かつて日々のくらしに欠かせなかった箒は、電気掃除機の普及とともに需要が低迷し、全国各地の産地は壊滅状態に陥った。ところが近年、電気に頼りすぎないライフスタイルを志向する人、地域の伝統文化や地場産業に価値を見出す人が徐々に増え、職人が手編みした昔ながらの箒への関心が高まりつつある。
なかでも、神奈川県北部の愛川町では、一度途絶えた旧中津村の箒づくりを生業として復活させる取り組みが進む。その立役者として活躍し、伝統を受け継ぎながら作家性の高い作品も手がける筆者は、美術的アプローチにより社会にコミットするという信条の持ち主。いま注目のつくり手が、仕事を通して目指す“ものづくり”と社会の姿とは――。

第5回 工房想念① 素材

 ここまで、一見珍しいと思われる箒の仕事へどのように辿り着いたか語ってきました。ここからは現在の話として、箒を材料から育て、作り、お客様へ手渡していく、という流れの中に、どんな思いや意味があるのかを綴っていきたいと思います。

 第1回は「素材」。箒の材料となるホウキモロコシについてです。

 中津箒を製作する株式会社まちづくり山上では、畑で原料の無農薬栽培を行っており、製造、販売まで、全てを自社で行なっています。大まかな工程として5月頃に種蒔き、夏に収穫をして、天日干し。その後、素材の選別をして、マルキという束に仕上げ、編み上げて完成となります。

収穫間近のホウキモロコシ 提供:株式会社まちづくり山上

種の価値とは

 主な原料はホウキモロコシ。俗称としてホウキキビ、ホウキグサなどとも呼ばれる。いわゆる、トンブリが穫れ、紅葉するため観賞用としても人気のコキアもホウキグサとも呼ばれるのでよく混同されることがあって、ホウキモロコシを見たことがある人も少ないので箒の原料は大抵コキア(和名:ホウキギ、俗称:ホウキグサ)か稲と勘違いされている。コキアは穂先が長く、硬い分コシもあるので、簡単に束ねて土間掃きなどに重宝された。脱穀した稲の穂先の柔らかい部分をミゴというけれど、その部分だけを集めたミゴ箒も、民具資料ではしばしば見かける。ミゴは柔らかく密なので、小物の箒には向くけれど、ホウキモロコシのような長さもなく、コシがあまりなくて劣化しやすいことなどを考えると大型の箒にはホウキモロコシが向いているように思える。

コキア(ホウキギ)

 キビ類と似ていることもあり、食べられるのかとよく聞かれるのだけれども、昔から食用にはならないとされている。米や雑穀は実が成熟してから収獲するけれども、箒に関しては実を外した穂の部分が大切なので、実が成熟する前、青いうちに収穫して、脱穀する。人の背丈以上にすっくと育ち、さわさわと揺れる姿はエネルギッシュで誇らしく見える。

 ホウキモロコシは一年草なので、全盛期は買い付ける量もすごかったそうだ。「風呂敷にこんなに札束包んでな。怖かったで〜」と、芳弘さんが言っていたのをよく覚えている。京都支店でも、茨城の霞ヶ浦の方へ一年分の材料を買い付けに行っていたらしい。智史さんからも買い付けの話を聞いていた。彼は少し大きく言いそうな節もあるけれど「柳川が買い付けに行くって伝わると、その辺りの草(職人は、ホウキモロコシのことを今でもただ「草」と呼んでいる)の値段がばぁーっと上がったんや。向こうに着くと、泊まってる旅館に草を抱えた農家の行列ができて、ええのがあったら貨車にどんどん積んでく。一番多いときは、列車丸ごと草やったで。1両じゃなくて列車丸ごとや」という恐ろしく景気のいい話だった。
  ※株式会社まちづくり山上の前身、当時の柳川商店。芳弘さん達がいたのは、その京都支店だった。

「看板下ろしたんは、成田空港ができて良い草がなくなったからや」とも聞いていた。箒産業の衰退は時代の変化など色々理由があったはずなので僕は話半分で聞いていたけれど、どれだけ草に誇りを持っていたか、ということはうかがえる。

 そのように、産業の規模が大きい時代は分業も進んでいたけれど、現在の中津箒では、全て自社栽培でホウキモロコシを賄っている。ホウキモロコシの種は一般にはほとんど流通していないので、自家採種が基本だ。中津箒を復興させようとした2003(平成15)年頃には、柳川商店に伝わっていた種はすでに失われてしまっていて、自宅用にと箒作りを細々と続けていた中津の農家に頼み込んで、辛うじて生き残っていた種を掌にひとすくい貰ってくるのでいっぱいだったらしい。

