、大量消費への反発を含むクラフトフェアなども始まる。しかし、結果的には右か左か、ではなく、ここではシンプルなビジュアルによって、極力付加されるイメージを排除し、道具としての機能や合理性を特化させたニュートラルな「ふつう」が、大きく打ち出されたように思える。これも主観でしかないのだけれど、「暮らし」ブーム以降の作り手は、過剰な装飾や自己主張、自由を謳歌した作品よりは、自然に寄り添う、トゲがなく柔らかな作風が中心となっていたのでは、という感触もある。解放や自己主張の先に、過度な自己主張への抑止も同時に働いていたのだと思う。
歴史ある文化の持つイメージと、その重たさから解放されようとする運動があるとしても、強い主張に寄れば、それらも結局強力なイメージとなってしまう。振り子の様に何度も時代を繰り返すのではなく、合理性を前面に出し、ビジュアルを極力シンプルにする「plain」としての「ふつう」を無印良品が打ち出した意味は大きく、今でも世界的に支持され続けている。
その作り方、打ち出し方は洗練されていて、結果的には誰がみても一目で分かるような個性的なブランドになってはいるけれど、付加されるイメージよりも合理性やデザインの意図を中心にし、それが軽やかで、多くの人に自然に受け入れられる。そういう点ではやはり「plain」なものだと思う。
「訳あり」の商品、ということ自体にも、大きなメッセージと、大量生産による規格化・均質化という「average」としての「ふつう」への抵抗があった。食べ物、飲み物、道具も人工物である以上、元来個体差があるし、均質にしようとすること自体無理がある。自然物には地域差もある。本来当然のことが忘れられ、野菜にも傷や虫食いがなく、同じサイズが普通、というような異常が「ふつう」(当たり前)の価値観として普及していた。そのことに対する提言も、多くの人に受け入れられたのだと思う。
また、それらを強化するかのように、2003年より無印良品1号店の場所に開店したFound Mujiは、風土に紐づいた地域発の仕事も積極的に紹介している。とはいえ、やはりプロダクトとハンドメイドには一つ一つの味わいや消費者への届き方など、越えられない壁はあるともいえる。
健全とnormal
無印良品はもともと、ものをつくるというよりは、「探す、見つけ出す」という姿勢で生活を見つめてきました。永く、すたれることなく活かされてきた日用品を、世界中から探し出し、それを生活や文化、習慣の変化に合わせて少しだけ改良し、適正な価格で再生してきました。
Found Muji ウェブサイト https://foundmuji.muji.com/
それは、民藝運動との共通点も指摘できる。扱う品そのもののこともあるけれど、地域に生きる手仕事を探しにいく、ということも民藝的な活動そのものだけれど、民藝の提唱者である柳宗悦の言葉に「無心の美」、「自然の美」、「健康の美」などがある。(また、無印良品のデザイナーでもある深澤直人は、2012年より日本民藝館の館長にも就任している。)柳宗悦は、工業化に対抗した、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動にも影響を受けていた。大量生産によるメタボリックな経済や歪みに対抗する無印良品と、柳宗悦の提唱した「健康の美」「尋常の美」など、自然として、人間として「normal」という、人類史や社会構造というような枠組みでの健全な「ふつう」に目が向けられているとも言えるのではないかと思う。
一方、2003年より、「デザインとブランドの橋渡し」をテーマにしたBEAMSのブランド「フェニカ」の展開も始まり、ファッションの流れの中で民藝の(何度目かの)再評価が始まる。少し先にはなるけれど、2010年代のノームコアファッション(Normal〈標準〉とHardcore〈ハードコア〉を組み合わせたファッション用語。無地のトップスやデニム、スニーカーなどのシンプルなアイテムの中で、カラーリングやシルエット、素材感などにこだわるスタイル)なども、過剰なファッションに対する反動としても見られるように思う。
