東京・杉並の住宅街にある「okatteにしおぎ」は、“食”を中心に据えた会員制のコモンスペースだ。明るく広々とした土間のキッチンとダイニング、ゴロンとくつろげる畳スペースや板の間は、メンバー同士がシェアする「自宅外キッチン&リビング」。ごはんをつくる、一緒に食べる、小商いの仕込みをするなど、思い思いに活用しながら「みんなの“お勝手”」を共に育んでいる。
メンバーの自主的な企画や運営により「まちのコモンズ(共有地)」が形成されていったプロセスをオーナーが振り返りつつ、この場所が生み出す価値を考察する。
第2話 okatteスタートにむけての出会いの話
「家をどうしよう」と考えたとき、最初に相談した銀行からの提案はアパートを建てるというもので、私にはあまり魅力的とは思えなかった。アパートというよりシェアハウスのような形でご近所に開くというのはどうだろう、そんな漠然としたイメージしか持てないままに日々を過ごしていたある日、Facebookでふと目に飛び込んできたのが、JR中央線西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」店主、影山知明さんがホストをつとめるトークイベントだった。ゲストは山田貴宏さん。ビオフォルム環境デザイン室という設計事務所を主宰する建築家で、神奈川県相模原市の藤野で「里山長屋」という集合住宅を作り、ご自身もそこに居住している。
2013年12月に神田神保町で開催されたこのイベントに参加したことをきっかけに、okatteにしおぎの企画・コーディネーションを影山さんが仲間と設立した株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)に、設計監理を山田さんにお願いしたことで、私はokatteにしおぎプロジェクトの大きな一歩を踏み出すことになった。今回はokatteにしおぎスタートに関わる、そんなキーパーソン2人との出会いの話。
キーパーソン① 影山知明さんとコレクティブハウジング
実は影山知明さんと知り合ったのはイベントより前、東日本大震災の少し後だった。影山さんはカフェ店主としてではなく、インパクト投資プラットフォームを運営する株式会社ミュージックセキュリティーズ(以下MS社)の取締役(現COO)として私の前に登場した。
当時私は、MS社が東日本大震災被災地の事業者を応援するために始めた“半分寄付・半分投資”を旨とする「セキュリテ被災地応援ファンド」で、いくつかの事業者に少額ながら出資していた。そして、そのなかの一つである気仙沼の丸光製麺さんのファンクラブのようなグループに加わり、丸光さんの商品である「はっと」(すいとんと似た郷土食品)のレシピを広めるという活動をしていた。
影山さんはグループの会合やイベントにMS社側の人として参加していた。そこで話をするうちに、彼がMS社取締役だけでなく、カフェの店主でもあり、カフェと同じ建物で「マージュ西国分寺」というコモンスペースのある多世代型シェアハウスを主宰していることや、コレクティブハウジングという住まい方を提唱するNPO「コレクティブハウジング社」に理事として関わっていたということを知った。
コレクティブハウジングとは、「自分や家族の生活は自立しつつも、血縁にこだわらない広く豊かな人間関係の中で暮らす住まいのかたち」であり、「それぞれが独立した専用の住居とみんなで使ういくつかの共用スペースを持ち、生活の一部を共同化」することで、「既成の家族概念、福祉概念、住宅概念にとらわれず、人と人との新しいかかわり方をつくりながら、より自由に、楽しく、安心安全に住み続ける暮らし方」(NPOコレクティブハウジング社ホームページ「コレクティブハウジングとは」より)である。
コレクティブハウジングの特徴の一つに、住人が交代で食事を作り一緒に食べるコモンミールという仕組みがある。影山さんが主宰するマージュ西国分寺にも住人共有のコモンダイニングがあり、ともに食事をしたり、くつろいだりすることができる。また、1階のカフェはパブリックスペースとして、住人や街の人が珈琲を飲んだり、対話イベントが開かれたりしているという。私は、「ひらかれた家」を実践する人が身近にもいたということを知り、影山さんと同席した飲み会の席で、自分の家についての悩みを話したりした。
