理学療法士である著者は、東京・府中市で訪問看護ステーションおよび居宅介護支援事業所を運営しながら、カフェや空きアパートを使ったコミュニティ事業を展開している。あそびを通じた表現活動を行うアトリエ、中高生のサードプレイス、菓子工房、銅版画工房などが半径50メートル内に集まる一帯の名は「たまれ」。最寄の多磨霊園駅と、人が「溜まる」をかけて名づけられた。
こうした活動を通して実現しようとしているのは、人と人との「弱いつながり」だと著者は言う。2011年の東日本大震災以降、とみに加速した人と人との「つながり」を絶対視する風潮への違和感からたどり着いた、「たまれ」という名の「場づくり」。その足跡を振り返りながら、医療と患者、医療と地域、人と人の「いい感じ」な関係を考察する。
#5 訪問看護とスペシャルティコーヒー:誰でも立ち寄れる事務所をめざして
2015年3月1日。訪問看護事業がはじまり、僕の経営者としてのキャリアが本格的にスタートした。夢に向かって順調なスタートを切った、という話をしたいところだが、人生はそう簡単にいくものではない。
ど素人経営者の僕は、創業から5年の間、毎年大赤字を叩き出す。にもかかわらず、経営のど素人であるがゆえの怖いもの知らずで、5年のうちに新しい事業を4つもはじめてしまったのだ。当時の僕を知っている人は、会うたびに糟谷の顔色が悪くなり、5年間くらいは土気色をしていたという。
一方、当の本人である僕は、自分の顔色が悪いなんて1ミリも思っていなかった。資金繰りにもの凄く苦労したことは確かだ。しかし、ど素人経営者の僕は、このくらいの苦労は当たり前だろうと思っていた。少しだけお金の話をすると、当時の僕は、キャッシュフローは見ていたが、先の資金繰りについては軽視していた。理由はシンプルだ。事業を運営していくために、キャッシュフローを見ていればよいとしか思っていなかったからである。
創業時、自己資金だけで事業を行っていくのは到底無理だったので、融資に頼った。大抵の融資は借入金の返済までの据置期間が設定できる。借入金そのものは返済せずに、元金から発生する利息だけを返済する期間である。僕は1年間の据置期間を希望した。据置によって、本来ならば毎月30万円くらいの返済になるが、1年間は利息のみの数万円で済んだ。要は「この期間にしっかり事業を安定させなさいよ」という意味も込められていているのだが、僕の考え方はかなり甘かった。
キャッシュフローと資金繰り表の見直しをしながら、1年後にやってくる毎月30万円の返済に備えるのが当たり前だ。しかし、僕はこの作業を怠ってしまった。
気づいたらキャッシュフローが大変なことになり、そこから税理士や銀行に相談をしはじめるという、経営者として最低なことをやっていたのだ。それなのに、当時の僕が考えていたことはこうである。
「創業時は経営者の誰もが同じような思いをしているはずで、会社と自分の想いさえブレなければ、いつかは好転するに違いない」
当時の社員が聞いたら、その日に辞表が出てくるかもしれない。
9年前の自分に言いたい。「その考え方は嫌いじゃない。むしろリーダーとしては最高だ。ただ、冷静になる部分も必要だ。お前は社員の生活も背負っているんだぞ」と。しかし、この根拠のない確信には理由があった。お金が減っていく一方で、僕らの取り組みや想いは少しずつ広がり、取材や講演依頼、見学者など、興味を持ってくれる人が増えていったのだ。
そんなふうに無我夢中で過ごした5年間の中でも、今回は、訪問看護ステーション開設後からカフェオープンに向けての、約1年間の話をしようと思う。実は、カフェを立ち上げる前にLICの事務所で、スペシャルティコーヒーを提供していたことがある。まちの人がふらっと立ち寄って健康の相談ができたり、ゆっくり出来るような場をつくるためだ。この取り組みによって、興味を持ってくれる人が増えたとも言える。なぜ、LICでそのような取り組みをしようと思ったのか、実際にどのような反応があったのか。いよいよ、医療・福祉と暮らしの境界線を曖昧にしていく取り組みがはじまる。
訪問看護を利用する方法
