東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。

第7話 お互いの違いを楽しめるようになった話

 前回(第6話)は、賃貸管理と運営サポートを担っている株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)の齊藤さんによる「管理しない運営」に触れることで、大家の私がどう変わっていったかについての話をした。

 しかし、変わっていったのは大家だけではない。okatteにしおぎ(以下okatte)のメンバーも、メンバーになって、okatteに関わることで、徐々に変化していくように見えた。今回は、そんな入会後のメンバーの変化の過程について話したい。

 okatteでは、オープンから2年あまりが経った2017年7月から8月にかけて、メンバーに対してアンケート調査とインタビューを行った。これは、次回紹介する、私の社会人大学院での研究も兼ねての調査だった。それまでイベントなどで接してはいるものの、私がメンバーとokatteそのものについて正面から話をする機会はなかなかなかった。この調査を行うことで、メンバーの感じていることや考えていることを詳細に聞くことができたことは大変有意義だったと思う。メンバーとコミュニケーションをとる時のヒントを得ることもできたし、なにより、okatteを続けていくことが価値のあることだという確信を持つことができ、大家としての小さな自信にもつながった。

 アンケートの回答者は33名(アンケート送付は退会・休会者含め108名)。インタビューは15名の方に協力いただいた。その際の調査の結果と、私自身が大家としてokatteに関わった経験の中から、メンバーのokatteでの変化がどのようなものだったのかふりかえろうと思う。アンケートを送付したうちの7割からは回答がなかったことを考えると、回答者はokatteのアクティブメンバーと、アクティブに関わろうとした人が中心という偏りがあることは否めないが、その分、自由回答へも詳しく記述してもらえ、定性的な調査としては成立したのではないかと思っている。

okatteメンバーになる時の期待

 アンケートによると、okatteに入会するときに期待したことは、キッチンを自由に使い、誰かと一緒に食事を食べることやイベントに参加すること。それによって人間関係を広げることと答えた人が多かった。自分でイベントを主催したいという人もいた。コモンキッチンを備えた会員制のシェアスペースということを考えれば、それは当然のことだろう。具体的には

  • 地域とのつながりを持てないかと思っていたが、ご飯を一緒に食べるのが面白そうだと思い参加した
  • 実家が料理屋で、常に大勢の大人が周りにいて楽しかったので、親子が親子でいるだけではない中で集える場所が欲しかった
  • 食に関わることについて自分ひとりでやるより、メンバーとコラボできたらと思った

といったことが代表的な意見だった。

 こうした期待に対して、okatteで実際に参加した活動を聞いてみると、「okatteアワー」(平日18時~21時、メンバーが自由にご飯を作ったり食べたりできる時間)や「食事会」に参加した人がとても多く、「会員主催の教室、イベント、ワークショップ」や「オープンデー」への参加も多かった。そして、それによって得られたものとして、「自分自身の世界が広がった」と答えた人が半数以上いた。

 最初の期待が満たされたかという質問に対しては、「満たされた」人が6割を超えたことに、当時ほっとしたことを覚えている。一方、「満たされなかった」人は約1割、そして、「期待したものとは別のものを得られた」と答えた人が2割ほどいたことが興味深かった(無回答が6%)。

「期待したものとは別のもの」とは何なのだろう。そうした疑問から浮かび上がってきたのは、okatteのメンバーは、それぞれメンバーになった後、「なんだか自分が思っていた場とは違う」という違和感や、他のメンバーや運営のしかたに対する不満を抱いていたこともあるという事実だった。その中には「期待が満たされなかった」として離れた人もいるが、メンバーとしてとどまり、「期待したこととは別のものを得られた」と感じた人もいた。私はそのことがおもしろいなと感じた。

okatteへの期待で最も多かったのは、一緒に食事をするということ

居心地の悪さと居どころの発見

 okatteメンバーになって最初につまづくのは、メンバーになってはみたけれど「参加のしかたがわからない」「okatteアワーなどに参加してみたものの、知らない人の中でなんとなく疎外感がある」ということが多かったようだ。

 定例会などokatte主催のイベントもあるが、基本的にokatteでは、メンバーになったからといって歓迎会があるわけでもなく、「あなたにおすすめのイベントはこれ!」というリコメンドが送られてくるわけでもない。

