東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。

第10話 2030年のokattteが「みんなで共有する東京の実家」になっている?かもしれない話

 「okatteにしおぎ共創記」もとうとう第10話。

 第9話では、コロナ禍をどのように乗り越えたかという話をした。今回は、2023年現在のokatteにしおぎ(以下okatte)と今後のokatteについて書こうと思う。

 2023年に入り、新型コロナウィルスが比較的弱毒化し、高齢者や基礎疾患のある人以外は感染しても重症化しにくくなったことや、ワクチン接種率が高まったことに伴い、新型コロナ感染症対策も緩和されることになった。2月10日には政府の新型コロナウイルス感染症対策本部において「マスク着用の考え方の見直し等について」が決定され、屋内でのマスク着用は個人の判断が基準となった。また、5月8日からは、新型コロナウィルスの感染症法における位置づけがこれまでの2類から季節性インフルエンザと同じ5類に移行することとなった。okatteでも、2023年に入って、イベントや会食の予約利用やokatteアワー(第9話参照)利用が少しずつではあるが増えてきた。会食の時にマスクを外すことへの抵抗感も薄れてきたように思う。

コロナ明けのお祝い

 okatteでは2023年4月、コロナ禍から脱したことを感じさせるイベントがあった。

 実は2020年からokatteではおめでたブームが続いていた。2020年春にokatteのオープン時からの住人が結婚、2021年春には第1子が生まれた。その1か月後、コロナ禍前にokatteで結婚お祝いパーティをした別のメンバーも第1子を出産した。また、okatteのオープン時からの住人栗原大介さんとメンバー鈴木奈津子さんが数年の交際を経てパートナーとなり、2020年秋には娘さん(彼女も高校生の時からのメンバーだった)と3人で家族として一緒に暮らすことになった。つまりコロナ禍の時期に3組のおめでたが重なったのだ。

 ところが緊急事態宣言が出されてしまい、okatteではどのお祝いもできないでいた。2022年5月、okatteの7周年記念イベントの際、ようやく遅れていたお祝い第1弾として、2人の赤ちゃんの1歳の一升餅のお祝い(1升のもち米で作った餅を赤ちゃんが背負うお祝い行事)とママとなった元住人の結婚お祝いをあらためてokatteですることができたが、その時はまだ、比較的小規模かつ控えめに祝うという感じだった。

 しかし、その後、上記のようなコロナ対策の緩和もあり、栗原さん家族のお祝いをやろうと声をかけると、たくさんの人が企画に加わってくれた。そして、2023年4月16日、3年越しに栗原さん&鈴木さん家族結成お祝いをすることができた。娘さんは当日ビデオメッセージでの参加だったが、okatteの初期メンバーや男子会等、子どもも含めると30人以上の人がokatteに集まるのは本当に久しぶりだった。一緒に乾杯し、メンバーが作ったケーキに入刀し、メンバーが作った料理で食事をし、メンバーのウクレレ伴奏でお祝いの歌を歌い、栗原さんが淹れてくれたコーヒーを飲み、メンバーが差し入れてくれた樽酒やワインを飲み、子どもたちが花束を贈呈し、にぎやかに緩やかに時が過ぎていった。okatteが出来た当時は赤ちゃんだったメンバーの子どもたちが小学生になり、小さい子どもたちと一緒に遊ぶのを見て、okatteにも8年という年月が経ったことを実感した。

(左)メンバーの作ったケーキに入刀 (右)パーティの集合写真。親戚の集まりのようだが、全く血はつながっていない。 写真:AIZAWA Nagi

OKANEY(オカネー)始動

 最近(といってもこの2~3年だが)、okatteではいくつかの新しい動きがあった。

 一つは「OKANEY(オカネー)」という新しい試みが始まったことだ。「OKANEY」は「okatteにしおぎ」の「money(お金的なもの)」というコンセプトで作られた、okatte内で流通する地域通貨のようなものだ。きっかけは、月1回行われているメンバー定例会で、2021年4月に出た次のような意見だ。それは、「オープンデーを手伝ってくれた人に何か“ありがとう”みたいなことを示せたらよいが、何か良い方法はないだろうか」「手伝ってくれる人はお礼とかお金が欲しくてやっているわけではないことはわかっている。でもそれが当然のこととは思わないので、そこに何かお礼の気持ちを表せたら」「“ありがとう”を示せることで、企画を主催するだけでなく、『手伝う』という形で関わることがウェルカムであることが示せたら」というものだった。