実は、「まち」や「コミュニティ」に関わる社会起業家の間で、影山さんがカリスマといってもよい存在であるということに気づいたのはもっと後だった。当時の私は、「影山さんっていろんなことをしている人だなー」とのんきに思っていた(もしカリスマだと思って接していたら気軽に自分の家の悩みを相談したりはできなかったかもしれない)。ただ、当時から、お金儲けとしてだけの「ビジネス」に疑問を抱き、社会で人が幸せに生きられることと「経済」が両立するしくみを作りたいと思っている人だということを言葉の端々から感じ、そこは自分と共通点があると感じていたのも事実だ。
影山さんの著書『ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済』(大和書房 2015年)が出版されたのはokatteにしおぎの完成と同時期の2015年3月だ。この本の「まえがき」で、影山さんは「売上や利益は、自分の仕事に対する社会からの評価」であり「競争は自分を高める貴重な機会とも考える」一方で、「売上・利益の成長を唯一の目的としてしまいがちで、人や人間関係がその手段と化してしまうこと、人を利用価値でしか判断しなくなってしまうこと」に「忸怩たる思いを抱いて」きており、「お金儲け」だけのビジネスと、グローバル資本主義へのアンチテーゼとしての「スロー」な生き方の中間をめざしていると書いている。それを読むと、当時自分が家だけでなく仕事や人生についてもやもやしていたことがそのまま書かれているようにも思われ、影山さんとの出会いが自分にとっては天の配剤ともいうべき幸運だったのだと思わずにはいられない。
キーパーソン② 山田貴宏さんと「里山長屋」
山田貴宏さんについては、前述の2013年12月のイベントで初めてその名を知った。山田さんが設計し、居住もしている「里山長屋」は「パーマカルチャーを学んだ4世帯による、住まい手自らが主体となって企画したコーポラティブ(筆者注:入居予定者が集まって建築家と共同で作る)形式による」住まいである。「環境とコミュニティ、という現代の課題に対して、住環境としての解決をめざし」、「土壁や地産地消の自然素材の使用に加え、さまざまな環境配慮型の技術を取入れ」、「四世帯が並ぶ長屋形式の住まいに、住まい手皆が利用できるコモンハウスを併設」、「住まいのプライバシーは確保しつつ、必要なときに住人同士のコミュニケーションを図ることができ」る(ビオフォルム環境デザイン室事例ページより)。
「パーマカルチャー」は、「パーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法」で、「地球に対する配慮」「人に対する配慮」「自己に対する配慮」「余剰物の共有」という4つの倫理を中心に据えている(パーマカルチャーセンタージャパンホームページより)。
私は、以前友人から「パーマカルチャー」の考えを取り入れたスコットランドのコミュニティについての話を聞いて興味は持っていたが、正確には理解できていなかった。イベントで山田さんが話してくれた「パーマカルチャー」は、自然と共生しサステナブルな生き方を追求する生活哲学といった趣で、共感できると感じた。藤野には「パーマカルチャー」の考え方に賛同する人が多く移住しているという。ワークショップ形式で個人がソーラーパネルを組み立て電気を作ってしまう「藤野電力」という地域活動が展開されていたり、お互い様の労力の提供や自分の家で採れた野菜の交換に使える地域通貨「よろづ屋」が流通していたりする、というのも面白い試みだと思った。