ホウキモロコシの種 提供:株式会社まちづくり山上

 かつては、どんな作物の種でも現在のように買ってくるわけにはいかず、自家採種されていた。毎年、作物の一部を種採り用に残して、そこから翌年に種を継いでいくのだ。そのため作物の種を人に渡すということは、農家にとっては生活の糧を得る手段を手放してしまうのと同じことで、死活問題でもあった。だから、種を継いでいく、ということは箒の仕事を続けていくための根本となる。ただ、歴史があるからと言って食えるほど世の中は甘くない。残していくにはそれなりの価値を示していかなくてはならないだろう。

 このホウキモロコシの箒は、江戸時代から明治にかけて各地で広まったと言われる。上等で長持ちする構造の箒が開発されたのは、衛生環境が向上したことや、畳の普及も要因の1つであると思う。明治以降続いている、という歴史を長いと見るか短いと見るかはそれぞれだけれど、歴史上、しなやかでコシがあり、繊細に掃除ができる箒の到達点の一つが、現在の上質なホウキモロコシの箒であることには変わりがない。

ホウキモロコシとの駆け引き

 ホウキモロコシの種にもクロやアカと言われる品種があり、クロが上質とされる。また、植える間隔や間引きで茎の太さと長さをいくらか調整できる。とはいえ、気候や土地の状態による誤差は少なくなく、様々な状態や品質の草も、自然の恵みとしてありがたく戴くしかない。そのバラバラの状態の貴重な草を選り集め、作るべき箒に適したものを選別して、できるだけ無駄なく、上等で高品質なものを数多く均等な品質で並べられるよう作っていくことが職人の腕となる。木工などもそうだけれど、素材は内部に最高の状態が含まれていて、あとは引き算しか出来ない作業なので、見極めと適切な選択が要となる。あくまで、恵みを戴いているのだと思う。

芽吹いたばかりのホウキモロコシ 提供:株式会社まちづくり山上

 中津箒の中で、僕の仕事に関しては主として製作からで、原料のホウキモロコシの畑については収穫を手伝う程度だけれど、正直、箒が原料に依存する範囲はすごく大きい。素材を活かす、なんてよく言うけれど、恐らく箒の道具として用を為す部分、穂先の柔らかさや硬さ、コシや密度に関しては、製作の工程では融通が利きづらい。もちろん、金属のように均質性の高い素材でも全てを余すことなく使えるわけではないと思うのだけれど、箒は穂をそのまま製品にするので、向こうをこちらの都合に合わせるのではなく、こちらが草に合わせていくしかない。素材そのものの質に頼るしかないのだ。例えば、コーヒー豆自体が腐っていたら、どんなに抽出にこだわっても美味しいコーヒーを煎れることはできないことに似ている。反対に、抜群の新米だったら、硬めに炊いても、おかゆにしても美味しい。口にするものと同じくらい、原料に依存する割合が大きい仕事だと自負している。そしてその不自由さも魅力だと思う。

 本来、自然の中で生きることは不安定で、不自由なものだったのだと思う。その中で、安定して生き抜くために、人類は農耕を始め、高カロリーで保存が利く小麦や米を主食にした。そして貨幣や流通を発達させていく中で、地球の環境を破壊するまでに莫大な地下資源、自然環境を浪費して、安定的な生存と人口の拡大を続けてきた。それらは、石油やガスや森林、水などの自然環境だけに留まる問題ではなくて、生活様式や文化の問題でもある。けれども、全ての生き物は自然の恵みを貰わなければ生きることができず、またその循環の一部であることは逃れられないのだから、自然に従わなくてはいけないし、敬虔である必要があるように思う。

 対して、自然そのものである種は毎年育てて、また来年使うものだから、その成り立ちや人との関係を過去から学び、必要な形で現代に活かし、またそれらを絶やさずに繋いでいく必要がある。つまり、自然の循環や暮らしの在り方の過去、現在、未来を見据え、いつでも自然や環境のことを考えなくてはならない。ややもすれば勘違いしがちなのだけれど、人が完全にコントロールできる自然なんて1つだってなくて、台風も日照りも猛暑も冷夏も、黙って受け入れるしかない。自然の恵みがなかったら誰も生きていくことはできない。環境に適応して生息圏と数を拡大してきたのが人類だけれど、環境を変えようとすることまではしなくていいんじゃないか。平和に、共存していけることを願う。

 原料の栽培と箒の製作が分業されていた時代には、育てる人が多かったので、良質な材料が多く採れた可能性もあるのだけれど、現在は、荒物とされて大量に消費された時代よりも細やかな品質が求められる。品質というのは一元的な答えがある訳ではないところも難しい。穂先が硬ければゴミを取りやすいかも知れないけれど、床を傷つけやすくなるし、しならないので隅まで届きにくい。穂先は細かくて密であるに越したことはないけれど、細いほど毛足が短くなる傾向もある。短い穂は床まで届きづらいし、結局床への当たりも強くなる。洋服ブラシのように、ややコシが強めがいい場合もあれば、反対に当たりが柔らかいほどいい場合もある。どのような素材にも柔軟に対応できるのが職人とはいえ、細かなオーダーをするよりは、やはり自分達で生産することは、適した草を確保する上では効率的なようにも思う。