 「okatte利用が1時間無料になる券」といったアイディアも出た。さらに、西荻窪の地域通貨についての勉強会が行われた時に、「okatteでも地域通貨が使えたらいろいろとおもしろいことができそうだ」といいながらそのままになっていた、ということなどもあり、okatteならではの地域通貨もよいかも、という流れになった。

 こうして始まったokatteの地域通貨を作るプロジェクトは、興味のある有志がリモートで会議を重ねた。いろいろな地域通貨の事例を調べるなどしたが、結局、東京都国分寺市で流通している「ぶんじ」という地域通貨をモデルにしてみようということになった。

 特徴は紙のカード形式で、裏にメッセージを書き込める欄があること。これなら、メッセージカード代わりに気軽に手渡すことができる。過去に書かれたメッセージを読むのも楽しい。また、ただお礼代わりに渡すだけでなく、もらったカードはokatteの予約料やオープンデーの買い物の一部にも使えるようにすることで、実質的な通貨としての機能も持たせて流通を促すことにした。

 デザインはメンバーで住人のデザイナー森本路子さんが引き受けてくれた。森本さんはお金らしいデザインの参考にと博物館などをたずねたりもしたそうだ。そして、「お財布に入れやすく」「集めたくなるような」紙幣ということで、デザインだけでなく、紙や印刷にもこだわり、活版印刷2色刷りで、okatteの植物や調理器具を配した、4種類のとても美しくかわいらしいデザインの「OKANEY」が完成した。

 「OKANEY」は、2022年の秋にメンバーに10枚ずつ配布した。足りなくなった場合は1枚100円でokatteに設置してあるカプセルトイの販売機で買うことができる(たまに1枚おまけが入っていることがある)。2022年12月に実施した「やってみなはれ」(メンバーが、okatteでやってみたいことを発表し、他のメンバーが「それいいね!やってみなよ!」と思ったら投票をして応援する)というイベントで初めて「OKANEY」を利用することになった。それまで「やってみなはれ」はメンバー全員が3票の投票権を持って応援したい企画に投票し、得た票数に応じてokatteアソシエーション(第4話参照)から予約料に使える金券を支給する方式だった。しかし、今回からは、メンバー全員に10枚のOKANEYを支給し、自分がよいと思った企画の提案者に好きなだけ渡す(OKANEYは1枚100円相当で予約料に充当する)方式にした。オープンデー以外の対面の公式イベントは久しぶりとあり、当日はかなり多くの人がokatteを訪れて発表を聞き、「OKANEY」での投票を楽しんだ。

 2023年からはオープンデーや予約利用でも原則1OKANEY=100円相当として使えるようになり、今後、メンバーの間で流通していくのが楽しみだ。

OKANEY。全種類集めたくなるデザイン。メッセージを読む楽しみも。

メンバーから「okatteの暮らしをケアする人」に

 運営側にも変化があった。2016年にメンバーになった乙川貴絵さんが2018年にN9.5に加わり、2020年くらいから徐々にokatteの運営サポート業務を担うようになったのだ。齊藤さん(第6話参照)ももちろんokatteにはコミットしているが、八王子で進んでいる「天神町OMOYA」(okatteと近いコンセプトのシェア住戸とコモンスペースに加え、賃貸住宅と営業用シェアキッチンがあり、設計はokatteと同じビオフォルム環境デザイン室が担当)を始め、N9.5としての多くのプロジェクトも進めなければならず、多忙を極めている。乙川さんは月1回のメンバー定例会や掃除といった公式イベントを仕切り、オープンデー等がスムーズに実施できるよう、常に気を配り、それとなくメンバー間の調整をしてくれている。メンバーでもある乙川さんが運営に入ってくれていることはokatteにとって非常に心強い。

 乙川さんは、いつもきめ細かくokatteメンバー全般に目配りをし、メンバーが抱く疑問やオーナーからのお願いにも、快く笑顔で対応してくれる懐の深い人だ。しかし、それだけではなく、さまざまな分野での「偏愛」(自称)ぶりには驚かされることも多い。

