東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。
第11話(最終話) 楽しくて幸せなokatteの大家
これまで、okatteにしおぎ(以下okatte)をたくさんの人たちと共に創り、運営してきた8年間の過程について書いてきた。そして、今回は、そんな私が考える「楽しくて幸せな大家のありかた」について書いてみたい。
okatteの大家は「儲かって」いるのか?
okatteで、どのくらい儲かっているのか、と問われると、答えるのはなかなかむずかしいが、はっきり言って、金銭的にはそこまで「儲かって」はいない。
おおまかなお金の流れは以下のようになっている。
okatteは私が代表取締役である株式会社コンヴィヴィアリテという一人会社が、オーナー(母と私)から土地と建物の一部をマスターリースという形で借り受け、それを住人4人と、okatteアソシエーション(コモンスペースを使用するokatte会員の任意団体)に賃貸する、という形をとっている。 株式会社コンヴィヴィアリテは家賃収入から、オーナーへのマスターリース料、株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)への管理運営サポート費、水道光熱費その他の経費を支払う。母のマスターリース料の収入からokatteを作る際に借り入れた借入金を返済し、土地建物にかかる固定資産税や保険料を払う。こうしてオーナーのもとに残る利益は年間で約数十万円だが、これは、今後予想される修繕等の出費に備えてプールしてある。
図1 okatteにしおぎのお金の流れ
株式会社コンヴィヴィアリテの収支はだいたいプラスマイナスゼロなので、今のところ私の役員報酬はない。okatteの会員が劇的に増えるか、会員による予約料がたくさん入るというようなことがあれば、コンヴィヴィアリテの収入も増える可能性はある(予約料の半分はokatteアソシエーションに還元されるし、私としても大歓迎だ)。何年後かに借入返済が終わればその後その分は利益として残ることになる。それでも、そこまで「儲かる」ということにはならなそうだ 。
これについては、いろいろな考え方があると思う。不動産収入だけで生活できているわけではない。土地と建物という資源に付加価値をつけ、利益に結び付けるという、通常の不動産ビジネスの考え方から言ったら、okatteの事業は物足りなく見えるかもしれない。
ただ、赤字では困る(実際、コロナ禍の時に空室が出て、新たな入居者がしばらく決まらなかった時にはピンチだった)が、少なくとも借り入れの返済と経費を賄い、固定資産税の財源確保をし、相続対策にもなっている。そのうえ、少しずつでも資金をプールし、事業を続けることができているのだから、大きくはなくても私にとっては「儲け」がある事業だ。
そして、okatteという事業を行うことで得られるメリットは、「金銭的利益」だけではない。むしろ金銭以外のメリットが、私にとっては大きな意味を持つ。したがって、私自身は、オーナーとして、土地と建物の一部を提供し、金融機関からそれなりの金額の借り入れをして行ったこの投資は今のところ成功していると考えている。
金銭以外で得たものは大きい
金銭以外のメリットはなんだろうか。
私にとって何より大きかったのは、同じ建物を共有する、同居家族以外の「接居(日常的にある程度接しながら住まう)」の住人を得たということ、そして、okatteという場所を介してメンバーとつながり、緩やかな縁が広がったということだ。
「接居」の住人がいる生活とはどういうものか。家主と住人という賃貸契約上の関係ではあり、同居する家族ほど親密ではないし、友人というわけでもない。しかし、単なる隣人や近所の人よりは近しく、それなりの親しみを感じている。別にしょっちゅう顔を合わせるわけではなく、お互いのプライバシーは尊重するが、okatteで一緒に食事をすることもある。SNSでつながっていて、通販での共同購入や、たくさんできたジャムのおすそ分け等で声を掛け合う。住んでいて困ったことがあれば、N9.5も含めて話し合い、家主として対処すべきことは対処する。その一方で、okatteのコモンスペースに関して、住人の人にはいろいろと助けてもらっていることも多い。
