商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第7回 歴史ある勝浦朝市に吹く新しい風 生活朝市を紡ぐ元鉄道マン会長と若手店主たち
猛暑日がない勝浦市
東京駅からJR京葉線・外房線特急「わかしお」で90分、高速バスで約2時間の勝浦市は古くから観光と漁業の町として栄えてきた。房総半島の南東部に位置し、夏は涼しく冬は暖かい。この地で気象観測がはじまったおよそ100年前から一度も猛暑日(35度以上)を記録したことがなく、年間を通して過ごしやすい気候でも知られている。勝浦沿岸の海底は深く水温が低い。海からの風が冷たい海水で冷やされ陸地に届くために、夏でも涼しいのだ。
勝浦漁港は関東有数の生鮮カツオの水揚げ量で知られるが、冬の金目鯛に春が旬のわかめなど鮮度自慢の海産物に出会える。獲れたてアジの「なめろう」や、漁師飯の「まご茶漬け」など地元で味わう郷土料理も格別で、昔から海水浴客や観光客に愛されてきた。
古くて新しい勝浦朝市
観光の目玉は、430年の歴史があり日本三大朝市の一つとされる勝浦朝市だ。
勝浦朝市はJR勝浦駅から徒歩約10分にある勝浦港近く、毎月1日~15日は遠見岬神社前の「下本町朝市通り」、16日~月末は高照寺前の「仲本町朝市通り」で開催されている。定休日は毎週水曜日と元日で年間約300日にわたり営まれ、土曜日や休日には多くの店が軒を連ねる。丸ごと一匹のカツオや金目鯛、アジの干物、わかめといった海産物に加えて、農産物や果物など、長い間地元の「生活朝市」として親しまれてきた。過ごしやすい気候と、自然あふれる環境を元に、観光地域づくり法人(DMO)を中心に海をはじめとした勝浦市の自然や食との魅力の発信も行い、若い観光客も訪れはじめている。
しかし勝浦市の人口は1958(昭和33)年をピークに減少を続け高齢化が進み、それに伴うように朝市もかつては200軒以上あった出店が、2000年代には120軒、現在は80軒ほどに減っていった。
朝市を運営しているのは、「勝浦市朝市の会」(以下、朝市の会)だ。朝市に参加している店が集まる。実店舗を構える店は「勝浦中央商店会」に所属する。商売のスタイルで重なり合う店もあれば、どちらか一方に参加する場合もある。人口減少に伴い、勝浦市が積極的に移住定住を進めていることから、移住者が起業して、朝市に店を出しはじめるケースも出てきた。
5~6年前に江澤修さん(75歳)が朝市の会の会長就任を打診された時、「新たな出店者を呼び込む活動をするなら受けますよ」と難題を引き受けた。「朝市はそのままにしておけばどんどん老化してしまう」。歴史も伝統もある朝市だが、若い人や新しい出店者を呼び込まなければ老いていくだけだ。かつては、業種ごとに店の数を絞って競合しにくいスタイルで運営してきたが、「朝市に出たい店はどんどん入ってもらいたい」と若い出店者を受け入れた。
新たな出店者を朝市に呼び込もうと、2019年から毎月第二・第四日曜日に「Katsuura あさいち share マルシェ」を開催した。「食べ歩きとかさ、みんなが喜ぶことをしなくちゃね」と江澤会長が思い描いたイメージ通り、マルシェには180店が集まった。そのうち20店が朝市にも参加するようになった。朝市に新しい出店者を呼び込む目的を果たし、今年の6月にマルシェはその役割を終えた。
若い世代が出店し始めた朝市には、鮮魚や干物、農産物に加えて、ハンドメイド雑貨やスイーツ、養蜂家のつくるはちみつ、ドリップコーヒーなど個性あふれる店が並ぶ。土曜日の朝に訪れた朝市では、軽妙な語り口と味わいでお客を集めるわらび餅店や、透き通る鰹だしが効いたラーメンの屋台には行列ができていた。1杯500円のラーメンは、国産小麦100%を使用した全粒粉の麺と、出汁に鰹・鯖・煮干し・昆布を使ったしょうゆベースの無添加スープが味わえる。体にやさしい素材は、さっぱりと口当たりもやさしい。