 よく、上手い職人とはどんな職人か聞かれることがある。それに夢のない答え方をすると、つまりは数と平均値だと思っている。職人自身にも、素材にも、環境にも常に変化があるものだけれど、すごい職人は必ず品質の高いものを、大量に出してくる。もちろん、長い時間をかけて一品物の工芸を作る仕事もあるけれど、僕らの憧れた仕事は素朴な美しさを持ちながらも、暮らしに寄り添う日用品だった。だからこそ、どんな時にもブレずに品物を出せることが職人の矜持なのではないかと思っている。そして、その技術を支えているものは、手の精確さよりも、素材を知り尽くしている、ということなのではないかと思う。箒に関して言えば、最初から最後まで草と徹底的に付き合う、ということに尽きる。

栽培の手間ひまが結実し、美しい素材となる

 地域差もあるけれど、ホウキモロコシの種は5月頃に蒔かれ、7〜8月には収穫される。3か月で2mほどにすくすく育ち、原料になるのだから簡単に育てられる印象があるかもしれないけれど、農産物の中でも収穫時期や工程の多さから、育成はハードな部類に入るのではないかと推測している。種まきの段階でも、蒔く間隔、肥料、収穫のタイミング、全てが関わって穂の状態が決まるのだから、不確定な要素も多く、確実に良質な穂を育てることはすごく難しい。更に、収穫期は7月末から8月上旬で、近年では猛暑ばかりだ。

 明け方から日が昇り切る前に実が成熟した順から収穫し、一つ一つ並べて天日で乾かす。水分が抜けて、ようやく長期保存が可能になる。1日逃せば、ぐいぐいと育ってしまうので、常に天気との睨み合いになる。

 とはいえ、陽射しをいっぱいに吸収して育った、収獲したてのホウキモロコシは目が覚めるほど鮮やかな緑で、青々とした匂いが一帯を包み込む、とても爽やかな素材だと思う。気持ちの良いもの、心が喜ぶものを活かし、生活に取り入れるということは素晴らしい。

 傷んだもの、変色したものも、ある程度であれば活用する方法があるにはあるけれど、これら幾つものハードルを乗り越えて、品質の確かな素材を確保することができて、製作工程に入ることができる。

ホウキモロコシの収穫。人の背丈以上に伸びた穂を手で折って刈り取っていく。 撮影:渡辺由美子
[左]脱穀作業。草を脱穀機にかける人(左側)と、草を渡す人(右側)。提供:株式会社まちづくり山上 [右]脱穀機に穂の部分を当て、実を落としていく。 撮影:渡辺由美子
天日干し。全体を半日ほど干した後、穂を筵(むしろ)で覆ってさらに干す。こうすることで穂先の青さが残り、茎は白くなる。 撮影:渡辺由美子

[左]干し上がった草。 [右]長さや太さなどで穂を選別し、完成形ごとに仕分けした束、マルキ。 提供:株式会社まちづくり山上(2点とも)

 中津の箒は、収穫した草を天日で乾燥させる。晴れていても3日ほど必要で、気候の安定しない昨今では苦労することも少なくないけれど、草の香りに満ちた倉庫に入ると気持ちいいし、何ともいえない安心感があり、作り手としてのやる気も溢れてくる。栽培、収穫、脱穀、乾燥という工程があり手間のかかる素材でもありながら、かつては農家の貴重な現金収入と言われていた。カビや虫食いを避ければ数十年前の箒でも立派に使えているものもあるのだから、一度仕上がってしまえばとても優秀な植物でもあると思う。

 大まかに太さや質で選別して、その年に使える草の分量を概算して、注文や製作の計画を立てる。自然に付き合うことは苦労も多いけれど、反対にいえば現代の安定した環境は化石燃料や巨大なインフラがあって成り立つもので、こちらの方が自然に準じて持続可能、長い目でみれば効率的なものづくりとも言える。決して大きな仕事ではないかも知れないけれど、大量生産と規格、オートマティックな流通が主流の世界の中に、手作りで、自然に寄り添い、素材や工程一つ一つと向き合い、感覚を研ぎ澄ます仕事が存在しているということは意義深いように自負している。現在、素材の段階から手をかけるものづくりは多くないように思う。しかし、どんなに自然と共にある仕事だとしても、植物を分類し、恣意的に活用する、という点で、自然や環境に手を入れることに変わりはないだろう。ただ、このような関わり方や苦労と引き換えに、人が忘れてきてしまった気持ちや、誠実さがあるはずだとも信じたい。


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