そして、何よりも、同じ建物に知っている人がいてくれて、その気配を感じることができるということに安心感がある。かつて4世代8人の家族が居住していた建物に、一時期2人しか住んでいなかったときはかなり寂しい感じがしていたが、今、7人が住んでいるという感覚は、建物の空間にとってもちょうどよいように思う。家族だけではなく、いざという時に助け合えそうな人が複数人いるというのは何かと心強い。
メンバーという緩やかな縁の広がりも、私にとっては貴重なことだ。メンバーと知り合うことで、家族や友人、職場や学校とは全く異なる多様性のある人々との人間関係ができ、メンバーの活動に自分も参加することで自分自身の視野が広がった。okatteという場を介した共同作業に自分も加わることで、金銭をともなわないおたがいさまの労力の持ち寄りが決して単なる「無報酬労働」ではなく、そこに楽しみや喜びを見出せる「遊び」にもなる活動になることを知った。もちろん、okatteアワーに参加すれば、1品作ることで5品くらいのおいしい料理を食べられ、作り方を教えてもらえるという実利も得られる。
メンバーがokatteメンバーを卒業しても、その関係は終わるわけではない。第10話で書いたように、okatteを「実家」とする「法事の親戚」のような関係が広がっていくのだ。実はその恩恵を一番受けているのは、その「実家」に常にいる私自身である。okatteに所縁のある人たちが色々な場所でいろいろな人生を歩んでいることを知ることができるだけで、とても楽しく、幸せな気持ちになる。時にはそうした人たちからちょっとした相談ごとを受けることもあるし、自分が頼みごとをすることもある。そんな関係が広がっていくことは、いわばokatteにとっての「子孫繁栄」なのではないかと私は思っている。
メンバーを介して、いわゆる地縁自体も広がった。この地で生まれ育ったにもかかわらず、okatteを作るまで、私は職場と家庭の往復で、いわゆる地域での知り合いがほとんどいなかった。しかし、メンバーの中には西荻窪界隈のネットワークを持っている人もいた。そういうメンバーを通じて、地域の面白い人と面識ができて、街ですれちがって会話をすることも増えた。いわゆる「運動」には参加しなくても、選挙や地域の問題について地元の人と話すようにもなった。もし、そういう機会がないままリタイアしていたら、なかなか地域で人間関係を作るきっかけがつかめず、同居家族がいなくなったら、いや、 家族がいても、自分が住んでいる街から「孤立」してしまっていたかもしれない。
「孤立」というのは大げさだろうか。別に地元の街に知り合いがいなくても、東京という都市には友人もいるし、遊びに行く場所はたくさんある。SNSを通じた知り合いもいる。しかし、自分が住んでいる地元の街で、声を掛け合える人がいるということ、お気に入りの店(チェーン店ではない)があって、そこの店主とちょっとした会話ができるということ、その人が元気かどうかなんとなく気に掛ける相手がいること、それがどんなに心強いことか、というのは、コロナ禍で痛感したことでもある。
街にゆるやかな人間関係が存在するというだけで、街を歩く時の緊張感や警戒感が、不思議なことに少しだけ和らいだ。赤の他人しかいない都心の街や、旅行で訪れた街を歩くときとは違う、ここが自分にとっての「ホーム」だという安心感があるのだ。こうした街(の人)とのつながり感があることで、コロナ禍で友人やその他の人とリアルに会うことが出来なくても、地元の街を歩いていれば孤独感を感じずに済んだことは、私にとっては大きな救いだった。
もしかしたら、結局、「孤立」を防ぐには、「福祉」「介護」のような公的な機能も必要だが、それだけではなく、地域に知り合いがいるという感覚や、ゆるやかな人間関係があって、困った時には誰かにちょっと相談することもできるという感覚が重要なのかもしれない。
このように、okatteは私にさまざまなレイヤーでの人間関係の広がりを恵んでくれた。それと同時に、私には、メンバー、元メンバーという「法事の親戚」のような関係の人たちにとってのokatteという「実家」を守る「つとめ」と「役割」が与えられたと思っている。そして、それこそが、私にとって「大家」の意味なのかもしれない。
okatteの大家の「つとめ」とは何か
