商店街の衰退が叫ばれて久しい。郊外に進出した大型店との競合とそれに伴う中心市街地の空洞化、少子高齢化と人口減による商圏人口の減少、経営者の高齢化と後継者難など、その背後にある要因は日本の社会全体が直面している課題そのものだといえよう。商店街の活性化や再生に向けての模索が各地で続いているが、補助金を中心とした振興策には限界があり、商店街の役割や可能性そのものを見直す動きが広がっている。
そうした中、商店街支援とは無縁だったプレイヤーたちが、商店主や商店会とともに新たな可能性を掘り起こすケースが増えている。
マーケティングプランナーとして活動してきた著者もそのひとり。本連載では、商店街に飛び込んで異彩を放つプレイヤーを訪ね歩き、どんな化学反応から何が生み出されたのか、商店街の未来像を探る。

はじめに

 昭和中期に最盛期を迎えた商店街。当時は朝から夜遅くまで商店街に人が集まり、地域の人々を支え支えられながらさまざまな生業が営まれてきた。平成令和と時代は移り、商店街はコンビニやスーパー、ショッピングモール、通販や宅配に客を奪われた。いまではうまみが少なくなった商売を子どもたちには継がせたくないと、高齢になった店主がひっそりシャッターを下ろす店も少なくない。

 「小さい頃からここで買い物するのが楽しみだった」「通るだけで顔見知りに出会える場所」となじみの常連客は肩を落とす。しかし目を凝らしてみると、個人商店に縁が薄い若い世代が、シャッターが下り始めた商店街に魅力を感じ入り込み新たな胎動を起こしている。

 私自身も商店街に魅力や可能性を感じ、活動を始めたひとりだ。かつては、消費財メーカーの商品企画というマーケティング分野で経験を積んだ。2007年日本が人口減少に傾き始めたころ、青臭くも大量生産や大量消費が子どもたちの未来にどう影響を及ぼすのかと疑問を感じ、長く勤めた会社を辞めた。出会ったのが、地元に根付いた小さな事業が集まる商店街だった。お客様ひとりひとりのニーズに寄り添い、地域の暮らしを支える役割が残る商店街。人口減少とともに経済も減衰し孤立や孤独が課題として浮かび上がり始めた社会で、所属や肩書なしでつき合える場所だと気づいた。店先であいさつを交わし、相談にも乗ってもらえる。店の数だけ暮らしの知恵が集まる創意工夫の集積地でもある。単身世帯が増える社会で、身近な暮らしを支えるサードプレイスとしての商店街に可能性を感じた。

プレイヤーから支援者へ:私の商店街ストーリー

 そんな商店街の魅力を、出産育児で地域と向き合う子育て世代に知ってもらおうと、私は2010年から東京都杉並区和田商店街を舞台に「親子で街デビュープロジェクト」を始めた。「住みたい街をつくろう」をテーマに育児休業中の赤ちゃんを抱えた親子と一緒に商店街の応援団を結成し、親子が商店街で実現したいアイデアを考え、商店会や店主らと一緒に具体化していった。この10年近い活動を通して、近くに住む子育て世代が日常的に商店街を利用する機会が増えた。和田商店会での取り組みは、2016年東京商店街ブランプリを受賞し、2017年中小企業庁のはばたく商店街30に選ばれている。顧客を知り、商店街や店主の強みを生かし、独自性を模索するマーケティング思考が商店街に新しいお客様を呼び込むきっかけになった。

和田商店街(東京・杉並区)での商店街ツアー

 いまの私は顧客視点のマーケティング思考をもとに商店街の新しい価値を共創するプレイヤーとしての経験から、首都圏で商店街や事業者のアドバイザーとして活動している。商店街のにぎわいづくりや活性化という言葉があふれる中で、誰のために、何を活性化するのか? 私は店主と住民それぞれに「あなたはどんな街に住みたい?」「そのために何をしたい?」と問いかけ、アイデアの具現化を支援する役割だ。

