商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第3回 「人が暮らす生態系」を育む建築士 吉田尚平さん(合同会社オンド代表)
古くて新しい商店街
東武東上線霞ケ関駅(埼玉県川越市)から徒歩12分のところに昭和の空気を感じる角栄商店街がある。1964年に地元の角栄建設が2500戸の宅地開発を行い、それに伴って商店街が生まれた。現在も生鮮三品をはじめ、パンに着物、自転車に家電と地域の暮らしを支える店があるが、半数近くはシャッターが下りている。一方、数年前から新たな個人店も増えた。そんな商店街にある小さな複合施設「mibunka(ミブンカ)」を運営し、角栄商店街の理事も務めるのが吉田尚平さんだ。
今年4月に商店街の一角にオープンした複合施設mibunkaは、1階が書店「つまずく本屋ホォル」、「38℃カフェ(サンジュウハチドカフェ)」、高齢者の困りごとを支援する有償ボランティア「地域生活応援団」の拠点、2階はコワーキングスペースで構成されている。1階は埋め尽くされるように並ぶ本に囲まれながら、音楽が流れるカフェでお茶も飲める。カウンターには地域生活応援団のコーディネーターが常駐し、困りごとの相談や世間話で地域の人たちが入れ代わり立ち代わり訪れる。ぶらりと訪れてひとり読書も楽しめる、街のリビングのような場所だ。
mibunkaの経営母体は合同会社オンドだ。2018年に川越市産業振興課が主催した「第3回まちづくりキャンプ in 川越・霞ケ関」というリノベーションスクールに参加したメンバー6名で2019年に創業した。「地域に潜む課題を見つけながら、空き店舗を活用し、対応する事業を少しずつ展開して、閉まったシャッターを開けていく…地域の価値を高める」(合同会社オンドHPから引用)ことをビジョンに掲げている。
霞ケ関北エリアは、市内で高齢化が一番進んでいるエリアとされていた。商店街は1階が店舗で2階が住宅という長屋形式で、1つの建物だけを建て替えることは難しい。年を経るごとに商店街の建物は古くなり、不動産としての価値も下がりつつあった。見方を変えれば、家賃が安い。若い人やこれから街で何かを始めたい人にはチャンスがあると、吉田さんはこの商店街に興味を持った。
合同会社オンドは「小さな居場所」をつくる事業として複合施設mibunka(カフェ・コワーキング・シェアスペース・ギャラリー)を運営している。このほかに、自治会が10年ほど運営してきた有償ボランティアによる住民の生活支援を「地域生活応援団」として再編し事業として引き継いだ。また自治会が管理している児童遊園の清掃なども会社の事業として担っている。
生活する場所として満足できることが大切
吉田さんは大学で建築を学び、「空間が人にどういう影響を与えるのか?」に強く興味を持った。大学院を出て就職した設計事務所では「建築が及ぼす暴力性」について注意深く教えてもらったという。建築の暴力性とは、建築が人の行動を規定してしまう危うさだ。社会を規定してしまうかもしれない空間の力を意識するようになった。
東日本大震災が起こった後は、日本の人口は減っているが建築は依然として新築でつくられ、新築の必要性に疑問も湧いた。リノベーションの流れに触れた時、「いま持っているものをどう活用していくか」という考え方に自分と近いものを感じた。
事務所を辞め実家がある川越に戻ってみると、久しぶりに住む川越は観光地化が進んで街はにぎわっていた。しかし、昔通っていた銭湯やデパート屋上の遊園地が無くなり、魚屋や花の市場など子どもの頃に体験していいなと思っていた場所は消えていた。吉田さんは商業や経済面以外の「街の動き」に興味があった。「そこが生活する場所として満足できるか」を大切にして、地元で何かをはじめたいと思った。
いごこちがいい遊び場の効用
前述のまちづくりキャンプで立ち上げた合同会社オンドは、熱すぎず、冷たすぎない「長湯したくなるような、お湯の温度」がコンセプトだ。メンバーは、舞台芸術をしている人、調理をしている人、講師、観光をしている人、学生(結成当時)と経歴はバラバラだ。みな仕事を持ち誰も中心として事業に関わることができなかったので、仕事を辞めて時間が自由に使えた吉田さんが代表に名乗りを上げた。