この頃はもちろん、その後のクラフトブームなどでも、ユーザーは圧倒的に女性が多い。『ku:nel』(2003年)、『Lingkaran』(同)、『天然生活』(同)など「ライフスタイル」を紹介する、女性読者を中心とした雑誌の創刊があいつぎ、多くの作家や店舗を生み出す流れを作った。日本の美術や工芸は、男性社会によって積み重ねられてきたものが殆んどであるので、女性の声を中心に展開されてきた動向、というのは、とても興味深い。
僕たちも作りながらフェミニズムのことや、体制を変えてやろうとか敢えて表に出すことはないけれど、やはり新しい何かに触れている感覚や、風通しの良い場所に踏み出せる喜びのようなものは常に求めているし、それらに触れられることは大きな仕事の糧でもある。極めて親しみやすく柔らかな形をとりながらも、自由を求めたリセエンヌやヒッピー達を経由した「ふつう」は、巨大な資本や支配に抵抗する力を常に湛えてきたように思う。
ふつうの終わり
そんな中2016年、クウネルがリニューアルされた。内容は、違う雑誌になってしまったようで、唐突な終わり方は、従来のファンには、衝撃的に受け取られた。
旧「クウネル」の発行部数は2008年時点で約12万部だったが、2015年までに7万3000部と大きく減っている。『天然生活』を出版していた地球丸も、売上悪化により2019年に破産。雨後の竹の子の様に雑誌やウェブで、そして実際の販売の現場でも展開された「ふつう」ブームだったが、ブームとしては、一度終息したと言えるように思う。その後、追い打ちをかけるように新型コロナウイルスの流行で、屋外の大イベントや、実店舗の動きも一気に冷や水を浴びせられた。
ブーム終焉の理由の1つとして、それらを牽引してきた雑誌売上の低迷、そして、その内実よりも「ふつう」という単語自体が流行し、キャッチコピーとして使われ、プラスチックワード化していく中で、ムーブメントや意思というよりは、記号として消費されてしまった面もあるだろう。(少なくとも当事者としてはそう感じていた。)雑誌の売上が低迷する反面、SNSは拡大し続け、世間では「分断」が多く叫ばれるようにもなる。テレビ、雑誌、メディアの影響力が相対的には弱くなったことや、それらを代替えするようにネット上のメディアや言論が無数に生まれ、average や normal といったような基準も、かなり取りづらいのが現状だ。それは、いまの世界での分断や対立が深まっている表れかも知れない。
けれど、あらゆる人が一つの統一された価値観を持っている時代など存在したことなどあっただろうか。結局、誰もが共有できるユニバーサルな「ふつう」なんて、幻想だったのかもしれないとも思う。
論理的に言えば、あるコミュニティで特徴的に共有される意識が、外部と比較された時に初めてそのコミュニティのなかでの「ふつう」が顕在化される。(例えば、ある街では、朝食に卵焼きばかり食べる、麺といえば蕎麦を食べる、など。)逆説的になってしまうけれど、一般化した独自の文化こそが「ふつう」になる訳であって、単体で意識化されるものではない。何かのしがらみから解放され、コミュニティの特異性に還り一体化した中で身体を満たしているものが「ふつう」なのだろうとも思う。
「ふつう」からアノニマスへ
ある特定の意識や行動が歴史及び文化と一体化する時、それは無名性とも呼ばれる。
インダストリアル・デザイナーの柳宗理により広まった「アノニマス・デザイン」は、直接的には「作者不明の」「匿名の」といった意味だ。ただのフラットなデザイン、と勘違いされがちなアノニマスに対して『わかりやすい民藝』(高木崇雄、D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年)の中では
一人の人間が生み出した、特徴ある形だったとしても、それがたくさんつくられ、一つの社会で使われていく中で、ごくあたりまえのモノとして受け止められていく。変わった形だなあと思いながらも、作った人の名前なんか誰も気にしなくなるし、うっかりするとその形に影響されてしまう人も生まれるぐらい大きな仕事になる。それこそが「アノニマス」ですね
高木崇雄『わかりやすい民藝』D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年
と、定義されている。
外国ではポピュラーな道具やデザインがすごくおしゃれに見えたり、おもしろいように見えるのは、これら地域ごとに育ってきた「アノニマス」の力であるとも思う。また、歴史のあるものには大抵、起源とそれが生まれるまでの必然的な経緯、そして自然淘汰の中で生き残ってきた合理性が備わっている。