 たとえば、彼女は西荻窪界隈の路上園芸(玄関前の道路に鉢植えなどをはみ出させて植物を育てていること)に詳しく、どこに何が植えられているかを熟知している。春にはokatteの庭の食べられる野草を食べてみる会を催した。刀削麺(小麦粉の塊を削って飛ばしながらゆでて作る麺料理)作りに夢中になり、パンを作るときに使うスケッパーを研いで刀削麺用のカッターを自作し、みんなで刀削麺を飛ばしてみるワークショップを行ったこともある。okatteのコモンスペースの本棚には、乙川さんの選書眼により、ベストセラー本とは一味異なる、ユニークで魅力的な本が並んでいる。

 齊藤さんが外からの俯瞰的な目でokatteの全体的な方向性をリードする一方、乙川さんはメンバーとしての立場も兼ねることで、内からokatteの楽しい空気を醸し出す役割を担っている。その絶妙なバランスは、今のokatteの雰囲気をとてもよいものにしてくれているように思う。

乙川さんが編集した本棚。テーマは「ピンク」

 okatte住人にも動きがあった。初期住人の一人は管理栄養士として、okatteのコモンキッチンの調理器具などの環境整備や、衛生面でのメンバーの意識向上の中心になってくれていた。彼女が住人を卒業した(今もメンバーであるが)後、コロナ禍中も含め、okatteという場を保つ中心にいるのが住人の槻岡佑三子さんだ。

 彼女は一級建築士としてokatte内にスタジオソイというSOHOを構え、女性建築家とデザイナーのグループに所属して、「50代からの暮らしアップを応援する」セミナー活動等を行っている。そんな彼女は、okatteでも、自室のDIYリフォームを一人で手掛けたり、シェア住戸やコモンスペースの小さな修理や機器のメンテナンスに力を発揮してくれたり、コモンスペースにプリンターを設置して用紙の補充などの管理をしてくれたり、コモンキッチンの冷蔵庫のアルコール飲料の補充を引き受けたり、とokatteでのメンバーの暮らしやすさを陰で支える役割を自ら担ってくれている。

 槻岡さんだけでなく、他の住人やメンバーも、それぞれの立場で、okatteに関わり、支えている。自分の部屋で増やした観葉植物やハーブをコモンキッチンに提供する住人。味噌づくりなどの食関連のイベントを率先して企画するメンバー。保育の資格の勉強の傍ら他のメンバーの子どもたちと遊んだり、子ども向けイベントを企画するメンバー。高齢の家族に向き合いながらokatteでの高齢者の時間を試行錯誤しているメンバー。造園家としての仕事を兼ねてokatteの植栽やokatteと地続きの大家の庭を手入れし、okatte園芸部顧問として庭木の剪定などを教えるメンバー。ふだんは料理教室でokatteを利用し、おせちづくりなどの時に非常に強力な戦力になってくれるメンバー。

 2023年現在、こうやって挙げていくだけでも、本当に多彩なメンバーが入れ代わり立ち代わりokatteにさまざまな価値を持ち寄り、okatteならではの「暮らし」を形作っているのだということがわかる。

槻岡さんがDIYでリフォームした畳敷きのリラックスコーナーのある自室の内装。壁の漆喰も自分で塗った。 写真:伊藤華織

イベントの場から日常の「暮らし」に溶け込む「コモンズ」に

 こうした最近の動きを見ていて感じるのは、okatteという場のあり方が、コロナ前とは少し変わってきているということだ。

 コロナ前のokatteは、自宅でも職場でもない第3の場所、「サードプレイス」として、メンバーが集まって日常とは少し異なる会食やワークショップといったイベントを企画し、楽しむ場であった。そして、そのようなちょっと非日常的な(お祭り的といってもよい)時間をメンバー同士が作っていく中で、okatteという「コモンズ」(場所を共有する「共有地」としてだけでなく、メンバーがそれぞれの価値を持ち寄り、相互に協力し合う「共」の領域でもあるコモンズ)が形作られていった。その過程は第7話でも書いたとおりだ。

