東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。

第8話 大学院でokatteが「コモンズ」だと気付いた話

 これまで、okatteにしおぎ(以下okatte)がどのようにできていったかの成り立ちと、2015年にokatteがオープンしてからのokatteでの私自身やメンバーの変化についてふりかえってきた。

 第8話の今回は、私がokatteで起きているさまざまな出来事の意味や価値を社会的文脈から研究するために社会人大学院に入学した話をしたい。ちょっと抽象的だったり、固い語り口になってしまったりするかもしれないが、ご容赦いただければうれしい。

直感で「うっかり」入学した社会人大学院

 第5話で書いたように、okatteができて1年ほどの間、私はokatteが「ブレイク」していることに驚きと喜びを感じていたが、不思議でもあった。入会当初は「場所を借りて自分が楽しめればよい」と思っていたメンバーが、価値観やライフスタイルの異なる他のメンバーと場所を使いあう中で変化していき、他者との関わりを「面倒くさい」と思っていた人が、いつのまにか楽しそうに他のメンバーと新しいイベントを立ち上げている。そのプロセスがなぜ起こるのか、なぜokatteという場でこのような現象が起こっているのか、そのわけが知りたいと思っていた。そんななか、2015年の夏に、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科(以下立教21世紀)と日経Bizアカデミーが共同開催(当時)する「ソーシャルデザイン集中講座」というサマースクールが開かれるということを知った。

 それまでビジネスやマーケティング関連の社会人向け講座は受けたことがあるが、「ソーシャルデザイン」ということばや、「『社会課題をビジネスの手法で解決する』注目のソーシャルビジネスを中心に、理論と実践のバランスや最新事例へのアクセスを意図した講義」を行うということに興味をひかれた。そして、もしかしたら自分が始めたokatteという事業について、不思議に思っていることへのヒントがあるかもしれないと思い、軽い気持ちで申し込んでみた。

 集中講座には多様な職業や年齢の人が集まり、講師の先生方の講義も興味深く、ワークショップのような形でのディスカッションもあって、非常に楽しかった。毎回の講義後に開かれる懇親会で参加者のいろいろな思いを話し合い、講師の先生方と直接気軽に話をすることができ、それまで持っていたアカデミックな大学院のイメージを良い意味で壊された。ただ5回の講座だけでは自分がokatteについて不思議に思っていたことへの答えは見つからなかった。そのため、もっと「ソーシャルデザイン」とokatteを結び付けて考えてみたいという「研究欲」がむくむくと頭をもたげてきたのだった。

 さらに、集中講座で私のクラス担任だった梅本龍夫特任教授(スターバックスコーヒージャパンの立ち上げ総責任者)が、「2016年度は立教21世紀社会デザイン研究科委員長(当時)の中村陽一教授(現名誉教授、株式会社ブルーブラックカンパニー代表取締役)と立教21世紀でサードプレイス論の授業をやります」と言われた。サードプレイスとは、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱したもので、家庭(ファーストプレイス)でも職場(セカンドプレイス)でもない、第3の居心地の良い居場所のことだ。私はそれを聞いて、「okatteとサードプレイスは関係ありそう」と直感的に思った。そういう時の私は割合パッと行動してしまう。私は「うっかり」、翌年2月の試験を受け、okatteオープンから1年後の2016年4月、立教21世紀の博士前期(修士)課程大学院生となった。

立教大学のキャンパスは都心にあるにもかかわらず四季折々の自然が美しく、通うのが楽しみだった。

 立教21世紀は平日夜と土曜日の授業が中心の社会人大学院だ。同期には現役の社会人を中心に、学部を卒業したばかりの若者から仕事をリタイアした年長者、そして、海外からの留学生等バラエティに富んだ人々が、同じ研究科の院生として集まっていた。教授陣も社会学系が中心かと思いきや、哲学から人類学、国際関係、危機管理、ビジネスまで幅広い。院生の研究テーマも同じゼミの同期だけでも、保育現場での図書館の役割、フェアトレード、エシカルファッション、インクルーシブ教育、社会人のキャリア教育と、本当に多様で、入った当初はかなり驚いた。

 ただ、そういった人々が同じ教室に集まり、それぞれが別の立場から授業のテーマについて発表したり話し合ったりするのは本当に面白かった。自分と関係ないかのように見えるテーマでも、深いところで自分のテーマとつながっていたりすることを発見することも楽しかった。その環境は、振り返るとokatteと似ていないこともない。お互いの立場の違いは面倒でもあるが、気が付くと自分自身の固定観念が壊され、知らず知らずのうちに考え方の幅が広がっていくのだ。

