東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。
第3話 okatteのコンセプトと基本設計が決まるまでの話
調査・企画フェーズとは
自宅を「まちに開かれたシェアハウス」にしたいという漠然とした思いは、株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)の影山知明さん、ビオフォルム環境デザイン室の山田貴宏さんとの出会いによってにわかに実現に向けて走り出した。2014年3月、いよいよ3か月にわたる「西荻窪プロジェクト」(まだokatteにしおぎという名前はなかった)の企画・調査フェーズ(リサーチと基本プランニング)がスタートした。
N9.5がコーディネートを担当するこのフェーズのゴールは、この家の基本的なデザインを行うことである。それは、建物としての物理的設計の基本プランを作ることはもちろんだが、同時にこの家そのもののコンセプト、つまりこの家はどういう人がどんなあり方でそこに居住したり、集まったりするのか、という基本的な考え方を明確にすることでもある。このフェーズでのプロジェクトメンバー全員(オーナーの私、設計の山田さん、N9.5のメンバー4名)の納得感が得られた後、はじめてプロジェクトは具体的なプランニングと施工のフェーズにと進んでいく。
N9.5のコーディネーションによるプロジェクトの大きな特徴はこの企画・調査フェーズにある。ここで十分にリサーチをし(これは主にオーナーが知見を得るためのリサーチ)、企画会議で徹底的に意見を出し合うことで、その後の設計・施工、竣工後の運営におけるブレ、オーナー・設計者・運営者のズレも少なくなる。たとえブレやズレがあっても、ある程度共通の基盤ができていれば、その上でお互いにコミュニケーションを重ねていくことによってそのブレやズレを修正していくことが容易になるのである。
西荻窪プロジェクトの場合、リサーチとしてN9.5のメンバー高田芙美子さんの案内で、影山さんが運営する「マージュ西国分寺」やコレクティブハウジング社(第2話参照)の「コレクティブハウス聖蹟」、千葉県松戸市でN9.5が手掛けたまちに開かれたシェアハウス「みかんハウス」、N9.5メンバーの篠原靖弘さんと知花里華さん夫妻が自宅の一部を開いて行っていた私設図書館「西国図書室」(現在は閉室)を見学した。
私にとっては、本やネットでの知識しかなかったそれらの施設に足を運ぶことでリアルの空間を五感で感じ、自分が作りたい場所の具体的なイメージを描く材料を得ることができた。また、住人のミーティングや近隣向けイベントに参加することで、そこに居る人、来る人が醸し出す場の雰囲気を実体験し、運営のやり方や苦労話を聞くことができたことは、建物ができて人が入った状態を想像するうえで大変参考になった。見学の前後には高田さんによるポイントの解説も聞くことができ、専門家ではないオーナーにとって、こうしたフィールドリサーチの機会があることはとてもありがたいことであった。
「ブートキャンプ的ブレスト」前半―コンセプトメイキング
しかし、このフェーズの中でも自分にとって強く印象に残ったのは、2014年3月11日から6月3日まで合計7回行われた企画会議である。それは、会議というより、プロジェクトメンバー全員によるハードなブレーンストーミング(集団でアイデアを出し合うことによって相互交錯の連鎖反応や発想の誘発を期待する技法)と言ったほうがよい、非常に濃密なセッションだった(正確な意味でのブレーンストーミングとはもちろん異なる)。マーケティングの仕事をしていた私は、アイディア出しのブレーンストーミングには慣れているつもりだったが、このセッションには脳みそを絞りきるような感覚があり、私はそのミーティングを「ブートキャンプ的ブレスト」と呼んでいた。しかしそのようなセッションを重ねることで、okatteにしおぎ(以下okatte)の中心となるコンセプトがしっかりと地に根を張ったものになったことは確かである。
改装前の家のリビングで行われた、「ブートキャンプ的ブレスト」を振り返ってみたい。それぞれの回につけた名前は、後から振り返ってつけた名前である。
◆第1回 3月11日―コンセプトメイキング①
この日は、まず、オーナーである私が、「家」にまつわる私の人生の振り返りの中から「まちに開かれたシェアハウス」を作ろうと志すに至った背景や経緯を徹底的に洗い出すというプロセスがあった。その後、プロジェクトメンバー全員で、その「家」で「何のため」「誰の」「どんな関係性を作るの?」「関係性を作る場って?」「環境との関係性」という問いについての連想やアイディアを語り合った。