「自分たちがいて、居心地のいい場所」をつくりたい。「飲み物飲みたいよね」「本読みたいよね」「話ができる居心地のいい空間があったらいいね」と話した結果、喫茶店という形で事業を開始した。だが、入居候補となる商店街の空き店舗には水場がなかった。商店街のいろんな店で間口を測り、どの店にも入る屋台を設計し開業資金で手作りした。この商店街のどこかが借りられれば、屋台で営業できる。オーナーさんが一時的にでもOKしてくれたら、いつでも店を開くことができる状態になった。
都市計画の考え方で、アメリカでスタートしているタクティカル・アーバニズムがある。LQC(Lighter Quicker Cheaper)がキーワードだ。プロジェクトで大きいお金が生まれるとは考えにくいから、軽く、早く、安く始める。この考え方が自分たちのやり方に近いと考えた。軽やかに実践して、スピードをもってやっていく。この街にもこの考え方があっていそうだと思った。
屋台で喫茶店を開くプランを基に、場所を貸してくれる人を探して商店会長や自治会長に会った。公民館でクリスマス会を企画した。「こんなことがしたいんです」と来場者に自分たちやプロジェクトを知ってもらい、そこからいろいろな人を紹介してもらうが、場所を貸してくれる人に出会えなかった。ある時「一時的なら使ってもいいよ」というオーナーにめぐりあい、屋台で38℃カフェ開店にこぎつけた。
書店「つまずく本屋ホォル」は人気の店だ。38℃カフェをはじめてすぐ、店に古本を置いていた頃、現在店長をする深澤さんが客としてやってきた。「バイトする?」と声をかけてスタッフに加わってもらったが、いつの間にか書店は深澤さんが主体となって切り盛りされている。最近では浦和や熊谷、本庄で開かれるイベントへ出店の声も掛かるようになった。
調理師をしているメンバーは、川越市内のNPOと組み、「夏の国際交流会」という料理をつくる会を開いた。語学が得意だから、参加して一緒に遊ぶ。舞台をやっているメンバーは、近くの小畔川河川敷でコンテンポラリーダンスを見ながら食事を楽しむイベントを企画し実現した。もう一人はシェアハウスをやりたいと言っている。オンドに参画しながら、事業を運営していく経験や会社の立ち上げ方を横で見ていて学んでいるのだ。
公共圏をつくることを仕事にしたい
中心になって事業を回す吉田さんにとって、合同会社オンドはメンバーとは違う意味を持つ。
吉田さんは街や社会がどういう風にできているかに関心があった。ドイツの哲学者ハーバーマスがいう公共圏の考え方に刺激を受けた。「公共圏」とは、私的な利益を超えて、社会全体の問題を自由に議論できる場のことだ。 ハーバーマスは、公共圏が健全であれば、社会全体の課題を解決するためのコミュニケーションが活性化し、社会を良くするための力が生まれると考えた。
ハーバーマスの議論をもとに考えれば、プライベート(私的な領域)とパブリック(誰のものでもない領域)の軸、生活世界(日常的に存在している世界)とシステム(社会が機能的に分化した結果として生じた政治システムと経済システム)の軸で、社会は四つの領域に分けられる。
システム化されたパブリックは行政機構だ。そこで建築家は行政を顧客として美術館や劇場をつくり、行政の目的を達成するためのプレイヤーとして仕事をする。システム化されたプライベート(民間)は経済市場で、商業者なら店舗をつくり利益を上げる。プライベートな生活世界は親密圏と呼ばれている。住宅のように家族的な関係が育まれる場であり、ケアがなされ豊かな生活を享受する場だ。そして最後に残ったコミュニケーションを生むパブリックな生活世界である公共圏だけは、ほとんど誰も仕事をしていないと吉田さんは思った。それが何かもわかっていないし、ましてやお金もない。だから仕事ができないのだが、吉田さんは公共圏がとても大事なところだと思っている。自治会もそうだし、NPOもそうだ。それを仕事にする、そこで空間をつくる。ハーバーマスの四象限それぞれの世界が十分にいい空間を持っていれば、社会のバランスが取れるはずだ。
街にはケアが必要
いま衰退する象徴としての商店街が、枠組みとして強い言葉になっているのではないだろうかと吉田さんは考える。吉田さんは自治会にも商店会にも所属しているが、たまたまそういう名前の組織があるだけで、商店街も自治会も生態系として見ているという。生態系を理解するためには、住んでいる人と個々のお店の関係性などを細かく見ていく必要がある。