出会ってしまった「コモンズ」論

 そんな立教21世紀で、私は主査を梅本教授、副査を中村教授にお願いし、okatteのような「空間シェア」の事業が、現代の都市や社会にどんな影響をもたらすのかをテーマに研究をすることになった。入学当初は「サードプレイス」論とokatteを結び付けて研究をするつもりだった。しかし、いろいろな文献を読むうちに「コモンズ」という言葉に出会い、すっかり「コモンズ」に魅せられてしまった。結局、私はokatteのような都市の「シェア空間」を「コモンズ」の考え方で研究してみることにし、その中で、「サードプレイス」と「コモンズ」の関係についても考えてみようと思った。

 「コモンズ」とは、もともと、近代以前のヨーロッパの農村地帯で、村の農民が共有して管理していた牧草地などのことをいう。日本では入会地(いりあいち―村の人々の共同利用が認められた土地で、薪等を採る山林が代表的)がそれにあたる。共用する「空間」ではあるが、それは、そこに生えている牧草や薪といった自然資源を村の人たちが皆で分け合い、資源が枯渇しないようにうまく管理していくための仕組みでもある。最近では、単に「共有地とその共有のしくみ」というだけではなく、マンションの共用部や公園、家庭の冷蔵庫、インターネット上の知的財産など、「人間集団によって共有される資源とその管理のしくみ」全般を指すようにもなっている。

 最初に「コモンズ」という言葉に出会ったときに感じたのは「規模は小さいけれど、会員みんなで使いあうコモンキッチン、コモンスペースのあるokatteって『コモンズ』じゃない?」ということだった。

 自分で「コモンキッチン」とか「コモンスペース」と言っておきながらおかしいのだが、私はそれまで、「コモン〇〇」の「コモン」は、「利用者が共有する」という意味であることは知っていたが、その内容について深く考えることはなかった。当時の私にとっては「コモン(共有の)〇〇」は、「プライベート(私有の)〇〇」や「パブリック(公共の)〇〇」の間にある所有のあり方という程度の認識だったのだ。okatteについても、住空間を分け合うシェアハウス部分と区別をつける意味で、住人と会員が共用するスペースだから「コモンキッチン&スペース」なのだと思っていた。「コモンズ(共有地、共有の資源)」という概念と出会い、「コモンズ」論というものがあることを知ったことで、はじめて私の中で、okatteの「コモン」の意味合いは、単なる「共有」から、「メンバー皆で使いあう資源とその使いあいのしくみ」に広がっていった。

 私は、「コモンズ」について書かれた文献をさまざま読んでみた。すると「コモンズ」研究は欧米と日本ではかなり異なる文脈で行われていることがわかった。欧米では「コモンズ」の運営がうまくいき、共用する資源が枯渇しないように管理するためのしくみや統治のしかたについての研究が活発に行われた。2009年にはアメリカの経済学者エリノア・オストロムがコモンズ論でノーベル経済学賞を取っている。

 一方、日本では、「コモンズ」の管理のしくみというよりは、エコロジーの文脈での「コモンズ」の本質的価値や意義についての研究が盛んだった。私はどちらかというと、管理のしくみよりは、「コモンズ」そのものの存在意義を論じた日本の研究に興味を引かれた。その中でも多辺田政弘という環境経済学者の「コモンズ」論に夢中になった。

 多辺田は1990年に『コモンズの経済学』(学陽書房)という本を出している。多辺田はその本の中で、沖縄石垣島のイノーというサンゴ礁の「コモンズ」(村人が魚、貝、海藻を採取する共有の浜)についての調査をもとに、日本の農山漁村の共同体の経済のしくみについて説いている。そこでは、自然の恵みを住人が分かち合うために、金銭を介さない共同の作業(草刈り、清掃、保全作業)や物々交換、お互い様の助け合い、備蓄や分配などの決まり事(ルール)の取り交わし(とルール違反のペナルティ)が行われてきた。

沖縄・備瀬崎のイノー

 多辺田はこうした日本の農山村の共同体について研究する中で、「コモンズ」の概念を物理的な「共有地」から広げ、経済システム全体の中の金銭を介さない村人の分かち合いや助け合いという「共」の領域ととらえた。

