かつて日々のくらしに欠かせなかった箒は、電気掃除機の普及とともに需要が低迷し、全国各地の産地は壊滅状態に陥った。ところが近年、電気に頼りすぎないライフスタイルを志向する人、地域の伝統文化や地場産業に価値を見出す人が徐々に増え、職人が手編みした昔ながらの箒への関心が高まりつつある。
なかでも、神奈川県北部の愛川町では、一度途絶えた旧中津村の箒づくりを生業として復活させる取り組みが進む。その立役者として活躍し、伝統を受け継ぎながら作家性の高い作品も手がける筆者は、美術的アプローチにより社会にコミットするという信条の持ち主。いま注目のつくり手が、仕事を通して目指す“ものづくり”と社会の姿とは――。

第6回 工房想念② 編み上げる~その1

 中津箒を製作する株式会社まちづくり山上では、畑で素材のホウキモロコシの無農薬栽培を行っており、製造、販売まで、全てを自社で行なっています。

 大まかな工程として5月頃に種蒔き、夏に収穫をして、天日干し。その後、素材の選別をして、マルキという束に仕上げ、編み上げて完成となります。

 この「工房想念」の章では、箒を材料から育て、作り、お客様へ手渡していく、という流れの中に、どんな思いや意味があるのかを綴っていきたいと思います。第2回は「編み上げる」。ホウキモロコシと糸、柄などを編み上げて、製品にするまでの話の前半です。

箒を編み上げる工程は、「玉」をつくる作業から。長さや太さなどで選別したホウキモロコシの穂を完成形ごとに仕分けした束「マルキ」と、茎の不要な部分(クダガラ)を編んでいく。クダガラを使うことで箒は重くなりすぎず、また穂先がよく広がるようになる。

  

 草箒は一般的に、素材のホウキモロコシなどを糸や針金で束ね、編み込んで形にしていく。素材としては、箒の本体であるホウキモロコシ(第5回参照)以外に、

①箒全体を編み込みながら束ね、穂先を綴じる

(え)に使う竹や枝、

③編み終わりの処理に使う籐の皮

などがある。

道具は、一般的な刃物や工具などが多く、箒作り専用で使われる道具の数はあまりない。

 大まかな工程としては、天日で充分に乾燥させたホウキモロコシを

⑤長さや質に応じて選別し

⑥束ねてマルキという束にする。

⑦糸でホウキモロコシを編み込み、途中で柄を差し込む。

 編み終わりに

籐を巻いて

穂先を綴じて完成となる。

不自由な仕事から得られるもの

 草1本をそのまま使うという仕事はすごく制約の強い仕事に感じられるかも知れない。けれど、あらゆる工芸は、素材、それに基づく技法、それらに添わせるための機能、時代に合わせた意匠、さらにそれらを適正価格とすり合わせないといけないのだから、根本的にはがんじがらめだ。ものを作ることはクリエイティブなものとされるけれど、その不自由さに気づいてからが本分だと僕は思う。

 伝統的な技法を守るということは、歴史を味方につけるということだ。明治以降、日本では封建的な世界を脱して、個人の意志を軸にした表現についての議論が多く為され、旧来の様式への批判も多くされてきた。(アトリエを構える「がたんごとん」には詩歌の本を多く扱っているのだけれど、詩歌における、第二芸術論※1などは分かりやすい例だと思う。)同時に、文学、芸術、宗教などにおいても混然一体としていたカテゴリや境界の仕分けや整頓(場合によっては発明と揶揄されるものも少なくない※2)も多く行われてきた。それは革新的なアップデートともいえるけれど、歴史を分断してしまった面も少なくないのではないかと思う。

 ただ、箒のような素朴な手仕事は、次々に刷新されていく政策や芸術運動などを尻目に、淡々と続けられてきた営みであって、素材の扱いや工程には、何代も続いてきた職人たちが辿り着き遺(のこ)されてきた最後の答えが秘められていて、それを鵜呑みにして作業を続けていくと、技術を体得するにつれて、最適解が見えてくるようなところがある。古くからの作り方が示されていることを不自由に思う人もいるかもしれないけれど、それらは1人の人生で、そうそう見つけられる次元ではない貴重なものだ。そんな貴重な宝を受け取ることが伝統を守るということで、何かを守れば守るほど壮大な力を得られるというところが、古くからある仕事の面白いところだと思う。近代化、現代化した暮らしを選ぶ機会はたくさんあるのだけれど、どこか、箒を通して中世に繋がれる気もして、そこにはロマンも感じる。

 そのように、伝統を守る、というと一部保守的でつまらないイメージを持たれてしまう面もあるけれど、悠久の歴史や、壮大な力を活かすか殺すかという、シビアでダイナミックな選択に多く晒されていて、それらの力を最大限に活かすということは本来とてもクリエイティブな仕事なのだと思う。ただ、何にしても技術というものは毒にも薬にもなるもので、どんなに優れていても使い所が適していないと用を為さない。どのようなものづくりや表現でも、どのような技術を身につけ、その意味を理解し、どう活かすかを考えることが大切な仕事なのだろうと思う。

