「この番組は、社会をよりしあわせなものへデザインしていく……そんな活動をしている人たちを迎えて楽しくお話をうかがっています。いわば、日々の暮らしに新たな気づきをもたらす、『ソーシャル・デザイン』研究所です」

毎回、そんな私の語りで始まるラジオ番組「おしゃべりラボ~しあわせSocial Design~」(ニッポン放送、毎週土曜 午前7時40分~8時)では、ゲストと話すなかでいくつもの「社会デザインの物語」が現れてくる。
ロジックだけでは尽くせない身近なストーリーが確かにそこにある。


第1回 大島新さんの物語

 
 2022年7月23日、30日放送分では、ドキュメンタリー監督・プロデューサーの大島新さんをお迎えした。4月に大島さんの作品『香川1区』をポレポレ東中野で拝見し、その場でお話しさせていただいたところから始まったご縁である。

 ただ、大島さんの15年前の監督作『シアトリカル』に強烈な印象を受け、以来秘かにその活動を追いかけてきた私としては、勝手ながら全く初対面という感じのしない面会で、その勢いでご連絡しての収録となった。

ドキュメンタリー監督 大島新さん Ⓒネツゲン

 多くの方が知る通り、大島さんのお父様は、2013年に亡くなった大島渚監督だ。実は、当初の番組構成台本でものっけからそのことが記されていた。リスナーにわかりやすくという構成作家の意図はよくわかる。う~ん、でもなあと私は思った。すでに、ドキュメンタリー監督として数々の実績を持つ人の紹介が最初からこれでいいのか?

 結局、私から意見を出し、その始まり方は変更してもらったのだが、当の新さんはさほど気にする様子もない。ちょっと考えすぎたかと思いつつ、番組を進めるなかで、そのことについての新さんのコメントが心に残った。

 「昔は、自己紹介して、あの大島渚監督の息子さんですかといわれると、『偉大な監督の出来の悪い息子さん』なんですね、と言われている気がして正直イヤでした」

 金沢の写真屋の息子である私には、とても実感は持てないものの、想像はできる「重圧」だ。しかし、ここまでなら、偉大な親の子どもはたいへんだよね、というよく聞く話でしかない。

 私が興味を持ったのは、新さんが、ノンフィクションなど「文字」の世界が大好き(沢木耕太郎にどっぷりとはまってきたらしい)というところから出発し、その色を残しながら映像の世界へとシフトしてきたという点だった。かつ映像という点では父と同じ世界だが、劇映画を撮ろうと思ったことは一度もないという。

 ちなみに、最初の職場であるテレビ局に就職が決まったとき、「父から『お前はアナウンサーになるといいんじゃないか』といわれたんです。アナウンサー職採用ではないにもかかわらず」。

 「父も『朝まで生テレビ』で田原さんの横に座り、テレビでは創る側ではなく出る人でしたから、どうも、テレビの世界は創るものではなく、出るものだと思っていた節がありましたし、その頃、久米宏さんのことをとても買っていたんですね。親しいというわけではなかったようですが」

 このときの父・渚さんの思いは知る由もないが、結果的に新さんはテレビドキュメンタリーの世界から、さらにドキュメンタリー映画の世界に活躍の場を広げていくことになる。

 そこに、映像というリソースを共通の基盤としつつ、異なる方法の新たな組み合わせを探求することによって形成されてきた、親子というより創作者としての相互往復の物語を見るのは読み込みすぎだろうか。

 もう一つ、新さんの記憶に強く刻まれている出来事があった。それは、1976年に世界的な反響を呼んだ大島渚監督作品『愛のコリーダ』の書籍出版(1977年)が「わいせつ物頒布等の罪」で起訴され、長期の裁判闘争になった時のことだという。当時まだ小学校低学年だった新さんには詳しいことはわからなかったものの、学校でからかわれたりして、子どもの世界なりに影響があった。そんなとき、「両親が私を祖母のもとに預け、守ってくれていたんですね、後から考えると」。

 おそらくそうした経験が、創造という営為はときに社会(世間といった方がよいか)との尖鋭な対峙を求められることがあるという感覚につながっているのかもしれない、と私は思う。

 そうやって、あらためて大島新という人のドキュメンタリー製作の仕方を注意深くみつめてみると、そこに、映画人として、またテレビ出演者としての父のリソース、映像よりむしろ活字の世界に親しんできたリソース、それらの世界に存在してきた方法論としての枠組、社会(や世間)との対峙というある種の制度的枠組、といった、それぞれがいったんは完成された組合せで出来上がっている事どもから、新たな組合せを編成し直していく模索のプロセスとしての物語を視ることもできるのではないか。