多様な専門性との化学反応

 この連載では、様々な専門性を持つプレイヤーが意図して、あるいは意図せずに商店街に関わることで街に起きた変化を探っていきたい。プロダクトデザイナーや元行政マン、建築士……それまで商店街に無かった専門性が入り込むと、いままでにない新しい魅力が生まれ、街の暮らしが少しずつ変化する。この動きを紐解く中に商店街で見落とされた新しい可能性が見えるはずだ。どんな人が、どんなプロセスでかかわり、どんなタイミングで可能性は花開いたのか? 意図して起きた変化や意図せず起きた変化が地域にどんな影響をもたらしているのか? 商店街を舞台に住みたいまちの未来に向けて進む人たちの足跡は、「地域の暮らしを豊かにする身近な場所」として生まれ変わる希望やヒントになると思う。

第1回 場づくりするデザイナー 滝澤いとさん(コトノハコ代表、あさかエリアデザイン会議副会長)

コロナ下で誕生したアサカストリートテラス

 コロナ禍で街中から人が途絶えた2020年秋、東武東上線朝霞駅(埼玉県朝霞市)からシンボルロードにつながる通りにどこからともなく人が集まった。「ソーシャルディスタンス」や「新しい日常」がはじまり、窮屈さを感じながらも慣れようと緊張が続いていた頃だ。旧米軍基地跡地の一角に生まれた新しい道「シンボルロード」と、朝霞駅前商店街の通りを通行止めにした路上が、「アサカストリートテラス」の会場になった。青空の下、緑豊かで開放的な空間で、商店自慢の商品を買ったり、ライブを見たり、クリエイターの作品を手に取ったりと、まちで暮らす楽しさを取り戻した時間だった。

 朝霞市に引っ越してきたばかりだという女性は、「地元のお店を利用したいけれど入るきっかけがない」と以前は寂しさを感じていた。路上のテーブルに並ぶ商品やいきいきと接客する店主の姿を見て、「お店にも入ってみたい」と喜んだ。路上ライブでは「こんなに長い時間演奏したことはない」と笑いながら、パフォーマーは演奏を続けた。

 密にならなくても、新しい出会いと喜びが生まれる開放的なテラス。アサカストリートテラスは、その後も毎年開かれて朝霞市のまちづくりを推し進めるきっかけにもなっている。

 このアサカストリートテラスを企画運営したのが、市内在住のプロダクトデザイナー滝澤いとさんだ。

(左)2020年10月に開催された第1回「アサカストリートテラス」のフライヤー (右上)朝霞駅前商店街では各店が露店を出店 (右下)朝霞の森ではキッチンカーが大人気
滝澤いとさん

人が集まるレンタルスペースを開業

 滝澤さんはメーカーのデザイン部門でキャリアを積み、2008年に独立、現在は個人事業主としてデザインを請け負うプロダクトデザイナーだ。2011年から香港に移り、2014年に帰国し、再びフリーで働き始めた。個人で仕事を再開し始めると、社会から切り放されたような感覚を強烈に味わったという滝澤さん。帰国したその年、「同じような悩みを持つ人たちがいるんじゃないか?」と、地元である朝霞市内のコミュニティカフェを起点に個人事業主が交流する「ホームワーカーズコミュニティ」を開いた。リアルな交流会を重ねて情報を共有しながら、沿線に住む事業者とのつながりが広がった。

 毎回場所を借りるのもいいが、「いつでもおいで」と言える拠点がほしい。そう考えた滝澤さんが交流会で「場所を持ちたいんですよね」と話をしたら、不動産会社に勤務する参加者が「所有している物件を人が集まる場所にしたい大家さんがいる」と紹介してくれた。親の代から受け継いだ場所を、人が集まる明るい場所にしたいと考えていた大家さんとすぐに意気投合。2017年、東武東上線朝霞台駅近くにレンタルスペース「コトノハコ」をオープンさせた。

2017年にオープンした複合型レンタルスペース「コトノハコ」。①ハンドメイド品の委託販売を行うレンタルボックス、②写真館やサロンとして利用できるレンタルルーム、③ワークスペースとしてのレンタルデスク、④ワークショップなどが開催可能なレンタルテーブル、⑤スタートアップのためのレンタルアドレス、⑥菓子製造許可付きのシェアキッチン、⑦フリーデスクのコワーキングスペース、と多様な機能をもつ。

