商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第5回 若者はなぜ巣鴨に集まるのか? 大正大学×巣鴨地蔵通り商店街振興組合
「おばあちゃんの原宿」に若者が集まる!?
JR山手線の巣鴨駅から徒歩10分の旧中山道沿いに、約780mにわたり巣鴨地蔵通り商店街(東京都豊島区)が連なる。商店街に江戸六地蔵尊の眞性寺やとげぬき地蔵尊がある高岩寺、猿田彦大神が合祀された巣鴨庚申塚があり、昔から健康と平安を願う参拝客がやって来る街だ。以前は大型バスが乗り付けて観光客が押し寄せたこともあったそうだ。
昨年秋に 「おばあちゃんの原宿」と呼ばれてきた巣鴨地蔵通り商店街には10代~20代の若者が増え、「リアル原宿化」が進んでいるというニュースを見た。土日は通りを歩く半分以上が若い人たちだというのだ。
店主と顧客の高齢化に悩む商店街は数多い。老舗が並ぶ巣鴨の商店街に、本当に若者が集まっているのか? それが本当だとすれば、高齢者の街になぜ若者がやって来るのか? その理由が知りたいと思い、私は巣鴨地蔵通り商店街を訪れた。
歴史と文化と思いやりの街
巣鴨地蔵通り商店街の端にある巣鴨庚申塚は、江戸時代には中山道の立場(たてば;休憩所)として栄えた場所だ。広い野原に茶店が並ぶ様子を歌川広重が浮世絵に描いている。高岩寺が1890(明治24)年に上野から現在の場所に移ってからは、江戸六地蔵尊の眞性寺(しんしょうじ)とともに参拝客が集まる街になった。江戸時代から変わらぬ商店街の道幅は、いまも店先を覗きながらぶらぶら歩くにはちょうどいい広さだ。毎月4のつく日の縁日には、通りに多くの露店が並ぶ。お守りや唐辛子に耳かき屋までいまどき珍しい品々が並んで、にぎやかな寺町風情が味わえる。
空襲で焼けた商店街には戦前からの古い建物はない。通りには昭和の面影を残す地元の老舗と若者向けの店が混在して並び立っている。新旧入り混じる街並みに不思議と違和感がない。「昔からここは『歴史と文化を大切に』『人にやさしい思いやりの街』と商店街で言い継がれてきた」と巣鴨地蔵通り商店街振興組合の松宮理事長は語る。思いやりはお客様に対してだけではない。地域住民に対して、あるいは商店街の店同士が、お互いを思いやる気風がいまも当たり前のように続いている。
コロナ禍で外出自粛がはじまった頃には、毎月お参りに来る高齢者の姿が一斉に街から消えた。しばらくすると、高齢者の代わりにスマートフォンで動画撮影を行う若者がぽつりぽつりと現れた。「渋谷や新宿、池袋のように訪日外国人向けに整備された街もあるが、巣鴨は『日本の暮らしを体感できる商店街』が味わえる……おじいちゃんやおばあちゃんのためだけにしておくのはもったいない」と語る動画には、お値打ち価格で人気の定食屋や和菓子屋に手焼きせんべい、有名な赤パンツの店が映る。東京さくらトラム(都電荒川線)庚申塚(こうしんづか)駅のたたずまいを「風情がある」と紹介し、タイトルや説明にさりげなく英語の説明も添えられていた。
「ここは高齢者だけでなくファミリー層や若者まで、実は守備範囲が広い。いつでもどなたにでも対応できる」と松宮理事長。だが、おばあちゃんの原宿という表現があまりにも有名になり「巣鴨は高齢者の街」というイメージが根強かった。現在の巣鴨地蔵通り商店街には、街並みに馴染んだ古着屋やカフェ、スイーツの店など、確かに若者向けの店も増えている。「年齢性別を問わず、来ると気持ちが安らいで、元気になって帰っていただく。この街の雰囲気は、いまの時代には貴重になってきていると思う。いま流行のサブカルとは違うんだよね」と穏やかな笑顔で語った。
大正大学と商店街
若者といえば、巣鴨地蔵通り商店街には授業や研究目的で訪れる大学生が多い。
東京さくらトラム沿線にある早稲田大学や東洋大学などの学生たちがこれまで研究目的でやって来た。「うちはね、来るものは拒まない。オープンな気風なんだよ」と巣鴨地蔵通り商店街振興組合理事の木崎さんが語る。そんな懐深い商店街の中に、目と鼻の先にある大正大学の「学びの場」が点在する。
大正大学と巣鴨の商店街は、人間学部の宮崎教授などをはじめとして20年以上のつきあいだ。当時は社会福祉関連のゼミで学生たちが商店街のお客様にインタビューをして、先代の副理事長の松宮さん(現松宮理事長のお兄さん)や当時理事長だった木崎さんのお父さんが受け入れた。大学生が地域のためにボランティア活動をする中で、商店街の盆踊りや警備のボランティアスタッフとしてかかわってくれた。学生は4年で入れ替わってしまい、当時は学生と継続的に関わる体制が大学の中にはなかったが、スポット的なお付き合いはずっと昔から続いていたという。
