商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。

第4回 散歩でたどり着いた谷中で「まちやど」のコンシェルジュに 大浦百子さん(まちやどhanareマネージャー)

下町情緒の商店街とお寺の街

 JR日暮里駅西口を出てすぐの谷中霊園を横目に通りを進み、夕日の名所「夕焼けだんだん」をくだると、下町情緒が漂う谷中銀座商店街(東京都台東区)が広がる。その奥にはよみせ通り商栄会が連なって、いまでは珍しくなった魚屋、肉屋、八百屋、惣菜店などの専門店に、パン屋にスイーツ、雑貨店、飲食店と多彩な個人商店が軒を並べる。狭い通りが店先で買い物や世間話をする店主と客の日常を身近に感じさせ、親しみがわく。なつかしい店構えの老舗と若い店主が切り盛りするおしゃれな店構えが混在し、不思議と馴染んでいる。この街には、地元の買い物客や国内や海外から多くの観光客が訪れる。

夕日の名所、夕焼けだんだん  photo by  zu_kunistock.adobe.com/jp
谷中銀座商店街の入口  photo by  k_riverstock.adobe.com/jp
谷中銀座からよみせ通りへとつながる路地、通称「へび道」  photo by a_text stock.adobe.com/jp

 1625年に江戸の街を守る寛永寺が創建されて以来、谷中は多くの寺が集まる寺町だ。震災にも戦災にも遭わず、古い街並みがいまも残る。商店街から一歩入った細い路地裏には軒先に鉢植えが並び、通行人の目を楽しませる。お寺をぐるりと囲む白壁の小道を進むと急に視界が開け、林が現れる。ふと異次元世界に迷い込んだような不思議な気持ちになる。谷中から根津に向かうくねくねとした道は「へび道」と呼ばれる。昔は藍染川が流れ、多くの文豪に愛されてきた。明治・大正・昭和とカルチャーの生まれる場所で、街の美しさが残る。いま川は暗渠になり閑静な住宅街に様変わりしているが、通りや路地を入るたびに違う表情を見せる谷中の街は日本を感じるワンダーランドだ。

 谷中の昼間は、商店街や裏路地をシャキシャキと歩き買い物をする高齢者の姿が印象的だ。店主やご近所さんと立ち話、と思えば目的地めがけて足早に歩き、歩く後ろ姿に「この街に住み続ける自信」が漂う。

 夕方には学校帰りの小学生が街を元気に駆け抜け、夜には学生と思しき若者が連れだって商店街を歩く。様々な世代がそれぞれに、普段着で街の暮らしを楽しんでいることがよくわかる。

 この谷中銀座商店街から一本道を入ったところに、カフェ兼アートギャラリー等が入る最小文化複合施設「HAGISO」がある。この木造2階の建物の中にまちやど「hanare」のレセプションがあり、コンシェルジュの大浦百子(おおうらももこ)さんが「こんにちは」と笑顔で出迎えてくれた。

HAGISOの外観
大浦百子さん

The whole town can be your hotel (あなた次第でまちはホテルになる)

 2015年にオープンしたhanareは一つの建物に完結したホテルではなく、谷中のまちを一つの大きなホテルに見立てている。コンシェルジュの大浦さんが客を出迎え、希望を聞きながら宿泊客を街や店とつなぐ。希望があれば小一時間ほど街を歩き案内もしてくれる。「The whole town can be your hotel(あなた次第でまちはホテルになる)」のだ。

「地域の中に、観光客だけを意識した施設が増えていくことは、住民の目にはまちを自分たちのものから他者に明け渡していくように映ります。(中略)小さな住居に暮らしを閉じ込めているよりも、まち全体に自分の居場所が点在していることで豊かな体験を享受していることに気がついたのです」

(2018年度グッドデザイン賞金賞のHPから転載)

 一級建築士でありhanareを運営する株式会社HAGISOの代表取締役でもある宮崎晃吉さんは2018年度グッドデザイン賞金賞の受賞を紹介するウェブサイトでまちやどhanareに込めた想いをこう表現している。