 入口を開けるとクリエイターの作品がびっしりと並ぶレンタルボックスが人目を引く。スペースでは、作品の制作場や金継ぎ教室、リフレクソロジーやハンドトリートメントと様々な体験(コト)が提供される。運営には地域のつながりが幅広い大家さんも関わってくれた。子連れのお客さんが来ると「何番目の子?」と会話が弾み、普段着の付き合いが繰り広げられている。

 「朝霞は自分の琴線に触れる場所がどこにあるかを探している人が多い」と滝澤さんは感じている。SNSを頼りにふらりとやって来る見慣れないお客さんも、話をしてみると共通する市内のお気に入りの店や場所が話題に上る。この街のみんなの新しいお気に入りができたら……そんな街、朝霞を「いいね」と喜んでくれる人が増えたら……この上なくうれしいと滝澤さんは思った。

朝霞の森に魅せられて

 「おもしろいことを求める感度の高さが朝霞のいいところ」と語る滝澤さん。自然の豊かさがあふれる環境が素晴らしいとも感じている。特に、米軍基地跡に残された手つかずの緑地「朝霞の森」はお気に入りの散歩コースだ。

 2018年秋、滝澤さんはコトノハコでレンタルボックスを利用している人たちと一緒に朝霞の森で「サンセットマーケット」を開いた。コトノハコに集まる作家やお客様が増え、こんなに面白い人たちがたくさんいるなら、なにか面白いことをやろうと思い始めた頃だった。

 朝霞の森はかつて、国が管理をする旧米軍基地跡地だった。朝霞市はその一部について国と管理委託契約を締結し、2012年から「広場」として民間に開放した。営利目的の活動はできないが、手つかずの自然がある。大きな木の大きなブランコで遊ぶ子どもたち。自由な空間。大好きなこの場所でイベントがしたい。朝霞市役所に相談したところ、「朝霞の森運営委員会」を紹介された。サンセットマーケットを開催する4、5か月前のことだ。

 運営委員会では、年に一度、自由参加型の青空会議を開いていた。広場にパイプ椅子やホワイトボードを持ってきて、管理や運営について皆で話し合うのだ。委員会のみなさんと面識ができ、委員長から「朝霞の森の運営委員会に入りなよ」と声をかけてもらい運営委員になった。この縁がきっかけで、サンセットマーケット実現へ大きな弾みとなった。

サンセットマーケットの開催へ

 夕暮れ時の朝霞の森で開かれたサンセットマーケットのコンセプトは、「とくべつないつも」。朝霞の森という特別な空間と日常の風景をつなげることで、こんな素敵な場所がある、こんな素敵な店やプレイヤーがいることを伝えたいと考えた。コトノハコでもブースを出したが、朝霞市内のお店や農家さんにも出店してもらった。お店に入る敷居が高いと思っている人も、こういうイベントになら足を運んでくれる。特別なイベントに出ているお店は、日常の暮らしの中にあることをお客さんにも気づいてほしかった。

 サンセットマーケットの当日はたくさんの人でにぎわった。朝霞の森の美しい自然を生かし、景色の中に店が溶け込むような工夫が功を奏した。また、白い布を店に配り、それぞれの店が自作したのれんを店先に出してもらったのも好評だった。筆と絵具で書いた和菓子屋さんののれんが素敵で、「俺がんばった」と胸を張る。農家さんや、本屋さんも「みんなで協力して描きました」と言ってくれた。本当に地元の店が出てくれたことが滝澤さんはうれしかった。コトノハコでも作品を持っていったが、出したそばからお客様が押し寄せた。

