かつて日々のくらしに欠かせなかった箒は、電気掃除機の普及とともに需要が低迷し、全国各地の産地は壊滅状態に陥った。ところが近年、電気に頼りすぎないライフスタイルを志向する人、地域の伝統文化や地場産業に価値を見出す人が徐々に増え、職人が手編みした昔ながらの箒への関心が高まりつつある。
なかでも、神奈川県北部の愛川町では、一度途絶えた旧中津村の箒づくりを生業として復活させる取り組みが進む。その立役者として活躍し、伝統を受け継ぎながら作家性の高い作品も手がける筆者は、美術的アプローチにより社会にコミットするという信条の持ち主。いま注目のつくり手が、仕事を通して目指す“ものづくり”と社会の姿とは――。
第17回 生きるための道具と詩歌①
北海道に越してから、妻の営む「がたんごとん」という店の中に、製作スペースを設けている。「がたんごとん」では、工芸品や雑貨の販売もあるけれど、主には詩歌、短詩形の文学(短歌、俳句、川柳など)を扱う。箒を売っているだけでも珍しいのに、更には詩歌に特化する、というのは輪をかけて個性的な店なのだけれど、僕が箒を作り始めたことに成り行き以上の理由があったように、箒を作ることと詩歌に触れることには、切り離せない理由があったし、それは文化史としての問題に関わると思っている。
僕が文学に興味を持ち始め、または向かい合わなければならぬ、と考えざるを得なかった要因はいくつかあるのだけれど一つは、僕の知る民俗の道は相沢韶男(あいざわ・つぐお)先生の言う「框(わく)を固定させず、しかも放縦に任せず、 真に人間的自由に達する」(『武蔵野美術大学六◯年史』武蔵野美術大学出版局、1991年)美者への道であるということだった(第16回参照)。
どこかにある核心を求めて
一つのものごとを修めるためには、文化全体に通ずるべき、と根本的に捉えていたので、教養程度には読書をしていないと恥ずかしい、または何も語れないのでは、と思っていた。何しろ僕は、大学のある時期まで恥ずかしいほどに本を読んだことがなくて、もっている紙の本は本当に漫画だけだった。小学生の時に夏休みの宿題で読んだ椋鳩十と、それか高校の夏休みの宿題で動物に関する新書を一冊読んだ、と、全て言えるくらいにしか読まなかった。(ただ、太宰治だけは例外で、ビジュアル系バンドやアングラな文化に染まっている時期に、局所的に触れていた。)
そんな折、基礎として何か触れておかなくては、と、手始めに手に取ったのは夏目漱石だった気がする。幸い在学中も卒業後もしばらくは時間があったので、夕食後の決められた時間は読書に充てることにした。今はそんな読み方は出来なくなってしまったけれど、全く素養と経験のない者が急に文化的なものに触れると、何だか上等な人間になった気がするもので、自身に酔いしれるようになる。実家には使われていないオーディオセットがあるもので、1人がけのソファを引っ張り込み、適当な箱にスタンドランプを載せて、ロックのウイスキーを揺らし、詳しくもないビバップのジャズを流しながら夜な夜な読んだ。
太宰治に近いところで、田山花袋などの自然主義文学や小林多喜二など、近代の文豪から触れていった。幸い、近所のブックオフでは殆どが100円で購入できた。一番多感な思春期を殆んど無為に過ごしていたということは時に優位に働く。幾ら読んでも、自分は無知で読書を知らないという劣等感がなくなることはなかった。読書を面白いと一度も思ったことがなかったので本を読む意味を全く理解したことがなかったのだけど、社会問題に対する何がしかの手がかりになるかも知れないと、村上龍などを読んで、文学も美術と同様、現実世界に直接に対峙したリアリティを体現するものだと知る。その後、ドストエフスキーなど、幾らか海外の文学も読むようになる。これは箒の制作にも多大な影響を与えるのだけれど、また後の話とする。
世界とは何なのか、生きるとは何なのか。その核心や本当のことを知りたい、真実を知りたい、と考えていた僕は、小説よりも思想書に傾倒するようになる。ハナから楽しむ気はなかったし、不勉強のツケだと思っていたので読みやすさや入門書を選ぶ必要はなく、一番美術に近そうな『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明、勁草書房、1965年)を読んだ。難解と思われがちな本書だけれど、実は入門書としては悪くなく、ラッキーだったと今では思う。
吉本隆明は哲学の研究者というよりは独立した思想家で、既存の哲学史に反駁したり、哲学史の更新をするタイプというよりは、自身で思考を組み立てていって解答を導き出すタイプの思想家だ。それゆえ、予備知識はあまり必要ない。それに、抽象度の高い議論の割に一冊の本の中で提示するのは一つに集約された概念や視点だったりするため、本体の尻尾さえ捕まえられれば、冗長にすら思えるほど分かりやすい。