江戸時代、町の裏店 (うらだな)の長屋(庶民が住んでいた賃貸住宅の区画)の「大家」はオーナー(家主)とは別だったそうだ。「大家」は家主から長屋の管理を委託された、今でいう管理人で、「家守」「差配」とも呼ばれ、長屋の区画内に住んでいた。「大家」は家賃の徴収から、区画の木戸の鍵の朝晩の開閉、住人が共同で利用する井戸(洗濯、炊事、社交の場で井戸端会議という言葉はここから生まれた)や厠(かわや:トイレ)、ゴミ捨て場の管理、し尿処理(農家に下肥として売る)、修繕修理、防犯防災、住人の紛争調停、はては行き倒れや病人、けが人、捨て子の世話までしていたという。
長屋は「大家」と「店子(たなこ:賃借人) 」による自治で回っており、年1度の井戸さらい(井戸の大掃除)などは住人総出での共同作業だった。「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」という言葉が残っているが、この言葉は、区画内で犯罪者が出た場合は連座制で大家が罪に問われることもあり、大家が長屋の責任者であったというところから生まれたとか。
明治に入り、都市の近代化が進む中で、戸建て借家が増え、長屋が衰退すると共に、江戸時代の「大家」の制度もなくなり、次第に家主が「大家」と同一化するようになったようだ。また、戦争等で夫を亡くした女性の生業として「下宿」や「間貸し」が行われるようになった。なんとなく、「大家さん」のイメージとして年配の女性のイメージがあるのはこういった事情のせいもあるのかもしれない。私自身、夫を亡くしているので、その範疇に入るわけだ。ただ、最近では、所有する不動産を「活用」して利益を得るための不動産賃貸ビジネスが主流となり、オーナーと管理人の分業化が進むとともに、賃借人との関係もビジネスライクなものになり、昔ながらの「大家さん 」のイメージは消えつつあるようにも思われる。
こうした歴史から考えると、もともとの「大家」の「つとめ」は賃貸物件の維持管理だけでなく、住人のケア全般だったといえるだろう。町中に住む一人暮らしの人々の生活を見守り、彼らと日常的にコミュニケーションを行い、困った時にはお互い様で助け合い、時には責任まで負うのが「大家」だったのだ。
okatteでは、賃貸についての維持管理と、メンバーが自主運営するコモンスペースについての運営サポートは、現代的にN9.5に依頼している。そして、okatteの隣に住んでいる私は、昔ながらの「大家」的ケアの一部をやりながら、家主も兼ねているということになる。
実際には何をしているのか。自宅とokatteは同じ建物にあり、庭もメンバーは自由に出入りできるため、家事と大家業との区別はしにくいのだが、ちょっとした日常的な家の管理(外回りの掃除や庭の手入れ、鍵の管理)を行いながらokatteの住人やメンバーの様子を気にかけ、皆が安心してokatteを使えるよう、必要に応じてN9.5などに連絡を取り、対応する。
定例会や掃除などokatteでの行事にはできるだけ顔を出し、必要なら作業の一端をになう。自分が作ったジャムなどのおすそ分けをしたり、メンバーからのおすそ分けにあずかることもある。時にはメンバーが主催するイベントに参加して一緒に楽しませてもらう。とはいえ、特に必要がなければ、あまりお節介にならないよう、基本的には住人やメンバーのしていることを面白がって見守っている。
一方、家主としては、借り入れを返済し、税金を払い、必要に応じて修繕費を出してokatteを金銭的に維持する。さらに、okatteに関するあらゆるリスク(事故、災害、近所との関係、営業許可等に関する役所との関係その他)について気を配りつつ、最終的な責任を負うのがつとめだ。ただ、たとえば、家賃の件など賃貸契約上の交渉や住人からの建物修理の依頼などについては、利害関係者と直接話をするのではなく、N9.5に間にはいってもらっている。
こうしてみると、okatteの「大家」の私は、今どきの不動産オーナーのように家賃収入を得るだけで借主と無関係の立場ではないが、昔の「大家」のように、店子と一蓮托生の強いつながりを持つ立場でもない。いってみれば、住人やメンバーともっぱら「遊んでいる」(その中で、メンバーが困っていないか、楽しめているかについては目配りをする)立場だ。直接的にokatteの管理や運営の「役に立つ」ことをしているようには思えない。では、私がokatteの「大家」でいる意味は何なのだろうか?