『ふつう』(深澤直人、同上)の中では
ものの中に潜む「ふつう」という魅力の原理を解き明かすうちに、ふとスピッツの曲がこれにずれなく重なると思えたのです。詞と旋律と声の完璧な調和が名曲の原理であることは明白です。その旋律の進行が本当に「ふつう」だなと思えるのです。
深澤直人「ふつうの曲」『ふつう』D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年
「ふつう」という概念には地域とか文化が関わっていることはいうまでもない。世界がグローバル化する中で均質になっていくつまらなさを、皆感じ始めている気がする。その地域独自のピュアさを、そこを訪れる人は必ず期待するように思う。これからは、ローカリズムが再び見直されるように思う。
深澤直人「ふつうの犬」『ふつう』D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年
など、歴史の中に溶け込んでいく合理性や調和、洗練などを「ふつう」のくくりの中で語っている。ある程度の共同体でのみ得られる共通見解としての「ふつう」には、歴史や文化の中で洗練された、より大きな意味が含まれている。
グローバルとローカルの相克
ただ、無名性のような考え方も、ぽっと出てきたわけではなくて、やはりある種の反動、前景となるものがある。プロダクトと流通の発達、情報・文化の均質化の流れへの反動は、連綿と続いてきた。
明治期には、欧米を理想とした国策として、美術・工芸という言葉を作り出し、文化を世界的な標準へアップデートしようとした動きがあり、目線は世界へと向かっていくが、1910〜20年代には、地域を再評価する様な動きとして柳田國男『遠野物語』の出版、渋沢敬三の「アチック・ミューゼアム」、柳宗悦らによる「日本民藝美術館設立趣意書」などが立て続けに起こる。
1960年代以降には、敗戦からの復興や経済成長があり、生活様式の欧米化が飛躍的に進む中、手仕事を重んじる「クラフト・センター・ジャパン」設立、70年代に雑誌『銀花』創刊、80年代に「クラフトフェアまつもと」開始など、グローバル化と均質化に対抗する動きは常にどこかで起こっていた。2010年代以降の「ふつう」ブーム、個人史へのまなざしは、(意識するしないは別として)インターネットの浸透や流通のシステムの高度化の中でのグローバルなフラット化への反動、という側面もあるんじゃないだろうか。
ただ、地域的な枠組みに調和や整合性を求める「ふつう」の特徴は、明治期、戦前、戦後と違い、欧米への劣等感や、体制へのカウンターなど、ネガティブな感情が殆んど含まれていないように思える。イメージの固定化された振り子は、必ず返ってくることで揺り戻しがあるけれど、ニュートラルで、地理的・歴史的に無理のない、普遍的な視点や価値観を得られるのであれば、それは時代や流行に踊らされることの無い、芯のある価値観になるのではないか。
グローバル化と経済発展は大いに必要だけれど、手の中のものを容易に取り替えることの出来ない作り手としては、ブームというのはありがたいながらも付き合いづらいものでもある。できる限り揺るぎない、変わらない価値のあるものを作り、そのような場所に立脚するべきであり、そうするしかない。そして、確かな手触りを頼りに進みながら足元にある「ふつう」を確かめ、その少し先の景色をのぞいてみたいと思って、日々仕事をしている。抵抗ではなく、流行でもなく、ものや人や場を掘り下げた調和点にある「ふつう」を提案できた時、それこそが歴史や暮らしに残り続ける道具になるはずだ。
参考文献
菊田琢也「消費社会と雑貨 : 1980年代、雑誌『オリーブ』の分析を通して」『文化学園大学紀要』文化学園大学、2014年
酒井順子『オリーブの罠』講談社、2014年
三品輝起『すべての雑貨』夏葉社、2017年
瀧清子『雑貨のすべて』主婦の友社、1993年
『MUJI』株式会社良品計画、2010年
生活工芸プロジェクト『繋ぐ力』生活工芸プロジェクト、2012年
高木崇雄『わかりやすい民藝』D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年
深澤直人『ふつう』D&D DEPARTMENT PROJECT、2020年