地元客や観光客が入り混じり、散歩しながらゆったり会話を楽しんで買い物ができるのも朝市の魅力と江澤会長。「若い人はね、コミュニケーションを求めているんだよ」と語る。江澤会長も朝市にたい焼きの屋台を出している。勝浦名物「担々麺」の具を思わせるピリ辛の「タンタンたい焼き」だ。朝市では「話をしたら買わなきゃいけない気がする」と遠慮がちなお客さんにも、「いいから、試食だから食べてってよ!」と気さくに声をかける。にこやかな江澤会長のたい焼き屋台には、地元客もぶらりと立ち寄り話をする。「お客さんとお話しできる雰囲気がいいんだよ」と客足が少ない平日を選んで出る店もあるそうだ。
「朝市の会」会長は元鉄道マン
江澤会長は、新卒で国鉄(現・JR東日本)に就職した元鉄道マンだ。SLで千葉県内を走ったこともある。55歳で早い定年を迎えた頃、大多喜町(千葉県夷隅郡)に本社がある「いすみ鉄道」に運転士として誘われた。廃線予定だった国鉄木原線は1988(昭和63)年にいすみ鉄道として第三セクターで営業を開始したが、赤字経営に苦しんでいた。「つぶれそうだから手伝って」と請われ10年間働いた。運転士をしながら、未経験の社会人に向けた公募で入社した新人運転士の育成や、沿線に菜の花を植え観光客が喜んでくれる仕掛けにも加わった。いすみ鉄道は様々な再建策を試みて、鉄道ファンに愛されるローカル線になった。いすみ鉄道として開業して以来、2021年3月末には乗車人員2000万人を突破し、いまも存続し続けている。
江澤会長は運転士をしながら、家業の民宿を経営し「一般社団法人勝浦市観光協会」の役員もしていた。そのつながりで「何とかしてくれ」と言われ、朝市の会に入った。その後会長になるまでは、焼き芋を売ったりかき氷屋をやったりと、これまたいろんなことをした。
「あまり派手なことをしないからこそ、朝市は430年続いている」と江澤会長。春祭りの直会(なおらい)で、「朝市をつぶさないで下さい」と言われる。つぶさないでというならばお金でも出してくれればいいけれど……と江澤会長は笑う。モノをたくさん売るなら大型店舗にはかなわないが、地元の新鮮なモノを提供するなら朝市が一番だ。長続きしていけたらいいと思っている。
続ける苦労とコミュニケーション
歴史がある朝市だが、続けていく苦労も多い。
資金面で言えば、開催場所の勝浦区(自治会)には出店料の一部を環境整備費として納めている。県には道路使用許可を取り使用料を支払う。いまは出店場所として暗渠も利用しているので、市にも使用料を支払っている。出店者が朝市の会に払うお金は、巡り巡って地域にも還元されているが、そのことは市民にあまり知られていないのかもしれない。
朝市の音の問題もある。朝市のある通りは、昔と違って仕舞屋(しもたや)が増え、住宅として使われている家も増えた。朝市で朝早くから人が出て音がすると、「寝ているところで音がするのはたまらない」と不満の声が挙がる。暮らし方が変われば、新しい課題が生まれる。いままでは慣例ということで進めてきたが、続ける難しさを感じる要因の一つだ。そこで朝市は36年前から半月ごとに場所を変えて二か所で交互に開催することにしている。
江澤会長は、朝市の出店者に「お店の前に朝市で出させてもらっているのだから、場所を提供してくれている店と良いコミュニケーション取ってほしい」と伝えている。自分たちは金儲けをさせてもらっているのだから、野菜を売っているなら「少しだけど良かったら食べてください」とお裾分けするとか、そういう気づかいが大事ですよ、と。長く続けてこられたということは、出店者と地域住民がうまくコミュニケーションをとってきたということだ。そうでなければ「朝市なんかいらない」ということになりかねない。
江澤会長のように日々細かく気を配りながら地元と出店者をつなぐパイプ役が、ほのぼのとおだやかな空気を感じる朝市の日常をつくっている。
人のいないところで人が集まる場を作りたい
