東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。
第6話 管理しない運営の話
前回は、okatteにしおぎ(以下okatte)の最初の1年ほどで、okatteメンバー(以下メンバー)が順調に増えただけでなく、メンバーが自由に自発的に自分のやりたいことをやり始めたという経緯を「ブレイク」として紹介した。
今回は、そうした「ブレイク」のきっかけになったかもしれないokatteの運営についての話をしたい。賃貸管理と運営サポートを担っている株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)の齊藤さん(齊藤さんについては第3話参照)との経験について、新米大家の私がどう行動し、どう感じたかについての話だ。
ところで、「大家」とは何なのだろう。物件のオーナーとして、物件そのものについての法律的な責任を負う立場であることは確かである。しかし賃貸だけでなく、そこに「まちに開かれた」共有スペースも設けた場合、立ち位置はさまざまだ。共有スペースの活動も含め、すべて自分で管理運営する人から、共有スペースの管理運営についてはNPOや企業にすべて委託し、自分は家賃を受け取るだけという人まで幅広い。管理運営を委託したからといって、大家が全く関わらないかといえば、そんなことはなく、そこにどれだけ関わっていくのかは千差万別である。一切口出しをしないという人もいれば、積極的に関わりたいという人もいる。
okatteの場合、コモンスペースに集うメンバーのコミュニティである「okatteアソシエーション」はメンバー自身が自主運営し、その運営サポートとしてN9.5に入ってもらう、という選択をした。しかし、そのなかで、大家はどういう立場でどういうふるまいをすることが適切なのかということについては、常に試行錯誤の連続だったといってもよい。今でも「これだ!」という答えのないまま走り続けているように思う。
先日も同じような場のオーナー兼運営者である方と「こういう場(その方は私設公民館と言っていた)の大家の教科書ってないんですよね! だから時々どうしていいかわからなくなるんですよ」という話をしたばかりだ。たとえば、マンションやアパートのような「賃貸経営」というビジネス(利益を出すための管理の仕方)について、あるいは、NPOや社会活動団体の運営についてのノウハウを教える本やセミナーはある。さまざまな個別の成功事例も紹介されている。しかし、共有スペースの大家そのもののあり方について教えてくれるものには出会ったことがない。
私自身は、せっかくokatteという場づくりに企画段階から関わったからには、okatteの活動にはそれなりに関わりたいと思っていた。同じ敷地内に住んでいることもあり、関わらないという選択肢はなかった。しかし、メンバーの自主運営を基本とし、N9.5(の齊藤さん)が運営をサポートするokatteのコミュニティに大家がどこまでタッチしてよいものか、見えてはいなかった。
N9.5との間で運営上の役割分担についての細かい取り決めはしなかった。決めたほうが楽だったのかもしれないが、そもそも、okatteのメンバーシップがどのように推移していくのか、わからなかったし、状況次第というところもあり、そこは臨機応変に対応していくしかなかったのである。唯一、備品に関して、家電製品などの耐久財は修理も含めて大家の管轄、消耗品についてはokatteアソシエーションの管轄ということを決めた。運営に関する大事な事項(全体的なルール変更や周年行事などのokatte主催イベント等)については大家と齊藤さんとであらかじめ話した上で、定例会でメンバーと決めるようにした。
私も会費を払ってメンバーになるという案もあったのだが、メンバーになったからといって大家であるという立場を離れられるわけでもないので、メンバーにはならなかった。ただ、メンバーの定例会には出席し、公式イベントにもできるだけ参加した。メンバー募集の説明会に参加して、okatteの生い立ちの説明をした。予約料を払って自分でイベントを主催することもあった。
つまり、ほとんどメンバーに近いけれど、メンバーではなく、大家ではあるけれども活動にも関わるという、実にあいまいな立ち位置で、8年近くやってきたのである。そんな「おおや」(漢字で大家とすることになんとなく違和感があり、メンバーとのメモのやり取りなどではひらがなで「おおや」と名乗っている)1年生の学びである。