 メンバーになると、okatteで何をするか自分で自由に決めることになる。グループウェアを見れば、予約のスケジュールは把握できるので、誰かが立ち上げたイベントや食事会に参加してみたり、定例会に出てみるといったところからメンバーの知り合いを増やすことも可能だ。友達を誘って自分で予約をしてご飯会をすることもできる。1人でふらっとokatteに寄って本を読んだり、ぼーっとしたりしてもいい。しかし、自分でokatteに行くという行動をとらない限り、okatte側からメンバーにはたらきかけをしたり、誰かが何かをおぜん立てをしてくれたりするわけではない。そして、そういったことに慣れていないと、その最初の1歩を踏み出すのは意外とむずかしいのも事実だ。その状態が続くと、メンバーになったけれど1度もokatteに足が向かないまま1年くらい経過し、結局退会という人もいた。

 イベントや食事会に参加してみたけれど、知らない人の中で疎外感を感じる、というケースもあった。第5話でも出てきたように、男性メンバーが少ないことで、女性たちが料理や食事で盛り上がっている中、一人だけ取り残されて話の輪に加われず、疎外感を味わう男性もいた。新しくメンバーになって食事会に行ってみたら、自分がいなかった頃の話で同席した人たちが盛り上がっていて、自分はそのエピソードを知らないので、話についていけない、ということもあったようだ。お母さんたちが子育ての話で盛り上がっていると、子どものいない人には興味が持てないといったことも起こりがちだった。

 私自身の失敗談をあげると、okatteのオープン当初、私の以前からの知り合いがメンバーになってくれており、その人たちとお酒も入った食事会をしていて、自分たちだけの話題に盛り上がってしまい、同席していた新入会員を置いてきぼりにしてしまったこともある。

 ある退会したメンバーはインタビューで、「地域の人とつながれるといいなあと思って入会したが、知っている人同士の人間関係がすでにできあがっていて、そこに入るとなるとかなり頑張らなきゃという感じがした。使うとしたらホームパーティのような感じかなと思ったが、それなら家でもできるし、結局どう利用したらいいかわからないまま幽霊会員になってしまった」と答えている。

 そのため、イベントや食事会の時、一人でポツンとしている人になるべく声をかけるといった配慮をするようになった。一部の人だけが知っている話題で盛り上がりすぎず、知らない人に解説もするようにした。自分の話ばかりしすぎない、といったことを心掛けるようになった。話に夢中になるとなかなかむずかしいことではあるのだが。

 また、一人でokatteを利用する人に対して、「他の人と一緒に活動する」ことを奨励することもしなかった。むしろ一人での利用(ふらっと立ち寄って一人で本を読んだりする)もokatteの利用法として「あり」ということは齊藤さんも折に触れことばにしていたように思う。

 もちろん、そうした配慮をしても、メンバーになってすぐに自分の居場所を見つけられるとは限らない。キッチンが中心の場ということもあり、料理好きな人は比較的すんなりとokatteを使いこなしていたが、料理が苦手と思っている人、料理経験がない人の場合、料理の場面でちょっと疎外感を感じてしまうということもあったようだ。そんな時に居場所を見つけるきっかけになるのが他のメンバーからの頼まれごとだった。

 第5話でも触れた建築関係の仕事をしているKさん(男性)の場合、会員になった当初、料理ができないため、okatteアワーなどでもできることがないと、なんとなく引け目を感じていた。しかし、たまたま一緒に食事会に参加した人に建築関係の仕事をしているという話をしたところ、子どものためのイベントを企画していた女性のメンバーから、「お菓子の家」づくりへの協力をたのまれた。それは自分たちで焼いたクッキーで子どもたちが家を作るというイベントだった。

 Kさんは方眼紙に家の設計図を描き、ビールの空き缶を切って、家のパーツとなるクッキーの型を作った。それだけではなく、市販のチョコレート菓子などを使って、樹木などを作る方法も考え、模造紙に道路等を配置し、「お菓子の街」づくりをしたのである。イベント当日、子どもたちは大喜びで「お菓子の街」を作り、親たちにも大変好評だった。自分が提供できることで、他のメンバーが喜び、ありがとうと言ってくれる、その時の経験で、Kさんは自分にも居場所ができたと思ったそうだ。