※1 桑原武夫による、定型詩を二次的な、第二芸術として批判したことによる論争。

※2 品田悦一『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』(新曜社、2001年)など。

筆者が工房を構える、ほうきのアトリエと本の店「がたんごとん」の店内。 「生きるための道具と詩歌」 がコンセプト。(写真は札幌市で営業していた頃のもの。現在は小樽市に移転・改装中)

長く遺る素材とはー糸(①)

 ホウキモロコシを編み込む素材として、銅線やビニールコーティングされた針金も使われていたけれど、現在の中津箒ではできるだけ自然に近い素材を使いたいこともあったので、天然染料で染めた綿糸を主に使っている。かつての箒にも綿糸は使われていたけれど、昭和初期頃は時代のせいもあり、ビビットな色の出る化学染料で染められていることが殆んどだった。まだ道路が舗装されず、多くの人が土にまみれていた時代には、現在の我々がアースカラーだとかナチュラルと言っているものが、むしろ田舎臭く、敬遠されていただろうし、そのような時代では、キラキラとした素材が先進的で、美しいものとされていたのだろう。

 ゆえに、当時ビビッドで化学的なものが好まれたことも分かるのだけれど、現在の作り手はライフサイクルアセスメントといわれるような、原料生産、製品生産、流通、消費、廃棄までにおいて環境に負荷がないか、生産構造として無理がないかに考えを巡らせない訳にはいかないし、そのように作られ、消費されるサイクルにコミットできるということも重要な作品の価値でもある。無農薬、オールハンドメイドの素材を、天然染料など、全て土に還る方法で作ることにはこだわるべき意味があるように思う。さらに、そういったポリティカルな理由だけではなくて、自然に近い在り方が直感的にも美しいものであって欲しいとも願っている。

 とはいえ「これがええんや」といって、芳弘さん(第3回参照)がビニールコーティングされたキラキラした針金を見せてくれたことを今でも思い出す。ビニールで巻かれていると聞くと、あまりいい顔をしない人が多いけれど、あのキッチュな色合いで規則的に編まれた箒は愛らしさもある。金属やビニールなどの工業製品は材として均質、そして明るさがあるように思うし、僕が惚れ込んだのもそんな素材が使われた箒だった。時を経て、現在自分たちが作っている箒は、次の世代にも価値があるものとして遺していけるだろうか。時代は刻々と変わっていくけれど、自然で、誠実なものづくりが、いつまでも愛されるものと信じるしかない。

藍染めした綿糸。染める加減により濃淡を出す。藍のほか、ホウキモロコシの種や山葡萄の皮などでも染める。

価値基準の選択と意思表明としてー柄(②)

 草、糸、あとは柄に使われる竹や枝が基本の素材となる。かつては、軽くて真っ直ぐで手に入りやすい竹しか使われていなかったので、柄に枝を使うようになったのは、中津箒でも最近のことだ。本体の作りは伝統的でも、柄が代わるだけでとてもカジュアルで、可愛らしい印象にもなる。遊び心、と言ってしまえばそれまでだけれど、工芸品を作るということは、機能性の高い道具を作るという以外に何らかの美しさも備えるということだ。むしろ、あらゆる伝統的な手仕事や道具の中に、なんらかの美学や理念を見いださない方が難しいとも言えるだろう。

 しかし、ますます分断の進む現代において、何を豊かとするか、何を美しいとするかを決めることは簡単ではない。価値観の多様化というと陳腐なようだけれど、おそらく近代以降段階的に封建的、一元的な価値体系が崩れた反動に加え、ネットやSNSの普及で多様化は更に進んでいくだろうと思う。多様化とは、個々の意志を表明しやすくなったことに加え、IT技術やデバイスの発達で、物事の背景や情報源にアクセスしやすくなったことでもある。つまり何をしても、何を考えても、誰も足跡をつけていない場所や、先達のいない領域を見つけることは難しくて、殆んどが歴史や何かの文脈に回収されてしまう情報化の中で、何をどこに向けて提案していくか、ということは、かつての職人たちより遥かに意識的にならなくてはならないはずだ。今はひたすらにいい道具を作れば売れる、という時代でもない。職人仕事は、年季のいる仕事で、流行りが過ぎたら手と品を変えるという訳にもいかないので、生活文化として耐用年数が長く、生涯を賭けるに資する確かな在り方を見つめ、本質を確かめながら、時代に対応していくことが求められるのだと思う。

 見落とされがちだが、大量生産・大量消費を前提とした生産と流通の仕組みが普及する以前であっても、かつての職人たちは、ひたすらに技術を鍛え、先人の技術を踏襲する一方で、常に時代と共に変革もまた行なってきた。そして、無計画な生産の拡大や消費や廃棄が、環境や文化に大きな弊害をもたらすことが認識されて来た現代において、意識的にそれらに抗うことも、いま手仕事を続けていく価値のひとつだ。日々時代に合わせて切磋琢磨してきた職人のように、我々も歴史や技巧の意味を理解しながら、どこに豊かさや美しさの照準を合わせるかという判断が必要になる。