不安だった大家を変えた「管理しない運営」
okatteが始まった当初、私は張り切っていた。大家として、住人やokatteメンバーをちゃんとお世話しなければという気持ちが強かったのだ。その根底には不安や心配があった。それはメンバー間でのトラブルや、近所からのクレームに対するものだった。そうした不安や心配を取り除くためには運営側がきちんとメンバーを「指導」して、トラブルやクレームを未然に防ぐことが大切だ、と、かなり気負っていた。
それには根拠がないわけではなかった。シェアハウスやコモンスペースを見学しに行ったり、イベント等で自分で運営しているオーナーに会う機会があった時に話を聞くと、住人同士の意見の対立はよくあるということだった。対応に失敗し、対立がエスカレートして感情的にこじれ、退去者が出ることにつながったという経験談も聞いていた。イベント時の音がうるさいという近所の住人からの度重なるクレームに悩まされたという人もいた。
こうした不安や心配は、自宅をシェア空間として活用したいと考えている人たちの多くが感じることのようだ。okatteの大家を始めてから、時折空き家活用セミナーのようなところで、okatteの事例について話す機会があるが、必ずでる質問が「何かトラブルとか、大変なことはありませんか?」である、ということからもそれはよくわかる。
トラブルを防ぐための方法として、当時私が考えていたことは、okatteの顧客であるメンバーの小さな疑問や不安に迅速に対応し、メンバー間の意見の相違といったトラブルの芽は素早く取り去る、ということだった。
okatteではメンバー同士の連絡や告知のために、ネット上のグループウェア(企業などの組織に所属する人々のコミュニケーションを円滑にし、業務の効率化を推進するためのソフトウェア。名簿管理やスケジュール管理、意見交換ができる)を用意していた。メンバーはこのグループウェアのカレンダーに予約内容を記入して参加者を募ったり、掲示板に質問や意見を書き込んだりすることができる。
私は、運営側は掲示板を注視し、メンバーから出た質問にはできるだけ早く答え、意見が対立した時にはすぐに運営としての判断を出すことがよいと考えていた。それまでの自分の仕事経験の中では、顧客からの問い合わせには迅速に対応すること、仕事に携わる人の間で意見の対立があった時は責任者が早急に判断を下すことは当たり前のことだった。そのようにすることで、不要なトラブルを防ぐことができ、顧客であるメンバーが安心してokatteを利用できるのだと思っていた。
確かに通常のサービス業なら、こうした「管理」(スピードや効率重視、顧客ファースト)は大切である。しかし、当時のそうした私の考え方は、メンバーの自由で自発的な活動を開花させるためのコミュニティの運営のあり方にはそぐわないということを、その時の私はまだわかっていなかった。それをわからせてくれたのがN9.5の齊藤さんによる運営の実践で、私はそれを「管理しない運営」と考えている。といっても、齊藤さんが「私はokatteで管理しない運営をします」と言ったわけではない。私が大家として齊藤さんと関わる中でそう感じたというだけなので、齊藤さんの意図と異なっているかもしれないが、そこはご容赦いただければ幸いである。
私が経験した齊藤さんの「管理しない運営」には3つのポイントがあった。それは「待つ」こと、「ずらす」こと、そして「おもしろがる」ことだ。
その1 待つ
オープン時には、会員からさまざまな質問が運営側に寄せられた。よくあったのは調理器具の場所がわからない、とか、ペレットストーブのつけ方がわからないといったものだった。また「〇〇してもいいですか?」という問い合わせがメールやSNSで直接来ることもあった。
質問に対して、緊急時(鍵が開かない、キッチンの設備が壊れた等)以外、齊藤さんからの返信はなかなかない。私はすぐに答えたいのだが、齊藤さんからの返信がないのに大家が先に返信してしまうとよくないのではないか、忙しくて見ていないのかもしれない、と様子を見る。しばらくしてもう一度掲示板を見ても、まだ返信はない。調理器具は見つかったのだろうか、ペレットストーブはつけられたのだろうかと心配していた。