Kさんが設計したお菓子の家は、大人と子どもが一緒に作って完成した

 Kさんは料理ではなく、「建築」の技術を使ってokatteのイベントなどに参加するようになった。夏のオープンデーでは、「流しそうめん」のための樋の設計をしてくれた。そして、いつのまにか、コーヒーを淹れたり、後片付けを率先してやったりするといった形で、okatteのイベントに自然体で参加するようになった。

 このように、自分が提供できる「何か」を見つけることでokatteでの居場所を見つけたという人は多い。料理はその中でも中心となる「何か」である。自分がいつも家で作っているなんということもない(と思っている)料理を、誰かがおいしいと食べてくれたり、作り方を教えてと言われることで、okatteに行くことが楽しくなったという人は多い。私もその一人だ。

 しかし、料理以外でも、「冷蔵庫に冷たいビールを補充する」「包丁の研ぎ方を教える」「換気扇の分解掃除」「業務用ミシンの使い方を教える」「和服の着付け」など、ちょっとした自分のスキルや労力が提供できる「何か」であることは多い。しかもその多くは「私はこんなことができます」とアピールしたわけではない。何かの拍子に人からたのまれるなど、たまたま機会があって提供した「何か」が喜ばれたという経験が、メンバーとしての身の置き所につながるのだ。そして身の置き所ができると、疎外感はなくなり、より自然にリラックスしてokatteで過ごすことができるようになるようだ。

違和感が「面倒だけれど楽しい」になるまで

 okatteメンバーとしてある程度活動をするようになった時、自分とは価値観が異なる人、okatteでの立ち居振る舞い方が自分とは異なる人に対する違和感が出てきたという人もけっこういる。

 アンケートでも「さまざまな方と調整しながら作る料理は面倒くさいところもある」「年齢層が自分とは異なっていると、食事について、仕事について、集まるみなさんと興味関心などが異なることが、刺激になる一方で、違和感もあります」といった回答が見られた。第6話で紹介したように、子どもが騒いだ時の接し方の違いに戸惑う人もいた。

 こうした違和感の中でも代表的な例は、料理のしかた(食材をスーパーで買うかオーガニック食品店で買うか、野菜の皮をむくかどうか、切り方、味付けのしかたなど)、やキッチンの使い方(まな板や包丁の扱い、洗剤の種類やスポンジの使い方、プラスチック製品の利用、生ごみをどう処理するか、使用後の清掃のしかたなど)だ。ふだん自宅で一人、あるいは家族で生活している時には意識もしない考え方、行動、習慣の違いが、いっしょに料理をすることで露わになる。

 調理についてはそれぞれのメニューを担当している人におまかせになるので、あまり違和感が表にでることは少ないが、料理をし慣れている人と、そうでない人がいっしょに作業をする場面もあり、「ふだんの食事の会については、自分が参加しても、結局自分がやったほうがいいのをぐっと抑えている感じで楽しめないので入らない」という人もいた。

 キッチンの使い方も家庭や職場、個人によっていろいろだ。okatteの場合、共用キッチンとして、衛生管理はある程度きちんとしなければならない(肉・魚とそれ以外のまな板、置き場所の区別、生もの調理とそれ以外の場所を分ける、使用後の清掃をきちんとするなど)。しかし、飲食店の厨房とは異なり、プロ並みの衛生管理を徹底しようとすると無理があるし、ある程度家庭のキッチンに近くする必要がある(これはokatteアワーなどの食事会の場合で、イベントでの食事提供や営業許可を利用した菓子製造などで使う場合は衛生管理者手帳の取得などプロとしての衛生管理をお願いしている)。そのようななかで、キッチンの利用ルールを作ろうとすると、本当にさまざまな意見が出された。

 メンバーにも、管理栄養士などのプロ、ナチュラル志向、地球環境に配慮したい人、できるだけ簡単にすませたい人など、それぞれの価値観や好みがある。そして、核家族が普通で、プライバシー重視の都会の生活だと、自分が家庭でやってきた長年の習慣と異なるやり方をお互いに見る機会はあまりない。okatteで初めて他人とキッチンを使いあうことになり、「え、そんな使い方をするの?」と衝撃を受ける人もいたのではないか。