 しかし、コロナ禍で皆が集まるお祭り的な時間が奪われることで、okatteは、仕事場になったり、子どもを遊ばせる場になったり、本を読む場所になったり、共同購入したものを分ける場所になったりした。一方「おせちづくり」や「ご近所の橙(だいだい)を使ったマーマレード作り」「共同購入した大豆と麹でみそづくり」といった年中行事はコロナ禍でも中止されることなく続けられた。

 どうやらokatteは、コロナ禍を経て、より日常的な「暮らし」の一部として、住人とメンバーの生活にゆるやかに溶け込んでいっているように見受けられる。つまり、同じ「コモンズ」ではあるが、より日常の「暮らし」に密着した「コモンズ」(共の領域)になりつつあるともいえるだろう。

 もう一つ、最近okatteで見られる現象は、「ふっと口をつく悩み相談」だ。「悩み相談」といっても、あらたまって「実はこんな悩みがあるんですが、相談に乗ってもらえますか」ということではない。メンバーとして何年かokatteに関わっている人が、日常の会話をしている折に本当に「ふっと」家族や学校や仕事といったことで困っていることやモヤモヤしていることについて話し始めるのだ。

 「相談」というほど大げさなではなく、「今、こんなことがあってさー」くらいの感じであり、アドバイスを求めているということでもない。しかし、そこで話されていることは、今の社会の根幹にかかわるテーマでもある。ジェンダー、教育、障がい、雇用、家族、高齢化……抽象的にまとめればそんなテーマだが、個別の困りごとはもっと具体的で深刻だったりもする。

 そんなことを踏まえて、乙川さんに「それぞれのモヤモヤを話す会」のようなことをやってみようかと言ってみたことがある。乙川さんの答えは、「そういう時間をあえて作るより、普通にご飯を食べたりするなかで、ちょこっと今の悩みを話すほうが話しやすいのではないか」ということだった。確かに、「さあ、みなさん、悩みを話してください」と言われても、多くの人は「いやいや、そんな悩みとかないですから」と言ってしまうかもしれない。私もそうだ。 

 同僚やママ友や家族といった強いつながりを持つ人になかなか悩みを話せないことは多いのではないか。そういう意味ではokatteのような場所で、特につながりがあるわけではない人と話している時にこそ、「ふっと口をつく悩み相談」ができるのかもしれない。

 そのように話したことが、なんらかの解決につながる可能性もなくはないし、話すだけで気が楽になるのなら、それもよい。話したからと言って解決するわけでもないのは承知の上で、そうした話が「ふっと」出てくることは、okatteがメンバーにとって「安心できる」場として認識してもらえている証なのかもしれない。そうしたことも、okatteがメンバーの「暮らし」に溶け込む「コモンズ」として定着してきているということなのではないかと思っている。

「法事の親戚」的関係性が深まるということ

 以前、メンバーが自分たちの関係性を「法事の親戚」になぞらえたことがあった。法事の親戚は、たまにしか集まらないが、集まれば集まったでいろいろ面倒くさいこともあり、加わったりいなくなったりする人もいる。しかし、それぞれがなんとなく知り合いで、お互い気に掛け合っている。「赤の他人」よりは親しいが、「友達」や「家族」ほど親密度は高くない、比較的薄くて緩い関係と言ってもよい。ただし、そこには三回忌、七回忌等、時間が経過していくにつれ、積み重なっていく時間の経過の記憶が含まれている。そういった関係性は確かにokatteにもあてはまる。

 okatteがメンバーの「暮らし」に溶け込む「コモンズ」として定着するということは、そうした関係性がますます深まるということかもしれない。たった8年の間でも、赤ちゃんは小学生になり、入学、卒業、結婚、出産があり、ちょっとした意見の違いもあり、離れた人、入ってきた人がいて、あの時こうだったねー、あの人はどうしてる?という話で盛り上がる。それは、okatteという「コモンズ」におけるメンバーの関係性が、より「法事の親戚」感を増しているということかもしれない。

 「法事の親戚」にはもう一つ、法事で供養される「死者」の存在という要素がある。okatteから葬式を出したことはまだない(実は齊藤さんには私の葬式をokatteでやってねと頼んではある)が、最も初期のメンバーで、2018年に急逝されたフルタヨウコさんの存在はオープン当時からのメンバーにとっては忘れがたい。プロの料理家だった彼女が教えてくれたジャムの作り方やフルーツを使った料理のレシピは、遺していった調理器具やジャムの瓶やフルーツ料理の本、そして、フルタさんのなんとも柔らかい声や表情、笑顔とともに、okatteの中でメンバーと「共に在る」「フルタさんのジャム」「フルタさんのレシピ」の話として語られ、okatteの「歴史」を形作っているのだ。