2015年3月1日、僕を入れて6名の体制(看護師3人、理学療法士1人、事務員1人)で訪問看護事業がはじまった。まず行ったことは、Sync Happinessのビジョン共有をするための社内研修である。「“いま”のしあわせをつくる」という経営理念を行動レベルに落とし込むため、ワークショップやミーティングを重ねた。
社外に対しては顧客の獲得やシンクハピネスを知ってもらうためのPR活動を行った。訪問看護の顧客は、サービス利用者(病院や診療所では患者と言われる)や、その家族だけではない。病院や訪問診療の医師や看護師、地域包括支援センターや居宅介護支援事業所のケアマネジャーも顧客となる。訪問看護へのサービス依頼は、利用者から直接来ることは稀で、医師や看護師、ケアマネジャーからの依頼がほとんどだ。
まちの人と話をしていると、訪問看護のサービスを受けるにはどうしたら良いのか、という話題がよく出る。このような話をする人は、いま困っているか、これから困りそうになるという人たちだ。それなのに、「お腹が空いたからコンビニに寄ろう」「マッサージを受けたいから整骨院に行こう」などのように、いまの欲求を満たすことができない。少し大袈裟な言い方かもしれないが、生死に関わることなのに、すぐにサービスが受けられないのが訪問看護だ。
LICでの取り組みに触れる前に、その前提となる訪問看護の利用の流れとその現状について触れておきたい。訪問看護を利用するためには大きく2つの選択肢がある。それは、保険を使って利用するか、自費で利用するかである。保険を利用する場合は、3つの条件があり、40歳未満、40歳以上65歳未満、65歳以上のいずれかに該当するかによって、医療保険適応か介護保険適応かが変わる。詳しくは図にまとめたので参照して欲しい。
医療保険を使って訪問看護を利用する場合は、かかりつけ医に相談し、主治医に訪問看護指示書を書いてもらうことが必要となる。介護保険の場合は、要介護認定を受けていることが条件となる。認定を受けていればケアマネジャーに相談し、どの訪問看護ステーションを利用するかや、訪問看護指示書を主治医に書いてもらう手順などの指示を受ける。そして、介護保険サービスを利用するために必要なケアプランに、訪問看護を組み入れた後、サービスが開始される。
要介護認定を受けていない場合は、市役所や地域包括支援センターに相談し、要介護認定の申請を行う必要がある。認定を受けた後にケアマネジャーを見つけて、前述した流れと同じ方法で訪問看護サービスが開始となる。また、要支援の場合、通常は地域包括支援センターが担当し、要介護の場合は居宅介護支援事業所のケアマネジャーが担当することが一般的だ。
利用者にとっての選択肢はほとんどない
ここまで読んで「分かりづらいなぁ」と思った人が多くいると思うが、僕も同意する。訪問看護サービスを利用するための方法は非常に分かりづらい。皆さんの中にも、訪問看護サービスを受けたいと思い、Google検索をした経験のある人が沢山いると思う。検索先に上記のような難しい言葉が並べられているのを見て、「何かあったらまた調べればいいや」と離脱した人も多いのではないだろうか。
一方で「今すぐに訪問看護を受けたい」という人はそうはいかない。訪問看護サービスを使っている友人に聞く人もいるだろうし、市役所のどこかの窓口に行く人もいると思う。しかし、ここからが問題だ。年齢や使える保険によっても窓口が違うため、多くの人は様々な機関に問い合わせをすることになる。悪い言い方をすると「たらい回し」だ。
何かしらの原因で病院に入院し、退院後に訪問看護サービスを開始する人たちは、病院のソーシャルワーカーや退院支援室という部署にいる看護師が調整を担ってくれる。このような場合は、サービス開始までに必要な手続きが比較的スムーズに進む。しかし、それ以外の多くの人は、訪問看護に行き着くまでにかなりの時間と労力を要するのだ。具合が悪い当の本人がこの作業をしなければいけない場合も少なくない。
このように、訪問看護を受けるための窓口はかなり複雑で分かりづらいものになっているのが現状である。
