かつて日々のくらしに欠かせなかった箒は、電気掃除機の普及とともに需要が低迷し、全国各地の産地は壊滅状態に陥った。ところが近年、電気に頼りすぎないライフスタイルを志向する人、地域の伝統文化や地場産業に価値を見出す人が徐々に増え、職人が手編みした昔ながらの箒への関心が高まりつつある。
なかでも、神奈川県北部の愛川町では、一度途絶えた旧中津村の箒づくりを生業として復活させる取り組みが進む。その立役者として活躍し、伝統を受け継ぎながら作家性の高い作品も手がける筆者は、美術的アプローチにより社会にコミットするという信条の持ち主。いま注目のつくり手が、仕事を通して目指す“ものづくり”と社会の姿とは――。

第20回 真に合理的な暮らし②:自然な暮らし実践録

 前回、札幌にできた「がたんごとん」が、自宅ごと小樽に転居した話と経緯について書いた。何故北海道へ?という質問と同様に、何故小樽へ?ということもよく聞かれるけれど、思い切った何かというよりは妻の「森が近くにあるところに住みたい」という素朴な希望がほとんどだと思う。

 札幌の暮らしは、東京よりは土地の繋がりが強くて、郷土の文化もあり、食べ物も豊かな暮らしだったけれど、住むにつれ、結局は都会だと気づき「あまり東京と変わらないね」というような話をするようになってきた。暮らしや生き方を提案する立場であるから、自分自身、可能な限り納得する形で暮らしていかねばならない。そんなことから、札幌からほどよく近く、歴史もあり、山や海もあり豊かな、ちょうどいいと思える土地が小樽だった。特に、少し街を離れるだけで、雄大な自然が溢れているのが北海道だ。今回は、色んな所で見聞き、かじって、実践してみた、自然に近い暮らしについて書いていきたい。

移り住むことを決めた小樽の家の庭。手入れを始めたばかりの頃

それとなく手を入れ始めた中での発見

 僕は普段から行動を決めるときのほとんどが理詰めで、大きな希望に心を動かされて何かをする、というタイプではない気がする。もっと言えば、行動を任せられるほどに感情が強くないというか、感性が弱いとすら感じている。だから実は、自然が好きでしょうがないとか、美しい景色に触れたいということも殆んど思ったことがなかったもので、植物に関して、かなり乏しい経験と知識しかなかった。(それはそれで、北海道の田舎へ移住する人の中ではかなり珍しいかもしれない。)

 花を育てて愛でようなんていう気は毛頭なかったのだけれど、やはり東京に育って、生きるために必要な殆んどのものを外の地域から寄せ集めている生活をしていると、徐々に申し訳なさというか漠然とした不安のようなものが積もってくるもので、三鷹に住んでいる時に少し家庭菜園をやったりだとか、神奈川で放置された渋柿の木があるというので大量にもらってきては干したりなど、モトが取れるならちょっとやってみよう、という程度の関心を寄せているのが、畑仕事やその周りのことだった。

 経済的にモトの取れる農業をするためには、土地は勿論、大規模な重機や設備、多くの化学肥料や、時には農薬が必要なものだと考えていて、工場や機械の力を大規模に活用することで、ここまでの人口を増やし、維持してきた社会が現代といえるのだとは思う。産業革命と動力、資本主義経済なくして、ここまで土地は拓かれなかっただろうし、人を増やすことは難しかっただろう。

 対して、大規模な農業とは別の道を行く有機農業や自然農法といわれるものには、こういった仕事をしていると触れる機会は少なくなかったのだけれど、本当にそんなことが成り立つの? 暮らしていけるの? というのが正直なところだった。(実際、農家をやっている人から、あんなの出来るわけない、と言われたりもした。)しかし、小樽に越してきてからというもの、無肥料、無農薬でやっています! という農家の方にあまりに出会うので驚いている。土地を自然の力で肥沃にして、無理をかけなければ充分に栽培できる、という話を何人もから聞き、彼らはそれを生業にしている。