セッションのファシリテーションは影山さんが行い、出た意見については篠原さんが模造紙にグラフィカルにわかりやすくまとめてくれた。
このセッションで、模造紙の中央に最初に書かれたのは「育つ」「育てる」という言葉である。最初「関わる人みんなで育てる家にしたい」と私が発言したことを受けて、メンバーから「育てる」には強制的、外発的、動的なイメージがあるが、「育つ」には内発的、静的なイメージがある、という感想が発せられた。そこから人を「集める」のか「集まる」のか、その際の関係性とは、という問いが生まれ、この「家」を「まちに開く」にあたって、どのような「場」にするのかというイメージが広がっていった。
たとえば「ゴールを定めない。ゴールが暮らしをしばることもある」「最初に作るのは“マナー”だけでいい。全部おぜん立てすればよいわけではない」「(自然や人の)大きな循環のなかの一つ」「まちの当事者として関われる」といった言葉が出てきた。それらの言葉は出てきた当時は、正直抽象的な感じもして、これがコンセプトに直接つながるのだろうかという気もしたが、今ふりかえると、現在のokatteという「場」の運営方針やそこに集う人の関係性に生きていることがわかり、驚いている。
◆第2回 3月26日―コンセプトメイキング②
この日、初めて「キッチン」と「パントリー(食品庫)」ということばが出てきた。セッションの途中までは、シェアハウスであること、まちの人が気軽に立ち寄れる場所であること、みんなで食事もできるというイメージはあったのだが、キッチンがフィーチャーされることはなかった。なんとなく議論が膠着してきた感じがした時、ふと、西荻窪や吉祥寺で開かれている「朝市」や街の「マルシェ」で焼き菓子やパンを売っている若い人(女性が多い)のことを思い出した。彼女たちは閉店後のカフェを借りてお菓子やパンを焼いていると言っていたが、そんな人たちが気兼ねなく使えるキッチンがあったらいいのではないかということが頭に浮かび、「小商いのインキュベーション」的な場所のアイディアが出てきたのだ。
当時は今のようないわゆるビジネス目的の「シェアキッチン」はほとんど存在しなかったが、撮影や商品の試作、教室などに使う時間貸しの「キッチンスタジオ」「レンタルキッチン」はあり、私も仕事で使ったことがあった。もし、広くて気分が上がる、みんなで使えるキッチン(飲食店や食品製造の営業許可付き)があれば、そこで、小商いの仕込みもでき、オーナー側の収入にもなる。もちろん友達とご飯をつくって食べたり、料理教室に使ったりすることもできる。さらに、「近所の酒屋のご主人にワイン教室をしてもらったらどうか」「近所の畑で採れた野菜を分け合うのもよい」「もしかしたらご近所の庭になった梅や柿、夏ミカンをジャム等に加工することもできるかもしれない」「一人ではおっくうな味噌などの発酵食品をみんなで作ることもしてみたい。だとしたら、それらを保存できるパントリーもあったらよいのでは(今のマンションには樽などを保存できるスペースがないし)」といった連想が次々に広がっていった。
それはまさに、okatteにしおぎの中心となる「つくってたべるみんなのお勝手」のコンセプトが「おりてきた」瞬間だった。
◆第3回 4月3日―コンセプトの具体的落とし込み
コンセプトが決まったところで、それに沿った建物の工夫についてのイメージを膨らませた。改めて、利用する人は誰なのか、利用イメージを描き、どんなキッチンがよいかということを話し合った。そこで出てきたのは、道路側に開き、かまどのような「火」が見えるキッチンというイメージだった。庭に道路から入れる「縁側」があり、バックヤードに「蔵」があるキッチンがイメージされた。ここで大まかな収支についての概算もおこなった。
「おたがいさま食堂」に参加し、齊藤志野歩さんとの関係を深める
セッションの3回目から約2週間が経った4月20日、N9.5の代表である齊藤志野歩さん主催の「“まち食”サミット」と「阿佐谷おたがいさま食堂」がJR中央線の阿佐ヶ谷駅近くにあるレンタルキッチンで開催され、私も参加した。
「阿佐谷おたがいさま食堂」は、不動産投資会社の社員だった齊藤さんが、長男の出産後、今でいうワンオペ育児を行っていて、子どもと二人だけの夕飯が、世の中から取り残されているようで「ツラい」と感じたことをきっかけに生まれた。保育園の友達の家に集まって夕飯を食べることもあったが、それぞれの負担を考えると、気軽に集まるのは「ツラい」。ママ友以外の友達や近所の人を誘うことも考えたが、自分がホストとして家に客を呼び、もてなすのは「ツラい」というより「ムリ!」。そこで齊藤さんが思いついたのは、コレクティブハウジングのコモンミール(第2話参照)を「まち」でやってしまえばよい、ということだった。