 村の経済にはこうした、金銭を介さない「コモンズ(共)」の領域、そこから生ずる余り(余剰)を商品化し金銭を介して企業や消費者と売り買いする「市場(私)」の領域、「コモンズ(共)」だけでは足りない部分を国や自治体など公共の予算によって補う「パブリック(公)」の領域が存在する。この中でも「コモンズ(共)」は最も重要な土台となる領域で、「市場(私)」と「パブリック(公)」という金銭が介在する領域はあくまでその土台の上に補助的に付け加えられるものだ。多辺田は、「コモンズ(共)」の領域が豊かでうまく循環していれば、金銭への依存度は低くて済むし、自然資源の枯渇や生態系の破壊も起こりにくいと考えていた。

 しかし、市場経済の拡大とともに、昔ながらの「コモンズ(共)」の領域は、金銭を介した「市場(私)」と「パブリック(公)」の領域に取って代わられ、衰退していった、と多辺田は指摘する。それまで住人が分け合ってきたものは値段のついた「商品」となり、共同で行ってきたさまざまな相互扶助的な働きや活動は賃金や報酬と引き換えの「労働」や「サービス」となっていった。その結果「コモンズ(共)」の領域は狭まり、経済のほとんどすべては金銭的利益を追求する「市場(私)」での取引か、税金で賄われる「パブリック(公)」の公共事業になっていった、と多辺田は述べている。

 多辺田は、市場経済化による「コモンズ(共)」の衰退が環境破壊や地方の衰退をもたらしたと批判し、昔ながらの「コモンズ(共)」の復活を唱えた。

多辺田が唱えた「健全なエコロジーがささえる経済」モデルの図(多辺田政弘『コモンズの経済学』より)

昔ながらの「コモンズ」と現代の「コモンズ」

 私が多辺田の「コモンズ」論に夢中になったのは、okatteで展開されているメンバー同士の関係性が、まさにこの「コモンズ(共)」の領域だと思ったからだ。okatteの維持のための掃除やルールづくり、okatteアワー(平日18時~21時、メンバーが自由にご飯を作ったり食べたりできる時間)などの会員同士の活動は、基本的にほとんどお金を介さない、「おたがいさま」あるいは「割り勘」の活動だ。農山漁村のような「自然の恵み」はない都会だが、「庭に生った梅の実」や「借りている畑で採れた作物」「近所の人から分けてもらった夏みかん」「実家から送ってきた何か(果物、野菜、海藻等)」「okattで味噌を仕込むために共同購入した大豆と麹」など、さまざまな恵みを分け合って楽しんでいる。食事づくりはもちろん共同で作業をするし、イベントのお手伝いもやりたい人が自発的に手を挙げて基本的に無償ですることが多い。

 一見労力を提供する人が「損」をしているようにも思われるが、労力を提供することで他のメンバーがありがとうと言ってくれたり、作った料理をおいしいと評価してもらえるというメリットもあるし、みんなでおしゃべりをしながらいっしょに何かを作るという時間は単なる「労働」というよりは楽しい時間でもある。私は都会で生まれ育っているので、いわゆる昔ながらの村の「コモンズ(共)」を体験したことはなく、憶測でしかないのだが、okatteで感じられる楽しさは、昔ながらの「コモンズ(共)」の領域とも共通するのかもしれないと思った。

 私が立教21世紀に入学した2016年当時は、すでにokatte以外でも、都市生活者や若者により、さまざまなモノや空間をシェアしたり、自分たちのアイディアやスキルを持ち寄って共同で何かを作ったり、困っている人をお互い様感覚でケアしたりする活動が増えていた。シェアハウスから始まり、キッチン、オフィス、ラボ(工房)、カフェ、書店など、さまざまな空間がシェアされ、子ども食堂のような場と食事を分かち合う活動も始まっていた。それらの現象は消滅の危機に瀕していた「コモンズ(共)」の領域が復活しつつある証のようにも見えた。

シェアオフィスで仕事をする人々

 その理由を考えてみると、日本の経済が低迷し、すべての人がなんでも自分のお金で買ったり、問題をすべてお金で解決できる時代ではなくなってきていることが影響しているように思われる。市場経済化が極端に進行し、自己責任を旨とする新自由主義が社会を席捲することにより、誰にもたよることができずに困難や生きづらさを抱え、孤独に苦しむ人が増えていることも関係しているようだ。国自体が貧しくなれば、福祉や医療、教育など、これまで「パブリック(公)」が担ってきた公共的な事業が徐々に切り詰められていくことも要因となるだろう。そうした中、「市場(私)」でもなく、「パブリック(公)」でもない、「コモンズ(共)」の領域が見直されるのは当然といえないこともない。