ところが2016年に大正大学に地域創生学部が創設されてからは、大学全体の方針として「商店街」に目が向けられるようになった。
商店街をキャンパスに
仏教系の大学として1926(大正15)年に創立した大正大学は、建学の理念として「智慧と慈悲の実践」を掲げている。自らのためにだけでなく他人の利益になることを大切にし、地域創生学部の取り組みも「巣鴨の地も活性化したい」と考えながら取り組んでいると大正大学広報部魅力化推進課の日野課長は語る。大学の近隣にある3つの商店街(庚申塚商栄会・巣鴨地蔵通り商店街振興組合・巣鴨駅前商店街振興組合)と協力体制を組み、「商店街を学びの場として使わせていただきたい」と2016(平成28)年に大正大学で「すがもオールキャンパス構想」をまとめた。
コロナ禍で商店街にシャッターを閉めた店が増えた頃、そのシャッターを下ろした物件を借りて大正大学が店舗に教室をつくった。商店街の中の教室で授業をすると……例えば毎日100人の学生が巣鴨駅で降りて授業を受けに商店街を訪れる。10日間やったら何人が商店街を訪れるか? というところから学生が商店街に出ていく取り組みをスタートさせた。
商店街の中には、地方創生を軸に全国から取り寄せた地方の物産を売る店「ガモールマルシェ」、京都市と連携したアンテナショップ「座・ガモール京都館すがものはななれ」、カフェ兼イベントスペース「志學亭」、食品ロスを活かしたスムージーを提供する「ガモール堂」や「プロダクトスタジオ」と呼ばれる教室があり、学生たちが地方の魅力を発信し商品やビジネスの開発やアントレプレナーシップを学んでいる。大学では、オリジナルの「すがもプリン」を作りガモールの店で販売する取り組みもしている。
取材をした日は、アントレプレナーシップを学ぶ3年生が授業で老舗の店にインターンとして入り学んでいた。接客や作業を学ぶのではない。店に立ちながら、何世代にもわたり長く続く老舗の経営について学んでいたのだ。
「 経営に興味を持つ学生さんが意外に多くてね。経営についてどんどん質問してくれるのは店としても刺激を受けるね」と松宮理事長。「公務員を目指しているけれど、実は起業にも興味がある」と、松宮理事長が経営するミセス洋品松美屋でインターンをする男子学生は語った。仕入れ価格を睨みながら巣鴨ならではの値ごろ感でリピーターをつかむ。経営のブラックボックスを紐解きながら、顧客と近い地元の店ならではの苦心や信頼を得る心配りを肌で感じる貴重な機会だ。老舗店舗の経営に踏み込んで学ぶ機会は一般企業のインターンでは味わえないだろう。学生を受け入れた店は、経営の内情を惜しまず教え学生を育ててくれる。商店街の懐の深さに私は感心した。
柔軟に受け入れ吸収する商店街
「商店街、いま厳しいよね」「もっと変えていきたいよね」という視点を持つオープンな考え方の人は多いが、まれに前時代的というか「ムラの結束」が悪く出て、柔軟さを阻んでいると感じられる時もあると木崎理事。「年代もあるのかも知れないが、人によるのかも知れない。自分たちの上の世代が多い商店街は、『いまの政策は……』と話が批判に行きがちで。逆にむしろ今行政は『何か困っていることがありませんか』と聞いてくれる時代になっている。課題を聞くと、自分の担当課ではないがよその制度が使えるとか。『批判』ではなく『提案』に応えてくれる体制は整っていると思う。行政はやる気なのに、商店街がやる気を出さないのはもったいない」
大学との協働についても、商店街は数々の経験から知見を重ねている。
「大学は4年で入れ替わり、夏休みや冬休みがある。学生もまだまだ社会人にはなっていないので、あてにし過ぎるとしんどいところもある。商売を任せすぎると暴走する。そのあたりも、受け入れる商店街では気を配る必要がある」と木崎理事。確かにその通りだ。同じ地域でたとえ付き合いが長くても、新たな連携は一朝一夕にはいかない難しさもある。
ところが大正大学が商店街に店を出し学びの場を設けることについて、当時の理事長たちは「どんどん商店街の中に入ってきなよ」という考えだったという。大正大学にかかわらず 、ほかの事案でも同じく「来るものは拒まない」商店街の流儀はずっと続いているそうだ。
見たこともない店ばかりが並ぶ魅力