マーケットには朝霞市内外から10店以上が参加
ずらりと並んだ地元農家の新鮮野菜
この日のためのオリジナルブレンドコーヒーも登場
フォトグラファーによる撮影会

 こんな形で2018年、2019年と開催したところで、朝霞市役所の人がやってくる。そこから滝澤さんに新しい動きが生まれていった。

「シンボルロード」と商店街をつなごう

 2020年2月、国から道路として無償譲渡されたシンボルロードがオープンした。滝澤さんはそのオープニングセレモニーのイベント企画を担うことになる。

 大好きな朝霞の森、関わるならば端から端まで楽しめる空間にしたい。市とのやり取りで、ありきたりのテープカットはやめようという話になった。そこで市の指定農産物であるにんじんジュースで乾杯を提案。先着100名にプレゼントされたにんじんには、一本一本朝霞のにんじんの物語をタグにしてつけた。若い人たちに手伝ってもらい、少しおしゃれな雰囲気を取り入れながら、シンボルロードの端から端までを歩いて楽しんでもらった。活動に若い人たちに入ってもらうと、楽しそうな雰囲気になる。仲間が仲間を連れてきて、若手の協力者が増えていった。

シンボルロードオープニングセレモニーではテープカットをやめ、朝霞市特産のにんじんジュースで乾杯
地元で活動するハンドメイド作家らのワークショップやマルシェも同時開催
企画・運営を担った実行委員会には若手も多数参加

 ところが2020年は春からのコロナ禍で大混乱に陥った。朝霞市は東京オリンピックでは射撃の会場になっており、オリンピックの開催に合わせてシンボルロードがオープンしたが、オリンピック関連のイベントはすべて無くなった。

 一方、コロナ対策で道路の占有許可基準が緩和されたため、歩行空間を確保した上での軒先営業(=テラス営業)がしやすくなった。さらに「シンボルロードは広いし、何かできることはないだろうか?」と市の担当から相談を受けるようになった。そこで始まったのが冒頭に登場したアサカストリートテラスだ。滝澤さん自身、ストリートテラスを企画する以前から市内の商業エリアで何かできないか?と考えていた。

 そこでアサカストリートテラスの企画書を持ち朝霞駅前商店会の山崎会長を訪ねた。「駅前に広がる商店街そこを抜けると、市役所からシンボルロードへと道が続く。その道すがら楽しいことができる」と資料をまとめ、山崎会長から商店会理事会に出席する許可を得て、理事の方々にも説明した。

 「これをやってあなたにどんな得があるの?」と最初の理事会ではみな怪訝な表情だった。説明を繰り返すと、そのうち年配の理事さんが「滝澤さんって人がやりたいっていうから、ちょっと話を聞いてあげよう」と助け船を出してくれた。理事会への参加も回を重ねるごとにみなの表情が緩んで、最後は山崎会長が理事を説得してくれた。この山崎会長との出会いがアサカストリートテラスを推し進める大きな力になった。

商店会長と二人三脚

 コロナ禍がはじまったばかりで、イベントの開催について地域の理解は得られるだろうか?不安に思った滝澤さんは「商店街×公共空間×新しい生活様式」という控えめなチラシをつくってみた。ところが具体的に活動を始めると、運営側の士気がみるみるあがった。朝霞はお祭りが好きな人が多く、商店会はイベントを組み立てるのがうまい。市役所からは「GoTo商店街」という国の商店街支援策がはじまるから一次募集にエントリーしてみようと声が掛かった。滝澤さんの企画がここで一気に現実のものになる。

 大切にしたかったのは、朝霞駅から駅前の商店街を抜けシンボルロードまでを回遊してもらうことだ。広々とした空間を歩きながら楽しめる機会を作りたい。エリアは広ければ広いほどいいが、主催者である商店会は全責任を負う覚悟が求められる。タッグを組んでくれた商店会ではシャッターを閉めた店先にテーブルを出し、軒先をほかの店に貸したり、別の商店会の店が一緒に出店してくれたりと協力し合う姿が心強かった。

 感染者数が落ち着いた時期でもあり、たくさんの市民がアサカストリートテラスに繰り出してくれた。演奏するアーティストには音楽を一日中演奏してもらった。アーティストにとってライブができない厳しい時期。うずうずとしていたところに「ここで表現できるなら」と、本当にたくさんの人たちが参加してくれた。

 にぎわったアサカストリートテラスは、2020年、2021年、2022年と続き、今年も秋に開催が決まっている。

あさかエリアデザイン会議の発足

 はじめてのアサカストリートテラスが成功裡に終わった頃、行政は何か可能性を感じたようだった。市から、国土交通省による「官民連携まちなか再生推進事業」に申請したところ採択されたので、国の補助金が使えそうだとの連絡を受けた。その際に「滝澤さんにはこれまで様々なまちのイベントを実施した実績もあるので、エリアプラットフォームのメンバーになってもらいたい」という申し出を受けたのだ。