「里山長屋」は、自然と人間が調和を保ち日本の「パーマカルチャー」を体現する風景としての「里山」と、人と人との古くからの付き合い方を体現する「長屋」を組み合わせてできた集合住宅である。自然と人間との調和ということでは、地域で採れた木材を使う他、太陽熱や空気の自然な流れを活かして快適な室内環境を実現するパッシブソーラーシステムや木材チップを燃やすペレットストーブを導入することで、化石燃料の使用をできるだけ減らすこと、庭に食べられる植物を植える(農薬や化学肥料は使わない)ことで食料を少しでも自給するといった工夫がなされている。コミュニティのあり方としては、住人同士や地域の人達が集まるコモンスペースを各住戸とは別棟として設けることで、プライベートを大事にしつつ、地域の付き合いも大切にする。そんなコンセプトで作られた「里山長屋」に魅力を感じた。
山田さんとはその場で名刺交換をさせてもらい、山田さんの書籍『里山長屋をたのしむ エコロジカルにシェアする暮らし』(学芸出版社 2013年)を購入した。
1997年に建てた私の自宅はツーバイフォーの洋風の住宅だった。その当時もできるだけ国産の木材を使えないか、とか、完成した瞬間から古びていくような家ではなく古くなっても味が出てくるような家にしたい、自然と共生する家にしたいといった希望を持ってはいた。しかしどうすればそれをかなえられるのかもわからず、結局、リビングの壁だけは珪藻土の塗り壁にしてもらったものの、構造材は輸入木材、内装も合板のフローリングにビニールクロスの天井という、よくある普通の注文住宅になってしまった。しかし、「里山長屋」は私が建てたかった家に近い。そして、それは前回で触れた祖父母の家や鹿児島の家、アニメ「サマーウォーズ」の旧家とも似ていた。コモンハウスのある長屋は自分が考えていた「まちに開かれた家」のイメージと似ているが、プライバシーを確保できるよう居住するスペースは別になっており、開きすぎていないところにも好感がもてた。
藤野のような本当の里山とは異なる、我が家のような都会の住宅街でもこのような家を作ることができるのだろうか、という疑問もありはしたが、もし、山田さんに設計してもらって「里山長屋」のような家をシェアしながらまちに開くことができたらすてきだなと思った。ただ、その時点ではまだ、本当にそれが現実になるとは思っていなかった。それが実現してしまったのは、山田さんを設計者として紹介してくれた影山さんのおかげでもあるし、設計を引き受けてくれた山田さんのおかげでもある。
プロジェクトのスタート
イベントの開催からしばらくして、影山さんから連絡があった。「『里山長屋』に興味がありそうだったが、自分でよければ家のことで何か相談に乗ることができるかもしれない」という内容だった。私は飛びついた。年が明けた2014年1月の晴れた日、クルミドコーヒーの一角でおいしいコーヒーを飲みながら、私は影山さんと話をした。
面談する前にやりたいことを書いたノートが残っているが、それをもとにその時話したのは以下のようなことだった。
- コレクティブハウジングあるいはシェアハウスをやってみたい(ただし、自分はそこに住むのではなく、3世帯住宅の中の祖父母が住んでいた場所に住み替える)
- 近所に開かれた家にして、多世代が集えるようにしたい
- カフェ、ギャラリー、コワーキング もよいのではないか
- MS社でやっている活動(はっとレシピ企画部)の拠点にすることも考えている
そして、山田さんの「里山長屋」にとても感銘を受けたこと、駅から徒歩15分の住宅街という立地で開いても人が来るのかわからないという不安も話した。そして実際そういう場所を作るとなるとどれくらいお金がかかるのか、影山さんはどういう形で関わってくれるのか、といった疑問もぶつけた。前回書いたような家と仕事をめぐるさまざまなモヤモヤや悩みも改めて話した記憶がある。
その時自分が話したことは、今から考えるとずいぶんとりとめもなく漠然としているし、これでは相談されるほうも困るだろうというような内容である。それまでいろいろ本を読んだりネットで調べたりして頭の中に積み上げたことを並べてみただけで、特にこういう家を作りたいというプランがはっきりあるわけでもない。不動産の知識も皆無だった。
しかし、おそらく「家を何とかしたいけれど、どうしていいかわからず悩んでいる」という人の多くは最初、これくらいのレベルからスタートするのだろう。okatteの大家になってから、いろいろな機会に「実は自分も家(自分の家もあるが、親の家というケースも多い)のことで悩んでいます」とか「親の家が空き家になったので、それを活かして何かできないか」と相談されることも多いのだが、そういう相談をする人はその時の私とあまり変わらないように思う。