 都市部で災害があるたびに、物流やエネルギーを大規模に集約させることや、遠方から商品やエネルギーを集めるインフラへの不安は語られ続けてきた。暮らしの形を見直そう、という考えから箒など、自然素材の工芸品にも多く光が当たってきたものだから、食に関しても、できるならばオフグリットや自然に負荷をかけない在り方を取り入れてみたい。小樽に越してから、庭に余裕があるので、自然農法を試してみようという気になった。一部の都市部を除いて、基本的には遊休地がたくさんあることも、北海道の大きな魅力であるように思うので、それを活かさない手はないとも思った。

 しかし当然のことながら畑仕事は、まず開墾(というには、あまりに生ぬるい。前の住人がガーデニングなどをやっていたせいか、チューリップや水仙などが咲く庭は、岩場と赤土で固められた荒野を拓くというほどではない)から始めることになる。庭の半分ほどは背丈近いクマザサが繁っていて、そもそもここを拓いていかなければ、畑どころではなく、家が笹に包囲されてしまう。竹害、という話はよく聞くし、真竹は1日1m伸びることもあると聞く。素人で駆除できるのだろうか? とも思いつつ、半信半疑で草刈り機を回す。(しかも、せっかくならば環境に配慮して……というところで、ガソリンを使うエンジンよりパワーの弱いとされる電動式を購入してしまった。)

 ところが、工具としては信頼性の高いマキタ製の草刈り機に、笹用の刃を付ければ、思うよりサクサクと切れる。毎朝、始業前を作業に充てていたのだけれど、コツコツやれば、狭い庭くらいは充分に刈ることができた。またすぐ生えてくるんだろうか……とビクビクもしていたのだけれど、向こうも生き物なので、押せば意外と嫌がって引っ込む。次の年にも、小さな芽が出始めるけれど、場合によっては軍手で抜けるくらいに新芽は柔らかいので、どうにかなりそうで安心した。

手入れを始めた頃(左)と翌年(右)の様子。クマザサがだいぶ減った
チューリップやスイセンは野生化し、花もよく咲いている

 また興味深いのは、笹を刈ったその年にすぐ、他の植物が繁ってくることだった。カキドオシ(ちなみに、シソ科で天ぷらなどで食べられる)など、虎視眈々と、笹の下で控えていた植物が一気に広がるのだ。それを知ってから、草刈り機は、根っこごと掘り返して粉砕してしまうワイヤーよりは、クローバーやカキドオシなど、グラウンドカバーになりそうな植物を残せるように、チップソーで背の高い植物だけを刈るようにした。生えている草を全面的に駆除するのではなく、笹や不要な草、つまりは背の高い草やトゲのあるもの、地下茎の強い植物や外来種などに退いてもらって、仲良くしたい植物に植生をスライドさせていくイメージだ。

 場所にもよるだろうけれど、うちのエリアは、内地に比べると雑草の丈も低く、蚊も少ない(なんと、夏に半袖で草刈りができる!)ので、それだけでかなり快適な環境に変えることができた。庭も、里山や動物も、人間にとって不要なものを全て駆逐してしまうのではなく、都合のよい環境・生態系にスライドして、ほどよく恵みを戴くことが、持続可能な暮らし方であることを実感した。梅や桜、クルミなどは住み始めた頃から大きく、1年目から恵みに預かることができた。庭には、トカゲやエゾリスも来れば、クワガタもいる。エゾムラサキ、エゾエンゴサク、イヌノフグリ、ミズヒキソウ、四季折々に花が咲き、循環していく庭は、除草剤で生命の息絶えた土や、アスファルトで固められた光景では得がたい豊かさと、安心感がある。数値で測ることは難しいけれど、土地全体の、菌や生態系が豊かになる、という話は、本当なのだと感じた。

