商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。
第2回 元公務員、商店街でまちづくり会社を起業 木村郁子さん(合同会社ふくわらい代表、つくまる実行委員会代表〈レアールつくの商店街〉)
昭和が息づく商店街
JR鶴見駅から歩いて10分。日差しを和らげるアーケードがひろがるレアールつくの商店街(横浜市鶴見区)にやってきた。数軒の青果店に鮮魚店、精肉店、お値打ち商品が並ぶスーパー、海苔やお茶を扱う専門店が並び、昭和レトロな空気を感じる喫茶店や洋食店も立ち並ぶ。訪れた平日の昼間はのんびりと人が行き交い、店先ではなじみの客と声をかけあう店主の姿がある。歩くだけでほっとする、人の息遣いが感じられる商店街だ。
商店街の中ほどには「ぼてふり地蔵」がある。江戸の末期、近くの魚河岸から、ハマグリやアサリなどの魚介類を仕入れて売り歩いていた「ぼてふり(棒手振り)さん」と呼ばれる行商人たちがいた。彼らは、このお地蔵さんに商売繁盛の願をかけていたらしい。当時のお地蔵さんは横浜大空襲の時に消失してしまったが、2003年に「ぼてふり地蔵」として現在地に再建され、地域のシンボルとなっている。
戦前から今に至るまで工業地帯として栄えてきた鶴見区は、工場労働者をはじめ多くの移住者を受け入れてきた。NHKの朝ドラ「ちむどんどん」にも登場した沖縄の人々や、沖縄に縁がある南米出身の人々など、独自のルーツをもつ文化が愛され街中に息づいている。
レアールつくの商店街は、戦後の闇市から始まっている。1970年代の最盛期には、戸建てが並ぶ住宅街や海近くの下町から毎日たくさんのお客がやってきた。当時、商店街の中ほどに長崎屋(1960年代から70年代にかけて成長した、衣料に強い中堅スーパー)があり、通りの向こうが見えないほどにぎわい、家族連れが一日楽しめる商店街だった。80年代に入ると長崎屋が撤退し、それとともに商店街は少しずつ勢いを失っていった。とはいえ令和のいまでも日々の暮らしを支える個人商店が並び、商店街のある暮らしが保たれている。穏やかさの中にも底力を感じさせる商店街だ。暮らしの中で商店街がある風景が失われているこの頃、レアールつくの商店街はテレビやCMのロケ地としても有名だ。
元公務員が商店街で店長に
木村郁子さんは、2013年にこの商店街に仲間入りした。福島県棚倉町や西会津町などの特産品を扱うアンテナショップで、レアールつくの商店街にオープンした「kura-cafe」(クラカフェ)の店長に就いたことがきっかけだった。前職は横浜市鶴見区役所の公務員。在職中の2011年に東日本大震災が起きた。「あたりまえにあった日常は長くは続かない。命もいつまであるか分からない」と2013年に思い切って退職。そんな時に鶴見区の友好都市である福島県棚倉町から「風評被害払拭のためにまちの物産品をPRする拠点を友好都市の横浜市鶴見区の商店街に作りたい。手伝ってほしい」と声が掛かった。区の職員につないでもらい訪れたレアールつくの商店街に、木村さんは昭和の空気を感じた。
はじめは商店街に物産を並べた小さな区画が借りられたらいいと思っていた。だが被災地支援の施策を調べる中で、国の補助事業があることを知った。アンテナショップとして店舗をかまえると家賃と人件費が全額補助される。そんな事情から、被災地の物産品を扱うアンテナショップ「kura-cafe」の開設構想が生まれた。その運営会社になってくれないかと、まちづくりを行う会社に打診した木村さんは、同社に社員として迎えられる。しかも店長として店を立ち上げることになったのだ。店の立ち上げにあたっては商店会の会長や周りの店に助けられた。アンテナショップの店頭に立つ木村さんは「この商店街の店と人の密な関係がいい」「商店街は人と人のつながりを生む場所なんだ」と、あらためて商店街の魅力を思い出した。
つながり生きる商店街の魅力
八王子のニュータウンで生まれ育った木村さんは、子どもの頃から商店街が身近にあったわけではない。商店街に出会ったのは大学生の頃、都電荒川線に乗ってぶらりと荒川区にある三ノ輪の商店街に出かけた時だった。