不安にさせてしまうかもしれないが、さらに大事なことを付け加える。訪問看護サービスを利用する前に、ケアマネジャーや訪問看護ステーションを探すという話をしたが、どのように選ぶのか。僕はここがとても大事なことだと思っているので、よく聞いて欲しい。
ケアマネジャーを選ぶためには、まずは、ケアマネジャーが所属する居宅介護支援事業所を選ばなければいけない。では、どのように選ぶのか。方法はいくつかある。まずは、市役所の窓口や地域包括支援センターからの紹介である。「あなたの家は◯◯町◯丁目なので、近くの◯◯事業所はどうでしょう?」という感じだ。他には、各市区町村が発行する介護保険サービス利用の手引きのような冊子がある。そこには、様々な介護保険サービスを行う施設や事業所が紹介されていて、その中から居宅介護支援事業所を選ぶという方法である。他にも知り合いが利用している事業所を選ぶなどがあるだろう。
ここで僕が課題に感じていることは、どれを見ても、居宅介護支援事業所の中身が分からないということだ。唐突だが、『食べログ』はご存じだろうか? グルメレビューサイトで、自分の行きたいお店を駅やキーワードから検索し探すことができる。お店のページを見ると、料理や店内の写真、口コミなどが閲覧できる。僕も愛用しているアプリだ。その時の気分によって、お店の雰囲気や食べたい物を写真や口コミを見て選んでいる。
居宅介護支援事業所を選ぶ時にはこのような情報がない。市区町村が発行している手引きに載っているのは、せいぜい住所や所属ケアマネジャーの人数くらいだ。また、インターネット検索では、厚生労働省が出している「介護サービス情報公表システム」というサイトや、東京都が出している「とうきょう福祉ナビゲーション」というサイトなどがある。市区町村の冊子に載っている情報に加えて、事業所の方針や担当している利用者の要介護度の割合などが掲載されている。しかし、方針に書かれていることはどこも変わり映えしない。「利用者を尊重し、利用者の立場に立ったサービスの提供に努めます」的なことがそれっぽく書かれている。本来なら、所属するケアマネジャーの特色や得意なケアマネジメントの分野などが書いてあっても良いと思うが、ほとんどの事業所には書かれていない。
介護保険サービスを希望する人は、このような選択肢の中から居宅介護支援事業所を選ぶことになるため、選択肢はほぼないと言える。どこも同じような情報が書かれているため、ほとんどの利用者は、市役所や地域包括支援センターの職員に紹介された事業所から選ぶことになるのだ。
では、訪問看護ステーションはどのように選ぶのか。前述したような介護保険、医療保険、自費、どれを使うかによって選び方は変わってくるが、居宅介護支援事業所を選ぶ時とほとんど同じである。ケアマネジャーからの紹介か、かかりつけ医や病院の退院支援室の看護師からの紹介がほとんどで、自分で探す場合は稀と言って良いだろう。独自にホームページやSNSページを持っているところもあるが、掲載されている情報はあまり多くない。
基幹病院の退院支援室にいる看護師や、訪問診療を積極的に行っている在宅医は、患者の健康状態に合った訪問看護ステーションを紹介している印象がある。様々な健康状態の患者を在宅医療へつなぐ役割を担うため、地域にある訪問看護ステーションの特色を理解した上で、紹介しているように思える。一方、ケアマネジャーはどうかと言うと、医療的な知識を持っている人は少ない。医療的な知識を持っていないことが悪いのではなく、ほとんどのケアマネジャーは介護職を背景に持つため、医療的な知識を得る機会がない。中には勉強している人もいるが、僕の経験から言うとごく少数である。あくまでも個人的な意見だ。
加えて話すと、医療的な知識を持っているから利用者に合った訪問看護ステーションを紹介できるという訳ではない。人工呼吸器の管理が必要など、重症度が高い人は、医療的な知識を持った医師や看護師からの紹介は有効かもしれない。しかし、一時のケアという視点ではなく、自宅での5年、10年続く暮らしを見据えた上でのケアと言う視点では、介護の知識を持ったケアマネジャーの方が、その人に合った訪問看護ステーションを紹介できるという考え方もある。いずれにしても、利用者自身が訪問看護ステーションを直接選ぶという流れは、非常に少ないのが現状だ。