齊藤さんが「まち食」と名付けたこの方式は、SNSなどで呼びかけ、まちの人がどこかの会場に集まって食事を作って食べる、というものである。この日、「“まち食”サミット」には齊藤さんのほか、板橋区で「地域リビング プラスワン」を主催する井上温子さん、国立市で「おかんめし。」を主催する三宅ようこさん、世田谷区で「共奏キッチン」を主催する高田彰一さんが参加し、それぞれの「まち食」についてトークを行った。その後、実際の「まち食」として、「おたがいさま食堂」が開かれたのである。
初対面の人が一緒に料理をして食べるなどということが本当にできるのかと思いながらの参加だった。しかし、実際に参加してみると、それはとても楽しい時間だった。決まっているのはおおまかなメニューと材料だけだ(その日のメニューはおにぎり、鶏肉バター焼、ニンジンシリシリ、キャベツサラダだった)。スタートするとほどなく経験者を中心に自然と分担が決まり、会話が生まれる。作り方のわからない料理を誰かがスマホで調べる。料理が苦手という人に、切ったキュウリをポリ袋に入れて調味料と合わせて揉む作業を誰かが頼む。おにぎりをにぎる作業に子どもが参加して、思いもよらない形や具に挑戦している。料理であぶれた人が小さい子どもたちと遊んでいる。こうして、みんなで食卓を囲む頃には、名前も知らなくてもなんとなく打ち解けて話がはずんでいるのだ。
それまで西荻窪プロジェクトの3回のセッションで、「まちに開かれたシェアハウス」の中心をキッチンに置くということを決めたものの、私自身がそこに身を置いたことはなく、プロジェクトへの当事者意識は薄かった。しかし、この体験によって、私はまちに場を開くことのおもしろさを実感することができた。そして、自分が作る「まちに開かれた家」で「西荻窪おたがいさま食堂」をやってみたいという気持ちが強くなり、そこには齊藤さんの存在が不可欠であることを強く感じた。そのあたりから齊藤さんとの距離はぐっと近くなっていく。その後のフェーズ2でのさまざまなプロセスを経て、齊藤さんはokatteの運営においてなくてはならない存在として、今に至るのである。
「ブートキャンプ的ブレスト」後半―基本設計と事業イメージ
◆第4回 4月21日―基本設計案提示
この日、設計の山田さんと建築士でもある篠原さんが「家」の設計についてのベーシックな案を作り、スケッチを提示してくれた。それが「縁側のある日本家屋―田舎の家のように」である。
「まちのコモン」となるスペースは伝統的な民家の間取りである「田の字」のスペースとして、時間や利用者に応じて建具で臨機応変な組み合わせで仕切ることができるようにする。建物西側に道路から見える縁側のようなギャラリー、南側にコモンキッチン+コモンスペースを在来工法で増築する(都市部のため、かまどは防火上難しいが、その代わりにペレットストーブ等で火が見えるようにする)。建物の北側奥には「蔵(共同ストレージ)」を設ける。田の字の中心にはシンボルとなるような「大黒柱(もともとの建物がツーバイフォーの壁構造のため通し柱はないので、飾り柱)」を取り付ける。素材はできるだけ地域(東京)の自然の木材などを使い、風や日光を取り入れることで環境との共生をはかる。
一方シェアハウスの住人が暮らすプライベートスペースについては、既存の間取りやもともと2階にあった水回りを活かし、あまり手を入れずに4室の個室とし、費用を抑える。
増築による広い土間のコモンキッチン&コモンスペースを備え、昔ながらの民家のような、大黒柱のある「田の字」の間取りという発想は、第2回で出てきた「みんなで使いあうコモンキッチン」を中心にしたコンセプトを、実際の空間デザインとしてみごとに体現していた。しかもそれは私が子どもの頃に親しんだ祖父母の家のお勝手や、鹿児島の開放的な家のイメージ(第1話参照)ともつながるものである。半年前には茫洋としたイメージでしかなかった「まちに開かれたシェアハウス」が3回のセッションを経て、コンセプトが固まり、建築家によって実際の「形」として示されたことが私はとてもうれしく、これからの展開への期待が高まるのを感じていた。
◆第5回 5月9日―基本設計案修正
前回の設計案にはプロジェクトメンバーからいくつかの課題が指摘された。中でも西側の道路に対して、「まちに開く」ことと利用者や住人のプライベートな在り方のバランスについてはさまざまな意見が出され、コモンキッチンとコモンスペースをどれだけオープンにするかという議論が行われた。パブリックな飲食店ではないので、コモンスペースが直接見えると中の人のストレスになるという発言もあり、当初設置されていた縁側的な「ギャラリー」(コモンスペースとの境目がなく、道路からコモンスペースが素通しになる)ではなく、建物と道路の間に植栽を施した屋外空間を設け、コモンキッチンへの入り口は格子やスリットのような遮蔽物のあるガラス戸等にすることで「半分開き、半分閉じる」形になった。