まちやどhanareのコンセプト ©株式会社HAGISO

 ホテルのレセプションは「HAGISO」の2階にあり、お茶とお菓子をいただきながらチェックイン。大浦さんからhanareオリジナルの地図をもとに、谷中の歴史や街の見どころを伺った。ガイドブックにあるような観光名所が案内されるわけではない。大浦さんは自身が実際に体験し見聞きした「街のおすすめ」を教えてくれるのだ。例えば、私の「夕食はヘルシーでスパイシーな料理を食べたい」というリクエストに、大浦さんはいつくかの飲食店をすすめた。近くに銭湯は3か所あるが、「ここは谷中らしい地域のつながりが感じられる銭湯」「宿から離れているけれど店主さんがユニーク」などそれぞれおすすめのポイントが全く違い、自分の好みを選ぶことができる。

 宿泊は別棟の「丸越荘」だ。5つの居室と共用でシャワールームとトイレがある。丸越荘は古い木造の建物なので、防音には限りがある。宿泊の心得として、館内では消灯時間や他の居室にいる宿泊客への配慮が求められる。翌日の朝食はHAGISOの1階にあるカフェ「HAGI CAFE」で、「旅する朝食」が提供される。宿泊に朝食と銭湯の利用券が1枚ついて1名1泊15000円~だ。宿としては割高に感じられるかも知れないが、木造建築で居心地よく丁寧に整えられた居室、ともすると敷居が高く感じる商店街を常連のように利用できる居心地の良さ、何より江戸の風情が残る美しい街並みや暮らしを朝昼夜と味わう贅沢……hanareは実にお得な宿なのだ。

 大浦さんの案内でHAGISO近くの宿泊棟に向かった。築50年以上の古い木造アパートである丸越荘がリノベーションされた建物だ。味わいある柱や階段は磨かれ、作り付けの下駄箱が残されて美しい。もともとは学生向けの賃貸アパートだった丸越荘の間取りを生かし、シンプルな和室の窓越しから街の気配が感じられる。

丸越荘の下駄箱(上)・階段(中)・宿泊室(下)

 夕暮れのまち歩きでは、大浦さんの案内で谷中のさまざまな雰囲気を楽しんだ。

 谷中銀座からよみせ通りを歩きながら、「このお店の店主さんはお話し好きなんですよ」「ここのコロッケは激安です」「このパン屋さんはハード系で、HAGI CAFEでもお出ししているんですよ」「ここのお魚は絶品」などなど、実感がこもる案内に大浦さんの「谷中愛」があふれる。はじめて訪れた私まで、この街にずっと住んでいるかのような気持ちになった。

散歩しながら谷中にたどり着く

 大浦さんは現在、社員としてhanareのマネージャーを務める。地元は千葉県我孫子市で、いまもそこから通勤している。中学高校大学と都内に通い、大学ではスペイン語を学んだ。それまでの人生は「なんでも希望が叶う」恵まれた環境だったと振り返る。ところが就職活動で壁に突き当たる。スペイン語を勉強したが仕事にしようとは思えなかった。卒業が迫り「私はいままで何をしてきたんだろうか?」と思い悩んだ。親を安心させたい、とりあえず就職できればいいとシステム系の会社から内定をもらった。

 はじめて社会人になったものの、入社した会社の何もかもが合わなかった。仕事内容や職場の雰囲気、職場の空間や空気感すべてに適応できずにいた。入社して半年で体調を崩し、そこで人生はじめての挫折を味わう。会社を3か月休職しながら人生を振り返り、内省に内省を重ねた。結局、悩みぬいて入社半年で会社を辞めることにした。

 体調を戻すためにさらに半年、病院と自宅を往復するニート生活を送った。医師から「運動になるし、日光を浴びるとセロトニンを吸収して幸せな気持ちになる」と散歩を勧められた。当時は家を出て、歩くだけでもハードルが高かった。1日3分から散歩をはじめ、3分が5分になり10分になったころ、いつも見ていたはずの我孫子の風景に「きれいだな」「ここってこうなっていたんだ」と気持ちが動いた。それまで見えていなかったものが見え始めた瞬間。感覚が研ぎ澄まされていた。

 散歩の魅力に気づいたのもこの頃だ。いろんな場所でいろんなものを見て感じたいと思った。散歩の距離はどんどん伸び、勇気を出し電車にも乗った。1駅2駅と距離が延びるほど元気になっていく。電車一本で行けると、あるとき日暮里を目指した。

 日暮里に降り立つと「この街に死ぬほどビビッときた」と大浦さんは語る。まとっている空気感や街の人たちが会話するトーン、街のビジュアル……すべてが気になり心地よい。なによりこの街が好きだと思った。