「コモン実家」の「コモン祖母」という役割
そう考え込んでいて、ふと気づいたのは、私が担っている「大家」の役割は、実はokatteにおける「実家の祖母」役なのかもしれないということだ。
第1話で、私は祖父母の家や、鹿児島の夫の伯父の家(もともとは夫の祖父母の家)、アニメ『サマーウォーズ』の舞台であるヒロインの祖母の家の話をした。両親が厳しくて自宅ではあまりくつろげなかった私にとって、祖父母の家は安心して甘え、わがままを言える場所だった。鹿児島の家はだれでも出入りできる開放感が衝撃的でもあり、おそらく、かつて子どもだった夫が夏休みにいとこたちとそこで勝手気ままに過ごしていたであろうことが想像されて(実際、子ども時代の鹿児島での思い出を語る時の夫は楽しそうだった)、大人になってからは鬱に悩まされ続けた夫にもそういう時があったのだということがわかり、ほっとするような心持ちになった家だった。『サマーウォーズ』の家も、みんなが勝手なことを言いあい、時には喧嘩をすることもありつつ、社会不適応の人間も含めて最終的には居所を見出すことのできる場所だった。
上にあげた3つの家には、どの家にも孫たちを見守り、気を配りつつ、いい意味で彼らを放っておく「祖母」の存在がある。第10話で書いた「法事の親戚」が集まる「実家」的な場所は、そんな「祖母のいる家」であり、それは、私が無意識になんの気兼ねもなく勝手にしていられる理想の場所としてイメージしてきたものだったように思う。親のように、子どもにはこうあってほしい、子育てをこうしなければ、といった気負いがない分、祖母は孫と一緒にいることを遊びのように純粋に楽しむことができる。そんな祖母という存在があるから、孫たちものびのびと遊びまわることができるのだ。だとしたら、私も祖母のように住人やメンバーに(孫ではないが)、こうあるべきという枠を押し付けず、むしろ一緒に楽しく遊ぶことで、その人たちにものびのびと遊んでもらい、そこから、自分のやりたいことや可能性を広げてもらえたらよいのではないか。
okatteは、「家庭」や「地域」「職場」「学校」「サークルやボランティアの団体」といった特定の名前のあるコミュニティへの所属とは関係なく、その場所に行けばくつろぐことができ、「自分の居場所」と感じることのできる出入り自由な場所だ。そこでは、なんらかの肩書や資格がなくても、いや、ないからこそ、失敗を恐れずにやりたいことを試すことができ、そこで出会った人と安心してコミュニケートすることができる。何かの目的や誰かのために役に立つかどうかを問われることも、数字で評価されることも、性別や年齢、見た目で判断されることもない。それは、私にとっては学校でも家庭でもなく、子どもの頃過ごした「祖母の家」に他ならなかった。私がokatteの「大家」を続けていることの意味の一つはそんな家を提供したいという願いをかなえることなのかもしれない。
もう一つ、思い出したことがある。私が祖母の家に行くと、祖母はぬか漬けをつけたり、庭の梅で梅干しや梅酒を作ったり、障子を張り替えたり、私の小さくなった毛糸のセーターをほどいて毛糸玉にしてまた編んだり、着物をほどいて洗い張りをしてまた仕立てたり、あまり布で小豆を入れたお手玉を作ってくれたり、庭で花や野菜を育てたり、親戚が集まった時にはちらし寿司や煮物をふるまったりしていた。祖母にとっては当たり前の生活だったのかもしれないが、そんな祖母の暮らしは、子どもだった私にとってはそれこそ、まるで遊んでいるようにも思え、いつか自分もそんなことをしたいと思っていた。
私自身は手先も不器用で手仕事は不得意だし、外で仕事をしている間はそのような暮らしとは無縁に生きてきた人間だ。しかし、私が子どもの頃の祖母の年齢(私が生まれた時、祖母はまだ40代後半だった)をとうに超した今になって、祖母がしていたことが妙になつかしく、ネットを見ながらそれらを一つ一つ初心者として習得していこうとしている。それは、okatteを作り、仕事をリタイアしたからだ。