 手強いのは、一見、都合がいいように見える、砂利を敷き詰めてしまった家屋の周りだった。草が生えづらい分、地下茎の植物、根の深い雑草ばかりが蔓延(はびこ)り、駆除しづらい。(うちに多いのは、イタドリやブタクサなどだった。)地下の根で増えるので、草だけ刈っても枯れることはないし、砂利で土が少ないので、他の草が生えづらく、植生が変化しづらい。また、クワやツルハシも入りづらいので掘り返すことも難しい。現状、コツコツ雑草を抜いていって観賞用の多肉植物でグラウンドカバーをしていったり、部分的に掘り下げて植樹しようとしているけれど、少し時間がかかりそうだ。自然には、復元が簡単で自然に近い手の入れ方から、復元が難しい手の入れ方があることも、小さいケースで体感できた。地球が、取り返しのつかないことにならないよう、暮らしていけたらと思う。

循環可能な畑と自然

 すっかり雑草の話になってしまったけれど、そうして次は野菜づくりの準備に取りかかる。僕自身、普段から自然栽培や有機野菜ばかり食べている訳でもないのだけれど、ずっと憧れるものではあった。対して、長い人類の歴史の上で、やっと出来上がったのが慣行栽培であるけれど、たくさんの動力や化学肥料を使わないと野菜は栽培できないのだとしたら、自然物としては不自然だとも感じていた。現在食べている多くの野菜が大陸から輸入されたものだという話も聞くし、自然にあるような形で育ち、採種し、食べられる菜園が作れないものかと考えた。そんな時、思い返したのが、不耕起の自然栽培というものだった。

 不耕起、とは、土を掘り返さない農法のことである。雑草は刈るだけで、そこに置いておく。栽培法自体は僕が学生のころから聞いたことがあったけれど、近年では本なども多く出版されて、着々と実践者も増えているようだ。雑草は抜かずに刈り置くことで、雑草の根をそのまま土中に残せる。そして掘り返さないことで土中の菌や生態系を壊さず、葉の刈られた根が枯れて、土中の肥料となり、空洞も作り土を肥沃にするという理屈だ。さらに、刈り置いた草を作物の周りに敷くことでビニールマルチングの代わりとなり、保温や保湿、雑草抑制の効果がある。草や根が年々堆肥化していくので、育てるごとに土がどんどん肥沃になるという話で、肥料も、新しい畑以外には殆んど与えない……などの方法が多く取られている。

 江戸時代でも人肥を集めていた話は有名だし、雑草を抜いていたという記述もあるので、かつても、ここまで徹底して自然な形では行われていなかったかもしれない。けれど、全ての作物に肥料を与え、雑草を徹底的に駆除しなければ充分に収穫できない、と言ってしまうのも極端な話だろう。とはいえ、実は、うちでも少し肥料は作っている。水道代が不毛に思ったことや、人肥が持つ栄養素がどんどん処理場に集められることで、国土全体が痩せていくという話も聞き、簡単なコンポストトイレも設置して、育苗などの土に活用している。災害時にも、トイレに悩まされることはなくなる。

※人肥と環境については糞土師、伊沢正名さんの『葉っぱのぐそをはじめよう』(山と渓谷社、2017年)などを参照。

 より極端に考えれば、肥料を土に与えないと、どんどん土が痩せていき不毛の地になるならば、野生の植物は絶滅することになる。けれど、そんなことになっていない。つまり、多様な「雑草」と名付けられている植物やその種、根、集まる虫やその死骸などが土壌をある程度肥沃にし、互いに支え合って循環しているのが畑以外の自然界なのだろうと考えた。ではなぜ、我々が食べる野菜は、雑草のように勝手に増えないのかといえば、所謂雑草と同じ土俵で戦うと極端に収量が落ちる、または負けてしまうことが多いのだろうと思う。品目によっては、野生に戻れない家畜のように、競争能力が低い、または栄養価が高すぎて、動物や虫に取られるので人の手が必要なものがあるかもしれない。