序盤は、言葉を話す前の原始人は、海を見て「う」と言ったのではないかという、途方もない想像から始まり、一つ一つ疑いを払拭しながら強固な論理を積みかさね、どんどんと高みに登っていく過程、そして、急に眼前に開ける広大な景色は、それまで感じたことのない快感を与えてくれた。それに、抽象的な概念を組み立てたり理解した内容を像としてイメージするトレーニングにもなるもので、全く本を読めなかったはずなのに、同様の思想書を何冊か読む頃には、日本語で書いてある限りは理解できない文章はない、ということも実感できた。(もちろん、数式や学術用語はまた違う言語体系なので、その都度辞書を引く必要がある。)僭越ながら、何にもよらず、自らの思考と知見を信じて突き進む思想家の歩みに、大学の恩師の姿を重ねることもできた。
芸術における余白と読解
そんな折、大学の友人の姉が歌人だという話を小耳に挟んだ。何の気なしにSNSで検索して、見つけた短歌に衝撃を覚え、今も忘れられないでいる。
すごい雨とすごい風だよ 魂は口にくわえてきみに追いつく 平岡直子
幼い語り口の中に、圧倒的な暴風雨に追い立てられる主体。一文字の空白の後には、飛び出して魂すら落としてしまいそうな速度で「君」に追いつくことを宣言している。その時には、すごい雨風はおろか、肉体すら越えていく圧倒的加速度と共に、感情も超越的に高鳴る。ファンタジックでもあり、生々しく生命力を持つ短歌に出会って、圧倒された。
正直、それまで若い歌人というものがたくさんいることも知らなかったし、入り口も分からなかったので、当初はかなり戸惑った。Twitterに現代短歌なるものが多く掲載されていることが分かり、しばらくは何週間に一度「平岡直子」と検索してはため息をつくというネットストーカーまがいの日々を送っていたのだけれど、ある時、歌人の石川美南さんが開催している「さまよえる歌人の会」という勉強会に出会い、なかなか手に取りづらい近代短歌や新人賞を獲ったばかりの歌人の短歌などにも触れられるようになった。
石川さんは、「山羊の木」という活版印刷と短歌のユニットでも活動していて、僕も展示をしたことがあるギャラリーで展示をされていたことが、より身近さを与えてくれたのだけれど、それ以降「詩情」というものついて深く考え、最終的には工芸にとっての本質なのではないかとすら思うようになった。詩と工芸は、かつては切り離せないものだった。そこには文化的な背景もある。
短歌を始めとする短詩形文学が備えた特徴の1つとして、コンテクストの深さと厚みがあるように思う。俳句や川柳は、世界一短い定型詩として知られる。俳句と川柳の5・7・5に7・7を足すと短歌になる。(5と7の組み合わせで連歌や長歌、旋頭歌〈せどうか〉などもある。)原因はそれだけではないのだけれど、その詩形の短さ故に、批評が活発に行なわれていることも大きな特徴、そして魅力の1つだ。結句の7文字だけを何日も考え続けるという話はザラに聞くし、歌会などでは、集められた歌を読み解く鑑賞の時間に数時間かける。歌集が出れば批評会を慣例と言っていいほど行なう。抽象度の高い議論や、言葉の意味や効果を追い詰め続ける批評は、思想書に親しんだ者にとってもこの上なくエキサイティングな営みだ。
一方現代詩は、現在のリアルでシリアスな姿を描くものだけれど、数少ない要素や行間、余白を読み込み、その中に世界を広げていく手法はおそらく、日本の伝統的な文化だ。日本画においては、地と図という関係で、余白も絵画の一部と見做す技法がある。舞台においては、演技と同様に「間」も重要なものとされている。庭に手の込んだ石彫を置くのではなく、むしろ自然のままの岩をそのまま配置することで鑑賞する余白を用意し、世界を表現するようなことが、文化として広く行なわれてきた。利休が、庭に咲き誇る朝顔を秀吉が観に来るというので、全て刈り取って一輪だけ活けておいた、という話なども有名だ。
ここでいう余白とは、字義そのものの余った部分、という意味ではなく「明示されていない領域」とした方がいいかもしれない。キリスト教圏の絵画や彫刻では具象化や写実が発展したが、デフォルメしたり、石や木を神と見立てたりする文化のある日本では、キリスト教圏の具体的な表現における解釈学による隠喩や換喩とは異なる読解が育っているように思う。器の内側を「景色」といい、宇宙を観たり、書道においては、字義以上に墨の視覚効果や動きによる表現や世界観が幅広い。例をあげたらキリがないけれど正に「空気を読む」ことが文化として根付いているように思うのだ。そしてそこに文化の豊かさや味わいがあり、作品の詩情が醸成されるように感じている。
そこで僕は、工芸においても必要なのは余白を読み解く姿勢、自分なりの言葉でいえば詩情だということにも気がついた。プロダクトではなく、一つ一つを手作りで作る、その意味を理解してもらい、味わい、考え、文化的な背景と生活の上でそれらを血肉化するということは、詩的な行為でしかないと思った。
反対に、当時ブームの最中にあって、雑誌に出た数、テレビに出た数、キャッチーなワードで簡略化されてしまうことは、詩情とは正反対の行為だと感じた。1つ1つの仕草や意味を味わい、考えることの中に人の生きる喜びがあり、かつ世界に必要なことだと今でも考えている。