「あちこちの街に出かけて感じる個人的な意見だけれど」と前置きをして、木崎理事は話を続けた。いまは日本全国、どこに行っても駅前の景色はだいたい同じだ。駅を見るだけだと、駅ビルがあり、東京と変わらないチェーン店が入っている。日本全国どこに行ってもコンビニがある。同一価格で同じサービスが提供されているから、ある意味とても便利。逆に言えば、駅前だけだとどこにいるのかわからない。駅を降りてお店に入っても同じサービスを受けられるから安心感はあるものの、ビジネスホテルに入ればチェーンだとどこに行っても同じ。地元に帰ってきたら、地元のお店に入りたいよね、と思う。
巣鴨は、7割以上が地場のお店で、そこに住みながら商売をしている。職住一致しているから、商店街の会員でもあるけれど町会員でもある。木崎理事のお母さんは80歳を過ぎても店に出ている。チェーン店で50代60代が働くと、若い同僚に馬鹿にされるという問題も話題になっているが、地場の店では高齢になっても当たり前に働くことができる。しかも巣鴨の店は「よそでは見たこともない店」ばかりだ。
コロナ禍で潮目が変わった
街の様子が変わってきたきっかけはコロナ禍だ。「おばあちゃんの原宿」というイメージとは裏腹に、この20年で巣鴨にはマンションが増えた。交通機関へのアクセスが良く、都心に通勤が便利。コロナ禍前でも販売価格が5000~6000万台のマンションが建ち、いまはもっと値上がりしているらしい。
しかし、移り住んだ新住民は「おばあちゃんの原宿」のイメージが強すぎてはじめは商店街を訪れる姿が見られなかった。ところが、コロナ禍で遠くに買い物に出かけられないようになった頃から新住民の若い世代が商店街に来てくれるようになったという。土日に出かけたくても、それまでのように遠出はできない。そういう方々が、商店街に来てみて「あれ!?」と思ってくれた印象が強い。おばあちゃんイメージが強かった巣鴨だけれど、出かけてみたらそうでもないと気づいてもらったようだ。
もともとアンケート結果から巣鴨地蔵通り商店街に来るお客様の女性比率は高いことは分かっていた。特に平日は7:3で女性が多い。土日は家族連れも含めると、6:4くらいになる。一番多いのは50代で3割。次は40代で2割。60歳以上の方が3割。はじめて来ると「おばあちゃんの原宿っていうけれど、若い人が多い」と思われるが、よく見ると中高年が多い。中高年と言っても今はみんな若々しい。池袋、新宿、渋谷に60歳以上の来街客は3割もおらず30代までの若者が多いが、巣鴨に来ると60歳以上に加えて30代40代50代も多い。そのため、おばあちゃんイメージに反して「若い」印象があるのかも知れない。
商店街の店主もお父さんお母さんの経営から息子さん娘さんに変わっているところも増えた。代替わりすると品ぞろえが変わるので、コロナ禍の間に来なかったお客様は「お店変わっちゃったところが多いわね」というけれど、地蔵通りに並ぶ200店(商店街に加盟しない店も含む)のうち、実際コロナで撤退したお店は17店舗。そのうち地場の店は1店だけで、残りの16店舗はチェーン店だった。東京オリンピック以降、客足が戻り始めると空き店舗はどんどん埋まったらしい。
巣鴨を知っているお客様から見れば様変わりしたように思われるのかもしれないが、実はコロナ前と並ぶ店はあまり変わっていない。変わったのは「巣鴨の良さ」に気づいた新しいお客様が増えたということなのだろうと私は思った。
なつかしい日本の日常を味わうテーマパーク
まちなかを歩いてめぐり、おもしろいものを発見する楽しみがある街はいい。安心して歩ける空間やほっとする店の雰囲気を感じることができる場所が、住む人の日常を豊かにしていると私は思う。行きたい場所をネット検索して直行し、目的を果たせば次の目的地へ向かう消費はどこか気ぜわしく味気ない。ましてや、街が自分の居場所と感じることは少ない。
「若い人たちは時間があるから、とりとめもなくぶらぶらできるのがいいのかもしれない。若い方たちの方が滞留時間は長いね」と木崎理事は語った。巣鴨地蔵通り商店街は歩行者天国になっている時間が長い。月~金は15時~18時、土日と休日が12時~18時まで通りは車両が通行できない。さらに縁日のある「4が付く日」は9時~19時、スクールゾーンもあるので、実質朝の7時半から通りに車は入れない。日常的に車が入ってこない珍しい商店街だ。「それができるのは、地域にずっと住んでいらっしゃる方々の理解と協力があってこそ」だと木崎理事は繰り返す。商店街と地域の日々のつながりと協力が、ぶらりと訪れたお客様が安心して居心地よく過ごせる空間をつくっている。