「〇〇してもいいですか?」という質問に対しては、「グループウェアの掲示板に書くか、齊藤さんに聞いてみてください」と答えることが多かった。ルールブックにあらかじめ書かれていないことも多かったし、大家の権限でそうした質問に答えてはいけないような気がしたのだ。そのような質問が掲示板に書き込まれても、齊藤さんからの返信はなかなかなかった。
掲示板上での意見の対立が起こった時も同様だった。
最初の頃、キッチンでやりたいことと衛生面の配慮という点で、掲示板で意見が対立するように見えることが時々あった。たとえば、あるメンバーが、「知り合いから分けてもらった蛍をokatteに放して鑑賞しながら食事をする会をして、子どもたちを喜ばせよう」と提案した。それに対して、他のメンバーから、蛍といえども虫を食事中に室内に放すのは衛生上よくないのでやらないほうがよいのでは、という意見が出た。もちつきをしたいというメンバーに対して、もちつきは食中毒の懸念がある(実際、もちつきイベントでもちを食べた子どもが食中毒になったというニュースがあった)と反対する意見が出たり、生ガキやジビエ(鹿肉、猪肉)に対してノロウィルス等への懸念が出たりしたこともある。
意見が対立しているように見えた時、私は運営側が早く結論を出したほうがよいのではとやきもきしていたのだが、齊藤さんは何も書き込まない。私は、なぜ、早く介入しないのか、と思っていた。齊藤さんが何か書き込んでいるなと思って読むと、しても良いとかしないでほしいという運営者側としての回答ではなく、「私は個人的に××だけれど、そうでない人もいるかもしれない」というような答えだったことも多い。
私はよく「齊藤さんの塩対応!」と言っていたのだが、質問にすぐには答えないこと、意見の対立に介入しないように見えることは、私にはひっかかるところだった。私は、コミュニティの運営というのは、リーダーがみんなを盛り上げて、一つの方向性に向かって引っ張ったり、メンバーが不安や不満を持たないように親切にケアしたりすることだと思っていたので、齊藤さんのやり方はメンバーの一体感をそぐような気がしたのだ。
ただ、しばらく観察するうちに、そのやり方がokatteメンバーの自発的な活動を活性化させる上で実はとても大事だということがわかってきた。「塩対応」どころか、非常にきめ細かく練られた対応だったのだ。
しばらく見ていてわかったことは、掲示板の質問に対する答えがしばらくないと、メンバーの誰かが、「〇〇ならキッチンの流しの上の棚にありましたよ」とか「ペレットストーブのマニュアルが畳スペースの戸棚に入っています」などと書き込むようになるということだった。蛍の件で意見が対立した時には、対立している二人とは別に「蛍は子どもに見せたいけれど、確かに室内に放してしまうと後で回収するのも大変かも」「放さないで、容器に入れた蛍を見るだけにすれば」といった意見が出てきて、最終的には容器に入れた蛍を見ながらの食事会が実現し、子どもたちも大喜びだった。もちつきについては、メンバーの一人が保健所に問い合わせをして衛生上の注意点を聞いた上で、屋外でついた餅はお飾り用にし、子どもたちにはもちつき機で別途作った餅を食べさせることで、無事もちつきが開催された。
もし、運営側がすぐに答えを出せば、確かに問題はすぐに解決するように見える。しかし、そうすると、結局、何でも運営側が答えを出すことが当たり前になってしまう。運営側から答えが出てこないことで、メンバー同士で質問に答えたり、自分で考えたアイディアを出し合ったり、というコミュニケーションが発生する。そうするうちに、メンバーそれぞれの事情やキャラクター(あの人は衛生に気を付けなければならない仕事をしているとか、あの人はちょっとおおざっぱだけれどユニークなアイディアを出す等)もお互いにわかってくる。そして、運営側にいちいち尋ねなくても、自分たちで自発的に答えを出し、動けるようになる。
運営側が即座に対応しなければならない緊急事態は別として、メンバー同士で解決できることに対しては、運営側はすぐには答えを出さず、メンバー同士のコミュニケーションを待ち、見守るという姿勢が大切だということが私にもだんだんとわかってきた。そして、大家としても、いつしか、掲示板の書き込みに対して、あまり心配しすぎず、おおらかな気持ちで見守ることができるようになっていったのだった。
その2 ずらす