 ただ、現代の「コモンズ(共)」的な活動は、昔ながらの村の共同体の互助的な活動とはかなり違っている。okatteで見ても、メンバーが何かをすることは強制ではなく、個人の自由意思で選択できるし、やりたい時にやりたい活動に加わればよい。ルールについては最小限で、罰則を厳格にするのではなく、どうすればうまくいくのかについて話し合うことが多い。メンバー間の上下関係もない。もちろんそれぞれの活動組織によって細かいところは違うだろうが、おおむねオープンでフラット、義務よりは個人の楽しさや価値観を重視するところが多いように思う。そうしたあり方は昔ながらの村の「コモンズ」とはずいぶん異なっているのではないかと思う。つまり、「コモンズ(共)」の領域の復活のようには見えるが、昔ながらの「コモンズ」と現代の、特に都市の「コモンズ」は違うのだ。

 多辺田が言うような昔ながらの「コモンズ(共)」の領域の復活はむずかしい。なぜなら、昔ながらの「コモンズ」で行われてきた決まり事や共同作業は面倒というだけでなく、個人の自由や権利が制限されるなど、現代の価値観やライフスタイルには合わない部分も多いからだ。都会から地方に移住した人が、地域の慣習になじめず、移住に失敗する例を時々目にするが、強制参加の草刈りや清掃作業、家父長主義的な決まり、よそ者を排除する排他性、プライバシーのなさなどが、昔ながらの「コモンズ(共)」の負の面として指摘されることは多いように思われる。それらは、ある意味、村の資源を維持していく上で必要なことだったのかもしれないが、都市型の生活に慣れた人間(私もそうだ)にとってはハードルが高いのも確かだ。

「ある」のではなく「なる」のが現代の「コモンズ」

 それでは、現代の、特に都市に生まれる「コモンズ」とは何なのか、私はokatteメンバーが何を求めて会員になり、okatteで活動することで何を得たのかを調べることで、その答えを見つけようと思った。そして、立教21世紀の院生となって2年目の2017年夏にアンケート調査とインタビューを行った。その経緯は第7話に詳しく書いている。

 その調査で発見したのが、最初は「誰かといっしょにご飯を作って食べたらなんとなく楽しそう」という軽い期待を持ってokatteに登録したメンバーが、他人とご飯を作って食べる中で、疎外感や違和感を乗り越えて、「誰かと共同で何かをすることは面倒だけれど楽しい」という心境に至るプロセスだった。そのような心境に至ったメンバーの中には、okatteの外に出て、新たな「コモンズ」を作り始める人もいた。

 この発見から得られた気づきは二つある。

 一つ目は、「豊かな自然資源」がない現代の都市でも、複数の人が自分の持てる何か(それはモノである場合もあるが、ちょっとしたスキルだったり、単純な労力だったり、他人をケアしたいという気持ちだったりもする)をその時その時の必要に合わせて「持ち寄る」ことで「コモンズ(共)」の領域は作れるという気づきだ。

 二つ目は、空間を複数人で共有すれば、そこは確かに「コモンスペース」ではあるかもしれないが、そこに「コモンズ(共)」の領域が生まれるには、そのスペースを共有する人同士の関係性が深まっていくための時間とプロセスが必要だという気づきだ。つまり、最初から「コモンズ」が「ある」のではなく、人と人が出会って何かを共同で行うことで「面倒だけれど楽しい」と感じられる「コモンズ」に「なる」のだ。

 どちらの気づきも、人が、誰かと交わり共同で何かをすることで、他者に対する一種の「利他」的な気持ちを持てるようになることが大きく関わっている。この「利他」的な気持ちは誰かから何かを頼まれたとか、ささやかな親切心から生まれる。しかし、その気持ちの発動を多様な個人が繰り返すことが「コモンズ(共)」の「相互扶助」につながるのだと思う。

 市場経済化が進むということは、あらゆるものが完成した形で提供され、人は提供されたものを簡単に購入し消費することが当たり前になるということだ。そんな現代社会で「コモンズになる」という、「面倒が楽しみに変わる」プロセスを体験することは、人間が共同で何かを作っていくことについての社会的な学びの機会を得る貴重な機会だ。そうした機会を得られることが、現代の「コモンズ」の存在意義なのかもしれない。