「ノスタルジーじゃなくて、人のつながりが生きている商店街は新鮮」と驚いた。その後、授業の合間にせっせと三ノ輪に通い、常連客と店主の話す姿や街の様子をスケッチした。人間らしい街の付き合いを見たい、何よりもその空気を感じていたかった。
店の目の前にあるお茶屋には常連客が集まり、いつも店主を囲んで世間話をしていた。和気あいあいと会話を楽しみ、店とお客の気さくな日常がそこにあった。個人商店の店先で日常に繰り広げられる光景を見た時に、「個人商店のあり方を見たら、わざわざコミュニティを謳い場づくりするってカッコ悪いんじゃない?」と感じた。人とのつながりは商売の基本。商売を起点に地域に拡がるネットワークは、個人商店で年月を経て築かれ脈々と受け継がれている。
商店街で繰り広げられる地域のつながりや社会関係資本に目を奪われたのは、木村さんが行政で多文化共生を担当したことに由来しているのかもしれない。地域でのつながりや相互理解が希薄になることで生まれる様々な課題を紐解くカギを、商店街で見出していたのだろう。
合同会社ふくわらいを創業
レアールつくの商店街で震災復興を目的として数々の支援や協力を得て運営していたアンテナショップは、行政の復興支援策が終わりを迎えるとともに経営難に直面した。結局、開店から3年半で泣く泣く店を閉じることになる。このままでは終われない。大好きなこの商店街の中で、事業として仕事を成り立たせたい。悔しい想いをバネに木村さんは自立できる運営方法を考え、2017年に合同会社ふくわらいを起業した。
合同会社ふくわらいは、地元である横浜市鶴見区を舞台に、地域とつながりビジネスを広げるまちづくり会社だ。企業と個人、新しいものと古いもの、仕事と暮らし、異なるもののバランスを取りながら新しい価値を街に生み出し、まちの課題を解決する事業を起こし、人の流れが持続的に生まれることを目指している。現在は、イベントやマルシェの企画運営、地域に開かれた場づくりのためのコンサルテーション、地方自治体のプロモーションについてサービス提供を行っている。
その一方で、アンテナショップを閉めた木村さんは、「ふくわらい」の創業と同時にマルシェの開催に乗り出した。「店を継続することはできないけれど、毎月市を出すことはできる」と、空き店舗を借りて始めた「たなぐらマルシェ」だ。アンテナショップでは、福島県棚倉町他の特産品を販売していたが、商品を購入してくれるお客様や店のファンを絶やしたくなかった。「マルシェ」という形で同じ商店街に顔を出し続けたいと思って続けていたが、マルシェという割にオシャレ感がない、進化がない、利益もない、と悩みつつ、やれば楽しく、終わればまた悩んだという。
「つくのつくるのマルシェ」をスタート
3年後、コロナ禍で揺れる商店街で、たなぐらマルシェは「つくのつくるのマルシェ」としてリニューアルした。
「つくの」は商店街がある地名「佃野」である。「つくるの」には、未来の人材をつくる、地域や商店街の人が一緒になって未来の商店街をつくるという意味が込められている。
「つくのつくるのマルシェ」は毎月第一土曜日に開催している。地域の有志と実行委員会形式でつくる場は、大学生のインターンや様々なスキルを持つ協力者に支えられている。「商店街のある日常をもっと楽しみたい」という木村さんの想いに共感し、マルシェを支えることが協力者の喜びになっているのだろう。始まったマルシェは、木村さんや協力者にとっても商店街のある日常の豊かさをさらに味わう機会になり、活動をステップアップさせる原動力になった。
今年4月にはつくのつくるのマルシェを「つくまる」としてリニューアル、マルシェにあわせてスタンプラリーを企画し、商店街の店をまわってもらった。お散歩しながら新しいワクワクを見つけにマルシェにやってきて、スタンプラリーで商店街のお店にも入ってもらいたい。個人商店になじみが薄い子どもたちも参加できる参加体験コーナーも用意して、家族で過ごせる商店街を味わってほしいと考えた。