okatteの「大家」でいることは、そういった祖母の暮らしを今の時代に少しずつ再現してみることにもつながっているような気がする。実際、今、okatteでやっている味噌づくりや庭の果樹の実でのジャムづくり、お節づくりといったことも、祖母の暮らしの再現と言えないこともない。それは、私個人の楽しみでもあるが、もともとの日本の都市でも根付いていた、いわゆる「サーキュラーエコノミー」(循環型経済)や「パーマカルチャー」(第2話参照)ともつながるサステナブルな暮らしのスキルを再生してみる試みでもある。
大げさだろうか。しかしせっかく古民家のデザインを取り入れ、環境共生型の建築手法で作った場所でもある。それなら「大家」として、okatteで「祖母(の時代)の暮らし」を現代の暮らしに取り入れていく実験をする、それも自分がokatteの「大家」をしているもう一つの意味ではないかと思う。
第8話で、okatteがメンバーにとってのコモンズ(共有地)であると書いた。確かに、okatteはメンバーが共有し、お互い様の関係で持てる価値を持ち寄り、共にいろいろな価値を生み出す現代の都市における「コモンズ(共)」の領域だ。しかし、その中でこのコモンズの原型となっているのは、実は私の中にあった「祖母の家」のイメージであり、その中心には私の祖母の存在があった。そういう意味ではokatteがメンバーが共有する「コモン実家」であるなら、「大家」の私は「コモンズ(共)」の関係性の中で、メンバーの「コモン祖母」(本人ではないが、そのDNAを承継する人のような存在)の役割を担っているのかもしれない。
そういえば、数年前、住人の一人が『大家さんと僕』(矢部太郎著、新潮社、2017年)というマンガの大家さんが私とイメージが似ていると言ってくれたことがあった。それを聞いた時には「ええっ、私ってあんなおばあちゃんに見えるのか」とちょっと残念に思ったのだが、あのマンガの大家さんのほのぼのと穏やかではあるけれど、率直で、ユーモアのあるイメージが私と重なったのだとしたら、それは褒められたということだし、「祖母の家」を目指すokatteの「大家」としては大成功といっていいのかもしれない。
大家のすすめ
こうやって考えてみると、私がokatteを作った動機というのも、ずいぶんと個人的で利己的ではある。okatteを作った当時、私はそこまで自分の動機に自覚的ではなかった。なんとなく、祖母のお勝手をはじめとするいろいろな家のことを思い出し、みんなで集まってご飯を食べられる場所があったらおもしろいのでは、と思っていただけだ。
そんな時、たまたま、私のそんな思いによりそい、それを一つの形にして、いっしょに事業として進めていこうというN9.5の齊藤さんをはじめとする人たちと出会い、okatteという場所ができた。さらにできた場所に心地よさを感じて、住んでみたい、会員になってみたいという人たちが現れ、メンバーとしてokatteを共有し、いっしょにコモンズとして育てることができた。そういう意味ではまさにokatteはみんなのおかげで創り育てることができた家といえる。
ただ、 その根本にあるのは、やはり私の「祖母の家」を今、自分が自分のままで安心していられる場所を求めている人みんなの「コモン実家」としてよみがえらせたいという願いだったということに、いまさらながら気づかされている。私はそのために、自分の自宅を提供し、金融機関から借り入れをして、okatteの大家になったのだ。
okatteがこのようにパートナーに恵まれ、メンバーにも愛され、多少とも世の中で知られるようになったのは、マーケティング的に成功したからだろうか。新しい事業モデルを不動産業界に提唱したからだろうか。どうもそうではないような気がする。マーケティングは、ある「市場」を形成する消費者の欲望を刺激して商品の販売を促進する手段だ。事業モデルは、そのモデルを用いれば高い確率で利益を得られる営利ビジネスの「型」だ。しかし、okatteは、そもそもどこかの市場を当て込んで、その市場のニーズに合わせて作られたわけではない。また、okatteという事業の「型」をモデルとして利用しようとしたとしても、地域の歴史や文化、大家の人柄、いっしょに事業を進めるパートナー、集まる人の関係性等さまざまな変数を考慮すると、それはもうゼロから作るのとあまり変わらないのではないだろうか。