 そして、私が立教21世紀に入るきっかけとなった「サードプレイス」との関係である。現代の都市の「コモンズ」は家庭でも職場でもない、第三の場所に人が集まることから始まる。もちろんokatteもそうだ。家庭や職場では人間関係が固定化しており、属する人の役割(務め)があらかじめある程度決まっている場合が多い。人間関係も役割も流動的な「サードプレイス」だからこそ、ちょっとした機会に「利他」を発動したり、それによって自分の価値を再発見したり、「面倒だけれど楽しい」という境地に至れるのかもしれない。そして「サードプレイス」である「コモンズ」で得た気づきを、今度はホームグラウンドである家庭や職場、地域等に持ち帰ることで、それらの場所にも「コモンズ(共)」的な関係性が生まれる可能性がある。

 このような考えに至ることによって、私の研究は一気に進んでいったように思う。私は、okatteに近い「空間シェア」の事例として、「タガヤセ大蔵」i、「アールリエット高円寺/高円寺アパートメント」ii、「シーナと一平」iiiの3つのプロジェクトの主宰者のインタビューを行い、それぞれの場が「コモンズ」として機能していることを確認した。それはとてもうれしい体験だった。この3つのプロジェクトは形を変えながら2023年も継続しており、地域に開かれた「コモンズ」へと活動が深化している。

 立教21世紀の修士論文では、梅本教授が提唱する「社会デザインとしての物語法」ivのフレームに基づいて、okatteをはじめとする現代都市の「空間シェア」が「コモンズ」に「なる(生成する)」プロセスをまとめた。中村教授には、論文執筆の過程で、参考文献や論文の構成等についての貴重なアドバイスをいただいた。

 論文では、こうした都市の現代的な「コモンズ」は、そこに集う人々が多様な自分の持てる「資源」を「持ち寄る」ことで、それらが作用しあって思いがけない別の社会的な「価値(資産)」が生まれる「共創」と「創発」のプラットフォームとなるということを結論とした。タイトルを「都市の『空間シェア』における現代的コモンズの生成進化についての研究―『okatteにしおぎ』を事例として」とし、2018年1月、無事、大学院に提出を果たした。

物語法フレームを使った、「コモンズ」の生成についての図(筆者作成)

 私は、okatteオープンから2~3年目というこの時期に、立教21世紀という大学院で「社会デザイン」について「がっつり」と学ぶことができたこと、そこで「コモンズ」論に出会えたことは、okatteオーナーである自分にとって、とても有意義なことだったと思っている。okatteで起こっているいろいろな事象が、単なる事実の羅列ではなく、それぞれに結びつき、今の社会の中で意味を持つということを自分の中で確信できたし、大家としての自信にもつながったような気がする。また、その後に起きるできごとについても、自分の中にある「コモンズ」としてのokatteという文脈の中に位置づけて考えることができるので、不測の事態にあまりうろたえずに済んでいるような気がする。もちろん、論文を書いて終わりということではなく、「コモンズ」とは何か、okatteが現代の「コモンズ」としてどうあることがよいのか、という問いは今後も問い続けていく課題でもあるのだが。

 次回は、2020年に突然ふりかかったコロナ禍をokatteがどう乗り切ったかについての話。


〈注〉

i 老朽化したアパートを「地域住民と交流できるデイサービス施設(1F)」と「多世代交流のための拠点としての賃貸スペース(2F)」としてリノベーション。2021年、都市計画道路建設を機に解体されたが、周辺も含め、新たに子育て世帯や若者向けシェアハウスとコモンスペース、畑を含めた新たな暮らしの拠点をつくる「三年鳴かず飛ばず」プロジェクトが進行中。

ii JR東日本の旧社宅を、町に開かれた芝生の庭と店舗兼用住宅のある賃貸住宅としてリノベーション。

iii 古い商店街の元とんかつ屋の空き店舗を、店舗の外観を活かしながら、1階を地元の人との交流ができるミシンカフェ、2階を外国人向け旅館としてリノベーション。

iv 世界を包摂する「大きな物語」が失われた現代、市民やフォロワーが組織やコミュニティを越境して協働してポジティブな力を引き出し、主人公(当事者)として社会デザインに携わるプロセスを、起(召命)承(出立)転(試練)結(宝物)の4ステージからなる物語の枠組みでとらえる手法。


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第8話 大学院でokatteが「コモンズ」だと気付いた話

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