また、まちに開き、外からの利用者も使うコモンスペースと、住人のスペースとの区切りについても議論され、コモンキッチンとは別に住人専用のプライベートキッチンを作ることとなった。
◆第6回 5月22日―事業についての検討
コモンスペース&シェアハウスの事業の組み立て方について、入居者・利用者の条件、利用の仕方、管理・運営組織などの案がN9.5から出され、ディスカッションが行われた。
原案は以下のようなものである。
- コモンスペースの管理運営を担う組織を作りその組織がオーナーに賃料を払う。
- 利用者を住人、特定利用者(予約利用によるイベント開催ができる中心メンバー)、一般利用者(予約利用はできず、特定利用者のイベントに参加する)の3つのレイヤーに分ける。
- これらの中から選出された運営責任メンバー(店番)が入退室や利用料、鍵の管理などを行う。
特定利用者と一般利用者をどのような条件で区別するのか、また区別する必要があるのか、運営責任メンバーは持ち回りなのか、等の課題もあり、結論には至らなかったが、詳細については次のフェーズで検討するということになった。
◆第7回 6月3日―まとめ
これまでのセッションをふまえ、N9.5からコンセプトとその具体的な利用および生活イメージについてのキーフレーズ集、山田さんからは最終の基本設計案とポイントが提示された。
コンセプトは以下の通りである。
地域のお勝手
キッチンをシェアし、食をめぐって関わり合うことで
新しい関係性や、新しい働き方が「育つ」場所
電気代リノベーション
自然の素材をいかし、自然の力を借りることで
快適で、電気代(水光熱費)のかからない暮らしを目指す
キーフレーズ集は「『育てる』というより『育つ』」「『デザインして、つくる』ではなく、『マナーがあって、育つ』」「自分は自分で、自分のまわりの小さな当事者になる」「閉じた要塞のようにはしたくない」「保存食、発酵食品の家」「つくる人、売る人、デザイナー、ウェブなど、いろんな仕事の機会が生まれる」「地域の日常」「理屈ではない、気持ちのよさを」(以上、原文ママ)など、その後の建物の設計や場・コミュニティのデザイン、運営の在り方の指針となるキーワードの宝箱のようなものとなっている。
その時の私は、この宝箱の価値にまだ気づいておらず、「これまでの注目発言の羅列」にしか見えていなかった。しかし、今回このキーフレーズ集を読み直してみると、現在のokatteに通じる言葉が並んでいることに改めて気づかされた。オープンから7年経った今、部分的には実現していること、これから目指していきたいことのチェックリストにもなっている。今さらながら、何かの機会にそこに立ち返るものがあるということの大切さを再確認させられている。
実際のところ、企画・調査フェーズに臨む私自身はプロジェクトの全体像もあまり見えていなかったし、プロジェクトに対する当事者意識もまだまだ薄かった。お金を出す施主は自分であり、N9.5やビオフォルムから、何かすてきな提案や企画書が出てくるのを待っているという姿勢だった。しかし、生い立ちからの「家との関係」を語ることや、さまざまな問いに対して皆でアイディアを出し合うことにより、すこしずつ上下ではないフラットな関係で関わり合うプロジェクトの当事者の一人であるという感覚が芽生えつつあった。
特に2回目のセッションで「キッチン」を中心にするというアイディアが「おりてきた」時の「やった! これでこのプロジェクトのコンセプトが見えた!」という瞬間は、スポーツの試合で逆転のポイントを入れた瞬間のようで、プロジェクトメンバーとハイタッチしたいくらいの高揚感を味わった。また、山田さん達から「田の字」の設計案が提示された時には、自分の思考の範囲を超えた専門性を持つプロフェッショナルの発想の引き出しとそれが具体化する過程を見られたことに驚嘆し、プロジェクトの今後へのわくわくするような期待が高まるのを感じた。
ただ、その時点では、まだ、N9.5が担う「コーディネーション」の本質的な重要性やオーナーの役割についてはわかっていなかったのも事実である。それについて徐々にわかってきたのは、実はokatteがオープンした後だった。
こうして、2014年6月、西荻窪プロジェクトは企画・調査フェーズから、N9.5とのコーディネート契約、ビオフォルム環境デザイン室との設計契約を結び、具体的な設計・施工のフェーズに突入した。次回はこのフェーズでのユニークなワークショップによるさまざまな人との共創のプロセスの話。