 そこに、さまざまな関係性を編み直し、活かす「社会デザインの物語」を見るような気がした収録だった。

 ところで、私が大島新監督を意識した作品『シアトリカル』は演劇人・唐十郎が新作に取り組む様と、唐に否応なく巻き込まれていくようにも見える劇団唐組の面々を追ったドキュメンタリーである。唐十郎にカメラを向けて「ありのまま」の映像が撮れるわけもなく(実は劇団員や、ときに画面に登場する監督自身もそう)、まさに虚実の被膜を行く映像が展開していくなかで、どこまでがドキュメンタリーなのか観客にはだんだんわからなくなっていくという面白さに満ちた、「シアトリカルな(=演劇的な、芝居じみた)」作品でもある。

「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」(2007年公開) Ⓒネツゲン 

 ご縁があって、座・高円寺(佐藤信 芸術監督)に設置されている「劇場創造アカデミー」という研修機関で演劇を志す人たち向けに授業を行ったり、また長年教員を務めた立教大学にある映像身体学科の学生たちと「自主ゼミ」を持ったりするなかで、この『シアトリカル』を受講者たちと一緒に観ることは定番化していたので、新さんにも、この作品の古くからの観客であることを伝えると、「『シアトリカル』をご覧になった方は多くはないですので(まったくヒットしませんでした…)、驚きとともに、大変ありがたく思います」という反応が返ってきた。

 この作品自体も社会デザイン視点から観ると、興味深い論点がいくつも引き出せそうなのだが、演劇の世界を扱った『シアトリカル』と、『なぜ君は総理大臣になれないのか』、『香川1区』という政治の世界を対象とした2作品といった一見全く別のテーマを扱ったかに見える作品間での越境/領域横断ぶりに、私としてはより強く社会デザインにも相通じるモチーフをみてとることができるように思う。

 牽強付会の誹りを覚悟で、多少強引な受け止め方をしてみる。文字通りアートである演劇世界の唐十郎、技芸という意味合いでアートとみることもできる(日本の政治全体は、そんなに上等なものではない気もするが)政治世界の小川淳也に焦点をあてつつ、ともに真剣に迷走して、一人ではなく周りを巻き込みながら進むさまを、ドキュメンタリーという方法で映像化するという「離れ業」は、まさに社会デザインの諸次元の一つと私が考える、あえて飛躍・飛翔をめざすことで社会デザインを既存のフレームワークから解き放つ「ソーシャルアート」という他ないのではないか。

 「いま、ここ」にある役者個々の肉体を特権的肉体と位置づける演劇論の唐と、理想主義といわれてもなお「いまここにはないなにものか」を追求し続ける政治家・小川を、別々の時期に撮られた別々の作品とはいえ、自らのドキュメンタリー作品で対象とした大島新監督の方法論に、私は領域を横断し、越境し続ける社会デザインの映像化された姿(物語)を視る思いがする。

 「社会を変えるには、何も大統領や労働長官になる必要はない」というのは、クリントン政権で労働長官を務めたことでも知られる経済学者ロバート・ライシュが、彼のUCバークレーでの講義を中心に撮られたドキュメンタリー『みんなのための資本論』(原題:Inequality for All)で最後に学生たちに語りかけることばだが、まさに社会デザイン、まして映像によるそれ―ソーシャルアートは、必ずしも、直接、狭義の政治や法に働きかけるのではないやり方で、観る者の行動様式の変容可能性へと揺さぶりをかけてくる。

 再び大島新監督とのやり取りに戻るなら、『香川1区』は、「(日本の)まちは誰がどのようにしてつくっているのか」を、観る者にリアリティをもって投げかける作品であり、硬いことばでいうなら、「住民自治」と「民主主義のありよう」を問うものだったように思う。そして、「映像はどこまで、どのようにして人びとの行動変容を起こすことができるか」というテーマに即していうなら、作品中、小川の有力対立候補が、監督の作品を「PR映画」と非難するのは、逆説的ではあるが、行動変容を喚起する可能性の評価とも取れるのではないか。

「香川1区」(2022年公開)Ⓒネツゲン















 

 

 という私の勇み足(挑発?)のようなメールへの新さんからの返信は「『映像がどこまで人々の行動変容を起こせるか』は、私にとっても大事なテーマですので、ご指摘をしっかり受け止めさせて頂きます」というものであった。もちろん真摯な返信なのだが、やはり、秘めたるものをうかがわせる父のDNAは受け継がれていると思えた瞬間であった。


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