きっかけはスペシャルティコーヒー
介護保険が始まって20年以上経つが、訪問看護ステーションや居宅介護支援事業所の選び方は変わっていない。利用者にとっての選択肢がほとんどないのだ。「どのケアマネジャーもやることは同じなのか」「冊子やインターネットを見ても分からない」「市役所でいくつか紹介されたが、本当に自分にあっているか不安」いまだにそんな声をよく聞く。食べログのような検索サイトがあったら便利だと思うが、聞いたことはない。おそらく、利用者の年齢層やインターネットリテラシー、診療報酬や介護報酬のシステムなどを考えると、サービスとしての難しさがあるのだろう。ちなみに、デイサービスや訪問入浴など他の介護保険サービス事業者を選ぶ場合も、訪問看護ステーションと同じように選ぶことになる。
医療や介護サービスを担う従事者の中に、このような現状を疑問に思う人がどのくらいいるだろうか。僕は違和感を感じて仕方ない。自分や大切な人の暮らしのサポートをお願いするのに、自ら選ぶことができるような選択肢が見えていないのはおかしくないか。
そこで僕が考えたのは、訪問看護ステーションをまちの人たちの相談先にすることだった。#3で書いたように、起業から5年後までにカフェをつくり、相談先にするという構想はあったが、まず訪問看護ステーションをまちの人たちが立ち寄れる場にしようと考えた。
訪問看護ステーションの事務所は、京王線府中駅から徒歩10分ほどのところに借りた。無機質な雰囲気の事務所は嫌だったので、いい物件はないかと探し回り、デザイナーズアパートのような物件を見つけた。各部屋は5畳〜9畳くらいで狭いが、半地下から3Fまであり、おまけにロフトや共用の屋上テラスまで付いているアパートだ。使い勝手はさておき、ここなら、まちの人たちにも立ち寄ってもらえそうだ。そんな思いで、この物件を借りることにした。
お客さんを招く場は、半地下のフロアにした。あらかじめIKEAで購入していたテーブルの上に木の板を貼ったり、植物をレンタルするなどして、カフェっぽい雰囲気にしてみた。さらに、こだわったのはスペシャルティコーヒーの提供である。当時の僕が思い描いていた場はこうだ。訪問看護ステーションでコーヒーを飲みながらゆっくりできて、必要があれば看護師やリハビリテーション専門職に健康についての相談ができる。訪問看護ステーションのスタッフだけではなく、まちの人たちが常に出入りし、いつの間にか医療とまちとの交流の場になっている。毎日、そんな妄想をしながら仕事をしていた。
コーヒーについては、都内でカフェ併設のレンタルスペースを運営している友人に相談した。後に立ち上げたカフェ「FLAT STAND」の管理や「たまれ」のコミュニティマネージャーを担う和田の紹介で知り合ったが、彼の話はいずれ詳しく書くつもりだ。
2015年はブルーボトルコーヒーが日本に上陸し、サードウェーブコーヒーが流行り出した時期である。僕は、どちらかというとコーヒーを飲む習慣はなかったが、人を呼ぶためのきっかけになりそうだと思った。スペシャルティコーヒーを飲みながらゆっくりできて、相談もできる訪問看護ステーションという、今までに無い場をつくりたかった。
スタッフは誰でもコーヒーが淹れられるようにしたかったので、友人にお願いして研修をしてもらうことにした。さらに、幅広く知ってもらうためにフライヤーもつくり、このようなメッセージを書いた。
訪問看護、訪問リハビリテーションを通じて利用者さまに笑顔としあわせを届けるだけではなく、日頃から利用者さまを支えているご家族様やケアマネージャーの皆様、関わる全ての皆様にもしあわせを届けたい、そんな想いを一杯のスペシャルティコーヒーを通じて皆様にお届けします。
私と同じ思いを持った同世代が、心を込めて作ったコーヒーでホッと一息入れませんか? LIC訪問看護リハビリステーションは誰でもフラっと立ち寄れるカジュアルな空間です。