朝市の会には広報部会がある。若い店主が加わり朝市の情報や風景をInstagramでこまめに発信、2022年6月からフリーペーパー「あさナム」を発行している。「あさナム」は「朝市を通して日常を営む」を意味する造語だ。創刊号には「朝市という空間は『仕事(Work)楽しみ(Happy)生活(Life)』がキレイに混ざり合っており、お互いのスタイルを受け入れて共存している。また、人と人との関係性の境の無さ、おおらかさもまた古き良き豊かなコミュニケーションが息づいているということ」と朝市の魅力が端的に表現されている。店主の似顔絵が手描きされたあさナムを読めば、初めて訪れた客にも朝市を営む店主の人となりが不思議と良く分かる。紙面からは、ほのぼのとした人とつながりがにじみ出て、朝市のやさしい日常が伝わる。
広報部長を務めるのは、自転車の屋台で煎れるコーヒー専門店「SPAiCE COFFEE(スパイス・コーヒー)」の紺野雄平さん(31歳)だ。店名の「SPAiCE COFFEE」には、スペース(場)と刺激という意味が込められている。
勝浦にある大学に通っていた紺野さんは、4年生の時に就職活動をしたが「まだ22年しか生きていない中で、やりたいことを決めるのはピンとこない」と感じた。大学で体育を学んだから体育関連でできる仕事を探すのが一般的だとは思うが、世界にはいろいろな仕事がある。「就職するのは暮らしの安定のため」と友達は言ったが、紺野さんには就職が安定につながるとは思えなかった。不安定な中で生きてこそ、逆に人生が安定するのではないか? そこでもらった内定を辞退することにした。
自分で新たに何かをはじめようと考えた時、お金はないが時間だけは山ほどあった。独学でコーヒーについて学び、大学を卒業した翌月には市内の空きスペースに自作した屋台で出店しコーヒーを売り始めた。何かを始める時はまずどこかで修行をするのが一般的、それが普通で当たり前と言われているが、紺野さんには普通や常識をいったん疑う姿勢があった。人の少ない勝浦で自転車のコーヒー店をやっていても全然目立たない。マーケティング的な話で言えば、都内のように人が集まる場所で自転車のコーヒー店を始めるのはいい視点かもしれない。開店当初、「この辺りは人がいないからやっても意味ないよ」と何人もの人に言われた。
人がいる場所に人が集まる場所をつくることに興味はない。人がいない場所に人が集まる場を作りたい。常識や普通を覆したいと紺野さんは思った。
自転車コーヒー店、朝市と出会う
開業当時は、「ここでやったら」と声をかけられた場所に出向いてコーヒーを売った。最初は1日1杯のコーヒーが売れればいい方だった。半年がたったころ、たまたま勧められて店を出した場所が朝市の前だった。朝市に出店しようと思い立ったわけではない。むしろ「朝市に出ているつもりはない。だから出店料は払わない」と思っていたそうだ。営業を続けるとさすがに出店料を払わないと気まずく、出店料を払うことに。それが朝市の会との出会いで、9年前自転車コーヒー店をはじめて半年がたった夏のことだ。
その頃は、昔の朝市の雰囲気が色濃かった。出店者も高齢者が多く、朝市の中でも「俺たちもうだめだよね」という声が多かったと紺野さんは振り返る。出店数はいまより多かったが、みんなが下を向いている雰囲気だった。
そんな雰囲気が変わり始めたのは、コロナ禍の影響が大きかったのかも知れない。
コロナ禍では、誰かが時間をかけてコミュニケーションをとる役割をしていた。新しく朝市に参加する人と昔からの出店者が信頼関係を築くには時間がかかる。新たに朝市に飛び込んでも一人信頼関係を築ける人ができ、朝市の店とつながるパイプ役に出会えたら、つながりが広がるのは早い気がした。コロナ禍があって、ずっと朝市に参加されていた方々のエネルギーが弱まったようにも感じた。「これはヤバい」と感じたが、逆にチャンスかも知れないとも思った。
「勝手もん」の「情」