待つだけでは解決しない問題もある。オープン当初、私が気にしていたことの一つが騒音、特に子どもの声だ。小さい子どものいるメンバーが多いこともあり、子ども連れでの食事会やイベントは頻繁に行われていた。親たちがキッチンで料理をしたり、片付けをしたりする間、子どもたちは「板の間」や「畳スペース」で遊んでいることも多い。親が持ってきたアニメのDVDを見せたり、親の誰か(お父さんのケースが多い)がいっしょに遊んだりするのだが、最初は静かにしていても、そのうち追いかけっこが始まったり、座布団を積み重ねた上から飛び降りたりと、運動会状態になる。最終的には興奮して金切り声が出たり、ころんで泣いたりということが起きる。親たちはそんな子どもたちに、子どもより大きな声で「静かにしなさい!」と叫ぶ。
ほほえましくはあるのだが、近所からクレームが来るのではないかとひやひやした。特に窓を開け放つ春や秋は外に音が響くので神経をとがらした。私自身、もう子どもが大きくなり大人ばかりで過ごしていたこともあり、子どもの甲高い声がずっと続くことはちょっと苦痛だった。
そのため、子どもの声に関しては、グループウェアの掲示板に書き込みを何度か行って、注意を促した。直接注意をしにいったこともある。実際にはご近所から子どもの声に関するクレームはなかったのだが、今思えば、周囲を気にするあまり、自分がクレーマーになりかかっていた。
親以外のメンバーから「子どものことは親が責任を持ってほしい」と苦言が呈されたこともあり、2015年6月の定例会でこのことが議題の一つとして取り上げられた。「親からすると子どもを自由に遊ばせられることで、大人同士のおしゃべりを心置きなく楽しめる時間は貴重」というメンバーが多かった一方で、「親同士が話に夢中になることで、子どもが放置され、やりたい放題で騒ぎがエスカレートするのは困る」、「一緒に来た父親やその場に居合わせた若い人などが子どもの遊び相手にさせられて食事やイベントを楽しめない」、「親は親で子どもが人に迷惑をかけているという負い目があり、つい、大きな声で叱ってしまい、子どもより大人の声がうるさい」など、さまざまな意見が出た。ただ、特に結論が出たわけではなく、もやもやしたままその定例会は終わった。
最初の話し合いから少し時間が経った2015年8月の定例会で、齊藤さんから「子どもメンバー」という以下のような案が出された。
〈子どもメンバーについて〉
◆なんで提案するの?
①親子でくるひとも、そうではないひとも心地よい時間をつくる
- 子どもと一緒に okatte にきてほしい。
- 正直なところ、子どもは騒がしいし、なかなか制御不能。
- でも、子どもの日常のマナーのことを、その子の親「だけ」が責任を持つのではなく、まわりのひとがサポートするには、まわりのひとが子どもに直接話しかけられるようにしたほうがよいのでは。
- まわりのひと―子どもの関係を、フラットにすることは、まずは「友人になる」ことでよいのでは。
- まずは「名前がわかる」ことからはじめてもよいのでは。
② okatte が、子ども/大人 両方の気づきの場に
- 子どもにとって、友達の親(「◯◯くんのパパ」「◯◯くんのママ」)以外の大人を固有の名前で呼ぶ・固有の名前で呼ばれることは、社会の一員としての意識に繋がる
- 子どもは大人の凝縮版。未熟なのではなく、むしろ純化した人間の性質のあらわれという側面。子どもを受容できるようになると、大抵の大人のことは受容できるようになる。(かもしれない)
◆内容
- okatte メンバーの子どもの名前をメンバーリストに載せる
- まわりのひとに知っておいてもらいたいことを親が書き込む
- 会費などは無し。ただの登録で、利用上の変更は無し。
- 任意です(親が選択する)
(定例会記録より仮名遣いのみ筆者修正)
「子どもメンバー」の提案は、少し視点をずらすことで、立場の違う人の意見を、正しいか間違っているかという白黒の対立軸ではなく、多様な色が併存することを受け入れられるようにする効果があった。
子どもを一人のメンバーとして扱うことにより、「子ども」の問題が「子どもの親」対「別の大人」という関係から、年齢差はあっても対等なメンバー同士の関係に変わる。子どもの声がちょっと苦痛だと思った時に、「親なら子どもを静かにさせるべきなのに」とフラストレーションをためるのではなく、子ども本人にちょっと声を小さくしてくれないかと直接お願いすることで、子どもも気づきがあるし、大人同士が対立軸に陥ることもなくなる。「誰かの子ども」ではなく、「〇〇ちゃん」という名前で呼べる子どもメンバーは、多少うるさくても、やんちゃでも、仕方ないなーと受け入れられるのも事実だ。そして、どうしても子どもが苦手なメンバーは、子どもがいるイベントを避ければいいのだ。