商店街の活性化について、「中にいる人はそもそも活性化を望んでいないのではないか」と感じている吉田さんは、活性化より街のケアがいま必要ではないかと考える。先人たちの歴史をどういう形で受け取るのか、受け取らないのか、いま考える時期に来ている、と。
参加している自治会では「自分たちで暮らしを何とかするんだ」という意識が強い。10年活動してきた有償ボランティア組織の中には、大事にしたい精神性を感じる。吉田さんは思い切って自治会役員になったが、高齢化に悩む自治会と有償ボランティアの活動を切り離し民間組織にしようと決めてオンドの事業に組み込んだ。市から自治会に委託されている児童遊園の清掃や地権者から委託された空き家管理を、いまはオンドで仕事として請け負っている。これも吉田さん達が先人から受け取り、新たな形で継承を模索する試みのひとつだ。
より良い縮小と豊かな街とは
商店街の課題と商店会の課題は違う。問題のありかは別々だが、商店街と商店会は影響し合い、商店街の課題が解決することで商店会の課題が解決される可能性もある。その逆もしかりだ。しかし、片方を解決したからと言って、もう一方が必ずしも解決するとは限らない。なんとも言えない関係がある。
吉田さんは課題を解決することよりも、むしろ商店会のコミュニケーションを楽しんでいる。もちろん課題はいろいろあるけれど、あまり問題視はしていない。課題を横目に見ながら、どうやって街のケアをしながらより良く縮小していくかを考えて行動することが大切だと考えているからだ。
商店会も商店街にも興味がなく、個店として店主の影響力で人を集めにぎわう動きも確かにある。しかし、街はもっと複雑だ。同質性が高いコミュニティが出来上がると、人気の場所であると同時に排他的になる二面性がある。本当にバラバラな関係が隣りあっている方が、街として豊かであるのかも知れない。
店を持ち地域で話を聞いていると、高齢者はいろいろ困りごとがある。店主も「お客さんいないなぁ」「売り上げもっとあげたい」と思っている。それぞれがそれぞれに向けて動きながら、街全体が少しずつよくなっていったらいいと吉田さんは考える。
にぎやかになりすぎると、にぎやかさを望まない人たちはそこにいない。明るすぎてもつらい人たちはいる。「温度管理」は難しい。
何かを見せるのではなく、「見えないものが見えるようになる」とか「恣意性をどう消すのか」が考えるべきところだと、以前勤めた設計事務所で教わった。物事をつくるときには自分が正しいと思っていることやすばらしいと思っていることを、もう一度自己批判的に慎重に検証してみる必要がある。それは、人を動員させてしまうようなある種独特の感情を起こさせるものから離れたいと思っているからだ。
いつもどこかで何かが起きている街に
吉田さんが角栄商店街にやってきて5年が経つ。2019年にオープンした38℃カフェは2021年に一度店を閉めて、2023年にはmibunkaとして衣替えをして開店している。
また、商店街には、新たに4軒、店ができた。吉田さんが関わり相談を受けた店もある。新しく店ができたことは、吉田さんがいたことや38℃カフェがあったことに関係しているかどうかは分からない。
自治会では公園を整備し管理できるようになった。応援団としてお手伝いをしてくれる人たちがいるおかげだ。応援団は、自治会員で仕事をリタイアされた方々が多い。平均年齢70歳以上のオールスターだ。自治会の会則と商店会の会則も変わり、誰でも参加しやすいように電子投票ができるようになった。自治会の部局が減ったり、ボランティア制度を入れたり、参加しやすいように変えている。
この街ではいろいろなグループが主体となって、いつもどこかで何かをしている。近くを流れる川では2022年3月に音楽とマーケットのイベント「霞ケ関リバーサイドリビング」を開催した。オンドが主催し、ほかの商店主を巻き込んだ。商店会では通りを通行止めにしてこども商店街を、自治会は環境対応カフェをやって公園政策へつなげている。
街が一人でできるわけではなく、建築も一人ではできない。まして都市や国家を一人の人間がコントロールすることはあり得ない。吉田さんが街やコミュニティと向き合う時、一人が計画を立ててみんながそれに向かっていくことよりも、コントロールする人は誰もいないけれど、それぞれが思うようにやってやがて組織化されていくのが目標だ。大変だけれど、予想していない方向に進む意味で、いまは目標通りに進んでいるのかもしれない。