 そのためか、スポンジやふきんの使い方、洗剤選びなど、2年に1度くらいは定例会でとりあげられ、そのたびに暫定的にルールが決められてきた。そして、しばらくするとまた議論が再燃するということが繰り返されてきた。そしてルール自体はそのたびに少しずつ進化し、よりokatteメンバーにとって使いやすいルールになっていっているように見える。 

 たとえば、2021年3月の定例会の会話を再現してみたい。

 この時は2020年からのコロナ禍でokatteの利用制限などもあった後、改めてキッチンの衛生的な使い方が議題に上った。

 「ふきんは今までは確か白のさらしが食器用でそれ以外は台ふきん用、どちらも洗濯して使いまわして、もう使えないと思ったら捨てて新しいのに替えていたよね。で、スポンジはどうだったっけ」

 「新しめなのを食器用にして、古いのを流しの掃除用に使ってたと思う。でも、ふきんもスポンジも古くなるとどちらが食器用だかわからなくなってしまう」

 「そういえば誰かが作ってくれたアクリルたわしもあって、作ってくれた人に悪くて捨てにくいんだけど、ちょっと色も変わってきてるし清潔じゃない」

 「濡れたスポンジは雑菌の繁殖が気になるし、ふきんを使いまわすのも私はいやかも」

 うちではこうやっている、職場のキッチンではこうしているといった意見がだされる。そしてとりあえず、食器洗いには乾きやすいメッシュ状のあみたわし、流しの掃除用には2層タイプのスポンジを使うことが決まる。食器用ふきんはこれまで通りさらしを切ったもの、台ふきん用には市販のウエス(工場などで清掃用に使う綿の布)を使い、どちらも都度使い捨てにするというアイディアが出る。なるほど、それなら清潔だし、使い捨てにしてもあまり罪悪感がない、ということになり、2021年版のルールが決まった。そして今いない人にもルールがわかるように、運営スタッフがパネルを作りキッチンに置くことになった。

2021年3月版「okatteキッチンの使い方の手引き」

 そんな面倒なことをせず、運営側が決めて周知すればよいのではないかと思う人も多いのではないか。私自身も最初はそのほうがよいと思っていた。しかし、さまざまに異なる考え方を持つ人が、お互いに自分の意見を出し合い、暫定的に何かを決めていくといった一見面倒で効率の悪いプロセスを重ねることはメンバー同士の理解を深めることにもつながり、okatteに対するオーナーシップ(自分事としての責任や愛着)にもつながる。

 あの人は衛生面の知識が豊富、あの人は斬新なアイディアを出してくる、あの人は新製品の情報を知っているなど、メンバーにはそれぞれの特性や考え方、得意分野がある。ふきんやスポンジの使い方についての話し合いの中でそれを知ることにより、最初は「異質」「違和感」と感じられたことが、実は自分の知識や視野を広げてくれることでもあることがわかる。そして、その後、okatteで何かをやってみようと思った時に、あの人はあれが得意そうなどと思い起こし、自分だけではできないことが実現できることに気づいた人もいる。

 キッチンという日常的で多少考えが違ってもそこまで深刻な争いにはならない場で、意見を出し合ってルールを作っていくということが、多様な個人同士での対等な関係づくりや異質な価値観を持つ人同士の折り合いのつけ方、熟議によって何かを作り出すプロセスを学ぶ一種のトレーニングになっていったのかもしれない。他のメンバーへの理解が進み、違和感の解消ができると、メンバー同士で食事を作ったり、ちょっとしたイベントを一緒にする、といったことへのハードルも一気に下がっていくようだった。最初は面倒だと思っていた「他人といっしょに何かをすること 」が、けっこう楽しいと感じられるようになったということかもしれない。

 私自身を思い起こしてみても、okatteで、メンバーと同じように活動に参加し、定例会に出たり、イベントを企画してみたりする中で、自分とは年齢も考え方も違う人と何かをするということが、面倒くさいながらもやってみるとけっこう楽しいということがわかってきたことは確かだ。また、いっしょに何かにトライすることで、少しずつメンバーそれぞれとの関係ができていき、たとえ、「ここは自分とは違う」と思っても、それがあまり気にならなくなったことには、自分でも驚いた。つまり、私自身も他人との付き合い方や協働のしかたをトレーニングされたということだろう。

 先のアンケートでも、okatteのメンバーになったことで自分自身に変化があったという人は多かった。そして、「okatteで自分が変化したこと」の具体的内容について以下のような回答があった。