6月のつくまるはあいにくの雨で始まった。意気込んでいた木村さんはやきもきしていたが、昼過ぎから徐々に晴れて人出が増えた。狙い通り、チラシを片手に家族連れが集まり、スタンプラリーでマルシェや店をまわっていた。商店街の利用客は70代が多いが、つくまるには子育て世代が集まった。利用客が若返っている。「前回よりもたくさんの人が来てくれましたよ」というスタンプラリーに参加した店からの声掛けは、木村さんや協力者を元気づけた。初出店のブースでも新しい出会いが広がって、店主は出店の手ごたえを感じていた。
「ゆったりした空間だからこそ、広がる出会いがある」と木村さんは語る。商店街という場所で開いたつくまるは、気軽にいろいろな店や人と話ができる場だ。木村さんが伝えたかった「この商店街の店と人の密な関係の良さ」や「商店街は人と人のつながりを生む場所」という想いを、つくまるで実感できる機会になった。
レアールつくの商店街は加盟店が60店、歴史もあり、盆踊りや子ども縁日など季節のイベントを開催する大きな組織だ。一方、木村さんが合同会社ふくわらいの事業として立ち上げた「つくのつくるのマルシェ(つくまる)」は、商店街のある日常をもっと楽しむために、地域の有志と共に実行委員会形式で運営している。商店街の空き店舗を借りて、地方の美味しい食材や地域の作家の小物などを販売する小さな手作りのマーケットだ。
木村さんはマルシェには6つの機能があると考えている。
①販売機能:売りたいものがある人が出店し、買いたいものがある人が集まってくる。市場のような機能
②居場所機能:定期開催すると毎回出店する人や、毎回足を運ぶお客さんがうまれる。知り合いがいて顔を知っていてもらえて、自分の役割がある居場所。
③交流機能:新しい出店者やお客さんと出会う交流機能。出店者さん同士の情報交換や、ふと居合わせたお客さんで会話が始まることもある。
④インキュベーション機能:マルシェは新しい作り手が初めて商品を売り、新しい試みにチャレンジできる場所。机一台でできるのが特徴。
⑤担い手の育成機能:「マルシェ」の運営に参加することで、街の担い手が育つ(小さな組織やオルタナティブな団体・個人が「マルシェ」を開催する傾向が強い)。新しい担い手が街で場をつくり、実践によって人が育つ側面がある。
⑥街への集客・活性化機能:街に人を集める機能がある。マルシェをめがけて人が集まる。
これまで「たなぐらマルシェ」を持続してきたからこそ、いまのつくまるにはこうした機能が備わっている。
レンタルスペースで新しい事業者を呼び込む
合同会社ふくわらいはもうひとつの事業として、商店街にあった空き店舗でシェアオフィスとレンタルスペースを兼ねたSTARTBASEQを運営し、その軒先を日替わりでレンタルしている。これは小商いを始めた人や、これからやってみたい挑戦者を応援したいという想いからだ。孤独になりがちな小商い事業者に寄り添い、PR活動でサポートしたい。木村さんの視点は、地域の新しい事業者や商店街をまだ知らない若い顧客層に向けられている。人つなぎからプロモーション、販路拡大まできめ細かなサポートを事業化することで街に創造的な活動が生まれれば、確かに街が新しい形で賑わうはずだと私も思う。事業を通して、伝統ある商店街に新しい力を呼び込みたいと木村さんは願っている。
軒先レンタルは、軒先を貸したい店と出店したい事業者をつなぐ軒先ビジネスのサイトを利用し借り手を募集している。はじめてから2年がたち、いまでは商店街にあるポップアップショップとして営業日の8割を超える出店がある。菓子製造業の届け出をして自宅を起点にネットショップでお菓子を売る個人事業者から企業まで、多様な出店者が軒先に店を出す。開店当初、商店街の人たちは「軒先だけで商売ができるのか?」と半信半疑だった。しかし、商店街で展開するポップアップショップは出店者にとって他にはない魅力があるようだ。
携帯電話会社のプロモーションでは、福引の景品を商店街の商品でそろえ、来場者や商店街の店を喜ばせた。企業も地域とのつながりを重視しはじめ、商店街と良い関係を持ち、地元の売り上げに貢献しながらWIN-WINの関係づくりを模索している。今回、地元に馴染もうと福引企画を考え、商品を集めたのは携帯電話会社の社員たちだ。