こちらのコーヒー豆はLICで販売もしておりますので、ご希望の際はお気軽にスタッフにお声掛け下さい。
訪問看護サービスを利用する前に、私たちのことを知ってもらい、話をさせてもらうことで、その人に合った暮らしの選択肢を手渡すことをめざした。
この取り組みは、府中市内の訪問看護ステーションや介護事業者の間では話題になったが、期待していたほど人は来なかった。いま同じ取り組みをするなら、もっと様々な工夫ができると思うが、当時は「場づくり」という感覚は全くなかったので、こちらの思いの押し付けになっていたのかもしれない。
当時、医療や福祉に従事する専門職で、僕らと同じような取り組みを考えていた人は多くいたと思う。しかし、実際に動く人はほとんどいなかった。人が来る来ないにかかわらず、「やる」ことで話題になることは明確で、創業時に掲げた僕の意志をさらに拡散するための次の手段にしたかったのだ。
実際にどのような人が立ち寄ってくれたかというと、LICで訪問看護サービスを提供している利用者やその家族、周囲の介護事業所のケアマネジャーや介護福祉士、まちの人などだ。繰り返すが、来客の頻度としては決して多い方ではなく、文字にするなら「稀に訪ねてくることがあった」という表現が一番近いかもしれない。僕にとっては、頻度はあまり重要ではなく、まずはこのような場があることを知ってもらうことが大事だと考えていた。利用者や市内の介護事業所に配ったフライヤーを見て来る人もいたが、幅広く知ってもらいたかったのでLICや個人のSNSでも発信し続けていた。
意外な反応だったのは、SNSでの発信に対していくつか問い合わせがあったことだ。「入院中の知人が早期退院を希望していて、退院後すぐに訪問でのリハビリテーションをはじめたいので相談に乗ってもらえないか」「離れて暮らしている母親がパーキンソン病と診断されたので相談に乗ってもらいたい」「同居の父親ががんと診断されたので、今後どうすればいいのか分からない」などの連絡があった。メッセージをくれた人たちは同じ府中市内に住んでいるか通勤している人だったので、LICに来てもらうかどこかのカフェで待ち合わせるなどして相談に応じた。SNSの発信でこのような手応えを得られるとは思っていなかったので、僕にとって新しい気づきだった。
LICに来てくれた人たちは、他愛もない雑談をして帰る人もいれば、健康の相談をする人もいた。僕らは内容によって、医師を紹介したり、訪問介護の事業所を紹介したり、医療や介護に関係ない、まちにあるお店や人を紹介したりすることもあった。もちろん、必要だと感じれば、LICの訪問看護サービスの紹介もした。人やサービスを紹介するためには、僕らがまちのことを知っている必要がある。顔を合わせたこともない人や知らないサービスを紹介するほど、無責任なことはない。そういう意味でも、僕らは介護施設の夏まつりを手伝ったり、市のイベントに参加するなど、積極的にまちの人たちと交流をするようにしていた。
死の宣告
こうして、2015年3月にスタートしたLICの事業は、訪問看護のサービスの提供をしながら、まちの人たちとの接点を少しずつ増やしていく。僕はというと、冒頭に書いたように、経営状況は不安定だったが、思い描いた夢に向かって充実した日々を送っていた。
LICがスタートして半年が経過した頃、僕の人生が一転するような出来事が起こる。天地がひっくり返るとはまさにこのことだと思った。つい昨日まで元気だった母親が、筋萎縮性側索硬化症(以下、ALS)という診断を告げられる。ALSは手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気である。筋肉を動かしたり、運動をつかさどる神経が主に障害を受けるため、脳から出る「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなり、徐々に力が弱くなり、筋肉が痩せていく。結果として、少しずつ身体が動かなくなり、呼吸も食べることもできなくなる。いずれは呼吸ができなくなり死にいたる病気だ。
60歳の母に突然降りかかった、死の宣告だった。