そして大量生産と大量消費、表面的な売り文句に踊らされて流れていく物品があるとしたら、言葉も、現在ほど大量消費されている時代は人類史上なかっただろう。言葉の意味を、力を、誰もが考え、信じられるようになれば、無為なネット上での炎上や誹謗中傷も起こるはずはない。分断を埋めるのは、世界を読解し、共感する力だと思う。詩が存在することは世界を平和にすることなのではないかと思った。だとすれば、工芸も、そのようなものになって欲しいと願った。
生きることとリアリティ
味わう舌と受け手がいて、初めて美味しい料理が成立するように、良質で的確、鋭い鑑賞と批評を備えた受け手がいるときに、素晴らしい短歌が成立する。それはあらゆる芸術分野に言えるだろう。歌論の名著『短歌の友人』の中で穂村弘は、村木道彦の歌を引いて、短歌のリアリティについて以下のように説明している。
うめぼしのたねおかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏
ここでキモになるのは「うめぼしのたね」の部分だ。それは「コカ・コーラの缶」でも「君よりの手紙」でも「図書館の本」でもなく、一見違和感のある描写こそが「ただ一度きりの〈リアル〉な季節」を再現することに成功しているという。
岡崎裕美子、加藤治郎、東直子、岡井隆らを例に挙げ、矛盾、欠落、混乱を導入することで〈リアル〉を描き出す短歌を紹介しながら、こう総括している。
日常の多くの場面において、我々は、5W1Hを明確にすること、矛盾や混乱を排除すること、を要求され続けてきたはずだ。そして人間のすべての目的とは最終的には「生き延びる」という大目的に収斂される。
穂村弘『短歌の友人』河出書房新社、2007年
すべての人間にインプットされている「生き延びる」という目的とそれに向かう意識こそが、我々を詩のリアリティから遠ざけているのではないだろうか。 この問題については機会を改めて考えてみたいが、以上の仮説に基づいて一応の結論を述べるならば、我々の言葉が〈リアル〉であるための第一義的な条件としては、「生き延びる」ことを忘れて「生きる」、という絶対的な矛盾を引き受けることが要求されるはずである。詩を為すことは必ず死への接近を伴うという、しばしば語られるテーゼの本質がこれであろう。
穂村弘『短歌の友人』河出書房新社、2007年
「生き延びる」ことが人間にインプットされている意識だとして、それ以外の行為は目的に反するとすれば、人間は必要なこと以外は全て打ち捨ててしまうことになる。人間的に「生きる」とは、生命維持以外のこと、何でもないうめぼしの種をじっと見つめてみることや、生活の中にある、あらゆるものに立ち止まり、考え、感じることなのだと思う。例えそれが「生き延びる」ことを一時停止して、死に近づくことであってもだ。
これはあくまで現代短歌の話であって、歌論なので、いたずらにこの視点を広げてしまうことは歪曲や矮小化に繋がるかも知れない。けれど、ひたすらに合目的性ばかりを求め、生き延びることだけを考え、感性を失ってきたのは歌人ばかりではないだろう。少なくとも、合理性と経済性ばかりに追いやられ、人としての魂を置き忘れて来た世界に、僕は手仕事を通して立ち向かって来たように思う。
生きているということ
谷川俊太郎「生きる」『うつむく青年』サンリオ出版、1971年
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
あなたと手をつなぐこと
これは谷川俊太郎の代表作の1つと言っていい詩だけれど、「生きる」ことについてここまで分かりやすく描いた有名な詩もない。「木もれ陽がまぶしいということ」「ふっと或るメロディを思い出すということ」は、「生き延びる」こととは逆行することであるけれど、人間が人間であるためには、不可欠なことだろう。
そして「生き延びる」こと以外の行為に向かい「生きる」ことは、矛盾や苦悩を併せ呑んで引き受けることにもなるのだろう。
穂村弘は、近代の短歌と比較して、現代の世界が〈酸欠〉であることも指摘している。
〈酸素〉とは、愛や優しさや思いやりといった人間の心を伝播循環させるための何か、のように思われてならない。その何かが豊かに存在した世界では、「幼児の風邪きづかひて戻り来るきさらぎの夕べいまだ明るし」のような歌が自然に成立可能だった。だが、現在の酸欠世界においては、愛や優しさや思いやりの心が、迷子になったり、変形したりして、そこここに虚しく溢れかえっている。
穂村弘『短歌の友人』河出書房新社、2007年
僕が作るものは道具で、最も生活に近い具体的なものだ。対して言葉は、最も抽象的で「生き延びる」だけなら不要なものだ。具体的なもの、抽象的なものの両極、どちらからも〈リアル〉が失われ〈酸欠〉なのだとしたら、世界は本当に苦しく、悲しいものだと思う。美術の世界にいた僕は、崇高な芸術が生活と隔たりがあることに苦しみを覚えていた。それは、生活に詩情があり「生活こそが詩であって欲しい」という願いの裏返しだったようにも思う。詩歌に出会い、「生きる」ための「道具」そして呼吸をするためのポエジー「詩歌」を携えていきたいと思った。それが今こそ、世界に必要なものだと、信じるようになった。(次回へ続く)