 その日から谷中にたびたび遊びに来ては元気を取り戻し、働き始めるなら谷中でと仕事を探した。就活失敗の経験から、自分が仕事に求める軸を「自分の心地よいと感じる空間」「自分がいいなと思う人がいる」「自分がやってみたいと思う興味があること」の3つに決め、谷中のカフェでアルバイトを始めた。1年間で働くことに慣れ、体調も回復。病院を卒業するころにカフェが閉店することになり、谷中でもう一度仕事を探したときにスタッフを募集していたまちやどhanareに出会った。

コンシェルジュの心意気

 パーソナルなコミュニケーションを日常的にする仕事がしたいと感じていた大浦さんに、hanare の仕事はうってつけだった。

 お客様とチェックインで会い、対面で街の魅力を伝えさせてもらう。外国からのお客様には英語でコミュニケーションが取れて自分の力にもなる。何より自分の好きな谷中の魅力をいろんな人にたっぷりと時間を使い伝えられる仕事であることや、HAGISOやhanareの職場空間が好きなこともいい。宿泊業の経験は全くなかったが「働いてみたい」と思い応募して、4月に採用された。

大浦さんがお客様をお迎えするレセプション(HAGISO 2階)

 宿は、フロント業務、客室清掃、夜間の宿直を含めて10名あまりのスタッフが入れ替わりで業務にあたる。およそ9割が海外からの訪日客だ。ヨーロッパからのお客様には長年支持を得ているが、最近は台湾や韓国などアジアからの宿泊が増えている。国内から訪れる宿泊客は、「まち全体をホテルと捉えて暮らすように滞在する」コンセプトに魅力を感じて訪れる人、建築やリノベーションに興味を持つ人、谷中のまちの雰囲気が好きな人、ローカルについて探究心を持つ人など、実に様々だ。

「東京で信じられないほどのローカルな滞在。私は絶対にまたここに滞在します」「朝食とホストが残したメモがとても気に入りました。このエリアはクリエイティブな中心地であり、カフェや小さな飲食店/バーを散策し楽しむのに最適な場所。また泊まりたい」など、宿泊客の評価も高い。

 すべての仕事を教えてもらった前任の先輩は、大浦さんがいま一番尊敬する人だ。宿泊業のこと、街のこと、社会人としての在り方も教わった。至らない点を感じながらも、彼女のおかげでいま宿を切り盛りすることができている。個人として感謝され想いをかけてもらえることが、大きな会社にいた時には経験できなかった喜びだ。その分、自分には責任がありプレッシャーもある。大変なことは多々あるが、お金以外の報酬も受け取っている実感がある。

 大浦さんは、宿泊されるお客様やスタッフ、そして街の人たちを大切に思っている。普通のホテルには、「街の人」という視点は含まれていないように思うが、「街という舞台をお借りして体験するサービスを提供させていただいている」と考える大浦さんには、街の人が何より大切だ。10月にマネージャーに就いたばかりだが、誰かに強いられるわけではなく自分から積極的に街に関わっている。

 商店街の店主や街の人には、まず自分からあいさつをする。また、「この街を紹介するためには実際に自分が利用者になることが大切だ」と大浦さんは語る。銭湯や飲食店、お土産屋も自分が店を利用してどう感じるか、最初に利用経験を積んだ。店を利用した時には店主に必ず話しかける。「実は私はこの街にある宿で働いているものです」と自己紹介をして、宿の話をさせてもらう。店主に「谷中の街が大好きでこういう仕事をしているんです」と話をすると、「え~そんなところがあるんですね」と言ってくださる方もいる。でもほとんどの方が「ああ、萩荘さんだったところですね」と理解し、hanareを知っていてくれるそうだ。

 学生向けの木造風呂無しアパートだった萩荘は、東日本大震災の後に取り壊しが決まった。萩荘の住人だった宮崎社長とその仲間が「自分たちが暮らしてきた場所が取り壊される」ことにさみしさを感じた。家が新しくできる時は祝福されるのに、壊されるときは何もなかったように更地になる。「どうせ壊すなら、盛大に建物のお葬式をしよう」と萩荘の大家である宗林寺(萩寺)に掛け合い、萩荘の建物全体をアートにしてしまおうと思いついた。せっかくアートの空間ならば、誰かに見てもらえたらおもしろいという話になり、「ハギエンナーレ」という名前で建物のお葬式を公開した。