  • 他の方と一緒に何かをやるのは苦手でしたが、他の方と一緒に何かを作り上げることで得られることは大きいなと思いました。今ではその面倒くささが少し楽しくもあります。
  • 自分の世界が広がったのが一番の変化です。okatteのメンバーは多才な方が多いので、何か困ったこと、わからないことがあったらお尋ねできるのがうれしいです。仕事抜きの人間関係ができたのが、とても新鮮です。
  • 若い世代との交流ができた。新しい価値観に刺激を受け、考え方等の幅が広がった。大勢で食事をする楽しさ、新しいメニューの開拓など、okatteで学んだことをシニア世代の仲間とも再現しようと、料理のグループを立ち上げた。okatte⇔シニア料理サークル⇔マンション仲間と 食を通じての交流が広がった。
  • 一人ではできないことが、メンバーの方の声かけや協力で、することができた。やりたいなーと(ぼんやり)思っていたことが、メンバーの方との出会いで実現してしまった。まさかできるとは思わなかったのでびっくりしている。
  • したいことをするための、精神的・物理的なハードルが下がった。はじめての主催イベントで、一緒に食卓を囲むだけで、立場や世代を超えて小さな喜びを共有できることを実感。主催にあたりなんでも自分で抱えたり仕切ったりしなくてもよいことを理解した。

(アンケート回答より。仮名遣いのみ筆者訂正)

 okatteというコモンスペースになんらかの期待を抱いてメンバーになったものの、最初はなかなかメンバーの輪に入り切れなかった人が、ちょっとした頼まれごとに応えたことをきっかけにokatteでの居場所を見つける。考え方の異なる他人と交わることで生じる「違和感」を感じながらも、人と関わりを持ち続けることで徐々にその「違和感」が解消され、面倒だけれど楽しいという境地に変わっていく。そして、期待しただけの満足を得たというよりは、期待したこととは別の何かを得て、自分自身も変化したと感じる。上にあげた記述から、そのようなメンバー(全員ではないが、それなりの数の人々)の変化のプロセスがうかがわれる。

 第5話で取り上げたようなメンバー同士のいろいろなコラボレーションによるイベントや企画の実現も、こうしたメンバー自身の変化によってもたらされたものだ。もちろん、メンバー同士で一緒に活動することだけがokatteの使い方ではないことは最初に書いたとおりだ。一人で利用したい人、一人で利用したい時はそうするほうがよい。そうした自由が保障されることでリラックスしたり一人でじっくり何かに取り組むことができる。その一方でやりたいことがある時には、それを実現する上で、他のメンバーとの協働ができるということは一つのパワーにつながる。okatteの空間や「管理しない運営」という環境が、そういったメンバーの変化に少しでも寄与したとすれば、こんなにうれしいことはない。

 新たに参加した人がもともといた人達の中でちょっと浮いてしまい疎外感を持つとか、自分とは違う考え方ややり方に対する違和感から、そのような考え方ややり方をする人に対する反感が生じてしまうといったことは、家庭でも職場でも地域でも、人が集まるところならどこでも起こりうることだ。そうした疎外感や違和感といったネガティブな感情は面倒でもありやっかいでもある。それをただ我慢したり、回避するために関係そのものをあきらめてしまえば、ネガティブな感情はネガティブなまま放置されてしまう。しかし、小さなところから関わりを育てていき、それぞれの違いを自分の言葉にして伝える努力をすることで、違いを多様な価値と認識できるようになる。異なる価値を持ち寄って協力することができるようになれば、それは自分だけではできなかったことが実現する経験につながる。そして時間が経つにつれてネガティブな感情は「面倒だけれど楽しい」に変わっていく。それは自分から新しい場で新しいことをやってみようとする原動力になる。

 こうしたことがわかったのは調査を経てのことだが、その前から、okatteという場に参加したメンバーに、全員ではないが、何かしらのポジティブな変化があるのを見て、私自身はとても興奮していた。そして、なぜ、okatteでそのようなことが起こっているのか知りたいと思っていた。2016年春に私が社会人大学院に入ることになったのは、その変化のわけを知るためだった。次回は、大学院での「コモンズ」との出会いについての話。


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第7話 お互いの違いを楽しめるようになった話

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