恒例の「橙(だいだい)ジャムづくり」にはフルタさんの銅鍋が使われ、レシピもフルタさん直伝。

 哲学者の内山節氏は、近代化以前の日本の農村共同体では、死者もまた社会の構成メンバーだったという。内山氏は「亡くなった先輩たちが、田畑をつくり、水を引き、道や集落をつくってくれた。そのことによっていまの社会がつくられているとすれば、死者たちもまたこの社会を支えているメンバーだということになる」(農業協同組合新聞 2020年12月1日)という。

 もちろん、okatteは伝統的な「共同体」ほど強固な「地縁」で結ばれた社会ではない。そもそもメンバーは同じ地域に住んでいるとは限らない。メンバーは会費を払うことでコモンスペースを使う権利を「買い」、出入りも自由なら入退会も自由だ。住人以外はokatteで毎日生活しているわけでもない。住人でないメンバーは「時々」とか「たまに」okatteに来て、ご飯を作って食べたり、のんびり時間を過ごしたりするだけだ。okatteを毎日見ていればわかるが、コモンキッチンやスペースはむしろ無人の時間の方が圧倒的に長いくらいだ。いったんメンバーになっても、「1年間一度も行かれなかったのでやめます」という人もまあまあいる。

 しかし、伝統的な「共同体」と同じように、okatteでも、フルタさんという亡くなった先輩がジャムの作り方やレシピ、調味料などの食に関する知識を当時の他の会員に伝えてくれ、それを伝えられたメンバーが、また、新たなメンバーにそれを伝えることによって、いまの「コモンズ」が形作られていることは確かだ。そして、そうしたことは、「死者」そのものに限らず、okatteの最初の設立に関わってくれた人や、今はメンバーを卒業した人たちにも言えることだ。

 今あるokatteのあらゆるものやことに、それについての何かを提供してくれた誰かのエピソードが付随している。「この食器は、この鍋は〇〇さんが寄付してくれたもので、〇〇さんはこういう人なんだ」「夏のオープンデーでは恒例だった『流しそうめん』は最初はペットボトルをつないでやろうとして失敗して、そのあと竹を使って、年々複雑な構造になって、一番すごかった時はテーブルを2周半したんだ。今はコロナでできてないけどこれからどうしようか」といったエピソードは時間と共に積み重なっていく。そして、そうしたエピソードが積み重なり、メンバーからメンバーに語り伝えられることで、大げさに言えばokatteという「コモンズ」の歴史と文化が文字通り醸成されていく。まるで、酒蔵や味噌蔵に、年数を経るごとにその蔵ならではの酒や味噌の味をつかさどる蔵棲みの菌の種類がふえていくように。

東京の片隅にある「実家(ホーム)」として

 故人であるフルタさんも交えた「法事の親戚」のようなokatteという「コモンズ」に関わる人たちの関係性は今後も広がったり、深まったりしていくのではないかと思っているし、そうなってほしいと願っている。それによって、okatteが今後10年以上続いていくと、okatteはもしかしたら、たまに集まる「法事の親戚」というだけでなく、東京の片隅にある、(「元」も含めた)メンバーみんなで共有する「実家(ホーム)」のようなスペースになるかもしれない。そうなったらとてもおもしろく、楽しいことだと思う。

 そこには、東京だけでなく、移住した人も含めた日本全国(いや、グローバルかも)のメンバーみんなで共有するリアルな場所(家)がある。それは、来る人皆が安心できる環境で、その場にいる誰かと食事を楽しんだり、一人でくつろいだりできる場所だ。

 このスペースに関わったことのある人は、リアルに出入りする人はもちろん、物理的に離れた場所にいる人も、SNS等によって、そこで誰かが暮らしていたり、なんらかの活動をしたりするのを見守っており、「なんとはなしに」気にかけて、声を掛け合う。そして、「おすそ分け」や「ちょっとした共同作業」「年中行事」「ちょっとした頼みごと・頼まれごと」を通じて、貨幣を媒介とするものの売買やサービスの提供と消費といった「ビジネス」とは異なる、相互扶助的な「共」の領域での関わり合いを重ねていくのだ。