 ハギエンナーレには1500人に及ぶ人が集まって大盛り上がり。その熱気と熱意に触れた大家のご住職が「古いボロボロのアパートなのに、物の捉え方や見方が変わることでこんなに愛され、価値が再構築されている」ことを目の当たりにし感銘を受け、取り壊しを白紙にしたいと心変わりをされた。

ハギエンナーレ2012の様子。萩荘の外観(左上)、作品「土壁x萩荘のビス」平川祐生 ×ヒラカワアツシ(右上)、作品「わっかっか☆」間宮洋一(左下)、クロージングパーティー(右下) 写真提供:株式会社HAGISO

 その後、宮崎社長たちからご住職に「この建物を壊すのをやめて、何か人が集まるような新しい空間を作りたい。僕たちに任せてもらうことはできないか」と話をもちかけ、そこで最小複合文化施設HAGISOが生まれることになる。HAGISOは創業10年を迎えたが、時間をかけて社長やスタッフがつくってきた地域との信頼関係があるから、hanareで働く大浦さんも地域で認識してもらえるのだと思っている。

 HAGISOは、「世界に誇れる日常を生み出す。」がコンセプトだ。日常が鍵。特別なことをしようとか、おしゃれな空間をつくろうというわけではなく、この場所にあるいままで守られ続けてきた日常こそが最大の誇りだ。その日常を新たに形づくり、暮らしをつないで文化を生み出していくことがHAGISOの仕事であり、その一つがまちやどhanareだ。

HAGISO パンフレット。谷中の地図に創立された時期ごとに番号を振られ、HAGISOがはじまって以来の取り組みについて順を追ってみることができる。

 宿と街を信頼でつなぐことに、大浦さんは丁寧に時間をかける。宿泊客が来た時、店を案内するときは事前に店に話を聞き行く。例えば、「外国の方がお店に行きたいと言った場合にご対応いただけますか?」と確認すると、一人で店を切り盛りされている場合は外国の方が来ても対応が難しいことがある。逆に、「外国の方でも大丈夫ですよ」という店もある。そこで「このお店はどういうお客様を求めているのか?」「お店のコンセプトは何か?」を学ぶ。この経験を繰り返し大浦さんの中に「場所」と「店」に「人」が加わった地図が出来上がる。店と親しくなり新しい人や場所を紹介されることもある。出会いを繰り返すうちにつながりが枝分かれして、網目のようにリアルな街に広がっていくのだ。

 宿をしながらつながりが増えると、「街の人たちに承認されている」「味方になってくれる方がいる」ことに気づく。これは宿にとってだけでなく、宿泊客にとっても街で心地よく過ごしていただける機会につながるのだ。街の人に大浦さんが何者でどういう仕事をしているのかが理解され信頼されると、宿泊客と街の人の双方に良い循環が生まれるというわけだ。

偶然が落ちている確率が高い街

 いま宿と街や街の人に信頼関係があるのは、長い時間をかけて街の人たちが関わり合いながら谷中の街をつくってきたからだと大浦さんは考える。「この場所に私たちは入れていただいている。そもそも街のポテンシャルがあって宿が成り立っている」と肝に銘じている。

 例えば、「谷根千」という言葉を生み出した地域雑誌「谷中・根津・千駄木」は、1984年に地域在住の働く母親たちの手で創刊されている。「若者が集まるところでも開発が進むわけでもない、ごく普通の3つの地域の歴史や文化などの話題や生活の直接の情報を掲載して、地域おこし、地域を新しい価値観で見直すことを提唱した」(Wikipedia「谷根千」より引用)この地域雑誌は、大浦さんが街の歴史を学ぶ貴重な教材だ。創刊当時、明治生まれの人に話を聞けば江戸時代のおばあさんの話になったというが、編集部の方々が市井の人から直に聞き取った話は令和のいま大浦さんから国内や海外の宿泊客に語り継がれている。

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』のバックナンバー

 狭い路地や商店街には、人と人との程よい距離感がある。大学が近くにありこの街に住む学生も多いが、多くのものを持たなくても銭湯や飲食店や惣菜店など商店街を利用すれば街全体が暮らしの場になる。持てるスキルを発揮する場にもなり、若い世代が空き家や空き店舗をリノベーションしおしゃれな店を開いている。