 かつて不毛の土地ともされていた北海道で、全国2位になるまでに米の生産高を上げられたのは品種改良や、生産効率向上の努力の結果であることは間違いない。そうやって、多くの土地で、通常では育てられないような作物を育て、誰もが飢えないように生産高を増やし、安定供給してきたのが、現代の農業だと分かるし、それは輝かしい歴史だ。その歴史が築き上げたシステムなくしては、現状では殆んどの日本人は暮らしていくことができなくなるだろう。僕達は、石油による動力や、そこに付随して発生する二酸化炭素、化学肥料から即座に全員で抜け出すことは現状としては不可能だ。

 ただ、そこに幾らかでも問題があるとしたら、家庭菜園くらいは、そうではない方法を試してみてもいいのではないか。徹底した人から見ればきれいごとかもしれないけれど、消費する野菜の何分の一かでも、土地を化学的なプロセスを用いず肥沃にし、循環することができればいいのではないかと思って、コツコツと勉強して、実践している。

無農薬無肥料、不耕起栽培の2年目。トウモロコシ(上)やトマト(下)などを栽培している

少しずつ、土地にかなった実りを戴く

 まずはできるだけ野生に近く、気候に無理がないもの、つまりは、北海道や周囲の地域でよく穫れる作物を選んで植えてみた。1年目なので、酷い赤土の場所もあれば、野生化してしまった園芸種の花が咲いている場所もある。とにもかくにも実験なので、色々と植えてみた。トマトや豆類など、1年目からバンバン穫れるものもあったし、殆んど虫に食べられてしまう野菜もあった。(これは品目のせいなのか、草が多いせいなのか、時期などやり方なのかは分からない。)

 種子も穫れたトマトは、2年目は肥料も種代もかからないので、たまに雑草を刈る手間をかけるだけで、1円もかけずに育てられた。場所はとるけれど、捨てた種からも発芽するほど強いカボチャも、日持ちもするし、虫にも食われづらい優秀な作物であるように感じた。人参も発芽まで気をつければやられることは殆んど無いし、種もたくさん穫れる。きゅうりも1つの苗からどんどん出てくる。多少形が悪かったり、発育が遅いことはある(場合によっては、涼しくなってしまい成長が間に合わないこともある)けれど、商売にしている訳でもなく、お金も環境負荷もかからないと思えば、充分過ぎるほどの実りが得られた。

 市民農園や、畑の隣接した地域では雑草を生やしていると嫌がられるという話も聞くので、土地に余裕のある、北海道のような地域でこそできるのかも知れない。虫の少なさ、乾燥した気候など、他の地域とは全く違う所もあるだろうと思う。品種も、土地によって向き不向きがかなりあるはずだ。けれども、土地の特性や、自然に近い形を感じ、その実りを享受できることは、生き物としてもすごく健やかな感じがする。

1年目からよく穫れたトマトや枝豆
ニンジンは冬の間、雪の下で保存する

 周囲には、実ができても放ったらかしにされている果樹も少なくない。つまりは、育ってしまえば捨て置くほどたくさん出来るということなので、果樹の苗も、食べた実から育て始めた。プルーンやヒメリンゴ、ベリー類も勧められるので種から、元々家屋についていたサンルームで育苗している。かつての農家では、柿の木や棕櫚、桑など、生活や仕事に使う樹木が庭にあるのは普通のことだったので、生活様式が変わったにしろ、自給できるものは少なくないはずだ。全く駆け出しの素人で、指南というよりは実践録にしかならないのだけれど、少しずつでも実践する人が増えれば、身も心も、環境も豊かな世界に近づくのではないかと思っている。

 こんなに土地があって豊かなのだから、密集地に住んでいて移動できる人はみんな北海道に来たらいいのに……と、よく小学生の息子とも話しているのだけれど、これは素朴な考え過ぎるだろうか。


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第20回 真に合理的な暮らし②:自然な暮らし実践録

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