 もちろんその場においては可能な限り(存続の危機や誰かの人権が脅かされることがない限り)強制やパターナルな支配―被支配関係は生じないようにしたい。メンバーはいつでも色々なことに自由にトライできるし、現状に異議を唱えることができる。相反する意見も尊重され、その時その時のメンバーが話し合って暫定的な答えを出していく。

 大家としては、10年経っても、20年経っても、キッチンのスポンジやふきんの使い方について、みんながああだこうだと話し合い、常にルールは暫定で、食べたい人が勝手にご飯を作って食べ、自分のしたいことを自由にやってみて、失敗してもああおもしろかったねと笑い、ふっと自分の悩みを打ち明けて、ほっとできる場所であってほしい。普通、実家といえば地方のイメージだが、okatteは東京在住でも地方に移住しても、メンバーがみんなで共有する「実家(ホーム)」のような「コモンズ」として続いていくことを願っている。

2023年5月のokatte。オープン当時より木は大きくなり、建物はいい具合に年季が入ってきた。

 第10話はこれでおしまい。これが最終回の予定だった。しかし、実は、編集の渡辺さんから、これまでの連載では「大家である竹之内本人」がokatteについてどう考え、どう主体的に関わっているのかわからない、というご指摘を受けた。つまり、これだと、「まち暮らし不動産」(の齊藤さん)とメンバーの「共創」の話で、大家は誰であっても「まち暮らし不動産」に頼めばよいようにも読めてしまうし、私が大家としてokatteの物語を書く意味が見えない、と。(実際にいただいたメッセージはもっと別の書き方だったが、趣旨はそういうことだと受け取った。)

 確かに、今まで書いてきたことのなかに、大家である私の独創的なアイディアや運営方針、「ビジネスモデル」があるかと言われると、「ない」と言わざるを得ない。私自身、この連載を書きながら、「私は実質的には何をしたんだろう」と思ってもいた。okatteを作るにあたって、私は「家をどうしようか」と思い、なんとなくこうあったらいいなと思うことを相談し、物件とお金を提供しただけではないか。okatteの運営に関しても、自分がなんらかの運営ノウハウを持ってメンバーをリードしたかと言われると、そうではない。むしろ齊藤さんの手腕を感心しながら眺め、メンバーが勝手に関係性を育んでいくのを一緒に楽しませてもらっていただけだ。

 かといって、私がいなくてもokatteが今のような「コモンズ」になったかと言われると、やはり、それは違うと言わざるを得ない。私が漠然と自分の家を開いたらこうなればいいなあと想像していたイメージと、今のokatteはかなり近いし、そこに居る私自身は、他のどこにいるより違和感がない。メンバーの人からも(たぶん)違和感なく大家として受け入れられていると思う。それは私が今のような場の姿をイメージし、そうなるように願いながらokatteという場と関わってきたからだとも言えなくはない。

 以前、齊藤さんと話しているときに、okatteのようなコモンスペースに集まる人の属性や雰囲気というのはオーナーによって変わるという話を聞いた。とすると、現在のメンバー構成や人柄も私が大家であるからなのかもしれない。またメンバーがokatteにいるときに、とてもくつろいで楽しんでいてくれるのだとすれば、それは、大家である私という存在があることとも関係があるのではないか。

 だからこそ、私はこの連載を「okatteにしおぎ共創記」と名付けたのだ。私も含め、これまでに登場した誰が欠けても今のokatteはできなかったはずだからだ。

 というわけで、来月、もう1話、私の「大家」論、あるいは、私が8年間okatteの「大家」をやってみて今考えていることについての話を書こうと思う。10話のつもりが11話になってしまうが、それによって、私のように、「自分の家(実家)をどうしようか」と悩んでいたり、「家を開いてみたいのだけれど、どうすればいいかわからない」と考えて二の足を踏んでいる「潜在大家」さん(特に女性)の背中を押すことにつながるといいなあと思う。


記事をシェアする

第10話 2030年のokattteが「みんなで共有する東京の実家」になっている?かもしれない話

by
関連記事