 大浦さんは「この街には偶然が落ちている確率が高い」と教えてくれた。おもしろいことが街なかではじまるきっかけは、いつも偶然だと。たまたま訪れた場所で話したアイデアが「やってみよう」とひょんなことから動き出す。それは、この街には文化や創造を生み出してきた歴史があり、違いを受け入れ信頼を生む関係を保つすべが暮らしの中に生きているからではないかと私は思う。何より「やってみよう」と思い立ち、身軽に行動を起こす芸達者な人たちがいる。

五感で味わう谷中暮らし

 宿泊した夜、私は大浦さんおすすめのカレー屋で夕食を済ませて、夜道を歩き銭湯に向かった。はじめて訪れる銭湯だが、常連と思しきご婦人から脱衣場で「こんばんは」と声をかけられた。銭湯の常連客は新参者に厳しい印象があったが、ここはあいさつがやさしい。熱めの風呂に何度か入ると頭も体も冴え冴えとして、生きている実感を取り戻した気分だ。

 湯上り気分で宿へ向かう道すがら、夜の商店街はシャッターが下りて静かだが、街路灯がともる通りを学生と思しき若者たちが歩いてほんのり安心感がある。通りから宿に入り引き戸を閉めると、中は本当に静かだ。時折窓外を歩く人の気配にほっとしながら眠りについた。

翌朝は、夜明けとともにひとり早朝のまちあるきに繰り出した。透き通った空気の中を、街の先輩たちがもう歩いている。負けじと歩き、朝日が昇るころに団子坂を見上げ根津神社まで足を延ばした。帰りは藍染大通りからへび道を行くと、閑静な住宅街の中におしゃれなパン屋と雑貨屋を発見して気分があがる。

 朝食の時間にHAGI CAFEへ移動すると、朝の光が差し込み、あたたかいが抜けのある空間で落ち着いた気分になる。提供された「旅する朝食」は、スタッフが神奈川県西部の港町、真鶴へ旅をして選んだ干物が絶品。味噌汁の味噌も油揚げも真鶴町産の食材でつくられ、訪れたこともない真鶴に想いを馳せてしまう。

 朝食が終わった頃に、突然アートギャラリーの赤いカーテンが開き、ピアノの生演奏が始まった。クリスマスまでの日めくりステージ「ハギスマス」。ギャラリーを舞台に、カフェに来たお客さんと町の表現者が偶然に出会うステージだ。不意を突かれたドビュッシー「月の光」のピアノ演奏に心震えて、半ば放心しながら宿を後にした。

夜明けのよみせ通り
宿泊客の朝食会場にもなるHAGI CAFE
旅する朝食
ドビュッシー「月の光」を演奏する宮崎社長

 24時間滞在した谷中の暮らしは心地よく、新しい体験が私の五感を刺激した。日常の中にわくわくし、ほっとする瞬間がいくつもあった。それは長い時間をかけて、この街で暮らす人たちや大浦さんのように街の魅力に引き寄せられてきた人たちによって丁寧に育てられた賜物だ。仕掛けの妙や仕組みの秀逸さ、表現する力に支えられていることはもちろんだ。その裏側には、大浦さんたちの街に学ぶ姿勢や街と人を結ぶ働き、やってみてダメだったらやめてもいいスピード感で次々とおもしろいものを生み出して人を喜ばせる柔軟な動きがある。そしておもしろさを認め応援する街の人たちとの好循環が、偶然から新しいことが起こり続けることを可能にしていると思う。

 まちやどhanareでは、五感に働きかける大浦さんの案内を受けて、偶然に出会いながらまちの日常を体験し、日本の暮らしに希望を感じた。大浦さんやスタッフのワクワク感が共振してhanareの雰囲気が出来上がっていったように、宿泊客や街とhanareの間にもワクワク感の共振が起きている。だから、おもしろい偶然が起きやすくなるのかも知れない。谷中の街に溶け込む大浦さんの周りで起きる偶然は予測不可能だが、おもしろいことに出会う確率はかなり高い。世界に誇れる日常はここにあるのだ。


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第4回 散歩でたどり着いた谷中で「まちやど」のコンシェルジュに 大浦百子さん(まちやどhanareマネージャー) 

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