朝市に参加し始めた頃、朝市のおばちゃんたちが紺野さんに朝ご飯を作ってくれるようになった。まだ若かった紺野さんは、いただいたことがうれしくて「ありがとう」と言って受け取り続けた。すると、「もらうだけで何も返さない」と言われることがたびたびあった。そう言い続けながら、おばちゃんたちは朝市のたびに紺野さんに朝ご飯を作ってくれた。それが日常になると、これが愛なのか?と思ったそうだ。すると、自分はおばちゃんたちに何ができるのかな?と考えるようになった。何よりこの人情はなくしたくないと思った。
いただいて「ありがとう」と言うのは礼儀だ。その上で「返す」という行為は、「うれしい。ありがとう」という感謝の気持ちを形にするために、何かを返す。紺野さんはこのことを、時間をかけて理解した。
勝浦には「勝手もん」という方言がある。「勝手もんばっかり」だと言うくらい、いろんな人たちがいる。「自分は間違っているかもしれないけれど」と言いつつ、人に押し付ける。いただいたものをお返しするにも、自分の価値観に一本筋が通っている。これは「粋」という感覚に近いのかもしれない。
リアル店舗「SPAiCE COFFEE HOUSE」の開店
2022年に紺野さんはコーヒー屋台を通じて出会った仲間5人でリアル店舗「SPAiCE COFFEE HOUSE」を開店した。5人が「お店があった方がいいね」と思ったタイミングが合い、「じゃあ作るか」と店を構えた。コーヒーの焙煎をする仲間、キッチンカーでコーヒーを売る仲間、自転車でコーヒーを売る紺野さん。店舗ではエスプレッソ主体のドリンクを提供し、自転車の屋台では1杯ずつ入れるドリップコーヒーの提供をしている。人が集まる場所で人が集まる場所をつくるよりも、人がいなくなっている場所で人が集まる場所をつくりたい……リアル店舗にもその想いは通じている。
店を持ったことで、紺野さんは商店会にも関わり始めた。もちろん、朝市は必ず続けたいと思っている。だから朝市の役員にもなった。
若い子たちと街をつなぐパイプ役に
これからは、勝浦で生まれ育った次の世代を育てたいと紺野さんは思っている。育てたいというとおこがましいが、紺野さんが若い世代と街をつなぐ「パイプ役」になることには意味があると考える。
もともとこの街で生まれ育った人間ではない紺野さんには、商店会を変えるというつもりはない。商店会がどうなるというよりも、ここにいる人たちに興味がある。「勝浦、最近おもしろそうだ」と戻ってきた地元の子たちに出会うと、「それなら一緒に何ができるかな?」と考える。「商店街や朝市で手伝わない?」と声をかけると、一緒に動いてくれるくれる仲間が増えた。これがきっかけで「この街いいな」と思ってもらえたらいいと思っている。
商店会も朝市も組織だが、組織をつくり維持することに注力してもあまり意味がないのではないかとも紺野さんは考える。組織は人がつくるもので、それぞれがそれぞれに「やりたいことをやる」精神(マインド)を持つ人が集まれば、良い組織や良い活動が自然と生まれるはずだ。そこから自分でもここで何かをやってみようという人が生まれたら、紺野さんはうれしい。次の世代へのパイプ役になって、街をどう思いどんな楽しい場所にしていけるか? 次の世代に手渡す役割を果たしたいと思っている。
生活朝市という文化と空間を、多くの人の営みに
「港町の勝浦は昔から情に厚いんだ」と江澤会長は語る。紺野さんは、コーヒーを売りながら朝市の人たちから教えてもらった情緒や優しさを伝えていきたいと思い、朝6時から朝市に立つ。
地元客に加えて、新たに移住してきた若い世代や旅行客が訪れる朝市には、新しさと古さが違和感なく調和し穏やかで居心地がいい。それは人と人の心をつなぎ続く営みが、この街で長い長い時間をかけて育まれてきたからだろうと私は思う。情に厚く、新しい人や試みを受け入れながら、自分の流儀も貫く……勝浦朝市の精神は、しなやかで強い。
豊かな自然の恵みと時間とゆとりがある場所で、新旧が時間をかけて入り交じり、ゆっくり出会って新しい何かが生まれている勝浦朝市。お金でも仕組みでも制度でもない、コミュニケーションを大切にしながら異世代がきちんと向き合える確かさが、世代交代やコロナ禍の変化を乗り越えて、朝市にまた新しい人たちを呼び寄せている。