そういう意味では、okatteはビジネスというより、他では取り替えのきかない一回性の「生業」なのだ(もちろん、これは家主である私から見た見方であり、不動産業としてのN9.5は、私のような家主と街に開かれた家を作るためのビジネスモデルを確立しようとしている)。
ただ、幸いなことに、okatteのあり方に興味を持ってくださる方はそれなりにいらっしゃる。自分の家を開いてみたい、親や親戚の家を使って何かできないか、という人(私が女性だからか、比較的女性が多い)からの相談を受けることも多い。そんな方にいくつか私なりのアドバイス(というのもおこがましいが)をしてみたい。
①家の歴史やそこに住んだ人の暮らしにコンセプトのヒントがある
新築するなら話は別だが、自分の家でも、親や親戚の家でも、長年誰かが住んだ家には、その家独自の歴史や暮らし、文化が沁みついている。農家だったのか、音楽好きの人の家だったのか、人が集まる家だったのか、私のように祖母の暮らしがあったのか、それらを思い起こすことで、その家のあり方、コンセプトの方向性が自然と定まってくることも多い。
②自分自身の生きてきた過程や思いから生まれるものを最優先に
最も重要なのは、自分自身がどうしたいかということだ。私に相談してきた人の中には、色々考えたのですがどうしても長男が賛成してくれないのであきらめます、といった人もいる。それはそれでその人の選択だ。ただ、自分がやりたいと思うのなら、そこはわがままを通してもよいのではないかとも思う。もちろん、その責任は自分がひきうけなければならないが、一応最悪でも生活が破綻しないための手立てを講じた上で、自分のやりたいことをやることから見えてくる世界もある。私はそれによって本当に世界がひろがったし、今、とても人生が楽しい。
③パートナー選びで、そこからの場づくりが変わる
人生のパートナー選びと同様、家をどうするかという時のパートナー選びも、その後の事業づくりには重要だ。もちろん、すべてを自分で仕切る、という人もいてよい。しかし、私のように素人で不動産事業を始めようとするなら、やはり寄り添ってくれるパートナーは絶対に必要だ。私自身、N9.5(の齊藤さん)と設計の山田さん(もちろんそれ以外の人たちも)と組むことによって、視野が大きく広がり、自分では思いつかなかったいろいろなアイディアや専門性を得ることができた。
④プロジェクトの過程に参加することでオーナーシップが育つ
オーナーとして、すべてを業者に丸投げしてしまうのも、一つのやりかたではある。しかし、自分が関わりのある家をどうにかしようとするなら、できればプロジェクトの過程に参加することをお勧めする。事業パートナーと話し合いを繰り返し、時にはぶつかり合う中で、事業の方向性が固まっていくのを感じるのは楽しいし、専門知識がなくても、設計や施工の過程をつぶさに見ることで、「場所」を作るために、本当に色々な人の手が加わっているのだということがわかり、その人たちと共に自分がこの場を作っていくのだというオーナーシップが生まれ育っていくのを感じ、自分の場所としての愛情を持つことができる。
⑤利用者といっしょに「大家」を楽しんでほしい
賃料を受け取るだけで、家の利用そのものは間に入る管理運営者に一任し、自分は一切介入しないというオーナーもいる。ただ、せっかく、自分に関わりのある家を開くのなら、利用者といっしょに「大家」を楽しむことをお勧めする。私も最初は「大家」だから利用者のお世話をしなければと力んだこともあるが、8年たって、肩の力も抜け、一緒に楽しめるようになった。私にとっては利用者とそのような関係性を結ぶことができたことが、賃料収入以上に大きな喜びになっている。
とにかく、 大きくても、小さくても、街に家を開くことは本当におもしろく、楽しく、ハッピーなことだ。家をどうしようと思っている人がいるなら、ぜひ「大家」になることをお勧めして、私の「okatteにしおぎ共創記 」をひとまず締めくくりたい。
(了)
※本連載に書き下ろしを加えた単行本を、弊社から刊行予定です。