「神様と仏様の両方に守られているから巣鴨はいいんだ」という話を商店街では何度も聞いた。お客様の視点に立てば、癒しを求め繰り返し訪れたい神社やお寺という目的地がいくつもあり、その道すがら、よそでは見ない店が並んで、気軽に立ち寄れる雰囲気があり癒される。ひとたび顔見知りになって会話が弾めば、また行ってみたくなるのだろう。
巣鴨地蔵通り商店街は、なつかしい日本の日常を手軽に感じることができるテーマパークのような存在なのかも知れない。通りを歩いて神社やお寺に旧中山道に歴史と癒しを感じながら、老舗と新しい店が入り混じって他にないものも買える。再開発で整備された街並みとは違う味わいがあるのだ。月に一回は巣鴨にお参りにいかないと落ち着かないというお客様はコロナで途切れてしまったが、お寺も写経や座禅、説法など世代を超えてお参りに来ていただく様々なきっかけを提供している。例えば、高岩寺会館ではお寺が契約している弁護士さんが無料でお悩み相談を受けている。物理的にけがやとげを抜くだけでなく、心のとげも抜くお手伝いということだ。
にじみ出る雰囲気が若者を惹き付ける
商店街の店先でインターンに参加していた大正大学の学生たちに、若者がなぜ巣鴨にやって来るのかと尋ねてみた。学生から見ると、地域イベントを一緒にやるとか、大学と商店街が一体になって取り組む機会が多いという。大学生が街に出て活動することで、若い世代が来やすい雰囲気をつくっているのかもしれないと教えてくれた。
一方で「古き良きというと表現が固いかも知れないが、新しいものでは出せない味が商店街にはある」と女子学生は教えてくれた。いわゆるレトロブームだ。新しいものでは出せない味をSNSというツールを使い「うまくきれいに切り取って表現する」楽しさが、若い世代に魅力が伝わる起爆剤になっているらしい。お店が強く売り出して発信するよりも、お客様同士SNSで披露される「レトロ風」な表現に反応し足を運ばれる傾向があるという。店からすると「何も発信していないのになぜ人が来るのだろう」と思われるかも知れない。
中に住んでいる人からすれば「ただの古い建物」と思われるものでも、若者からすれば「これは長い年月を重ねないと出ない味だ」と、違った「見方」「写し方」「切り取り方」がある。人が変われば見方も変わる。そこがおもしろいポイントで、今若者に「刺さっている」のだと女子学生は語ってくれた。若者が楽しむSNSの表現を店の売り出し方に絡める表現を見出した店が、「バズる」というわけだ。
もう一つ女子学生がイチオシなのは、巣鴨地蔵通り商店街のマスコット「すがもん」だ。ご当地キャラクターは数多いが、知られているキャラクターは少ない。地蔵通りにはすがもんのついた郵便ポストがあり、名物巣鴨まんじゅうにもすがもんの焼き印が押され、地蔵通りのあちこちで、すがもんを目にする。地蔵通りという名前と併せて親しまれ、来街客も立ち止まり目を止めている。何より商店街の人たちが、すがもんや地蔵通りを愛し一丸となる結束力が伝わる。それが巣鴨地蔵通りに漂うやさしくほっとする雰囲気につながり、自然とにじみ出ているところがすごいのだと女子学生は熱く語ってくれた。
にじみ出る雰囲気で、イメージを押し出さなくても巣鴨ってこんな街とみんなわかっている。商店街の結束も強いが、新しい人もどんどん受け入れる。柔軟な姿勢とまとまりの良さが両立している商店街、こういう雰囲気はなかなかないと学生たちは口を揃えた。懐深く学生を受け入れる商店街は、学ぶ学生たちをも魅了していた。
昔から続く商人魂
大正大学の日野課長は「ずっと巣鴨にいると世代を超えて集まる人たちを目にして、なぜこんなに人が集まるのか?と。でもなぜか人気がある商店街なんですよ」と話してくれた。「また来たいと思われるかがポイントで、また来てねと言われる関係性が生まれるかどうかが大事」――それは商売が続く勘所で、いまも脈々と続いている。
巣鴨地蔵通り商店街は、目の前のお客様や地域の人たち、商店街の店に目を配り、「歴史と文化を大切に、人にやさしい思いやりの街」という長期的なビジョンの軸がぶれることはない。来るものは拒まず受け入れながら、変化する柔軟さがある。その蓄積がやがて店や街の知恵になるのだ。また、来街客や店の状況を数字で捉え、他地域の状況にも目を凝らして、客観的に自分たちを見つめる冷静なビジネス視点がある。
腰を据えて商売に取り組みながら日々変化をし続ける巣鴨の商店街には、昔から続く商人魂が息づいている。
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