 柄の話に戻ると、箒が古くて昔のもの、というイメージがあるとしたら、それを刷新、打破する必要があって、そんな時に作り始めたのが、枝の箒だった。箒のようなシンプルな道具の機能を損なわずに形を変えるのは難しいので、最初に手を加えるとすれば、妥当なのは柄の部分だったということもある。自然のままの枝は竹に比べて曲がりがあり、重い。材として均質でもないけれど、その個体差や自然味がインテリア的に好まれることもあって、単なる道具以上の在り方を伝えることができると思った。竹は北海道では生えなくて、地元の材にこだわると枝になってしまうという面もある。

 それにしろ、枝を使った柄が単なる変わり種であったり、ただ外見の目新しさを求めていると思われてもよくないので枝のことを擁護しておくと、竹には現代のエアコンとの相性の問題があり、エアコンの風の当たり具合によっては乾燥で割れてしまうこともある。また、中が空洞で、竹を好む虫がいるので、稀に虫食いで穴が空いたり、最悪折れてしまうこともある。枝はクルミやヤマブドウ、サクラやタモなど、木工用としても信用のおける素材を多く使っているし、愛される道具はよく手入れされ、永く、道具の生を全うしてくれるようにも思っている。そして、かつての在り方を変えるということは、背景や歴史に手を加える意志を明示することになる。奇を衒う(てら)だけではなく、新たな領域に踏み出す決意、佇まいそのものが生み出す喜びも大きいように思う。

 箒を習い、作り始めた頃、どこでどう売っていこうかと考え、古めかしいものではなく、現在でも有用で美しい道具であると気づいてもらうために大いに貢献してくれたのは、枝の箒だった。そんな箒の写真が全面に印刷された展示会のDMを芳弘さんに送ったこともあったけれど、彼がどう感じていたかは分からない。仕事の場が広がること自体は喜んでくれていたように思う。目新しいことをするのは簡単だけれど、そのことが、歴史に、先人に、どれだけ誠実であるかということは、ずっと考えていかなければいけないように思う。

木の枝を柄に用いた箒。

強固でしなやかな素材ー籐(③)

 工程の詳細は後述するけれど、編み終わりには、柔らく丈夫な籐の皮で仕上げる。籐の皮だけは、日本では育たないので唯一の海外産の原料となる。国内で栽培できないとはいえ、日本でも1000年以上歴史があるようで、刀の柄や弓などにも使われていたらしい。昭和初期にアルミのような金属で代用しているものもあったようだけれど、どちらにしろ、異素材である必要があるようだ。

籐の皮。表皮を裂いて紐状にしたもの。

素朴で逞しくー道具(④)

 道具に関しては、「元々農家の仕事だから多くはないんや」と芳弘さんからも聞いていた。なので(素朴な天然素材を扱う仕事の類としては、標準的な気もするのだけど)基本的には、糸や針金を切るニッパーやペンチ、草を切る包丁や小刀といった刃物、木を切るノコギリやキリ(ドリル)など、農家ならどこにでもあるような普通の道具がほとんどだ。素材ごとに1つか2つ位でどうにでもなるというのは、安心感がある。

 2018年、いま暮らしている北海道では、地震で数日間停電したことがあったのだけれど、変わらず仕事ができてすごく安堵した記憶がある。(ちなみに、当時行きつけにしていた八百屋は昔ながらの個人商店だったのでそちらも変わらず開いていたけれど、スーパーは品が入らないし営業も大変で大行列だったらしい。それもあって、最後に勝つのはアナログだ、という自信を更に強くしてしまった。)

 まな板代わりの丸太や、座布団(道具とは言わないかも知れないけれど、腰痛や、うっ血でスゴいイボができるような話は昔からあり、あまり蔑(ないがし)ろにできない)なんかもあるけれど、ペンチやニッパー同様、どうにでも替えが利くように思う。

 特殊と思われるものは、糸が巻いてある「杭」で、かつては床に穴を開けて基礎の地面に直接打ち込んであるものだった。どうしても、締め付けながら編み上げないと丈夫な箒にはならないので、しっかり固定された杭は欠かせない。普段使うものは、糸を巻いた竹筒を取り付けて、糸の色を替えやすいようにしているけれど、最悪倒れなければ、どんな杭でも箒はつくれるだろう。唯一欠かせないものがただの杭、というのは何とも野性味があって逞しくて好きなところだ。

 最後に糸を綴じる為の、畳針のような大きな針がある。ホームセンターでも求められるけれど、京都支店に残っていた特注の針は、何とも使いやすくて滑りのいいフォルムだった。現在は昔と違い、素材や道具を工場に直接オーダーすることは多くない。弘法筆を選ばずというけれど、あらゆる道具を自分で作ったり鍛冶屋さんにあつらえてもらったりするしかなかった時代はオーダーメイドが当たり前で、さぞ快適に作業できただろうとも思う。とはいえ、それを腕が悪い言い訳にもできないので、あまり考えないようにしている。

箒づくりに使われる道具。木槌、錐、小刀など、見慣れたものが多い。

《第7回「編み上げる~その2」に続く》


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