ネット販売中心に営業する個人事業者たちの中には、「いずれは自分の店を持ちたい」と考えている人もいる。軒下レンタルに参加しながら、この街の客層や売れ筋をつかむテストマーケティングをして、商店街でいい物件はないか?と出店の機会をうかがっている。人と人の密な関係があるレアールつくの商店街には、ここならではの「場の価値」があると出店者たちは感じているのだ。
「商店街は暮らしと商売がつながっているところがおもしろい」と木村さんは考える。個人商店の店先で立ち話、健康を気遣う言葉かけがある。通るだけで顔を見せあい、互いの元気が確認できる。孤立を防ぐためにコミュニティスペースをつくることよりも、コミュニケーションの拠点となっている個人商店や商店街を残すことの方が、ひとりひとりの暮らしに寄り添った住みやすい街になると木村さんは考える。
悩みながら試行錯誤
マルシェをはじめて6年。出店や集客が増え規模が大きくなると、新たな悩みが生まれた。
商店街の魅力は人のつながりが生まれる場所であること。だが店主と常連客の高齢化に直面している商店街に、果たして5年後10年後もいまのように気さくに声をかけあう商店街の姿が残るだろうかと気にかかる。あたたかな商店街のつながりが残るいまから、この商店街に店を持つ若い店主や使い続けてくれる若いお客を育てなければ、未来が見えない。いまの商売だけにとどまらず10年先の街の在り方を俯瞰し、住民の暮らしに想いを馳せながら、商店街を支える仕組みづくりに行政がどうかかわるべきかについても元公務員の視点から悩む。
つくまるのあり方、やり方そのものに悩んでいる。事業として運営するためには、持ち出しのボランティアとして続けることは現実的ではない。一方で、6年の蓄積で商店会の会員以外の地域の人々が商店街に関心を持ち支えてくれている。新たなつながりが育っている……ならば、自分たちで資金調達をしようとクラウドファンディングにも挑戦する予定だ。
もっと楽しく、自由に
行政にいた時から木村さんは社会課題の解決に関心があった。できるだけ現場に近いところにいたいと思っていた。そして、木村さんが飛び込んだのは商店街。「いま残る個人商店と商店街がそもそも素敵な場所」「人間らしく暮らす場として地域の商店は大切な場所」。商店街のある暮らしを多くの人に知ってもらいたいと思っている。
一方で、木村さん自身は、まちづくりの事業者として商店街への思い入れがあるけれど、試行錯誤の連続に苦しさを感じていた。そんな時、ふと気づいたことがある。
「もっと気楽に、楽しめることをすればいいんじゃない?」
課題に目が行き過ぎて、自由になれていなかった。
多くの人を巻き込もうと活動すればするほど、さまざまな壁にぶつかり、調整が増えジレンマで疲れることも増えた。
だが、課題を横に置いて、「こんなことができたらいいな」と願っていることを街で試みたら、こだわりぬいた魅力が伝わり、いきいきと楽しげな姿が見られるようになった。そんなチャレンジがさらに広がれば、自分も仲間たちも、もっと元気が出るはずだ。
もっと楽しく、もっと自由に。
その小さな希望の灯がきっと次の一歩につながるだろう。
「鳥の目」「虫の目」で商店街に飛び込むプレイヤー
木村さんが商店街を考える時、単純なにぎわい創出や売上アップだけではなく、商店街という場が作り出す「人と人がつながる暮らし」や地域経済の振興と幅広い。それは、木村さんはもともと社会課題の解決に関心があり、公務員として実際に地域の課題や制度に向き合った経験がある所以だろう。社会全体から俯瞰して商店街を観る「鳥の目」が養われていると同時に、ひとりの個店経営者としての立場で、暮らす人たちや商店街の一員として現場を観る「虫の目」も加わり、商店街を複眼的とらえる強みもある。
「鳥の目」で商店街を囲む諸課題の全体像をつかみ、日々「虫の目」で現場に立ち、新たな試みを繰り返しながら、「こんな取り組みができたら」と、木村さんは商店街を取り巻く社会に想いを馳せるプレイヤーだ。
畑違いの商店街に飛び込んで、課題に集中するあまり楽しむことを忘れてしまうこともある。でも木村さんの周りには、活動をともにする新たな事業者や学生たちがいつも楽しげに集まる。
「人のつながりが生きている商店街はかっこいい」「人間らしく暮らせる場所を残したい」この木村さんの想いと複眼的視点は、商店街に着実に新たな人を呼び込み風を起こす原動力になっている。