私の話をひとしきり聞いた影山さんは、西荻窪駅から徒歩15分程度という私の家の立地なら、「まちに開かれたシェアハウス」の事業化の可能性はあるということと、新築、建て替え、リフォームなど、シェアハウスを作る際のいくつかの選択肢、おおまかな費用について説明してくれた。そして、自分が関わっているもう一つの事業、株式会社エヌキューテンゴ(以下N9.5)という、シェア空間や場の企画コーディネートをする会社で、私の希望をかなえるようなサポートが可能だという話をした。メンバーは4人で、代表は齊藤志野歩さんという女性。私の家からJR中央線で2駅の杉並区阿佐谷に住み、「阿佐谷おたがいさま食堂」という活動をしているとのこと。おたがいさま食堂?なんだかちょっとおもしろいかもと私の心が動いた。
影山さんはN9.5でコーディネーションを手掛ける際のステップと費用の概算等も説明してくれた。コーディネーションは2つのフェーズに分かれており、それぞれのフェーズごとに契約できる。第1フェーズは事業化の前段としての調査とプランニング、第2フェーズは建物の竣工までのコーディネート。第1フェーズが終わった時点で中止することも可能だし、竣工後の運営に伴走することもできるとのことだった。山田さんとの橋渡しもしてくれるという。
本来ならここで他の企画コーディネートをしてくれそうな人も探して相見積もりするのが普通なのかもしれない。しかし、単なる不動産会社の営業トークではなく、私の漠然とした希望をきちんと受け止めて、いっしょに事業を考えてもらえるのではないかという直感がはたらき、私はその時点で半ば彼らにお願いする気になっていた。ただ、いったん検討したいということで、まずは、「里山長屋」を見学させてもらい、N9.5の方々や山田さんと話をしたうえで、第1フェーズをN9.5にお願いするかどうか決めることにした。
2014年2月の大雪の翌日、藤野の山田さんの「里山長屋」を見学に行った。長屋は国産の杉材でできた木造の建物で、雪のかなり残る寒い日にもかかわらず、南側の真空ガラスから差し込む日光とペレットストーブの炎の熱でぽかぽかと暖かく、無垢の杉の床の肌触りや木の香りがとにかく気持ちの良い家だった。コモンスペースは土間の台所と板の間がある温かみのある空間で、ここに寄り合って食べたり飲んだりしたらすぐに打ち解けられそうな空気が漂っていた。山田さんは大学と共同で研究しているパッシブソーラーによるエネルギーのデータなどについても説明してくれたが、私はとにかく木がもたらすなんともいえない穏やかな空気に魅了された。
見学の後、顔合わせの場が持たれた。当初、N9.5と山田さんは一部建て替えの方向でいくことを想定していたようだった。しかし、私はやはり建て替えは資金的に無理なのでリフォームでお願いしたいという話をした。建て替えで考えている建築家に対して失礼なことを言っているのかもしれないという危惧もあり、緊張したが、山田さんは私の要望を寛容に受け入れてくれ、お昼ごはんもご一緒させていただいたのだった(その後、okatteは一部増築とリフォームということになった)。
「里山長屋」見学の後、いつも自社でお願いしている税理士さんに相談し、土地の持ち主である母とも話をした上で、私は影山さんに連絡をした。そして、リフォームにより自宅を「まちに開かれたシェアハウス」にするということで、第1フェーズをスタートすることになった。今思い起こすと衝動買いに近いスタートではあったが、後悔はしていない。むしろこの選択をした当時の私をほめてやりたい。あなた最高の選択をしたねと。
こうして、「okatteにしおぎプロジェクト」(当時は西荻窪プロジェクト)はいよいよスタートした。次回はハードなブレーンストーミングによるokatteにしおぎのコンセプトづくりと、第3のキーパーソンであり、現在にいたるまでokatteにおける最も重要なパートナーであるN9.5代表、齊藤志野歩さんとの出会いの話。