 2021年、こうしてあさかエリアデザイン会議が発足した。朝霞駅南口周辺エリアにおいて、『居心地が良く、歩きたくなるまち』と、『人でにぎわう魅力的な商業エリア』の創出を目指して、公園や街路空間など公共空間の活用を軸に、官民の多様なメンバーが連携して取り組む官民連携組織(エリアプラットフォーム)だ。会長には朝霞駅前通り商店会の山崎会長が就いた。滝澤さんは副会長を務めている。

 あさかエリアデザイン会議が掲げるエリアビジョンには「将来こうなったらいいな」というまちの姿が描かれている。シンボルロード設計に携わったランドスケープ会社がまとめ役となり、滝澤さんも会議に参加したが、朝霞の地をよく知る人たちがビジョンの素案をつくっていると感じた。エリアを区切ってテーマを設定し、テーマごとに「こうなったらいいな」という未来像を描いて、ゾーニングをして計画を立てている。もちろん、アサカストリートテラスもビジョンを具体化する実証実験のひとつに位置づけられている。今後は駅前通りの一方通行化への施策や、シャッターをあけるための施策、歩きやすい道づくりはどうするのかといったいつくかのプロジェクトが予定されている。

 アサカストリートテラスが生まれて、エリアプラットフォームの計画が進んだことは間違いない。さらにアサカストリートテラスの継続とともに、公共空間を活用しようという流れが起きている。シンボルロードを日常的に使えるように、キッチンカーを定期的に呼び、小さくても継続的にテラスを開催しようと「ちいさなテラス」も実施している。

 ちいさなテラスは「常々こんなことをやろうとしています」ということを見せる場を作りたいという意図から始まった。月に一度、ピラティスをしたり、野菜を売ったり、カフェをしたり、演奏をしたり。キッチンカーで出店した店主たちも「協力します」と若手が中心になってやっている。ここで縁が広がって、いずれは朝霞市内で店を持ちたいと考えている店主もいる。

「ちいさなテラス」は朝霞の森の日常的な風景に

公共空間を使いこなすための知恵

 アサカストリートテラスやちいさなテラス、キッチンカーの取り組みと活動を重ねると、日常的に公共空間を使ってくれる人が増えて滞留時間も伸びる手ごたえがあった。そんな中で「なぜ滝澤さんはシンボルロードが使えるの?」という質問を受けた。公共空間の利用は、あさかエリアデザイン会議という団体で開催しているからできること、個人が使えるものではない。

 市が認めた団体に所属し利用申請する手続きや、場所ごとに決められた使い方のルールなどを知ってもらう必要がある。可視化されていない公共空間の使い方の説明書があれば多くの事業者が市内の公共空間を使いやすくなる。活動できる団体が増えれば、公共空間のにぎわいがさらに続くだろうと滝澤さんが提案し、目下制作中だ。制作にあたりインタビューをしたり、アンケートをしたり、イラストレーターにアイデアの絵をかいてもらいながら、地域の知恵を集めみんなで作り上げている。

 公共空間を上手に使いこなせる民間事業者が増えたら朝霞市はもっと魅力的になれる。そのために朝霞市内のプレイヤー発掘や朝霞市に関心を持つ人たちと出会う機会を増やしたいと、あさかエリアデザイン会議では「あさかミーティング」を開催している。最初はコトノハコで始めたが、参加者が増えて手狭になり、今は市内事業者のスペースを借りて開催している。

 この場は朝霞市内の事業者やまちづくりで興味深い活動をされている方を招いて、想いや取り組みを発表してもらい参加者同士も交流する機会になっている。あさかエリアデザイン会議や関係者のSNS、朝霞市都市建設部のInstagramで開催を知り、まちづくりに関心がある大学生が集まってくれたことも新たな発見だった。地域に関心を持ち関わりたい若者たちとの出会いから、アサカストリートテラスなどのイベントスタッフに若者が参加してくれることにもつながっている。