実際には、「子どもメンバー」が正式に名簿化されたわけではない。また、子どもが騒がなくなったわけでもない。しかし、大人の子どもへの向き合い方はちょっと変わった。他のメンバーの子どもに対しても遠慮なく「疲れてるからちょっと静かにしてくれる?」とか「それは危ないからやめて!」と言うようになり、大人と子どもの距離感が縮まった。そして、数年が経つと、子どもメンバーは親戚の子どものような存在になり、「〇〇ちゃん、もう小学校? 大きくなったねー」などという関係になっていった(中学生になるとそういわれるのがいやで来なくなる子もいる)。私自身、子どもの声を必要以上に警戒する感覚は薄れ、なんとかクレーマー大家にならずにすんだのだった。
その3 おもしろがる
定例会で、齊藤さんはさまざまなアイディアを繰り出した。
グループウェアで質問が絶えなかった備品(消耗品)の場所については、「okatteの見取り図を作る」、メーカーのマニュアルがわかりにくく、うまくつけられない人が続出したペレットストーブの着火と消火については、「動画にしてYouTubeにあげる」というアイディアが齊藤さんから提案された。前者についてはなぜか「しし座の人」が(一時期、定例会の進行やokatteの運営に関わる仕事を星座別で行っていた。ふだんあまり会わない人同士が知り合うきっかけになった)、後者については齊藤さんがペレットストーブをつけるのをみんなで見ながらスマホで撮影するという会が開かれた。
こうしたアイディアのいくつかは実践され、多くはそのまま消えていった。しかし、没になる案も含め、「大人の遊び」のような感覚で、メンバー同士、アイディアを出し合いながらokatteという場を楽しく使いこなしていくというやり方を、齊藤さんは自分で実践してみせてくれた。また、齊藤さんは、人が出したアイディアや意見を「正しさ」で判断するのではなく、常におもしろがっていた(肯定しない時も、「それ(あなた)は××だ」ではなく、「私は〇〇だ」と、I(私)を主語にして発言した)。それによって、メンバーは、ちょっとしたアイディアも、こうしたほうがいいという意見も、怖がらずに出してもいい、と思うようになったのかもしれない。
大家である私自身も、「大家だから」と必要以上に心配したり、メンバーの世話をしなければと肩ひじを張っていた最初の頃から、1年ほど経つうちに、少しずつ肩の力が抜け、自分もメンバーのやることをおもしろがり、メンバーと共にokatteでの生活を楽しむ一人になれたような気がする。
「やってみなはれ」
そんななか、年1回行われるokatteの一大イベントが2016年2月からはじまった。それが「やってみなはれ」というイベントだ。
このイベントは、メンバーなら誰でも参加できる。参加者はめいめい自分が1年以内に「okatteでやってみたいこと」を制限時間内で発表(当日参加できない場合は動画で発表)する。発表された「やってみたいこと」にメンバーが投票し、その票数に応じて、okatteの予約料に充てられる金券が支給された。参加者は1年以内に発表したことを実際にやってみる(実際にはやれないこともあるが)。
「やってみなはれ」はその後も毎年開かれ、2022年12月にも開かれた。2022年末の「やってみなはれ」では「写真展をやってみたい」「スパイスカレーを作ってみたい」「okatteのまわりの地図を作ってみたい」「おいしいコーヒーの味比べをしてみたい」「包丁を研いでみたい」「手芸の会をしてみたい」といったことが発表された。
毎回発表されるのは他愛ないことではあるが、なぜか非常に盛り上がる。本格的なプレゼンをする人もいれば、その場の思い付きで発表する人もいるが、それはそれでバラエティに富んでいて楽しい。人の発表を聞いて、それなら自分もこんなことができるかもしれない、という気持ちになれる敷居の低さで、メンバーの「やってみよう」という意欲が高まり、そこから、okatteで「できること」が増えていく。
次回はそんなokatteのメンバー自身の変化についての話。