同じエリアの中で、違う価値観のもとそれぞれの場所で活動がなされている状態がいいのだと吉田さんは考えている。
自治会では公園の掃除をしながら、来年は児童遊園周りで何かイベントをやろうと話をしている。自治会が児童遊園を管理しているので、自治会が主催でなければできない。商店会は店から道路が近く使いやすいから、道路を使いイベントを仕掛ける。
地域生活応援団では、近くの住宅地で空き家を片付ける仕事をしている。あるオーナーは家の中のものは全部捨ててしまいたかったが、売れそうなものはたくさんあった。そこで、ハンドメイド作家さんにも来てもらい、空き家を会場に蚤の市を開いた。地域の人が集まって残留物を買ってもらい、売り上げたお金で庭を掃除する仕組みにした。
いつもどこかで何かやっている。でも、外から見るとここは何をしているのかは分からない。それは主体性を消すという意味でいいなと思いながら、オンドは事業を試みる。
つまずく本屋ホォルは、「街に出会う入り口」に適していると思う場所だ。街に取り込みにくい男性の高齢者は、意外と本を買ってくれる。本は人と関わらなくてもいいところが良い。本と人で完結する世界がある。関わりたくない、巻き込まれたくない、落ち着いていたい人にも、本を入り口にする書店はいい居場所になる。
そうは思いながらも、彼らをいつかお手伝い活動に巻き込みたい気持ちもある。
街の動きに巻き込まれるのもいいし、巻き込まれずに外側にいてももちろんOKだ。いつも開いている避難所のような居場所が角栄商店街に生まれて、街と人がゆるやかに行き交う。事業をすると大変なことや困ったことはもちろんあるが、焦らず騒がず淡々とおもしろがりながら、いろいろな人たちがそれぞれにやりたいことをやり、談笑し、全体としてあたたかな調和や多様な動きが生まれている。
街をつなぎ変える建築発想
吉田さんは、商店街の課題は一つの論点で解決することは難しいと考えている。暮らす人の生態系にあわせた複眼的な、複層的な問題を同時にやっていかなければならないだろう、と。商店会からも、自治会からも、事業主である吉田さんの立場からも、有償ボランティアの立場からも、全方位的に活動することが必要だと考えてオンドの事業に取り組んでいる。
この複雑な状況を整理し事業を行う中で、吉田さんの建築家としてのスキルは生きている。建築では、お金のこと、時間のこと、土地や気象条件、法律、材料、働く人たち、それを組織化して空間や形にするスキルが求められる。角栄商店街の中に入り、店を構えて空間をつくり、人と関わり事業を生み出しながら、少しずつだが生きる場所として満足できる街の暮らしが再編され始めている。
人が暮らす生態系としての商店街
人口減少社会のいま、経済的に持続することと私たちが人間らしく生きる場を取り戻すこと、二つの面で私は商店街に可能性を感じている。吉田さんの言葉を借りれば、身近な商店街に、最盛期に埋め尽くされた街並みから抜け落ちた(良い意味でも、悪い意味でも)すき間が生まれる。しかし、すき間は単純に悪いものだけではなく、新たなものを生み出して試みるスペースになる。
先人たちの取り組みの「何を残して、何を残さないのか」という吉田さんの問いかけと、選んだものを継続しやすい形で再構築することを試み、地域の人たちと楽し気に運営する姿が印象的だ。商店会・自治会・ボランティアなどなど、考えや活動が違う層が同じ街を舞台に生きていて、柔軟にそれぞれが楽しそうにやりたいことを実現している。巻き込まれてもいいし、ひとりいてもいい。ひとりひとりが尊重されて、安心して力を提供し合える関係も選択できる。街のために人がいるのではなく、人のために街があるのだ。
活性化という願望や期待に満ちた状態に向けて一つの方向へ向かうやり方とは違い、いまある問題や暮らす人に寄り添いながら、いまあるものを味わい楽しみながら、課題を頭の片隅に置き、次の世代へ渡す在り方を事業として模索するのがオンドだ。吉田さんが語る「社会全体の課題を解決するためのコミュニケーションが活性化し、社会を良くするための力が生まれる公共圏」は、レトロなアーケードが広がる商店街の足元で胎動を始めた。それはちょっと見ただけではわからないかもしれないが、ゆったり流れる商店街の時を経て育つ予感に満ちている。社会はここから良くなるのかも知れない。