自ら考え活動し続けることが商店会の力に

 アサカストリートテラスをきっかけに、滝澤さんと商店会との関わりも深まった。朝霞駅前通りだけでなく商店会は祭りを盛り上げるのが上手だ。「川の魚を水槽で見せます」と店頭に水槽を並べたり、餅つきをしたり、まさに商店街という動きがうまい。

 商店会との関わりで、店主が自分たちでやりたいことを考えて、お客様が求めていることに応えること、やり続けることが一番大事だと滝澤さんは感じている。無理なことをさせてはいけないし、商店会の人たちがやりたいことを考えて実現するのがいい。滝澤さんからのアサカストリートテラスでの商店会への働きかけは「しつらえの統一感を出したいからこれを置いてもらえますか?」と、のれんや提灯をデザインして商店街の魅力を引き出すなどのサポート役に徹している。

 商店街のことは商店街の人たちがやらないと意味がないと滝澤さんは感じている。よその土地でうまくいったことが、この地に合っているかはわからない。自分たちの商店街で、自分たちのできることをやるべきだ。この街のこの通りでできたことは、この街この通りだからできたこと。大切なのはこの場所に根付いているものは何なのか?商店会のみなさんが深掘りをして、次のステップを自分たちで見出していくことだと思っている。

 商店会はアサカストリートテラスの際、来場客に商店街について尋ねるアンケートを実施したこともある。さらに商店会が考える活動アイデアをイベント会場に貼りだし、来場客がいいなと思うものにシールを貼ってもらった。どのアイデアが求められているのか一目瞭然で、答えた市民にも商店街への期待感として記憶が残る。「この商店会」と「この住民」という具体的な縁がたくさん集まり、活動が生まれる様子に滝澤さんは頼もしさを感じている。商店会にはこのまま地域でできることを考え続けていってほしい。考え続ける熱量を保ち続けること、自分たちの内側からやってみたいと思うことにチャレンジできることが、この商店会の力になると思うからだ。

やりたいことをカタチにするデザイン

 香港から帰国して10年近く経ったいま、個人事業主として変わらず働く滝澤さんの日常はにぎやかだ。「朝霞のいいところをたくさんの人に知ってほしい」という想いはぶれず、「いつでも立ち寄れる場所」コトノハコを開き、コトノハコでの出会いからサンセットマーケットが生まれ、アサカストリートテラスにスケールアップして、朝霞のまちをみんなが誇れる楽しい居場所に変えている。

 自分はイベント運営が専門ではないと滝澤さんは言う。朝霞のいいところを伝えたいために、何が正解か分からずにいつも試行錯誤して、ただ楽しんでもらうための場づくりをしている、と。しかし、出来上がった場から広がる有機的なつながりや、偶然の出会いが圧倒的な楽しさやスケールを生み出している。私は、そこにプロダクトデザイナーとして積み重ねた経験が活きていると思う。

 滝澤さん、実はコトノハコを開設する前から市内の図書館に通い、関心がある朝霞の森と、かつての米軍基地跡地について調べ「こんなことができたらいいなぁ」と自分だけの企画をまとめていた。現状を調べて現場を歩き、どうなったらいいか?とコンセプトをつくり、細かなデザインイメージを膨らませることは、この場所に何が必要かを見出し具体化するためのデザインだ。この蓄積が有機的なつながりや偶然の声掛けから生まれたチャンスを逃さずに、関わる人をうならせる企画やデザインづくりの素地になっている。またプロジェクトメンバーに気を配り、誰がどうしたいのか?そのための最適な場はどこか?を考えて次のステップにつなぐ行動も、数々のプロジェクトにデザイナーとして参加してきた経験から生み出されたものだと思う。

 プロダクトデザイナーとしてたくさんのモノを生み出してきた滝澤さんだが、いまは地元朝霞でたくさんのコトが生まれる場をつくる場クリエイターだと自らを称する。「実はね、次にやりたいことがあるんですよ」といたずらっぽく笑う彼女の頭の中には、また楽しい暮らしを朝霞で実現するための新たな夢が思い描かれていることだろう。


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第1回 場づくりするデザイナー 滝澤いとさん(コトノハコ代表、あさかエリアデザイン会議副会長)

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